5−3 王女
自分が言われたのだと思って、私はギクリとして足を止めた。アルテュール様が見ているのはメイドや護衛たちだ。その中に、エルンスト卿がいる。
聞かれたくない話をするのだ。私はゴクリと唾を飲み込んで、エルンスト卿に頷いた。
エルンスト卿たちはそのまま動かず、私たちが離れていく。
「あの護衛、いつも一緒だね」
「侯爵家を出れば、必ずついて参ります」
まだ言うのか。侯爵家の護衛は、屋敷を出ればついてくる。王城に入ったらエルンスト卿だけになるが、私には常に護衛がいる。そこまで気になることだろうか。アルテュール様にももちろん護衛がいるし、人数も多いのに。
アルテュール様は遠くに離れたエルンスト卿に眇めた目を向けてから、私に向き直る。
間近にしたアルテュール様は、思ったより身長が高かった。三年前は私より小さかったのに。それほどの月日が流れていたのだ。体も成長すれば、心も成長する。人を好きになることもあるだろう。私ではない、別の人を。
私は組んでいた手をぎゅっと握った。
「この間のことだけれど」
先にその話をするのか。私は疑われていることを察して、口を開いた。
「結婚を早めよう」「犯人はわたくしではありませ、ん?」
今、なんと言った? 結婚? 聞き間違えたか?
「催淫剤の件でしたら、犯人はわたくしでは」
「だから、結婚を早めよう」
アルテュール様は目を逸らすことなく、はっきりと言ってくる。
淡々として、その言葉が出てくるのか。疑問に思う前に、責任を取るつもりなのだと気付かされる。エリサを婚約者にしたくとも、私が妊娠でもしていたらということか。
そんなこと、あまりにひどい決断ではないか。愛などないのに、体を重ねたから責任を? そんな、同情などいらないのに。
「リュシエンヌ?」
「子供ができるような時期ではありません。ですから、わたくしが妊娠する可能性はないかと」
「そんな話はしていないよ」
では、どんな話だと言うのだ。
子供ができるかもしれないから、結婚を早めようと言っているのではないのだろうか。
彼には愛する人がいるのに。
「婚約破棄はできない。君の力を外に出すわけにはいかない」
その言葉の衝撃は、私の心を大きく砕くものだった。
私の力。毒の聖女の力。これは王族が確保すべき力だ。私が外に出て、もしも悪用されることでもあれば、王族を暗殺する可能性も出てくる。私にはそれが行える。だから早いうちに取り囲もうと、婚約が決まったことも知っている。
アルテュール様と婚約して、話すうちに仲良くなれたと思っていた。辺境に行った最初の頃は、早く帰ってきてほしいという懇願に近い手紙も受け取って安堵していたし、私もそうであれと返事をしていた。
だから、辺境に出発する際に見送りがなくても、アルテュール様が婚約を前向きに考えてくれていると勘違いしていたのだ。
けれど、本当は、ただ毒の力を他に奪われないための、政治的な繋がりのためだった。
この人は、私をなんとも思っていなかったのだ。愛しているわけではないと、はっきり言われたようなものだ。
アルテュール様は私を見ることなく、庭園を見回すようにして歩き始める。私の足は止まっていたが、一度振り向かれて、私は黙ってそれについていく。
呆れられているのか、小さな息が漏れるのが聞こえた。
彼の言葉一つ一つ、挙動一つ一つが、私の心を苛んでくる。足取りも重くなって、トボトボと歩けばアルテュール様と距離が離れた。私は漠然と、それが自分とアルテュール様の心の距離のように見えた。実際は、もっと遠く離れたところにいるけれど。
「犯人は、今調べさせている。暖炉に金属のケースが残っていた。熱で溶ける類のものだ」
アルテュール様は話を戻して、催淫剤の話を続ける。
「犯人はまだわかっていない。君じゃないことはわかっている。あの部屋に入ってすぐのことだし、それより前から暖炉は燃えていた。暖炉に仕掛けたとしても、いつ私が暖炉を使うかなんて君は知らない。調べていても、この間の気温では、暖炉をつけるかわからない」
最近は寒くなったとはいえ、まだ季節は冬ではない。時期的につけるかもしれないが、つけないかもしれない。
だから、犯人は私ではないと言うのだ。
「ならば、相手として狙われたのは」
エリサでは?
言おうとして、それを飲み込んだ。エリサを犯人に仕立てたいのかと、言われたくなかったからだ。そんな嫉妬をするのかと、卑下されたくなかった。
「聖女も含め、今調べさせている。あの部屋に入り込める者は限られているから。だからと言って、君を疑ったりはしない。……体は? あのときは無理をさせた」
アルテュール様が私の頬を首元から触れた。その冷たさにビクリと肩を上げると、逃げるように手を離す。
冷たかったが、その指先が離れたことに、残念な気持ちになるのが滑稽だった。
嫌われたくないのに、嫌われるようなことしかできないみたいだ。
アルテュール様の前にいると、いつもの私ではなくなっていくのがわかる。いつから私はこんなに弱くなったのだろう。
「婚約破棄の話は聞かなかったことにする」
それで本当にいいのだろうか。アルテュール様に反論しようとして顔を上げれば、アルテュール様はどこかを見つめていた。
建物の近くで、エリサが誰かと話しているのが見える。一緒にいるのは、伯爵子息のイェスタフ・ステンロースだ。
癒しの聖女と薬草事業のオーナーが一緒にいても、なんら疑問はない。けれど、アルテュール様は眉間を寄せて、微かに不愉快そうな顔を向けている。
そんな顔で、彼女を見つめるのだ。
普段、表情を出さない人が。凍えるような瞳をして、何の感情も乗せずにその瞳で捉えるのに、エリサに向ける視線はまったく違うものになる。
愛している人が他の男と二人でいれば、誰だってそんな顔になるだろう。たとえ、婚約者が目の前にいても。
私のことなんて心にないならば、結婚してもきっとそのまま。
私に、それが耐えられる?
婚約破棄はしないと言う。けれど、私にはそれがどうしても信じられない。
私がアルテュール様の邪魔をしているのならば、私はどうすればいいのだろう。




