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Dead Line ——境界の儀  作者: 一条信輝


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47話 四百年

 マリアが去った翌日。


 陽太は少女の杭林に向かった。男と二人で。観測者の話を、少女に伝えるためだった。少女は四百年生きている。あの代の儀式の参加者だった。観測者の話と、少女の四百年の記憶を照合すれば——何かが見えてくるかもしれない。


 鳥辺野。秋の山。紅葉が深まっている。あの杭林。白い杭が並んでいる。少女が中央に座っていた。いつもの姿。だが——今日は違った。少女が立っていた。座っていなかった。


 陽太たちが近づいた音で、少女が振り返った。


 「来たか。早いな」


 声が少し違っていた。前回より——温度がある。完全な無感情ではない。何かが少女を動かしている。


 「観測者と話した。地下の石室で」


 陽太が単刀直入に切り出した。少女が動いた。立ったまま、陽太を見つめた。古い目が、薄く見開かれた。


 「……観測者」


 少女が、その単語を繰り返した。声に微かな驚きが混じっていた。


 「知ってるのか」


 「いや」


 少女が首を振った。


 「四百年生きておるが、観測者という存在は知らなんだ。だが——その単語を聞いて、思い当たるものがある。気配だ。京都の地下から、ずっと感じておった気配。誰のものか分からなかったが——観測者だったのか」


 四百年、少女は気配を感じていた。京都の地下から。誰のものか分からないまま。それが——観測者だった。少女と観測者は、同じ京都にいながら、互いに認識していなかった。封じられた箱の中から観測する者と、杭林の中から見守る者。それぞれが孤立していた。



      *



 陽太が観測者の話を、少女に伝えた。


 儀式の本来の目的が「境界の整え」であったこと。何度も繰り返されるうちに変質したこと。今は「世界が終わる方向」に動いていること。橋道のマスターが本来の儀式の中心であること。


 少女は、立ったまま聞いていた。動かない。だが顔の表情が、少しずつ変わっていった。困惑。驚き。それから——悔しさ。


 話が終わると、少女が深く息を吐いた。何百年ぶりかもしれない、深い息。


 「……信じておったものが、違っておったか」


 少女の声に、初めて、強い感情が混じった。悔しさ。怒り。後悔。


 「わらわは、四百年、儀式に勝てば境界の力を得て、彼岸から戻れると信じておった。だがそれは——変質した儀式の話じゃった。本来の儀式は、境界の力を得るものではない。整えるものじゃ。わらわの動機そのものが、間違っておった」


 四百年。少女は四百年、間違った動機で生きてきた。「彼岸から戻りたい」「生きたい」と願って、儀式の参加者として此岸に残り続けた。だがその願いは、変質した儀式の論理だった。本来の儀式では、勝者は「境界の力を得る」のではない。「境界を整える」のだ。少女の四百年の願いの根底が、無に帰しかけている。


 陽太は何も言えなかった。少女が四百年信じてきたものが、観測者の話で根本から覆されている。一夜にして。陽太も同じ衝撃を昨日受けた。だが少女は——四百年。陽太の数百倍の重さで、衝撃を受けている。


 「……すまん」


 陽太が言った。


 「お前さんが謝ることではない。観測者が真実を伝えただけじゃ。——わらわが愚かだっただけじゃ」


 少女が両手で顔を覆った。子供の動作。だが——四百年の重さがある動作。


 男が陽太の隣で、無言でいた。男も何も言えない。千年の戦士でも、四百年の少女が崩れる場面に、かける言葉がない。



      *



 しばらく、誰も話さなかった。


 杭林の中、秋の風が通り抜けていく。紅葉の葉が舞ってくる。一枚、少女の手に落ちた。少女が両手から顔を上げた。落ちた葉を見ていた。


 「……気づくべきじゃった」


 少女が呟いた。


 「四百年、わらわは渡し場の力の中で生きてきた。誰よりもこの力に近い。なのに、儀式の本質を見抜けなかった。代々の参加者の動機ばかり見て、儀式そのものの構造を疑わなかった」


