第51話 白の再来
十年前のあの日のことを、リアンは今でも鮮明に覚えている。
暗がりに佇む真紅に染まった人影。鉄の匂いが漂う中、こちらを見ていた紫の色は、覚えのある色だった。懐かしい気持ちと、やはり違うという気持ちが交錯した。
アルヴァーロ・ビアンキという人間がいた。
彼は殺し屋の家系に生まれ、そういう風に育てられた。人を殺すことに何も感じないと彼は言っていたが、リアンが知る限りではとても愛情深い人だった。居場所のない自分に居場所をくれた。親を知らぬリアンにとって、彼は実の父のような存在であった。
彼は最強の人だった。どんな場所を歩いても、足音がしない不思議な人だった。そしてどんな多勢を相手にしても涼しい顔で帰って来る。彼を相手取った者は、誰一人生き残りはしない。“白の冥王”────死の形容が、彼を表す名であった。
そんな彼も普通の恋をして、普通の家庭を築いた。妻と二人の子がいた。家族には自分の生業を明らかにしていなかった。だから二人の子を、自らの後継ぎとして育てなかった。そう、育てなかったのである。
だが、血を知らぬはずの彼の子は、自ら目醒めてしまった。その兆候がいつからあったのか、リアンは知る由もないが事実、十六歳のウィリアムは家族を突如皆殺しにした。最強であったはずの彼も、その凶牙に斃れた。少し先の未来視────それは非常に高精度なシミュレート能力であったが────を持つアルヴァーロが、予測出来なかったはずがない。だがひとえに彼の息子への愛情が、その判断を鈍らせたのだろう。
死に行く中で、あの人が何を思ったのか、リアンはずっと分からなかった。だが、今なら分かる。分かるような気がした。
「────ザカリー」
ザカリーの目にはもう狂気は見られなかった。いつもの顔。だが冥王の、あるいは死神の面影を残したその顔に、リアンは発狂しそうになった。叫び声を上げてこの場から逃げ出したい。そうでなければ────。
手が震える。喉に張り付いた悲鳴を、ぐっと飲み干した。
「……自分が何をしたのか、分かってるか?」
ザカリーはふと、視線を落とす。そこでようやく、血みどろの己の姿に気が付いたらしい。
「…………ルーが……殺されると思って……」
「…………」
「だからやっつけた。もう、大丈夫だよね?」
そして彼は足元で自らが滅多刺しにした男を見る。そして段々と、蒼白になって行った。
「……あ………あ」
その場にへたり込んだザカリー。ナイフがその手から転げ落ちる。リアンはそこへ歩み寄る。
言うまでもなく、男は死んでいる。角材で殴打された男も息はない。リアンが投げナイフを刺した男は、毒で麻痺しているが────まだ息はある。
「おじ、おじさん、どうしよう」
ザカリーは縋るような目でリアンを見て来る。リアンは呼吸を整える。
「……大丈夫だ。君を殺人犯にはしない」
「……っ」
「俺に任せて。おじさん、こういうの得意だから」
笑って見せようとしたが、出来なかった。表情筋が強張っている。隠蔽工作は慣れている。だが、この状況は違う。
まずは、とルーカスの方を見る。
「……近くに隠れてて。皆んなが来ても出て行かないで。俺が行くまで待つんだ」
「う、うん……」
ルーカスは頷くが、その場から動けないようだった。ザカリーの方を見る目は、怯えている。
「早く!」
「!」
リアンがそう急き立ててようやく、ルーカスは立ち上がって、呆然としているザカリーを連れて行った。一人になって、リアンはまだ毒で痺れて呻いている男へ目を向ける。
「……うぅ……体が……」
「────悪いな、下手くそでよ。殺す気はなかったんだが……仕方ない」
「!」
ゆっくりと歩み寄るリアン。男は動けないまま目を見開いて、叫ぶ。
「やめ……やめてくれ! 命だけは……! あ! あんたアレだろ! あの慈善団体にくっ付いてる……こんなことしていいのか?!」
「良くないよ。でもこれが俺の本分って言うか。いざという時は何だってするよ。そうやって生きて来た」
「ひ……! 分かった……奴らに手は出さないから! 頼む、助けて……」
上手く動けないまま、男は身を捩ってリアンから逃げようとする。身を丸めて懇願する男に、リアンは笑って、屈む。
「みっともないね。軽い気持ちでスラムに手ェ出したの? マフィアならいつでも死ぬ覚悟はしておかないと」
