第50話 眠った子どもは目を覚ます
「……え、取材?」
ある日の夕暮れ時。学校終わりのソニアたちがカフェに集まっていたところ、そこにルーカスとザカリーもついて来た。アントニオに取材を持ちかけたのは、彼らだった。ルーカスは頷く。
「おれたち今度、学校のグループ発表でスラムのことやることに決めたんだ! 班は五人だけど、おれとザックが取材役なの」
「少ない方が、迷惑にならないと思って……」
ザカリーがそう付け足す。アントニオは腕を組む。
「取材って……俺たちが話す感じでいいの?」
「できたらつれてってほしい! まぁ行ったことはあるけどさ」
「ぼくはないですけど……」
それは少し不安だ。アントニオはローエンがいたら「ダメだ」と怒るだろうなと思う。
「全部の責任が俺に……」
「えー、おじさんとかいたら大丈夫だって!」
リアンに相談するのはありだ。それにソニアにも。
「……お前はどう思う?」
「えー。私はちょっと不安かなぁ。昔私たちも怖い目にあったし……」
と、ソニアはライリーとルーシーの方を見る。苦い思い出である。あの時は父が助けてくれたのだが。
「興味本位で入って良いところじゃないんだよ、ルー」
「でも姉ちゃんたちはしょっちゅう行ってんじゃん! 大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ、もう……」
ソニアはため息を吐く。護衛は絶対に必要だ。確実に何かあっても大丈夫な護衛が。リアン一人では正直心許ない。ソニアだってまだ自信はない。アントニオに全部を背負わせるわけにはいかないし……アランたちにルーカスをあまり会わせたくなかった。既にカフェに何度か出入りしているために、顔見知りではあるが。
「たのむよー、おれたちクラスで一番取りたいの!」
「動機が不純……えぇ、でも俺の独断で危険な目に遭わせられないよ。親御さんの許可貰って来てくれない?」
「母さんはぜったいダメって言う……」
「言うね」
ソニアは同意する。母がそれを許すはずがない。
「ぼくも……」
ザカリーも頷く。なるほど、二人は親に内緒でこっそりこちらへ直談判しに来たというわけだ。
「お父さんもダメって言うよ、絶対」
「父さんは連れてってくれてたもん!」
「それは教会にでしょ! もー……」
姉弟喧嘩が一段落したところで、アントニオはため息を吐く。
「分かった」
「え! つれてってくれるの!」
目を輝かせるルーカス。しかしアントニオは首を横に振る。
「それはダメだ。やっぱり危ないよ。俺たちメンバーに話を聞いて……それをまとめて何とか発表してくれ」
「えー!」
ルーカスはいやだいやだと駄々を捏ねる。冒険したいお年頃だ。ソニアは気持ちは分かる。
「ルー。諦めて。私たちの話聞くだけでも十分な収穫になるって。皆んなスラムの出身者だし。クラスの他の子たちにはなかなか出来ないことだよ」
「むぅ〜、そうかもしれないけど」
膨れっ面をソニアは指で突く。ルーカスは恨めしそうに姉を見た。
「……分かった……話聞くだけでがまんする……」
「よし」
「俺たちも出来るだけ協力するからさ」
アントニオは笑ってそう言った。ルーカスは渋々という様子だった。ザカリーの方は……分からない。元々感情表現の薄い子だ。
「さ、折角来たんだし何か食ってくか。奢るよ」
「えー! トニー兄ちゃんおごってくれんの! やった!」
「ありがとうございます」
途端に機嫌が治る。ゲンキンな子どもたちだ。
*
────なんて、ルーカスは大人しく言うことを聞く子ではなかった。
ルーカスとザカリーは二人でスラムの門の前にいた。
「へへ。つれてってくれないならおれたちで行くもんね」
「ねえ……やっぱりやめようよ」
ザカリーがルーカスの袖を引っ張る。ルーカスは口を尖らせた。
「なんだよ、ここまで来たのに。姉ちゃんたちもスラムにいるし……見つからないように行こうぜ! ケータイ持って来たよな」
「うん……」
「よし、写真いっぱいとってこう」
冒険心に満ちた顔で、ルーカスはゲートを潜った。ザカリーもおずおずとついて行く。ルーカスを一人にする方が心配だった。内気なザカリーは彼を止めることができなかった。
「まずは教会めざそうぜ。えーとたしか……こっちだ」
「お姉さんたち、いない?」
「大丈夫だって、いたら引き返せばいいし!」
楽観的だ。ザカリーは不安でしかなかった。既に居心地が悪い。ひと気のない街はザカリーにとっては異様で、気味が悪かった。
「もしかしたら、どこかで父さん見つけられるかもしれないな」
「!」
