16 思い
「お嬢様、お出かけですか?」
「王城に行くのよ。剪定しているの?」
「冬のうちに枝を切りませんとね。お嬢様のおかげで害虫退治は万全ですから、春には満開ですよ。いや、もう少しでお嬢様じゃなくなってしまうんですねえ」
前々から結婚を早めるとアルテュール様に言われてきたが、それは偽りなく、本当に結婚まで間近となったのだが、そのせいでか侯爵家は騒がしくなっていた。
「まだ、現実味が湧かないのだけれどね」
「何言っているんですか。お嫁に行かれたら、王太子殿下の妃ですよ。辺境に行くのとは違うのですから!」
「そんな。たまには遊びに来るくらいはできるわよ」
「本当ですか!?」
「うん、多分?」
「多分!」
庭師は目元を潤わせ、今にも涙がぼろぼろ溢れそうだ。そんなことを言われると、私も寂しくなってしまう。そうか、簡単に屋敷には戻ることはできない。となると、害虫予防の薬は、作ったら送ることになるだろうか。
それはちゃんと送るからね、と伝えれば、それだけじゃないのに、ととうとう泣かれた。
「そうよね。屋敷から出るのよね」
辺境に行くのとは違い、数年で戻ってくるわけではない。数年で戻ってこられたら、両親が嘆くだろう。離婚されたなんて、私も泣くしかない。
「お嫁に行くまでに、他の花々も咲かせますからね!」
「楽しみにしているわね」
もう冬も半ばになったとはいえ、春の花が咲くには少々時間がいると思うが。
庭師が、頑張って咲けよー、と植木に声をかけるのを聞いて、苦笑しながら通り過ぎる。
今日も迎えが来て、私は馬車の方へ歩んだ。
エルンスト卿が馬車の前で私に手を差し伸べて、馬車に乗るのをエスコートしてくれる。
「ありがとう。エルンスト卿」
私の礼に、エルンスト卿は微笑むだけ。エルンスト卿には私を助けてくれた礼を伝えてから、ほとんど話をしていない。誘拐事件があった後は、アルテュール様の希望で、移動には王宮の護衛騎士がついた。王城へ行けば、侯爵家の騎士は馬車の前で別れるが、王宮の護衛騎士がエルンスト卿と共についてくる。
「あっ、デラージュ聖女様!」
「久しぶりね。ラチェット、ニーネ。ごめんなさいね。長く空けていて」
「いえ、ご無事で良かったです」
ニーネとはしばらく会っていなかったので、心配させてしまったようだ。研究室に来るのも久しぶりで、ラチェットも笑顔で迎えてくれた。
部屋の中にはエルンスト卿以外に護衛騎士がついたので、ラチェットとニーネは若干緊張した面持ちを見せたが、すぐに毒の細かな分析を見せてくれる。私がいない間も、二人は魔物の状態を見ていてくれて、研究を続けてくれていた。
「もう慣れたものですよ!」
ラチェットが鼻を高くする横で、ニーネは私が分析を眺めているのをじっと見つめてくる。
「問題でもあったかしら?」
「不躾な質問ではありますが、デラージュ聖女様、王太子殿下と結婚されたら、この研究室はたたまれるのですか?」
「え!? そうなんですか!? あ、そっか。王太子殿下と結婚されたら、そうですよね。研究なんて、やれるはず……」
急な質問に驚いただけだが、口を閉じていると、ラチェットとニーネが二人で落ち込み始める。
そんな予定はないのに。二人は辞めないでくださいと懇願した。
「長く空けていたから心配させてしまったわね。辞めないわよ。毒の聖女は私だけだもの」
「本当ですか!?」
「それなら、良かったです。いろいろあったので、続けられるか心配で」
二人の心配も当然だ。私がアルテュール様暗殺未遂の犯人にされたり、誘拐されたりして、その度に研究室に来られないのだから、二人の仕事が滞ってしまう。結婚すれば研究室がどうなるのかも心配だっただろう。私がいなくとも実験など進められるように、長期間のスケジュールは組んでいた方が良さそうだ。二人のやる気を感じて、私は頭の中で今後のスケジュールを組み立てる。
魔物用の毒は試験的に騎士たちに使ってもらう予定だ。新しい毒も開発したいので、すぐに研究を始める。ラチェットとニーネはいつも通りと毒を調合し、魔物に与える。最初の頃のギスギスした雰囲気はなくなり、これが当たり前の雰囲気になって、なんだか頬が綻んでくる。
王城に来た頃を思い出すと、懐かしささえ感じた。
「そろそろお茶の時間ね」
私がそう言うと、エルンスト卿が茶器の用意をしてくれる。ラチェットとニーネは机の上を片付けた。
私がお茶を淹れる横で、エルンスト卿がその姿を無言で見守った。
「また、リュシエンヌ様のお茶が飲めるとは思いませんでした」
「研究室であれば、いつでも淹れられるわ」
「そうですね」
「エルンスト卿?」
「……お守りできなかったこと、ずっと後悔してました。お元気になられて良かったです」
エルンスト卿はどこか寂しげに言って、ゆっくりと瞼を下すと、そのまま片膝を突く。自分の胸に拳を当てて、祈るように深く頭を下げてから、私を見上げた。
「これからも、命を賭してお守りいたします。王子妃になられてもそれは変わりません。俺はあなた様に助けられました。一騎士として、その任をまっとういたします」
「エルンスト卿……」
騎士として。その言葉に、私は口元を上げて頷く。
「ええ。これからもよろしくね。エルンスト卿。さ、お茶が冷めちゃうわ」
私は笑顔を崩さず、机に座るよう促す。
エルンスト卿に礼を言うのは違う。だから、よろしくね。と返した。エルンスト卿の隠れた思いに礼は言えない。これからも騎士として仕えてくれることに、よろしくね。と言ったのだ。
それを、エルンスト卿はわかっているだろう。