「俺……俺たち下っ端なんだよ! 金が貰えりゃ何でも……!」
「知るか。とにかく生きててもらっちゃ困るんだよ」
お守りのナイフを出して、リアンはそれを逆手に持つ。
「運が悪かった────お前が死ぬ理由は、ここじゃそれだけだ」
*
廃屋の別の部屋の隅で、ルーカスとザカリーはくっついていた。ルーカスは随分落ち着いたようで、未だ震えているのは血みどろのザカリーの方だった。
二人を連れ立って、リアンは事務所を目指した。ザカリーの顔についた返り血はあらかた拭き取り、上にルーカスのパーカーを着せて、人通りの少ない道を選んだ。
下の居住スペースの風呂場にザカリーをまず突っ込む。血を洗い流して、新しい服を着せる。……勿論子供服などないので、大きなシャツを着せただけだが。着ていた服は洗濯するしかない。血の落とし方を、リアンはよく知っている。
そうしている内に、ザカリーは落ち着いて来たようだった。現実味のない顔をして、ホットミルクを飲んでいる。リアンもようやく息を吐く。
「……俺はまず、君たちを怒らないといけない」
キッチンに寄りかかりながら、リアンはそう口を開いた。ルーカスの方がびくりとする。
「何で二人だけでスラムに入った。危険なのは分かってるだろ」
「ご……ごめんなさい……学校の発表で、使いたくて。で、でも、行ったことあったし」
「せめてソニアちゃんたちに相談するとか……」
「したんだよ、でも、ダメだって……」
ふむ、なるほど、好奇心と子ども特有の過信にやられたという訳だ。リアンは眉根を寄せる。
「もう二度としないって約束しろ」
「しない。行かないよ! ……つれてってももらわない……」
一部始終の全てをリアンは見ていたわけではないが、ザカリーはルーカスが殺されると思ったと言っていた。怖い思いをしたのはきっとルーカスの方なのだろう、とそう思う。しかし、ザカリーの方はそれ以上に別の恐ろしい経験をしたわけだが。
「……ねぇ、ザックはつかまるの?」
ルーカスがそう言う。ザカリーは俯いたままだった。リアンは首を横に振る。
「そうはさせないと言っただろ。君を殺人犯として警察には突き出さない」
「でも、ショーコがいっぱい見つかるんじゃ」
「それもない。俺はそういうの隠すの得意なんだ」
「……おじさん、ほんとは何者なの?」
ルーカスが眉を下げてそう訊ねて来た。リアンは目を伏せる。
「────今日のこと。今からする話も、さっきあったことも、絶対に誰にも言わないって、約束出来るか」
「言わない、ぜったい」
ザカリーもその横で静かに頷いた。リアンは大きく息を吐き出した。ごめん、ローエンとそう心の中で謝る。
「……今からするのは、ザカリー君の……祖父の話だ」
「────え?」
思いもよらなかったのか、ザカリーはそう声を上げる。リアンは胸の奥底にしまっていた思い出を、引っ張り出してくる。
「名前はアルヴァーロ・ビアンキ。俺の大切な人で、恩人だ。俺はあの人に拾われて────育てられた。情報屋として、そして殺し屋として」
少年二人は驚いた顔をした。だが、恐れるような素振りはなかった。
そしてリアンは順を追って話し出した。彼がどんな人だったのか、そしてどういう家に生まれたのか。ザカリーのルーツに繋がる全てを少年に話した。
「────誰にも負けない、最強だったあの人は、実の子によって命を絶たれた。誰よりも愛していた我が子にだ。……俺たちがどれだけ望んでも手に入らないものを、奴は捨てたんだ」
「……それが、父さんなんですか?」
「そうだ。だから俺は────君の父さんを、恨んでた」
吐き出した気持ち。ずっとそれを解放することが怖かったが、不思議と心は凪いでいた。
「君の父さんが────ウィリアムが死んだのは、俺のせいだ」
「え?」
「俺の仲間が殺した。俺がそうさせたんだ」
罪の告白。自分もあそこで死ぬはずだった。だが、そうはならなかった。自分は今、生きている。だから。
「……俺を恨むならそうすればいいよ。だって君にはその権利がある。君のお母さんが苦しみ続けているのも、俺のせいだし────」
「……おじさん……」
「でも、俺の恨みだって正当なものだ。分かってくれる?」
子ども相手に、だ。彼が怒ったとて仕方ない。リアンは続ける。
「アレは……人の心を持たない怪物だった。人を斬り刻んで楽しむ人でなしだ。……まぁ、アルヴァーロさんも、何も感じないとは言ってたけど」
