6−4 実験
「王子様が急に、呼ぶまで私に来なくていいって言ったんです!」
つまりいつもは、呼ばれることなく行っていたわけだ。そんなこと、聞きたくもないのだが。
だが、言っている意味はわかった。
おそらくアルテュール様は、私との結婚を早めると決めて、エリサにあまり接近するなと釘を刺したのだ。
「あなたが何か言ったんじゃないですか!?」
「わたくしではないわ」
「嘘! だったらどうして急に、王子様は私に部屋に来るなって言ったんですか!?」
「知らないわ。わたくしに聞かないでちょうだい」
心当たりがあるとしても、エリサに言う筋合いはない。結婚を早めようと言ったのはアルテュール様で、私ではないからだ。
それで、愛するエリサを遠去けようとするならば、恋心を封印するためなのかもしれない。エリサが側にいては、決意も揺らぐから。
そう考えて、私は自嘲する。結婚とは? ——仕方なく、決められた婚約者を娶るというものだ。
「王子様は何か悩んでいるみたいでした。何かに苦しんでいるみたいな。だから、私が癒してあげたいのに」
アルテュール様が私のことで苦悩している。私の気持ちは、泥濘に引き摺り込まれていくようだった。アルテュール様はこんな予定ではなかったと、もっと早く婚約破棄をすれば良かったと、後悔している。
私は無意識に拳を握っていた。鉛を飲んだように、胸が重苦しい。
「……まさか、私が王子様と一緒にいるからって、嫉妬されているんですか?」
黙っていれば思わぬ言葉が飛んできて、私は反射的に問い返しそうになった。それを出さずにいられたのは、侯爵令嬢としての矜持があったかもしれない。いや、それに反応して事実だと知られたくなかっただけかもしれない。
だが、さすがに失礼がすぎて、私はエリサを見据えた。
嫉妬されるとわかっていて、それで私の前で、毒の加護をアルテュール様に与えたわけだ。そんなことを意地悪く言いたくなる。
「私の方が王子様と一緒にいたんです。私に心を開いてくれていますから。だから、毒の聖女様が何か言ったんじゃないのかって、私、気になって」
「失礼でなくて?」
「毒の聖女様が婚約者なのはわかってますが、王子様の健康をお守りするのは、私の役目です。だから、王子様を翻弄しないでください。私を離して、王子様に何かあったらどうするんですか!?」
私はエリサの言葉を耳にしながら、前で重ねていた手に力を入れた。
エリサはアルテュール様の専属の聖女だ。アルテュール様が怪我でもして倒れたら、すぐに対処してくれる。そのための聖女なのだから、側にいなければならない。
そんなこと、よくわかっている。
だからって、どうしてここまで言われなければならないのか。
私は扉の前まで歩くと、扉を開いた。
「邪魔だから、出ていってくれる?」
廊下で待っていたエルンスト卿がすかさず部屋に入り、エリサを促す。エリサは私を睨み付けながら、何も言わずに出ていった。
「なんですか、あれ」
「知らないわ」
明るくて天真爛漫なのは構わないが、慈悲深いということは前言撤回する。こんなにも、人の心を簡単に打ち砕くのだから。
部屋の中で、動物たちの鳴き声が重なる。
元気になっても狂ったように檻の中を走り回ったり、魔物が剥がれた動物が尻尾を振って鳴いたりしているのを眺めて、私は首を振って意識を切り替えた。やることが増えたのだから、しっかりしなければ。
「予定が狂ったわね」
「当然ですよ。聖女様は慈悲がおありですから。動物を実験に使うなんて、かわいそうですからね」
言い切られた言葉に、私はうんざりしそうになった。発言者に振り向くと、ビートが不敵に笑っている。この実験を行うにあたり、その意味を伝えたにも関わらず、まだそんなことを言うのか。
「わかったわ。あなたは外れてちょうだい」
「え?」
「邪魔だと言ったのよ。出て行きなさい」
ビートは一瞬驚愕して見せたが、すぐに口を閉じて憮然とすると、何も言わず出ていった。残されたラチェットは、ビートを見送ってから私と目を合わせてびくりと肩を上げる。
「あなたはどうするの?」
「ぼ、僕はこちらに残ります」
「なら、その魔物が剥がれた動物たち、元気になったから飼い主でも見付けてあげてくれる? 悪いけれど、ネズミは処分して」
「はい!」
ラチェットはバタバタと元気を取り戻した動物たちを運び出す。
どっと疲れがきて、私はこめかみを押さえた。エリサと話していると、話が通じているのかいないのかわからなくなる。考え方が一方向のみで、分岐がない。別の思考を入れる隙間がない。視野が狭いどころの話ではない。聞く耳も持たないとか、頑なすぎるだろう。
「あの子、わたくしと同い年よね。動物を癒すのはありなの? 専属専任の契約、どうなってるのよ」
頭が痛い。考えるのも億劫になってくる。専属専任とは? だから慈悲深いとでも? 契約が守れないならば、一般契約にしておけばいいものを。
それに、いちいち人の心にずけずけと入り込み、踏みつけて足跡を残していく。私の心が醜いと言わんばかりに。
「辺境から、手伝いをよこした方がいいんじゃないですか?」
「……いえ、ニーネも大丈夫だと思いたいわ。あなたと彼ら二人で、何とかなるでしょう」
「それでいいのでしたら。それよりもあの癒しの聖女、王太子殿下はよく側に置いておけますね」
廊下に出ていただけだったので、エルンスト卿には丸聞こえだったのだろう。私は何も言わず、ただ曖昧にして長い息を吐く。
あんな聖女でも側に置いて、エリサの近くにいる男を気にするのだから、愛しいと思っているのだろう。
ズキリと胸が痛む。あんな聖女でも。そんな聖女に自分は負けたのだ。笑いしかない。きっとこの考え方がいけないのだろう。エリサと比べて私の方が常識人だ。そんなことを言っても、ある方向からの視点で見た一部の感想だけにすぎない。人の好き嫌いは、型に当てはまるわけではないのだから。
私と結婚を早めなければならなくなって、アルテュール様は哀れだ。けれど一番哀れなのは、思い人の相手から罵られる私だろう。
ニーネが新しい個体がすぐ手に入ると戻ってきて、騎士たちと一緒に搬入するのを指示してから、私たちは再び研究を始めた。
今は、自分の仕事をまっとうするしかない。私ができることは、毒を扱うことだけなのだから。
そう思ったのも束の間。私はその後、アルテュール様に呼ばれることになった。




