10−5 お願い
王は側室を持つことが許されている。それが頭からすっぽり抜け出ていた。
そういうことなの? もし私がエルンスト卿が良いと言ったら、だったら側室を持ちたいと言うつもり?
そんなことが脳裏に浮かんだ。そのつもりなのか、アルテュール様はさらにエルンスト卿について続ける。
「エルンスト卿は、君のことが好きだと思うよ」
「何がおっしゃりたいのですか? 婚約破棄をして、エルンスト卿と結婚しろとでも?」
私は意地悪く返した。側室を持ちたいか、それともエルンスト卿と添い遂げろとでも言いたいのか。そんな意図しか感じない。
なんなのよ。
漠然と怒りが湧いてくる。体を重ねたのは事故だっただろうが、その後のアルテュール様の言動は、なんだったのだ。
私の心をかき混ぜるだけかき混ぜて、エルンスト卿の思いを勝手に妄想して代弁する。そんなことを口にして、どんな意味があるというのか。
いつの間にか握りしめていた手は赤く痺れ、私の心のように固くなっていた。
バカにするにも程がある。
「婚約破棄をしてほしいのならば、はっきりおっしゃってください」
「それは、君の方だろう?」
アルテュール様は私の言葉に、間髪入れず返してくる。
どの口が言うのだ。いつ私が、婚約を破棄したいなどと言ったのか。あれだけ手紙を送り、私を退けるきっかけはなんだったのか、何度も問い、せめて一度でも話をと乞うたのに、なしのつぶて。
帰ってきても、話し合いの場などなく、事後の経過で仕方なしに関係を続けるような手段を選んでおきながら。
「わたくしには、アルテュール殿下のお考えは計りかねます。辺境で毎日のようにお手紙の返事を待っておりました。アルテュール殿下からの返事が滞り、わたくしがどんな思いでお待ち申し上げていたのか、想像もつかないのでしょう。エリサ様と婚約なさりたいのならば、はっきり言ってほしかったですわ」
ああ、嫌だ。こんなふうに、感情的になるなんて。前の催淫剤の時のように、自分の感情を抑えきれなくなって、すべてを吐露してしまいそうだ。
涙だけは流さない。私はそれだけ言って口を閉じた。これ以上はもう言わない。言えば言うほど、私が惨めな気持ちになるだけだ。
前を向いて、アルテュール様を見据えるのだ。そうやって自分の矜持を保つしかない。
私が顔を上げれば、アルテュール様は立ち上がっていた。見下ろしてくるその表情は、驚愕だった。
「アル……、」
アルテュール様を呼ぼうと口を開こうとしたとき、私はアルテュール様の腹部に、紫色の塊が渦巻くのが見えた。
「ゴホッ」
「アルテュール様!?」
咳き込んだアルテュール様の、押さえた手の中から、赤い鮮血が混じる。それを拭うまもなく、アルテュール様の体が傾いだ。
カップやソーサーが弾けて床に落ち、大仰な音が鳴る。溢れた紅茶が机を伝って床に流れ、絨毯に朱の水溜りを作った。
「アルテュール様、何事ですか!?」
「エリサ様を呼んで! 早く!!」
護衛たちが入ってくるのを横目にして、私はアルテュール様の体を抱き上げた。腹部にから喉にかけて、紫色が滲んで見える。
毒だ!
体内に入り込んでいる毒を、私は急いで取り除く。
いつ、どこで、毒を含んだのだ。カップの中にその色は見えない。ポットの中も。
遅効性の毒?
体のどこまで蝕んだのか、吐血するまで気付かないなんて。
「王子様! きゃあっ、王子様、王子様! しっかりしてください!」
「喚いている暇があったら、さっさと治療して!」
エリサが思ったよりも早く到着して、アルテュール様に覆い被さった。叫んで体を揺さぶっている暇があれば治療しろと怒鳴れば、エリサは治療もせずに私を睨みつけた。
「あなたが薬湯に毒をもったのね! 衛兵を呼んで! 毒の聖女が王子様に毒を持ったのよ!」
「いいから早く治療してよ!!」
「ああ、王子様。私が必ずお助けします」
護衛騎士が私をアルテュール様から離そうとする。エリサは両手を合わせて癒しをかけた。
だが、アルテュール様は目を覚さない。エルンスト卿が入り込んで、護衛騎士と揉め始めた。そんなことよりも、エリサの癒しにアルテュール様が反応しない。
「アルテュール様!!」
「王子様、王子様! どうして目が覚めないんですか!」
「デラージュ聖女様、こちらに」
「離しなさい!」
私は腕を引かれて、部屋から出されそうになる。エリサは何度も癒しを施したが、アルテュール様はぴくりと動くことがなく、私はそのまま彼と引き離されたのだ。




