第49話 医師なき世界に
ひと月が経った。秋も深まり、肌寒くなって来た頃。
ついにスラムに駐在所が完成した。建物の改修にはもっと時間が掛かると思われていたが、工事の様子を見たスラムの人々が徐々に手を貸してくれて、予定より早くに終わった。中には元大工の人間もいた。彼らはこれからも力を貸してくれるらしい。そんなこんなで、ダミヤたちの班は正式にここへ移ることになった。
駐在所は予定通り教会の向かいに建った。見た目はこじんまりとしているが、二階が居住スペースになっていてダミヤたちが交代で寝泊まり出来るようになっている。一階はごく普通の交番という感じだ。スラムの人々が駆け込むには十分だろう。
工事の妨害は思ったほど無かった。というか周辺をアランたち自警団が巡回していて、マメにゴロツキを(勿論殺さずに)排除してくれていたお陰だ。彼らの活躍もあって、教会周辺の治安は俄然良くなったに違いない。
────さて。警察の拠点が出来たら次は、という話になる。アントニアたちは相談して、何かの商業施設を────たとえばカフェ二号店とか────という話も出たが、議論の末出た結論はこうだった。
「……病院?」
「そうなんだよ」
スラム南部の廃屋。────以前ローエンを捕まえて話したこの場所は、二人の密会場所になっていた。リアンから近況を聞いたローエンは古びたソファの上で腕を組む。
「まぁそりゃ……必要だろうけど。医者のアテはあるのか?」
「無いから困ってる。そこで議論は止まってるってわけ」
リアンは肩を竦めながらそう答えた。
病院と言うよりは診療所になる。医師が一人と助手数人が滞在し、比較的安価か無償で治療が受けられるような場所を作りたい……というのが少年少女の案だ。これにはアランたちも同意した。怪我をして困るのは彼らも同じだ。簡単な手当ては出来るし、薬も多少供給出来るが、大きな怪我や病気は対処しきれない。それにそもそも、素人のボランティアが医薬品を持って簡単な治療をするより、専門家に任せた方がいいに決まっているのだ。
「…………」
ローエンの頭を記憶の中の顔が過ぎる。かつてのスラムはそうだったのだ。彼がこのスラムの医療を支えていた。それが元々彼の本意でなかったとしても、そうだった。神父の意向でスラムの人々からは金を取らなかった。ローエンは怪我をする度に毟り取られたものだ。
「……何を考えてるか分かるよ」
リアンがローエンの顔を見てそう言う。ローエンはため息を吐く。
「あいつが今も生きてたら、とか……考えなくはないよ」
「そうだったら今の俺たちはない。そうだろ?」
「……そうだな」
奇妙な縁だ。今でもそう思う。リアンはその考えを振り払うように手を振る。
「死者に縋ったって仕方ない。“死んだライオンより生きた犬”だ。新しい仲間を探さないと」
「その諺合ってるか? まぁ言いたいことは分かるが」
「……うーん。でもな。いきなり『スラムで病院開きませんか』とか言って、乗る医者がいると思うか?」
そんな都合のいい存在がいたら苦労しない。ハイデマリーにでも力を借りて公募でもすれば、物好きが集まるかもしれないが……不特定多数から集まる意志は、少し怖い。スラムはそもそもそういう有象無象が蠢く場所だ。
「────父さんに頼ってみるのは?」
「え? フィリアスさんに?」
ローエンは頷くと、ほら、と人差し指を出す。
「製薬会社の社長だろ。医者の知り合いくらいいるんじゃないか」
「いやー……いくら何でも都合良すぎるだろ……あの人はお前の父親だから協力してくれてるのであって…………いや、めちゃくちゃ良い人ではあるけど、それを知り合いにまで求めるのはな……」
そう唸ってから、リアンははたと思ったことを言う。
「……お前の協力者? は?」
「論外だろ。医者は医者でもあれはダメだ」
「そうか。まぁそりゃそうだよな」
ローエンの体のことを思うと藁に縋りすぎにも程がある。それならアルベールの方がいくらか小枝ほどに思える。
「まぁー……ダメ元で当たってみるか……当たって砕けろだな」
「それがいい」
「本当はお前に当たって欲しいんだけど……」
