第48話 共犯者
────死臭がする。自分の読みが当たっていたことを確信し、歩みを早める。
夕暮れ、リアンは一人でスラムの中を歩いていた。わざと足音をさせながら、臭いの先に近付く。
「────待てよ」
立ち去ろうとした黒衣の男に、そう声をかける。壁際に置かれた死体。臭いの元はそれだ。そのすぐ側に立つ彼は、昨晩のようには逃げずにその場で振り向いた。
「……なぜここが?」
「情報屋なめるなよ。……分かってんだろお前ならよ」
「そうだな。追われる側になって改めて実感するとは思わなかったが」
黒衣の男────ローエンはそう言って肩を竦めた。
「逃げないんだ?」
リアンはそう問う。ローエンは首を傾げる。
「お前が俺をどうこう出来るか?」
「……どうだろうな。俺だって元殺し屋の端くれだぞ」
「俺に敵う程じゃない。……俺を無理矢理連れて帰りたいなら相手になるが」
「────なぁ、何で消えたりしたんだお前」
一番聞きたいことだ。突然、彼が離反した理由。アランのことだと予測はつくが、それならひっそり隠れていればいいだけでわざわざ敵対するような真似をしなくてもいいはずだ。
「……何で? 何でも何も。俺はあそこにいるべきじゃない」
「お前それ……本気で言ってんのか」
「俺がスラムの秩序を壊した」
「それは……俺も同じだろ」
リアンが言うと、ローエンは笑う。
「お前は何もしてないよ。何も出来ない。……お前は俺を止めないんだろ? なら放っておけ。お前にはやることがあるだろ」
踵を返すローエン。その背中に、リアンは拳を握り締める。
「…………都合よく解釈するな。俺はお前を止めずに、一緒に堕ちてやるって言ったんだ。でもそういう訳にはいかなくなった。事情が変わったんだよ。それで、お前は一つ忘れてるな。『俺が変な方向に行きそうになったら、お前が俺を引っ叩け』って、お前が言ったんだぞ。俺に」
「お前の手は俺には届かないんだろ」
「止めて欲しいんだろ、お前」
ぴた、とローエンは立ち止まった。そのまま、彼はこちらを見ないまま口を開く。
「────うるさいな。そう思うなら止めろよ、力づくで」
「それからもう一つだ。お前、わざとアランにやられたな」
「…………」
「お前があいつらを仲間に引き入れるって言ったんだ! お前が諦めてどうすんだよ!」
「……俺が消えて、全部上手く行っただろ」
「行ったもんか! お前……ソニアちゃんがどれだけ」
ローエンの肩がビクリとする。やはり気にしてはいたのかと、リアンはそこに畳み掛ける。
「……お互い距離を置くって決めたのに、あの子は俺を頼るんだよ。お前がいなくてどれだけ寂しいと思う。お前、家族のこと放っておいていいのか?」
「死人は戻らない。そうだろ」
「お前は生きてる」
「死んだんだよ!」
ローエンは振り向く。こちらを向いた隻眼は、今にも泣き出しそうに見えた。激しい苛立ちを含んだその目を、リアンは見返す。
「……ようやく分かった……お前は悪役になりたいみたいだが、全然向いてないぞ。そういうのは俺の役割だ」
「…………」
「だから、俺はお前の言うことなんか聞いてやらねェ。意地悪く足掻いてやる」
「お前に何が……」
リアンは右手を振った。反射で出したローエンの左腕に、投げナイフが突き刺さる。
「!」
「理屈は分からねェが、お前、斬られても刺されても平気だろ。その辺りも含めて聞かせろよ、全部」
「……こんなもので俺がどうにか出来ると……」
突如、足元がフラついた。力が入らなくなって、ローエンは壁にドッと寄りかかった。
「…………⁈」
「毒は効くみたいだな。良かったよ」
「……お前……」
ずるずると、ローエンは地面に崩れて行く。立てなくなって座り込んだ彼を、リアンは見下ろす。
「何が出来るかって。何だって出来るよ、俺は。やろうと思えば。……料理は出来ないけどさ」
「…………」
「心配するなよ、四肢の運動能力だけ麻痺させる毒薬だ。死にはしない。個人差はあるが三時間は動けないかな。その間だけでも、なぁ」
