2−2 毒の聖女
「辺境でリュシエンヌ様に感謝しない者は、誰一人おりませんよ。まあ、城でのうのうと生きている者にはわからないでしょうけれど」
ちらりと横目に見た先にビートがいたが、ビートはそれを鼻で笑った。辺境のことなど知るかといった態度だ。
それが私の感情もイラつかせる。辺境の環境をわかれとは言わないが、戦う者たちをバカにするような態度は許せない。辺境で魔物たちを放置していたとしたら、この国はもっと多くの魔物たちが徘徊しているだろう。
「辺境で、癒しの聖女が薬草を作れる者をもっと増やしてくれと機関に依頼していましたから、紹介してやったらどうですか? おい、お前、癒しの聖女のために薬草作りをしたいんだろう?」
いつから話を聞いていたのか。エルンスト卿がビートを挑発する。ビートの言っている癒しの聖女はエリサだろうが、辺境にも癒しの聖女はいるので、手伝いに行けと私も言いたい。そこで辺境を知ればいいのだ。
「そうねえ。いいかもしれないわね」
「え、いや、俺は、ここで大丈夫なんで!」
私が同調すれば、焦ったようにビートが否定する。対岸の火事として考えているのならば、一度は行ってみろと勧めたくなる。辺境の噂は聞いているはずだ。いざ自分がその立場になれば、きっと仮病でも使って断るのだろう。だったらその口を閉じていればいい。
ビートはすぐに口を閉じた。エルンスト卿のおかげで、少しは静かになりそうだ。
「今日は自己紹介だけよ。騎士団から魔物のサンプルが届いたら、あなたたちに働いてもらうから、そのときはよろしくね」
私の言葉に、三人は一瞬で血の気が引いたような青白い顔をした。
◇ ◇ ◇
「魔物を見たことがないんですかね?」
「ないんだと思うわ。わたくしだってこっちにいたときは、魔物って熊みたいなもの? って思っていたもの」
「嘘でしょ」
「本当よ。侯爵家の領地にもほとんど生息していないし、初めて魔物を見たのは、辺境へ行く途中の馬車の中ね」
「聞いたかもしれない、その話。馬車が襲われたって話ですよね」
「そうそう」
エルンスト卿は辺境の領地の一つを保有している、男爵家の次男だ。幼い頃から魔物と対峙し、戦ってきた経験がある。物心がついたときから魔物が側にいる生活をしている者にとって、それが普通ではないということが信じられないだろう。
私も魔物は巨大な動物くらいの想像をしていた。実際はネズミのような小さなものから熊よりも巨大なもの、空を飛ぶものまでいる。小さくても凶暴で、いきなり飛び上がって首元に噛みついてきたりする。
魔物のいる地域に住む彼らの日常は、想像を絶するものだ。三年滞在しただけで、私は嫌でもそれを感じた。
毒の聖女に何かあってはと、辺境では護衛が数人ついた。エルンスト卿は私の護衛の中では一番の若手だったが、腕が良いといって選ばれた。まさかこちらでも護衛になるとは思わなかったが。
「志願したんです。リュシエンヌ様が王城へ戻られるが、毒の聖女は一人しかいない。王城でも護衛をつけるべきだって話が出たらしく、魔物についてよく知っていて、王都も知っている者がいいだろうと募集があって」
「そうらしいわね。護衛は城からデラージュ侯爵家の屋敷までって聞いているわ。デラージュ家が護衛を出すと言っていたのだけれど、魔物を扱うのだから辺境から連れた方がいいと王が仰ったとか」
「ありがたいことです。またリュシエンヌ様にお仕えできるなんて。俺は王城は久しぶりですから、城内を覚えないとだけど」
「わたくしが案内するわよ」
「助かります!」
エルンスト卿は人好きのする顔をして、焦茶色瞳を輝かせる。年は二十一歳で、辺境では人気の若手だった。婚約者がおらず、まだ独身のため、王城で相手を見つけるために父親から勧められたのかもしれない。エルンスト卿は騎士で、辺境に戻れば戦いばかりだが、なんといっても性格はいいし、顔もいい。栗色の髪と焦茶色の瞳で目立ちはしないが、端正な顔立ちをしていた。身長が高く、私の頭ひとつ分くらい違う。
年下の私が言うのもなんだが、好青年で、気遣いができ、率先して仕事を行う真面目さが印象的な人だ。
良い縁があればいいわね。と一人、母親のような気持ちで見つめた。
人のことを心配している場合ではないが。
「ところで、毒花って、なんですか」
いきなりそんなことを小声で問われて、私は遠い目をする。こちらに来て耳にした言葉なのだろう。辺境では聞いたことがない。
「さっきのあの男も、失礼な態度でしたね。城の人間はどいつもこいつも、あんな感じですか?」
「こちらでは、『毒の聖女』と聞いたら、婚約者の王子と浮気相手を殺した聖女になるのよ。その人を『毒花の聖女』と呼ぶの。ちょうど、わたくしが王子の婚約者だから、その人の仇名を使うのよ」
「はっ。くそっくらえ。——失礼」
「ふふ」
エルンスト卿の飾り気のない言葉は、初めて聞いたときは驚いたものだ。
辺境は毎日が戦いだ。王城の人々のように着飾って、優雅にダンスをして、どうでもいい話を肴にお茶をしている暇はない。朝だろうが夜だろうが、笛が吹かれて、魔物の襲来を知らされる。空からの襲撃の時は、近い場所に逃げることが許されていた。城の中もそれは同じで、平民が城内に避難した。
そこに威圧的な態度は必要ない。彼らは互いに戦い慰め合い、鼓舞しながら生きている。平民との垣根が薄くならざるを得ない、厳しい土地。
私は遠くを見渡せる城壁の上で、矢を射る者たちと共に、魔物を迎え撃つ。私の毒は一匹一匹に降り注がれて、矢を避けて飛んでくる魔物たちを地面に落とした。
戦う者たちは得物に毒を塗るけれど、しっかり刺さなければ毒が効かない。だから私は、触れるだけで倒れる毒を作った。
私が訪れる前まで、彼らは耐えてきた。今でも耐えている。私が作った毒の製法を学んで、前よりはずっと楽になったと言いながら。
「あ、毒の聖女様!」




