14 罠
クリスティナ王女の乳母が、レオニーの母親?
そんな話は聞いたことがない。そうだとしても、乳母は死んでいたのか?
いや、王城を追い出された乳母が、その後どうなるかくらい、想像はつく。
帰る家もなく、途方に暮れて、亡くなったのかもしれない。
けれど、そうであれば、レオニーがクリスティナ王女付きのメイドになるはずがない。
だとしても、レオニーは、クリスティナ王女を陥れるために睡眠薬を飲むように誘導して、そして、それで……?
頭にモヤがかかったようで、考えがまとまらない。
ゆらゆら揺れているのは、視界だけなのか。
空が揺れて、夢の中なのか、今見えている景色なのか、よくわからない。
ただ、やけに首元がぬれて、震えそうになった。体は温かいのに、首筋が冷たくなって、私は泳ぐように腕を動かして首元を隠そうとする。
「いっつ……!」
耳元に何かが聞こえて、私は何とか思い瞼を上げようとした。けれどどうにも重いそれは、少ししか動かず、暗闇の中で何かがうごめく様子しかうつらない。
それを払おうとすれば、腕にはおもりがついたようになって、動きが止められた。
体が重い。何かがのしかかっているように、体が動かない。
今度はぬるりとした生温かさを首筋に感じた。それは、ぬめぬめとナメクジのように動くので、私の背中がのけぞりそうなほどの寒気が走った。
気持ちが悪い。気持ち悪すぎて、吐き気がする。
何だかわからなくても、ひどい不快感があって、私はどうにか瞼を上げようとした。落ちては上げてを繰り返していると、耳元でクスリと笑う声が聞こえた。
誰だ。アルテュール様? アルテュール様ではない。絶対に。ならば、誰が。
「目覚められましたか? 思ったより早いですね。強めの睡眠薬だったのに。飲む量が少なかったでしょうか」
開いた瞼に黒い影が写り、生暖かい空気を感じるほど近くで言葉が発せられた。
のっぺりとした、抑揚のないこの声は、
「……ステンロース、卿? な、なんの、真似なの?」
「何の真似? 何の真似でしょうね」
声は聞こえても、視界がぼやけていて姿がはっきり見えない。何をしているのか、ぼやけた姿が見えなくなったと思ったら、再び首元にナメクジが通った。
「ひっ。や、やめな、さ」
足首に、冷えたものが当たる。ステンロース卿の指先か。避けたくても体が重くて、身動きが取れない。その重みがステンロース卿のものだと気付いて、私は一瞬でことを察した。
レオニーが言っていた、『目が覚めたときは、あんたも終わってるわね。ご愁傷様』
そんなことを思い出している間に、ステンロース卿の手は、胸元に差し掛かり、私のドレスを引き摺ろうとする。私は全身が粟立つのがわかった。
めまいがひどく、目もよく見えていない。ぼやけた視界だが、感覚だけははっきりとしていた。
「離し、なさい。何のために、こんな!」
「暴れないでくださいよ。やっとあなたに触れられる機会が来たのだから。ずっとお慕いしておりました」
そんな言葉も寒気しかしない。抵抗したいが、まだ頭がぼんやりとして、手足が動かない。舌も回らず、声も小さくて、大声を出そうにも声が張らない。
もう少し、時間を稼いで、目が見えないことには、逃げることもできない。
場所もどこなのかわからなかった。城の中なのか? それとも外?
眠った私を、ベランダからでも移動させたのか、肌寒く感じるが、外ではなさそうだった。暖炉のついていない、どこかの部屋かもしれない。
「エリサ様を、慕っているのでは、なかったの?」
「はは、私がですか? 冗談じゃない。あんな頭の悪い女はごめんですよ」
そんなバカなこと。辺境では、エリサが優秀だと、散々私の前で言っていたのに。
聞きたくない二人の話を、延々と話していたのに。
ステンロース卿は、首元にナメクジを這わせると、クッとおかしそうに吹き出した。
「聖女というくせに、薬草の良し悪しもわからない。今まで一体何を学んできたのか。癒しの力が歴代を凌ぐ力だったからとはいえ、お粗末なものです。連れてきている薬師たちも、熟練どころかひよっこですしね」
「やくそ、う、あなた、やっぱり」
「何を想像されているのかわかりませんが、私は王太子殿下に毒など飲ませませんよ? そんな危険な真似をするほど愚かではありません。あの聖女は癒しの力だけは優秀ですから、あれだけ近くにいられたら、毒など無駄でしょう。まったく、うっとうしいほど側にいたようですからね。私も何度か拝見しましたが、よく注意されていましたよ」
「なんの、注意……」
「王太子殿下が、聖女に何度も、ついてこなくていいと。ご存知ありませんでしたか? ああ、辺境にいた頃の話ですしね。リュシエンヌ様が辺境にいた頃、何度もそんな場面に行き当たりました。聖女だとしてもあまりに距離が近すぎて、王太子殿下はうっとうしがっていたんですよ。そのうち面倒になったのでしょうね。その姿も見なくなりましたが。まあ、その頃の話を、私はあなたにお伝えしましたけれど」
私はカッとなった。ステンロース卿はいけしゃあしゃあと、「嘘は言っていませんよ」と言って、クツクツと笑った。
「もしかして、手紙は……」
「手紙? ああ、そうですねえ。都に行く配達者は決まっていますからね」
私は歯軋りしそうになった。辺境からアルテュール様に何度も出した手紙は、この男のせいで届けられなかったのだ。そんなことをしているとは気付かず、機関の利用している商人として、受け入れていたと思うと、悔しさしかしかない。