ローエンの目に焦りが見える。リアンはそれを見て笑う。
「腹割って話そうぜ。安心しろ、俺たちだけの秘密にしといてやる。今までだってそうして来たろ」
「……連れ戻さないのか」
「実際問題、今戻ったってアランの離反が目に見えてる。その上で────相談しよう。一人で抱えてたってどうにもならんぜ」
ローエンは大人しかった。体の自由を奪われて観念したようだ。
「……場所を変えよう。死体の横ってのは嫌だしな」
リアンはウィンクして見せると、うんざりした顔のローエンを肩に担いだ。
「…………お前少し痩せたな」
「うるせ」
* * *
「で、動けねェのに何で縛るんだよ」
近くの古びた民家に運ばれ、軋む椅子に座らされたローエンは隻眼を細め不平を漏らす。椅子の背もたれの後ろで両手を結束バンドで縛られている。リアンはその前でよいしょとボロボロのソファに座った。
「そりゃ、お前が今の所未知数だからだよ。いつの間にか麻痺が解けてて、隙を突かれて逃げられるのが嫌だから」
「信用ないな」
「信用する間柄じゃないだろ俺たち、本来はさ」
「お前……」
「ま、それでも腹は割ってもらうけどね」
リアンは手を組む。ローエンは目を瞑る。その様子を見て、リアンは呟く。
「……随分と箔のついた顔になったもんだね」
「これか。最初は不便だったが慣れたよ」
ローエンは顔の左側を見せる。しっかりとした眼帯だ。代わりに、いつも前髪に隠れていた右目が、相変わらず長い前髪の間から覗いている。
「アランにやられたわけ?」
「…………それ以外にあるかよ」
「まぁ、そうだよねー」
リアンは立ち上がると、ローエンに歩み寄る。ハイネックのコートの襟を捲る。首に残る傷痕を見て、リアンは眉をひそめた。
「……アランが言ってたことはマジってわけ……」
「胸の傷も見るか。おっさんの分もあるけど」
「いや、いいよ。……いや、何だこの傷痕」
急激に癒着したような痕だ。……そんな傷は初めて見るが、そうとしか思えなかった。
「……さっき刺さった傷は?」
「もうないよ。あれくらいなら痕も残ってないだろうな」
あっけらかんと言うローエンに、リアンは唖然として襟を離す。
「……話してくれる? ここ三ヶ月のこと」
「────他の誰にも話すなよ。それを約束してくれるなら、話す」
「約束する。情報屋のプライドにかけて」
「…………それなら信用する」
ローエンは、あの日リアンと別れた後からのことを話し始めた。アランにやられたこと、目覚めると変な医者がいたこと、彼の薬による変化のこと、そして彼に頼まれて動いていること────。
「……待て。情報量が多い」
リアンは額を抑える。一つずつ整理しようと、少し考えてから口を開く。
「まず体のことだ。……怪我がすぐに治るって?」
「切り傷や刺し傷なんかはすぐに。傷口がすぐ塞がる。骨折は分からないが、ヒビくらいならすぐ治るんじゃないか。この目みたいに臓器が激しく損傷した場合は完全には治らないが……」
「どういう仕組みなわけ」
「詳しい理屈は俺もよく知らない。ただ、体の再生能力を飛躍的に向上させる薬を打たれた……とだけ」
「……SFみたいだね。俺もそういうよく分からない薬を作る魔女みたいな人は知ってるけど……そこまでとは」
「腕が生えたりはしないぞ、さすがに」
「それはもう何というか、化け物じみてるね」
「既に化け物だろこんなの」
戻れない理由一つ目。リアンはそう数えた。確かに不気味だ。怪我をしなければバレないだろうが……職業柄そうはいかない。
「それで、その薬を打った医者センセーは?」
「それについては黙秘させてもらう。そういう契約でね」
「……なら仕方ないか。こっちで勝手に調べるよ。それなら文句ないだろ?」
「出来るものならな」
ローエンは別に、リアンがそれを出来ないとは思っていないようだった。リアンは続ける。
「彼のせいで帰れないわけ?」
