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狂気の証明  作者: 鷺岡 拳太郎
第1章

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第4話

 

「侵食……ですか……」

 明彦はそれまでの父親の話を簡単にまとめてカルテの中に書き込んでいく。

「そのあと、亜由美さんの状態はどうなったのでしょうか?」

 先を促すと、父親は泣きそうな表情を浮かべながら再び喋りだす。

「……身体には特に異常が見られなかった亜由美は、病院を退院して自宅に帰りました。

 しかし、完全に心を閉ざしてしまっていて、会社に行くことはなく、自分の部屋にこもるようになりました。

 私たちは、会社で亜由美にとって何かショックを受けるような出来事があったのだろうと考え、そっとするようにしていました。亜由美の勤める会社には私の方からしばらく休みを取りたいと伝えました。そして亜由美がもとの亜由美に戻ることを辛抱強く待つことにしました。時間が解決してくれると信じていました。しかし、一週間、二週間と過ぎても、何の改善の兆候も見えませんでした。

 三週間の月日が過ぎたとき、私は意を決して亜由美の部屋のドアをノックしました。とにかく亜由美が何を考えているのか、まずはそれを本人の口から聞こうと思ったのです。だけど中からは何も返事は返って来ませんでした。私はドアの向こう側に、『亜由美、少し話を聞かせてくれ。中に入るぞ』と言葉をかけました。やはり返事は返ってきません。私はそっとドアを開きました。

 ベッドの上に亜由美は寝ていました。だけどその眼は開かれ、何もない天井をただ無表情のまま見つめていました。その光景はどこか異常で、私は部屋の入口でしばらく立ち尽くしていました。と言っても、そのまま立ち続けているわけにもいきません。私は気を取り直し、部屋に入りドアを締めました。そしてデスクの前の椅子をベッド脇に寄せ、その椅子に座って改めて亜由美のことを見ました。やはり、そのガラス玉のような眼は天井を見つめ続けていました。いや、天井ではない何かを見つめ続けていました。

『亜由美……』

 私の言葉に亜由美は何の反応も示しません。それでも私は話しかけ続けました。私自身のこと、あるいは私の妻のこと。まずは当たり障りのない日常のことを亜由美に話しかけました。だけど、亜由美の口は動くこともなかったし、何もない世界を見つめ続けるその眼も動くことがありませんでした。

 亜由美が会社で倒れた日、亜由美の身に何が起こったのか。

 私には、あの日、病院で亜由美が怯えた表情で私に呟いた言葉、『この世界は、あいつらに少しずつ侵食されている』という言葉しか手がかりはありませんでした。だけど、その言葉はとても私には理解できるものではありませんでした。私は亜由美自身にそのことを訊ねてみることにしました。この状況を少しでも打開できるきっかけが欲しかったのだと思います。

『あの日……亜由美が会社で倒れたあの日、一体、何があったんだ?

 病院で亜由美は私に「この世界は、あいつらに少しずつ侵食されている」と言ったが、「あいつら」って、誰のことなんだ?』

 初めて亜由美の眼が動きました。

 天井をしばらくさまよい、そしてゆっくりと私の方に向けられました。それまで無表情だった亜由美の顔は、恐怖で歪んでいるようでした。亜由美は震える声で私にこう訊ねたのです。

『お父さんは、本当にお父さんなの? あいつらじゃないの?』

 私は亜由美を何とか安心させたくて、『そうだよ』と答えましたが、亜由美は私の言葉を信じていないようでした。失望の表情を顔に浮かべた後、再び無表情の中に消えてしまいました。それ以降は、私が何を語りかけても亜由美の眼も口も動くことはありませんでした。

 ……私は、この状況は私たちの手には負えないと考え、病院を受診することにしたのです」

 父親は語り終えると、その時の亜由美の様子を思い出しているのか、顔面蒼白のまま診察室の床を見つめていた。



挿絵(By みてみん)


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