15−5 恨み
ラチェットや数人の騎士たちが部屋を出て、シンと静まり返ったが、ハンナはまだ床に両膝を突いて座り込んだままだった。アルテュール様の呼び声に、ハンナはびくりと肩を揺らす。俯いて顔を上げない。震えながら、ぽたりと絨毯に雫を落とした。
「申し訳ありません、殿下。あのような方だとは、思わなかったのですっ」
アルテュール様が問う前に、ハンナは謝罪を口にする。
そんな謝罪は聞きたくなかっただろう。アルテュール様が幼い頃から側にいた侍女であり、信頼していた人だ。その人が私欲のために主人を裏切ったのだから。どんな理由があるにしろ、そんな真似をする前にせめて話をしてくれたらと思っているに違いない。アルテュール様は唇を噛み締めるようにしてから、一度嘆息した。
「ポーリーンの病について、エリサの力を得ればいいと、レオニーの甘言に乗ったそうだね」
ポーリーン。ハンナの年の離れた妹。ポーリーンは大人しい女の子だった。笑顔の愛らしい子で、姉が王子の侍女になったことを誇らしげにしていた。その彼女が重い病になったのは、私が辺境に行くより前。エリサがアルテュール様の専属の癒しの聖女になる、少し前だった。
専属専任の癒しの聖女に比べて、一般契約の癒しの聖女は金額が安くなっている。一般の癒しの聖女は、機関が町などに常駐させるもので、医者のような扱いになった。患者がそこに自ら訪れ、治療をしてもらい支払いをする。城にも常駐の癒しの聖女はいて、ハンナは城や町、他にもいる癒しの聖女に癒しを求めて、ポーリーンを治療させていた。
けれど、治療の甲斐はなく、ポーリーンの病は進行する。
「レオニーに唆されて、エリサに治療を依頼させた。間違いないね?」
ハンナは小さく頷いてから、何度も頷いた。
癒しの聖女の力の差はどうしてもあって、だからこそエリサのような能力の高い癒しの聖女が必要になる。一般契約の癒しの聖女では癒しきれない病も、エリサは治すことができるからだ。本来ならば、目にかかることすらない、高位の力を持つ癒しの聖女。
しかし、エリサは何も考えずに治療したのだろう。専属専任なんて契約は彼女には関係ない。本来なら高額な治療費がかかるとわかっていても、エリサにとっては何の意味も持たない。
町で堂々と治療していたエリサは全く関知していないが、だからといって許されるわけではない。機関としても、違約金を支払わせる事例になる。既に機関に知られて、機関から王宮へ支払いの督促は届いていた。機関から人もやってきて、エリサに懇々とそれを説いたそうだ。エリサはそれも、右から左に聞いていたのだろうが。
だが、そのエリサですら、回数を分けて治療しなければならないほど、ポーリーンの病は悪いものだった。
「あの子の体調は、少しずつ良くなっていたのです。ですから、エリサ様に、何度も治療をお願いしておりました。私はエリサ様に、一生涯かけてもお返しできない金額の助けをいただきました。ですから、礼をしなければと常に考えていたのです」
「それが手紙の破棄?」
「ステンロース卿より、エリサ様が殿下に思いを寄せていると言われたのです」
それはとても単純な動機だったのだろう。アルテュール様から私への手紙を、一枚、二枚、処分する。そして同じように、ステンロース卿が私から送る手紙を処分する。
ステンロース卿はレオニーに唆されたわけではない。ステンロース卿は私を自分のものにしたかった。だから手紙の行き来をゆっくりと止めた。私からの手紙はアルテュール様に届かない。ハンナとステンロース卿は共謀して、私たちの手紙を間引くよう進め、とうとう手紙の行き来を一切止めたのだ。
そうして私が王城に戻れば、再び私からの手紙が届く。ハンナは急いでそれを捨てた。アルテュール様もまた私に手紙を送る。しかしそれもハンナが処分する。
それをステンロース卿に伝えたのだろう。
そして『ならば、既成事実を作ってしまえばいいのではないだろうか』そんな提案を受けた。
「あれだけ私がリュシエンヌに手紙を出していたのを知っていたのに、エリサと関係を結ばせようとした理由は何?」
アルテュール様の言葉には鋭さが残った。ハンナは床に額を擦り付けるようにして、『申し訳ありません』と謝罪する。
「申し訳ありません。殿下。私の愚かさのせいで、殿下を苦しめることに。申し訳ありません」
アルテュール様は軽く手を振った。騎士がハンナを立たせて、部屋から出ていく。その間もずっと、ハンナは『申し訳ありません』と言い続けていた。
「アルテュール様……」
私はアルテュール様を抱きしめる。表情はないのに、アルテュール様の悲しみがわかるようで、抱きしめるしかできなかった。
「リュシー、俺のせいで、君を苦しめた。すべて俺が至らなかったせいだ」
「いいえ。いいえ。どうしようもなかったんです。たくさんの人の思いがまぜこぜになって、それを少しずつ紐解くことしかできなかったんですから」
クリスティナ王女も、ハンナも、エリサも。三人がアルテュール様の側だった。けれど、信じていた人がまさかあんなふうに裏切るなんて、誰も思わない。
アルテュール様は私の背中に腕を回す。その腕は微かに震えていて、私は強く抱きしめ返した。
「私は側にいますからね。裏切ったりしません。だから、安心してください」
「俺もだよ。もう君を傷つけたりしない。必ず守るから」
今度こそ。
耳元でつぶやかれた声に、私は泣きそうになりながら、ただただその腕に力を入れた。