「いることを強制されてはいない。帰りたきゃ帰ればいいって言われてるよ。ただ────そういう訳にもいかないだろ」
どの道、アランの態度をどうにかしなければローエンが戻る場所はない、あるいは折角苦労して取り入れた彼らを手放すことになる。その上脅威にだってなり得る。
「それから、何でお前、また殺しやってんだ」
リアンの言葉に、ローエンは口を結んだ。彼は昔から好き好んで人を殺すタイプではないことをリアンは知っている。あくまで仕事だ。
「“メフィスト”だっけ。そんな大層な名まで名乗って」
「似合うだろ」
「似合わないよ。フィンリーのことまで傷付けてさ」
「俺はおっさんに斬られた。……あいつは無事なのか」
「心配するんだ。なんとかね。あの人タフだから」
そう言って肩を竦める。ローエンはホッとしたような顔をした。
「……本当にさ。お前って優しいくせに……変だよ」
「お前、俺の評価コロコロ変わるな」
「いんや。もうこれで決定だ。お前は悪役の似合わない優しい奴だ。無理に演じようとするな」
「でも俺は……」
「あんなガキンチョの言うこと真に受けてへそ曲げるなよ。バカじゃないの」
ぐ、とローエンは言葉に詰まる。彼は少し何と返そうか迷って、首を縮めて悪いことをして叱られた子どものように言う。
「……アランの言う通りだろ。どの口が……って話だ」
「そんなことねェよ。お前は安定した秩序よりダチをとって、でもスラムを捨てたわけじゃない」
「…………」
「それにお前、神父さんのやり方が正しかったとは思ってないだろ」
「それは……」
そうだ。だから、あれから殺し屋からは足を洗ったのだ。もっと平和的な方法で、根本的な解決を────。
「アランの考え方は暴力的なんだよ。スラム育ちだから仕方ないのかもしれないけど」
目には目を、歯には歯を。暴力には暴力を。常に暴力的な悪意に晒されるこの街では、持てる手段の少ない少年少女は暴力で対抗するしかなかった。でも、ローエンたちはそうじゃない。
「俺たちは、仮初の平和を終わらせただけだ。アランはそれを本物だと信じているけど。……それを突き崩すのは難しい。言論は彼には通じない。結局従わせたのも俺の暴力だし」
「じゃあ、どうするんだ」
「俺たちが上から目線で何を言ったって意味ないんだ。そういうことは、他に任せよう。適任者は既にいる。たくさんな」
「…………ソニアたちか」
「そうだよ」
アランたちと同年代の少年少女たち。そして同じスラムで生まれ、外で育ちながらもずっと見て来た彼ら。彼らと行動を共にしていれば、何か変わるだろうか。
「だから……まぁ、そうだな、俺もお前が隠れてるのには賛成だよ。今のところはだけど。帰って来れるようになったら帰って来い」
「そうは言っても、何事もなかったかのようには戻れないだろ」
「その辺はまぁ……その時考えてやる」
目を逸らしながら答えるリアンに、ローエンは怪訝な顔をする。フ、とリアンは一瞬笑うと、すぐに真剣な顔になる。
「……だが殺しはやめとけ。万一アランに知られた時にほら見ろと指を差されるぞ」
「そのつもりだったんだよ。……その内お前らが協力して討伐に来てくれるかと……」
「はぁ? 自己犠牲が過ぎるだろ。……だからフィンリーのことも?」
「まだ捕まる訳にはいかなかった。俺が敵じゃないって思われるのも避けたくて……」
「ほんと不器用な奴。あいつらなら口裏合わせてくれるだろ」
「────フィンリーのこと、どこまで知れた」
「……警察の子たちまでだよ。お前のことは伏せてあるけど。存在自体をまだ周囲に察させたくないからな」
ローエンはそれには不服そうだった。自分の計画通りに事が進んでいないことが気に食わないようだ。だが、そのお陰で彼の無謀な自己犠牲作戦は阻止出来る。
「とにかく、その時が来たら帰って来れるように殺しはやめろ。今すぐな。……それからお前、一人だけいつも生きたまま攫ってるだろ」