ルーカスは辺りをキョロキョロと見回しながら歩いていた。ルーカスの父はスラムで行方不明になったと、ザカリーは聞いていた。ルーカスがここへ来たのは、父を見つけたい気持ちもあったのか。そう思うと、ザカリーはぐっと唇を引き結んだ。
「……さがそう、君のお父さん……」
ザカリーが言うと、ルーカスは立ち止まって振り向いた。少しびっくりした顔をしたあと、彼は笑った。
「よし! 父さんまいごになってんだよ。おれたちで見つけてやんないと!」
「うん」
「あ、でも取材もわすれずにな!」
少年たちは、スラムの中心へと歩みを進めて行った。
随分歩いたが、教会には辿り着かなかった。
「あれー……おかしいな……こっちだったと思うんだけど」
父にほんの数度連れられて来ただけだ。ルーカスは道を覚えられていなかった。恐らく二、三筋ズレたのだろうが……少年たちは立ち止まらずに歩き続ける。
「……ルー、一回戻ろう?」
「いや、大丈夫、こっちのはず!」
ルーカスには意地があった。ザカリーよりこの非日常的場所に慣れている! というそういう少年的な意地があった。
そうして少年二人はどんどんスラムの奥地へと入り込んで行く。やがて教会のある地域を通り過ぎ、二人はひと気のない住宅街を進んで行く。
「……ルー、ごめん、ちょっとつかれた……」
そう言ってザカリーが立ち止まる。ルーカスに比べると、彼は体力があまりない。体育の成績もあまり良くなかった。疲弊した様子の親友を見て、ルーカスもようやく少し不安になって来た。
「どっか休めるとこ、さがそうぜ……」
*
少し歩いて、比較的綺麗な廃屋を見つけた。軋む扉を開いて中に入る。剥がれ落ちかけている天井や、梁に張った蜘蛛の巣を見てザカリーは呟く。
「……お化けやしきみたい……」
「あ、おれゆうれい見たことあるよ」
「やめてよ!」
ザカリーが珍しく慌てた様子で大きな声を出すので、ルーカスはけらけらと笑った。
歩くと床もギィギィと軋む。明かりは勿論ついていない。窓から差し込む光だけが部屋を照らしている。
少し奥へ入るとリビングらしき空間を見つける。きっと座れるところがあるはずだ、と思って近づいた時、二人の耳に声が届いた。
「────なぁ知ってるか、最近ここらで活動してる慈善団体のこと」
「あぁ知ってる、この前ついに駐在所が出来たらしいな。奴らの仕業だろ? 前からサツがウロウロしてて鬱陶しかったが……いよいよマズいな」
……男が二人。ルーカスとザカリーは息を潜めて棚の陰に隠れた。顔は見えないが、彼らが良くない者たちであることは二人にも分かった。
「ナサリオさんはどうするつもりなのかね。このまま静観するのか……くそ、折角アルダーノフが消えて、俺たちの天下かと思いきや、だ。貧乏くじばかりだな」
「ほんとだよ。十年前も……やれやれ、そう考えたら俺たちは運が良い方か」
「そうかね。今はもっと恐ろしいのがいるだろ」
「あー……まぁサツの方が怖いか……?」
「いやいや。あれだよ、“メフィスト”。下っ端どもがかなり狩られてるらしい」
「あぁ……眉唾だろあんなの。夜にしか出ねェっていうし」
「どうだかな。十年前の惨事を思うと、ただの都市伝説とも思えねェ」
タバコの臭いがしてくる。咽せそうになって、二人は口を手で抑えた。
「まぁそれよりだよ。俺たちにとっては慈善団体の方が目の上のこぶだ」
「聞いた話じゃ学生サークルみたいなもんだろ。ちょいと脅せば動けなくなりそうなもんだけど」
……その辺りでソニアたちのことだ、と二人は察した。
「……どうしよう……姉ちゃんたちが……」
「ねらわれる、のかな」
小声で会話する。そしてこの場から出来るだけ早く離れるべきだと二人は思う。そしてそっと立ちあがろうとした、その時。
「おいガキども、ここで何してる」
「!」
降って来た声に振り向く。気がつくと、後ろに大柄のスーツの男が立っていた。ルーカスは咄嗟にザカリーを庇うように立つ。
「あ、あの、その」
「見たとこスラムのガキじゃねェな。なんだ、街から来たのか。え?」
それを聞きつけた部屋の中の二人もやって来る。棚と壁の隅で囲われてルーカスとザカリーは息を呑んだ。
「……ご、ごめんなさい、知らなくて」
「何がだ。俺たちがいることか。……ふーん。物盗りって感じじゃあねェな」
「す、スラムのこと調べにきただけなんだ。教会に行きたくて、その、つかれて休もうとして」
ルーカスはあわあわと言い訳をする。頭の中は真っ白だった。どうしよう。怖い。父さん助けて、と内心そう願う。
「教会だあ? あンの忌まわしい……お前、あの慈善団体の関係者か?」
「!」
ずい、と男は顔を近付けて来る。ルーカスは怯みながらも口を開く。
「……姉ちゃんたちをおどかすの?」
「あ? ははぁ、なるほど。お前のおねーちゃんがいるのか。なら丁度いい」