「出来ると思うか」
「ですよねー……あー、仕方ないか……」
*
「あぁ、それなら丁度いい人物がいるよ」
ダメ元でアルベールに打診した結果。リアンは目を丸くした。
「……え?」
丁度アルベールがカフェを訪れていた日。テーブルに座りケーキを食べる彼はとてもにこやかだった。
「ほ、本当に?」
リアンが慎重に訊き返すと、アルベールは深く頷いた。話を聞きつけたアントニオとソニアも近くにやって来る。
「私の古い友人に医師がいてね。今はもう引退しているんだが……非常に優秀な医師だったんだ。界隈では名を知らぬ人はいないくらいだ」
「……そんなすごい人を?」
アントニオが言うと、アルベールは今度は首を横に振った。
「いや、紹介したいのはその人の息子だよ。丁度リタと同じ歳の頃でね。今はウィスタリアの病院で働いているが、そろそろ独立を考えているという話を聞いていたんだ」
「いやいや、でも、独立ったってスラムじゃあ……」
理想とは程遠いだろう、とリアンは思う。自分なら断る。
だがアルベールは携帯を取り出すと何やら打ち始める。
「会えば分かるよ。すぐに紹介しよう。ここに呼べばいいかね?」
「えぇ、そんなすぐに?!」
とんとん拍子に話が進む。アルベールはどんどん文字を打って迷いなく送信ボタンを押した。調子が良過ぎてアントニオは逆に蒼白になった。
「────夢?」
「夢ではないよ。君たちの想い描くことはすぐに現実になる」
「えぇ、どうしよう、俺にかかってるよな病院の件!」
あわあわとするアントニオの肩をソニアはぽんぽんと宥める。
「大丈夫だよ、アラン君たちのことだって取りまとめられてるじゃん」
「られてないよ! くそ……」
アントニオは顔を覆うとテーブルに崩れ込む。
「……何だろう……すごく夢見てたことなのに……実際ことが大きくなってくるとこう……重いな……」
「気持ちは分かるよレイモンド君。私もはじめはそうだった。だが次第に慣れるものだ」
アルベールの言葉に、アントニオは顔を上げる。
「……そうですか?」
「どんな英雄も、最初は凡人だ。経験を積んでこそ人は成長する。君はまだ若いからね。焦る必要はないよ」
そう言ってアルベールは柔らかく笑う。アントニオは頭を掻く。
「まぁともかく……会ってみるしかないか……怖いけど」
「おじいちゃんのお友だちなら大丈夫だよ。ね?」
「あぁ」
ソニアの言葉にアルベールは頷く。
「その息子なんでしょ……」
「勿論、彼とも面識はあるとも。彼は良い人間だ。私が保証する」
その時、ピロリンとアルベールの携帯にメールの着信があった。どうやら返信が来たらしい。
「……おや。丁度明日、非番だから来てくれるそうだ」
「待ってまだ心の準備が……!」
*
────翌日である。店の閑散とした時間帯。約束の時間は近い。アントニオはそわそわする。
「……どんな人なんだろう……」
「さあねー」
店内は数人の客がいる。店員としてソニアとデイビッドとコゼットがいるが、他は外出中だ。
アルベールは今日はいない。彼も忙しいのだ。たまに顔を出して貰えるだけでも十分にありがたいものだが、今日ばかりはいて欲しかった……とアントニオは思った。
ガラゴロとドアベルが鳴る。アントニオとリアンは「あ」と思った。
現れたのは短い黒髪の眼鏡の男だった。ピシ、とした印象ではあったがどこかピリついた雰囲気を纏っている。と言うのも、彼は派手な赤い柄シャツを着ていた。どう見ても“ヤカラ”である。
「…………」
「え? あの人?」
「いや違うだろ……さすがに」
彼は入り口で立ち止まり、黒い三白眼をきょろきょろさせると、テーブルからじっと自分を見ている二人に声を掛けた。
「……レイモンドさんですか?」
ピシ、と背筋を伸ばしてアントニオとリアンの前に座った。店番でいたソニアにコーヒーを頼むと、彼はゴソゴソと革の鞄から名刺を取り出す。
「ルイ・ハドックと申します。父の紹介で来ました」
名刺には現在の所属している病院が書かれていた。確かにそれはウィスタリアの大きな病院であった。
「わざわざありがとうございます……」