「殺しも誘拐も、俺を助けた奴からの依頼だよ。……この辺りの脅威の排除と、検体の確保……」
「検体?」
「俺に打った薬を改良したいんだと。その為にたくさんの被検体がいる。……ってことで、俺がその辺のゴロツキから拝借してたんだが」
ローエンは俯く。勿論、彼がそれを良しとしていないことはリアンにも分かる。何なら、その闇医者の思考がかの神父に近いことも想像に難くなかった。
「……グループの壊滅から数日後に見つかる、細胞が破壊された死体の正体はそれか」
「さっき俺が捨ててたのもな。……気分が良いものじゃない」
「じゃあさっさと離れたらいい。お前なら別に一人でもスラムで過ごせるだろ」
「でも、放っておけない」
「…………」
ローエンがいなくとも、何かしらの手段で彼は研究をやめないだろう。被害者は消えない。誰も止めはしない。彼がしくじって殺されでもしない限り。
「あいつのことは俺が何とかするよ。お前は気にしなくていい」
「お前さァ……んっとに……」
やれやれとリアンはため息を吐く。ローエンにはローエンなりの考えがあるのだろうが、何も手を出せないのはやきもきする。
「……ローエン、そいつ……スラムの住人には手を出していないんだよな?」
「勿論。してたら俺は協力しない」
「そりゃそうか。そうだよな」
だが安心は出来ない。リアンが思うに、動機が違う。神父のように“弱者の味方”ではない。ならば、少し違えただけでその矛先はスラムの住人にも向きかねない。だが、ローエンがきっとそれを許さない。だからここは、ローエンを信用することにした。
「分かった……それについては俺は関与しない。だが何かあったら連絡しろよ。俺の力が必要になったら……」
「分かってる」
……ローエンの目は、以前と変わらなかった。それを見て、リアンはフッと笑う。ローエンはそれに気付いて不服そうな顔をする。
「何笑ってんだ」
「いや? 安心したんだよ。お前がお前でさ」
言いながら、リアンはナイフを出してローエンの後ろに回る。その手を縛っていた結束バンドを切った。
「お前が暗闇の中に逃げてった時、俺はお前がお前じゃなくなったんじゃないかって、そう思ったんだよ」
「…………」
「俺を置いて行くのはナシだぜ共犯者。お前が俺をここに留めたんだ。一人だけ逃しやしない。死にたくなったら俺に言えよ。そうすればお前を殺して俺も死ぬ」
「────重いぜそれ。お前と心中なんてまっぴらごめんだ」
ローエンはそう言って片眉を上げて笑う。リアンは肩を竦めた。
「ま、死んでやる気はまだないけどな」
「死んでる暇なんてないからな」
解放された腕がブランとなる。足もまだ動かない。
「……まだ麻痺解けねェな」
ぐぐ、と力を入れると少しだけ手が持ち上がる。
「うん、ダメだ」
「え、嘘、まだ1時間も経ってないのにちょっと動くわけ……」
「立てはしないなこれ。……動けるようになるまでいてくれるんだろうな。これで襲われたら死ぬぞ俺」
「その調子だともう1時間もすれば大丈夫そうだね。……いいよ、待ってる。どうせ今日は仕事ないしね」
「……仕事、一人で任せて悪いな」
「ほんとだよ。大変なんだから」
リアンはソファに座る。ローエンは苦笑する。
「休業してもいいんだぞ別に」
「暮らすのもタダじゃないからね。それに、何もしないのは落ち着かない」
首を横に振りながらそう言ったリアンは、息を吐く。
「……お前のこと、本当に何も言わない方がいいの? 敵じゃないとか…」
「俺とお前が今日、ここで会ったことは誰にも話すな。おっさんにもフィンリーにも。俺の家族にも言うな」
「俺一人で背負えってこと? お前が帰って来れるようにするのも?」
「それくらいの覚悟を負って会いに来たんだろ」
「……まぁ、そうね。そうするか」
最初に約束した。それを捻じ曲げるのは筋が通らない。リアンはソファに体を沈めた。窓から差し込む光の中を、埃がキラキラと舞っていた。
#48 END




