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第26話 梅雨入り



 車というものは、未だに乗り慣れない。とはいえまだこの世界に来て数えるほどしか経っていないので、当然といえるだろう。それに、馬車よりも格段に乗り心地がいいし、なんと窓もハンドルを回せば開閉でき、空調もあってラジオも聴ける。どうしてこの世界のものは、こんなにも便利で誰でも扱えるものが多いのかと、新しい装置を知るたびに感動してしまう。

「着いたで、ワルちゃん。好きなだけお菓子選びや。ただし、絵美子ちゃんにあげるやつやからな」

「わかりましたわ。喜びそうなものを探してきますわ!」

 ワルノはカーテシーをし損なって、ズボンを軽く摘んでから、子どものようにお菓子の陳列してある通路めがけて走って行った。実際彼女は十六歳だから、子どもだ。

「清三さんはホームセンター行くんか?」

「そやな。わしのオイルがもう足りんからな」

 清三はそう言ってホームセンターに向かう。キヨ子はひとりになった。

「よっしゃ、ゆっくり買いもん出来るわ」

 カートにカゴを載せ、店内に流れる音楽を聴きながら、チラシに載っていた品を探し、のんびりと歩く。

「卵残り少ないなあ、危なかったわ」

「お、卵安いん忘れるとこやったわ」

 ほくほく顔でカゴに卵を入れると、聞き覚えのある声。

「なんや、ゆう子さんやん」

「キヨ子さんも買いもんか。あの娘と主人はうまいこと撒いたんか。ようやるわあ」

 ふたりは笑い合った。穏やかな時間が流れる。井戸端会議は他世代に面倒がられやすいが、この時間が実は一番面倒ごともなく、楽しく、さらに情報収集も出来るという、極めてメリットの多いものなのだ。決してたかが井戸端会議と侮ってはいけない。井戸を使っていた頃から今までなくならないほどのことはある。

「そうや、ゆう子さんとこの子は最近どうなんや。あの子なかなかパワフルや言いよったやろ」

 ゆう子はセリーヌのことを思い出す。テレビの録画は消したし、今日はエカキムシ(※ハモグリバエ)の入った葉を捨てるように、ちゃんと仕事を与えてきたから、また変なことをしていないとは思うのだが。コーデリアという不安要素がないわけでもないのだ。

「ああセリナか。それがな、あの子がまた新しい子連れて来おったんや。まあその娘は皿洗いも掃除も簡単な料理もできるからええんやけどな」

「おとなしすぎるんかいな。なんぞあかんことせんとええな」

「ほんまそれや、セリナと一緒やと何しでかすかわからへんもんや」


 同じ時間、ゆう子の家。

 セリーヌは白い筋の入った葉を取っていたが、意外と早く終わってしまった。

 暇になって家に帰ってみれば、なんとコーデリアが優雅に紅茶を飲んでいる。

「コーデリア様、わたくしもそれ欲しいですわ!」

 コーデリアはセリーヌを見て、目を丸くした。まさかこんな早く帰ってくると思わなかったのだ。

「いいですわ。わたくしは炊いたお茶の味見をしていただけですし、きっと問題ないですわ」

 優しいコーデリアは、棚からコップを出して、セリーヌのために紅茶を注いで渡した。

「……美味しいですわ! やっぱりコーデリア様は向こうにいた時から、お茶を淹れるのが上手いですわ」

「あら、嬉しいですわ」

 少し照れるコーデリアを見て、なぜかセリーヌは調子に乗った。

「こちらの世界のティータイムは、もっと優雅に出来るはずですわ!」

 収納の中に隠されていたリモコンを迷わず取り出し、セリーヌは電源を付けた。

「録画が消されても、リアルタイムで見れますわ!」

 ニュースだった。男性のアナウンサーが、ニュースを読み上げる。

『今日、近畿地方は梅雨入りをしたと発表がありました。平均より二日ほど早い梅雨入りです。……』

「つゆ? つゆってなんですの?」

 コーデリアにもわからなかった。この世界の先輩であるセリーヌにわからないのだから、当然だ。

 そして、コーデリアは考え抜いた末に閃いた。

「わかりましたわ、セリーヌ様。うどんやそばをいただくときにつける液が、『つゆ』と言うのですわ」

「つゆ……。知りませんでしたわ、さすがコーデリア様」

 しかし、ふたりには疑問が残った。つゆいりとはなんだろうか。

「近畿地方はこの地域ということですわね。つゆ入りというのは……? つゆはもう台所にありますわ」

 コーデリアが首を傾げる。今度はセリーヌが思い出す番だった。

 セリーヌは聞いたことがあった。ボジョレー・ヌーヴォーのことを。なんでも解禁日が決まっているとかいう、面白い何からしい。

 セリーヌは得意顔で話し始める。

「コーデリア様、これは新しいつゆがやってくるということではありませんの? きっと解禁日が、今日なのですわ」

 つゆに解禁日があるとか、唐突に今日が解禁日になったとかよく考えてみればおかしいことだらけだが、ふたりは納得してしまったのだ。

「ということは、おばば様は新しいつゆを買いに出かけたのですわ」

 紅茶を飲み干したセリーヌは立ち上がった。こうしちゃいられない。今日古いものとなったつゆと、ゆう子が持ち帰るだろう新しいつゆを、飲み比べなくては。

「コーデリア様、今あるつゆの味を今のうちに覚えておきますわ」

 空になったコップに、今度はめんつゆを注ぐ。希釈タイプなので水で薄め、ふたりは顔を見合わせた。同時に口に含む。

 その時、車のエンジン音がした。だが、ゆう子が車を持っていないことと、たまに付近の道を車が通過することから、ふたりは関係ないと結論付けた。

「……美味しいですわね」

「わたくしはもうちょっと濃くてもいけますわ」

 セリーヌは、本当に原液で飲もうかと少し思った。しかしやめた。

 何やら、表が騒がしいようだったからだ。

「……セリナおらへんな」

 遠くで確かにそう聞こえた瞬間、セリーヌは青ざめた。

 それからは流れるようにテレビの電源を切り、リモコンを片付けた。コーデリアはコップを回収し、めんつゆを元の場所に戻して作業に戻った。実はコーデリアはこっそり休憩していたのだ。

 ふたりは目を合わせる。お互いに相手のしたことをゆう子にばらさないこと。目で約束する。

 セリーヌは扇風機の前に座り、わざとらしく汗を拭いた。そこにいいタイミングで、ゆう子が現れた。 

「なんやセリナ、もう終わったんか」

 ゆう子がセリーヌのいたずらの痕跡を探すべく、鋭い目つきで部屋を見渡す。セリーヌは内心冷や汗をかきながら、何事もない風を装って返答した。

「筋の入った葉っぱは少なかったんですの。ちゃんと終わりましたわ」

「……そうなん。疲れたやろ、休んどき」

 ゆう子が台所へ向かい、セリーヌはほっと胸を撫で下ろした。なお、セリーヌがゆう子の目を掻い潜るのは、これが初めてである。

「コデリカ、手ぇ大丈夫か? ずっと濡れとったら手もぼろぼろになるで」

 せっせと食器を洗っているコーデリアは、ゆう子に笑いかけた。既にふたつのコップは洗い終えて、証拠の隠滅は完了している。

「ええ、わたくしは手が強いので、べっちょないですわ、おばば様」

 コーデリアがおばばの目を掻い潜るのも、これが初めてだった。

 そして、ふたりはある事実に気がつく。

 ゆう子は、めんつゆを買ってこなかった。

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