「えーと……フィリアスさんとも面識が?」
「はい。今日はあの方はおられないのですね」
リアンの問いに頷いた彼は、少し残念そうな顔をした。
「……ちなみに、何て言われて来たんです?」
「面白そうな話があるから言って来いと」
淡々としてルイは答えた。何も聞いていないらしいことを察した二人は、自己紹介をしつつ彼に自分たちの計画を話した。
「なるほど。お話は分かりました」
「あなたなら力になってくれるかもって、フィリアスさんが」
アントニオが言うと、ルイは頷く。
「確かに、私は今独立して自分の医院を持とうと考えていますが……結論から言いましょう。スラムに自分の病院を開くことは、お断りします」
「……え?」
いや、予測していたことではあったが、ここまであっさりと断られるとは思っていなかった。ルイは続ける。
「医療は金がかかります。善意だけではやって行けない。ボランティアは多大な寄付金が集まってこそ成り立つもの。父の名こそあればですが、私一人では到底無理でしょう。治療費の出せない人々ばかりを相手にしていては、商売になりませんし」
資金面は自分たちが受け持つ、とアントニオは言いそうになったがグッと飲み込む。実際、自分たちにはそこまで余裕はない。医薬品は現状アルベールからの支援があるが、そういう話ではないだろう。彼は医者を商売としている。
「……でも……そこをなんとかなりませんか」
「はい。なりますよ」
「ですよね……え?!」
ならないと言われると思ったが、違った。ルイは片眉を上げる。
「スラムに医院は開きません。私は街の方に開きます。そちらの方が商売になりますし。ですが……協力しないとは言っていないでしょう。月に二、三の回診を、スラムで行う……ということでいかがですか」
「……ほ、本当ですか」
「話を聞いたところ、必要なのは病院ではなく医者でしょう。病院などは街の人々が金を払えるようになってから建てればいい。低頻度の出張なら、あなた達が私に報酬を払えるでしょう?」
「確かに……」
少し頭が硬くなっていたのかもしれない。そういう柔軟な考え方もあるのだなとアントニオは反省した。
ルイはコーヒーを一口飲むと、続けた。
「……実のところ、アザリアのスラム街のことは少し気になってはいたんです。ほら、最近よく新聞で取り上げられているでしょう」
ハイデマリーの記事だ。彼女の活動は大いに効果を上げているようだ。
「私の父は『万人に医療を』と、よくそう言っていました。老若男女、貧富の差の隔てもなく平等に医療を届けたい。……父は病でメスを持てなくなりましたが────私もその志には賛同しています」
顔を上げ、ルイは仄かに笑う。
「近いうちに、信頼できる数人の仲間と共に、アザリア南部に医院を立ち上げます。準備が整ったら連絡を差し上げるので、それまでお待ち頂けますか」
「はい……はい!」
アントニオは頷く。とても嬉しい。安心と喜びが同時に押し寄せて来る。
ルイはコーヒーを飲み終えると、立ち上がった。
「今日はこれで。良いお話が出来て良かった」
「こちらこそ本当に……ありがとうございます」
アントニオも立ち上がって、頭を下げる。ルイは右手を差し出す。
「また何かあればご連絡下さい。これからよろしくお願いします、レイモンドさん」
「はい……! よろしくお願いします!」
ルイの手を取り、固く握手する。その手は確かに温かかった。
*
『というわけで、医者の件は何とかなりました、ありがとう』
その夜。事務所に戻ったリアンは、ソファの上でそうローエンにメッセージを送る。すぐに既読がついて返信が来る。
『良かったな』
短い。それだけかよ、と思った矢先にメッセージが続く。
『てかなんで俺に礼を言うんだ。父さんに言えよ』
『まぁそうだけど。提案したのはお前じゃん。フィリアスさんの縁もお前の縁だし』
『俺はなにもしてない』
いやしかし、やはりローエンのお陰ではあると思う。彼の血筋に感謝する。
『どんな奴だった?』
医者のことだ。そう察してリアンはメッセージを返す。
『マフィアにいそう』
『マジで』
『でも良い人だった』
『そうか。良かったな』