むんずとルーカスは首根っこを掴まれた。足が浮いてじたばたする。
「! やだ! 放せ!」
「ルー!」
ザカリーはその場から動けなかった。ルーカスを捕まえた男は仲間たちに言う。
「おい、コイツらを人質にしよう。そしたら大人しく奴らも言うこと聞くだろ」
「おぉ……そりゃいい! 俺たちの運はまだ尽きてねェぞ、なぁ」
「そうだな……へへ。ナサリオさんも喜ぶぜ」
男たちはそう言って笑う。ルーカスが暴れていると、男はその体を羽交締めにする。
「おい! 大人しくしろ! 痛い目見たくなけりゃあな!」
「やめろ! はーなーせ!」
「いて! いて、このガキ!」
暴れた足が男の膝を蹴って、ルーカスは床に投げ出される。どた、と床に手をついたルーカスは、立てないままでいるザカリーに向かって叫ぶ。
「にげろ! 早く!」
「……ルー」
「大人に知らせろ!」
「クソが!」
「うわあっ!」
ルーカスが蹴られる。────その時、ザカリーは静かだった頭に、血がカッと上るのを感じた。
「────うわあぁぁぁ!!」
目を見開き、立ち上がる。出したこともないような大きな声。体に力が入って、足は力強く軋む床を蹴った。ルーカスを襲う男に飛び掛かって……振り向いた男の顔を右手で引っ掻いた。
「ぎゃあああああ!」
目から鼻にかけて顔を抉られた男が悲鳴を上げる。飛び散る血飛沫に、ザカリーは自身の奥底に眠っていた何かが、目覚めるのを感じた。
「……ザック?!」
「くそ! やりやがったなこのガキ!」
仲間の男がザカリーに殴り掛かる。だがザカリーはそれを……さも軌道を読んでいたかのように潜り抜けて避けると、床に落ちていた古びた梁を拾って、跳ね上がりながら男の横っ面を殴打した。材と共に血が飛び散る。ルーカスのすぐ側に倒れた男は動かなかった。
「ひっ……ザッ……」
ルーカスは何が起こっているのか分からなかった。ただ、親友の目が、その紫の瞳が爛々と輝いて、そこに楽しそうな笑みが張り付いているのを見た。
「……ザカリー?」
最後の一人へザカリーが飛び掛かって行く。突き出されたナイフを物怖じせずに避けると男の顔に取りついて、床に押し倒した。揉み合ううちにその手からナイフを奪って、迷わずに首を刺した。
「ぐぎゃっ!」
息を呑む。ルーカスはいつの間にか息を潜めていた。痛みも忘れて、腰が抜けたまま、そこで気配を消そうと無意識に息を止めていた。今一番、恐ろしいのは……。
ザカリーは男を刺すのをやめなかった。何度も何度も。血飛沫が飛ぶ。男はもう悲鳴を上げなかった。背中越しでその表情は見えない。そこにあるのは怒り? 違う。今し方彼の顔に見たのは。
「……ふっ……ふ、くそ……」
「!」
最初に顔をやられた男が、手で傷を抑えながら体を起こしている。その手に握られた拳銃は、ザカリーの背中を狙っていた。
「……ザック!」
「くそがあぁぁあ!」
男が叫ぶ。ザカリーが振り向いた。しかし、その引き鉄が引かれる前に、何かが銃を跳ね飛ばす。
「?! ぎゃっ!」
続いてどこからか飛んで来たナイフが男の手首を貫いた。呻きながら転がる男。やがてどたどたと足音が近付いて来る。
「大丈夫か!」
「! おじさん!」
それはリアンだった。彼はルーカスを見ると駆け寄って来て肩を持つ。
「怪我は」
「ッ……ない、けど……どうしてここに」
「それはこっちのセリフだ! 俺たちがたまたま近くに来たからいいものの……」
ソニアたちに同行していたのか。とにかく、リアンは近くでこの騒ぎを聞きつけて来たらしい。
「それ、それより、ザックが」
ルーカスはリアンにしがみ付きながら言う。リアンは彼が指差す方を見て────絶句した。
「…………ウィ……」
ザカリーはそこに立っている。赤い血に塗れて、右手には血濡れたナイフを持っていた。薄暗闇に光る紫の瞳を見た瞬間、リアンの頭にあの姿がフラッシュバックした。
「…………ッ!!」
突然押し寄せて来た吐き気に口を抑える。反射で涙が滲んだ。……気持ち悪い。腹の底がぐるぐるとする。
「お……おじさん?」
(なんで……なんでなんでなんで! クソが!)
『八歳の子どもに向けていいモンじゃねェぞ、それは』
ローエンの言葉が脳裏を過ぎる。目を強く瞑って幻想を掻き消そうとする。なんとか吐き気を抑え込み、顔を上げる。そこにいる少年は、いつものように凪いだ顔をしていた。
「ルー、もう、大丈夫だから」
「ザック……」
「悪い奴、やっつけたよ」
彼は仄かに笑う。リアンは歯を食い縛った。
(……無理だ。無理だよローエン。あれは……だって。間違いなく、“死神”の子だ)
あの目をリアンは知っている。死神が帰って来た。リアンは深く絶望感を覚えた。
#50 END