そういうことじゃない。だがそれは当人を知らない彼らには分からないと思う。
「ともかく……君に流れてるのはそういう血ってこと。だから何と言うかそう……あまり気に病むな」
なんだか懐かしい感覚だ。しばらく忘れていた感覚。これが平和ボケか、とリアンは目を細める。殺伐とした世界の方が、やはり馴染みがある。
「で……だ。君には半分、俺の大嫌いな血が流れてるわけだけど、さらにその半分は俺の恩人の血ってわけ。複雑だよね。でも俺は100%君の仇なんだけど……どうする?」
「どうするって?」
ザカリーの目は落ち着いていた。そこに予想していたような絶望はなかった。半ばこの事実が分かっていて、ようやく納得した、という風なそんな顔だった。
リアンはもたれていた体を起こすと肩を竦める。
「まぁ、こうなったら選択肢は一つだな。俺は君のその才能を、正しく使えるように指導しなきゃならない」
「……才能……」
「才能だよ。天賦の才ってやつだ。誰にも教えられてないのに、君は本能のままに人を殺めた。友だちを守りたいばかりにね」
ルーカスへと視線を移す。彼は不安そうな目でザカリーを見ていた。
「だけど。今のままじゃいけない。それは分かるだろ? 君を第二の死神にするわけには行かない」
「……死神?」
「────君の父親のことだよ」
するとザカリーは何かを思い出したように、目を上げる。
「……ルーのお父さんが、父は医者だったと言っていました、けど」
「あぁ……まぁ嘘じゃない。だけど、それはただの隠れ蓑だ」
いや、本当にそうか? 先日のローエンとの会話を思い出す。だが──リアンにとって、かの死神は死神でしかなかった。
「ともかく。目覚めちゃったならしょうがない。きちんと制御出来るようにしてやろうってこと。心身共に鍛える必要がある。見たところ……結構体痛めてるだろ」
「……はい」
シャワーを浴びせた時に気付いた。彼は手足を痛めている。体の持つ力に、筋肉が追いついていない。制御しきれていないのだ。火事場の馬鹿力というやつが発動したのだろう。普段使わない筋肉が悲鳴をあげている状態だ。
「……ザック、体育の成績悪いもんな……あんなに動けるのびっくりしたもん」
ルーカスがぼそっと言う。まさに、秘められた才能というやつだ。
「まぁ一朝一夕とはいかない。結構キツいと思うが……やるか?」
「……結局おじさんは、ぼくをどうしたいんですか」
「分かんなかったか。お前を強くしてやるって言ってんの。正しく友だちを守れるように」
「!」
それを聞いて立ち上がるのは、ルーカスだった。
「あー! おれにはダメって言ったのに!」
「……あー。じゃあ仕方ない。もののついでだ、やっとくか。……ローエンもいないし」
と、いうことにしておく。いない奴が悪い、と心の中でリアンは舌を出した。
「やったー!」
「言っとくけど、思ってるほど良いもんじゃねーからな」
やれやれとリアンは大きな息を吐いた。自分がアルヴァーロに色々教えられた時のことを思い出す。あれはかなりスパルタだった。彼は普通の人間の程度が分かっていなかった。ルチアーノからそういう話を先に聞いていたが────自分も同じ感想を抱いた。
(さて、しかしこの子の能力は今のところ未知数だ。色々テストするところからかな……)
元気が出て来た少年たちの様子を見る。まだ幼い少年たちだ。少なくとも、ザカリーは多くのポテンシャルを秘めている。その容姿はやはり遺伝子の強さの表れか。彼をどうするかは自分にかかっている。
ルーカスの方は……分からない。ローエンの子であれば可能性は十分にある、と思うが……。
(というか、じゃあソニアちゃんのアレはなんなのよって話になる……)
ローエン仕込みの護身術。下手をすれば自分より強いかもしれない。半分は自分の遺伝子なら……自分も頑張ればもう少し強くなれるのかも? と思うがもう遅いとも思う。今は衰えるばかりだ。
リアンは首を横に振ると、腰に手を当て子どもたちを睨む。
「……あとそうだ。最初に言ったけど……今日のこと……修行することも含めて、全部、絶対に、誰にも話すんじゃないぞ」
少年たちはコクコクと頷いた。やれやれ、また面倒ごとを抱えてしまった。リアンは少しばかり胃が痛かった。
#51 END