その返事は他人事のようだ。リアンはムッとする。
『お前と同じぐらいの歳だってフィリアスさんが』
『ふーん。まぁ父さんの友だちの子ならそうなるだろ』
『少し境遇が違えばお前の友だちだったかもな』
『どういう意味だ』
『別に』
もし、ローエンがフィリアスの下で育っていたなら……などとリアンは妄想する。その場合は“ローエン”ですらない。彼はビジネスマンだったろうか? 今の歳なら次期社長という頃合いだったかもしれない。
『お前ってボンボンなのな……』
『昔の話はしたくない』
『いやなんで。事実だろ御曹司』
実際のところ、ローエンは“坊ちゃん”ではなく“お嬢様”として育ったのだが────それをローエンがリアンに話すことはないし、リアンがそれを知る由もない。
『父さんは俺に継がせる気はないって言ってた』
『それはお前の意向を受けてだろ。まあ実際問題無理だと思うけど』
『お前に言われるとそれはそれでムカつく』
自分で分かってるならいいじゃん、とリアンは口を尖らせた。
『今なにしてんの?』
『秘密』
『なんで』
『いつも通りだよ。実験台探し』
『まだやってんの』
『最近はあまり捕まえてない。そんなに』
『捕まえてんじゃん』
要するに今はどこかで一人サボっているというところか? スラムの暗闇に佇む黒コートのローエンの姿を思い浮かべる。
『†闇夜の守護者†か……』
『やめろ。まぁ平たくいやパトロールだよ』
『がんばってますね』
『お前こそなにしてるんだ。今どこだ』
『事務所にいますけど。寂しい(´・ω・)』
『あそ。誰にも見られるなよこの画面』
『分かってますよって』
冷たい。ローエンらしいが。しかし確かにこの画面をうっかり誰かに見られたらマズいとは思う。だからこうして確実に一人でいられる時にしか開かないし、彼とやり取りもしない。万が一のために宛名は偽装しておくべきかとは思う。
ローエンのこの連絡先は新しいものだ。前の携帯は……捨てたのかどうかは知らないが、ともかく繋がらない。多分電源を切ってある……のだと思うが。
『ここ最近、スラムの治安が良くなってきた気がするんだが、お前のお陰か?』
『お前は何を見てんだよ。どちらかというとそっちだろ』
『そうかなあ』
『交番が出来たのはでかいだろ』
『そうかもね』
ふとリアンは不安になる。
『お前、警察たちに見つかんないようにね。ずっと血眼で探してるから』
『だからヤなんだよ。実験台探し……』
なるほど、これは確かに抑止力になっているらしい。
『あ、そうだ。最近よく見る集団がいるんだ』
『どんな?』
『マフィアだろうなあれ。多分フィンリーが前捕まえた密売人の仲間だぞ』
そういえばそんなこともあった。
『手え出したの?』
『出すかよ。中途半端にやったら面倒だろ』
『そか。うーん、またその件は相談しとく( •ω- )☆』
『情報提供者は匿名でな』
『当たり前だろ( •ω- )☆』
『あとその顔文字やめろ』
つれないなー、とリアンは目を細める。ふあ、と欠伸が出る。
『そろそろ寝るよ。お前も体に気を付けて』
『お前よりは健康だよジジイ。おやすみ』
ひどーい、と思いながらリアンは携帯を横に投げ捨てる。ローエンは随分と元気そうだ。アランが知ったら度肝を抜くだろう。いや、今はまだ殺し合いになりかねない。
(早く戻れるようにしてやんねーとなぁ)
とは思うがリアンには手立てが思い浮かばない。ソニアたちは上手くやっている。アランたちとの溝は────まだ無くはないが、徐々に埋まって来ている、気がする。
(ローエンの協力者についても気になるし……)
謎の医者。彼については未知数だ。何の情報もない。それに突っ込むのは、ローエンの居場所をこちらに確保してからにしたいところだが。
(……なんかこの、全部一人で抱えてる感じ……しんど……)
誰かに相談したい。だがそういう訳にはいかない。リアンは口の固さには自負がある。情報屋として、かつてその才を信じてくれた人のためにその誇りを失う訳にはいかない。
目を瞑る。そうしてリアンは、いつの間にか眠りに落ちていた。
#49 END




