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第22話 通常運行



 ここまで来て、話は少し遡る。

 夜明け前、セリーヌが夢を見ていた頃。キヨ子の家の使い古されてやや柔らかさが失われた布団で、ワルノは体を休めていた。

 彼女もまた、夢を見ていた。いつか見た光景が映る。貧民街スラムにいた頃の、みすぼらしい姿をした母親。そして自分も同様に、拾ったぼろぼろで大きすぎる服をまとい、毎日わずかな食べ物をやっと口にする生活を送っていた。

 ワルノはスラムの子どもだった。母親もスラムに生まれ、何もなければ子どもを作ることすら視野になかった。自分の食糧を探すのすらやっとだったから。

 しかし、貴族である父がスラムへなんとなく足を向けたことがきっかけで、母は結果的に子を養うという苦しい生活を強いられたのだ。

 ある日、貴族令嬢がスラムに現れた。聖女と噂される彼女は人々に施しを与え、人々の幸せを願いながら、町中を巡った。

「わたくしだって、貴族の娘ですわ。……そうだ、聖女の家の子になればいいのですわ!」

 貴族ごっこの喋り方が抜けないワルノは、本物の貴族令嬢になりたくて仕方がなかった。自分だって、貴族の血を引いているのだから。

「待ちなさい聖女! わたくしも貴族の娘よ、わたくしをあなたの妹にしなさい!」

 拾ったなかでも一番綺麗な服を着て、母に髪も結ってもらい、ワルノは聖女の前に立ちはだかった。

 想像よりも幼く、ワルノとほぼ同じ歳の聖女は、突然の要望に戸惑った。

「……でも、あなたはわたくしの妹ではありませんわ。申し訳ありませんわ」

 それだけを言って、聖女は踵を返した。

「ま……待ちなさいよ! 名前を言いなさい! 仕返ししてあげますわ!」


 暗転。そして明るくなる。

 やはり父に頼むしかないと考えたワルノは、父の屋敷の前に居座っていた。見張りの者も子どもを無理に追い出すわけにはいかず、業務に支障をきたし始めていた。

 また光景が変わる。ワルノがドレスを着て、はしゃいでいる。数日で父は折れ、彼女を娘として迎え入れたのだ。彼は良からぬ噂が付くのを恐れていた。はしゃぐワルノを見て、父は頭を悩ませた。正妻との間に子はおらず、このままでは家の存続が危ぶまれるので、彼女を本気で娘として公表しようか。

 そこからは急展開だった。ワルノはメイドとしてスラムに残されていた母を雇わせた。そのおよそ一月後には、父親が、今まで病弱だった故に公表しなかったとして、ワルノを自分と妻の子だと発表した。

 しかし本当に病弱だったのは正妻だった。一年ほどのちに正妻は亡くなり、ワルノの助言によってワルノの母が後妻に迎えられる。あっという間にワルノは幸せを知った、はずだった。

 許せないのは、あの日の聖女。スラムに生きる人を見下し、救いを求める手を冷たく払う。

 あれが聖女であっていいはずがない。あれは偽物の聖女だ。


『ご覧いただきましたのは、これまでのVTRとなります』 

 気が付けば夢は消え、ワルノは見知らぬ真っ白な空間にいた。首をめぐらせると、霧に紛れるように立つ、上品な女性がいる。

『……あなたは?』

『わたくしは、世界と世界の間の平和を保つ女神。……もちろんあなたのことも、ずっと見ていました』

『へ? 女神ですって?』

 女神はワルノの問いかけには答えず、申し訳なさがにじむ声音で話す。

『あなたは、出自で大変辛い思いをされました。それからずっと、血が滲むような苦労を重ねて生きてきましたね。……半分くらい、ですが』

 一転、口調が冷たいものに変貌する。

『あなたは貴族として、それ以前に人として、あるまじき行為を繰り返してきました。人を騙し、陥れ、嘲り、そして死刑を決めさせた。……尤も、相手が死刑にされることがなかったのが不幸中の幸いというところですが』

 霧が薄れてゆき、女神の目がワルノを射抜く。まるで心の底まで見透かされるようなその視線に、ワルノは思わず唾を飲み込んだ。

『あなたは未だに従者を連れているでしょう。あなたは賢い。魔法奴隷がこの世界でも魔法を使えるということを知っているのは、あなただけでしょう』

 魔法奴隷は、貴族の必需品だ。貴族以外の人間が使う魔法は、大したものではないが頻繁に使える。翻って貴族の魔法は膨大な量の魔素を必要とする上、あまり実用性を感じられない、攻撃魔法が主だ。セリーヌは平民との付き合いから平民の魔法を学び、アレンジして使うことを覚えたが、普通の貴族はプライドが邪魔して、平民の魔法を使わない。

 固唾を飲んで続きを待つワルノに、最悪な事実を女神は突きつけた。

『他人の気持ちをないものとし、自分を中心に世界が廻っていると思い込むあなたには、少々彼の命は重いでしょうから、彼は故郷に帰しておきました』

 全てはあなたの傲慢な行動の結果なのです、と女神は硬直するワルノににこやかに告げる。

『違うわ……、すべてはあの偽聖女、セリーヌのせいなのよ!』


『——わたくしの名前ですの? わたくしはセリーヌ・エカテリーネといいますわ』


「はよ起きんかい! 惰眠は貪らせへんで、仕事あるやろ!」

 言葉と共に舞い上がった布団。ワルノは体を縮こまらせた。

「寒いですの……」

「手がかかるやっちゃなあワルちゃんは! 農家舐めるんとちゃうで、はよ着替えんかい!」

 ワルノはキヨ子に叱られながらものろのろと動き出した。セリーヌのいる、おばばの家なら。こんな怒鳴られなかったかもしれないのに。

「なんでいつも、わたくしなのよ……!」

 何気なく髪に手をやったワルノは、凄まじい叫び声をあげた。

「髪がァ! わたくしの髪がアァ! 切られていますわあアァ! ウアァァ! ドレスもないィー!」

「やかましいわ! 黙らんかい!」

「いやアァァァアアア!」

「うるっさいわーー!」

 ワルノは、セリーヌより髪を短く切られ、男の子のような髪型になった。

 はたかれたワルノはさらに喚く。こうしてキヨ子の家にも騒がしい日常が訪れた。

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