 少女が紅葉の葉を見つめた。手のひらの上の葉。秋の赤。


 「だが——観測者の話と、わらわの記憶で、一つ照合できることがある。重要なことかもしれぬ」


 陽太が前に出た。「何だ」


 少女が顔を上げた。古い目に、四百年分の記憶が灯っていた。


 「観測者は、儀式が何百年に一度起きると言ったな。境界が乱れるたびに、と」


 「ああ」


 「だが、わらわの記憶では——渡し場は、儀式の間も、ずっと開いておった」


 ずっと開いていた。


 陽太の理解が追いつかなかった。


 「儀式の間も? でも、儀式は何度か繰り返されてるって」


 「そうじゃ。だが——わらわが負けた四百年前の儀式から、お前さんの代の儀式が始まるまでの間、四百年。その間も、渡し場は時々開いておった。わらわはそれを感じておった。何度か。十年に一度くらいの頻度で」


 十年に一度。儀式の間にも。


 陽太は頭を整理しようとした。観測者は「儀式は何百年に一度」と言った。少女は「渡し場は十年に一度開いていた」と言う。矛盾しているように見えるが——よく考えると、矛盾していない。「儀式」と「渡し場の開放」は別物なのだ。儀式は何百年に一度。だが渡し場は——もっと頻繁に開いている。儀式の間に。誰の参加もなく。誰の戦いもなく。


 ということは。


 「儀式以外の方法で——渡し場が整えられている時期がある?」


 「そうじゃ。それが何百年も続いておる。儀式は何百年に一度。だが渡し場は十年に一度開く。儀式と儀式の間に、何度も。その時に何かが整えられておる。儀式とは別の機能で」


 「儀式は、儀式の時だけ起きるのではない。常に背景で起きておるのじゃ。儀式と儀式の間、何百年もの間、渡し場は時々開き、彼岸の力が漏れ、何かを整えておる。——わらわが今ここにおるのも、たぶんそのためじゃ」


 わらわが今ここにいるのも——。


 「お前は、渡し場の力の何かを担ってるのか」


 「分からぬ。だが、わらわが彼岸に戻らずに此岸にいることそのものが、儀式の機能の一部かもしれぬ。観測者が代々の知識を継ぐように、わらわも何かを継いでおるのかもしれぬ。——四百年、それを知らずに生きてきたが」



      *



 少女が話し続けた。声が落ち着いてきた。一度の悔しさを過ぎて、新しい情報を整理する声に。少女もまた、判断力を取り戻している。


 「お前さんの代の儀式は、これまでより異常じゃ。クリス、幻道、葛城、御影、そしてお前さん。複数の参加者の動機が、儀式の機能を破壊する方向に集中しておる。これは、何百年も儀式を繰り返してきた中で、最も危険な代じゃ」


 「観測者もそう言っていた。世界が終わる、と」


 「うむ。同じ判断じゃ。——だがわらわは、もう一つ加えたい。これまでの儀式は、変質しても、最後には『整え』の機能を一部果たしておった。勝者が境界の力を得て、その力で何かが整えられた。記録には残らずとも、機能だけは残っておった」


 残っていた機能。


 「だが、お前さんの代では、それすら危うい。クリスは破壊。幻道は永遠の固定。葛城は支配。それぞれが、整えではなく、別の方向に行く。誰が勝っても、整えの機能が果たされぬ可能性がある」


 誰が勝っても。


 「お前さん——橋道のマスターが、勝たねばならぬ。それが、観測者の言う『本来の儀式の中心』の意味じゃ。橋道だけが、整えに戻せる」


 俺だけが。陽太一人と、男一人。整えに戻せるのは。


 責任の重さが、また肩にのしかかった。マリアが「本来の役割に集中してください」と言った。観測者が「あなたは選ばれた」と言った。少女が「お前さんが勝たねばならぬ」と言う。三人が同じ方向を指している。陽太に。


 「……重いな」


 陽太が呟いた。


 少女が微かに笑った。あの薄い笑み。だが今日のは、温かさがあった。少女が陽太を哀れんでいる。あるいは——同情している。同じく重い責任を背負ってきた者として。


 「重い。だが、お前さんはこれまで重さに耐えてきた。これからも耐えられる。——わらわが助ける。四百年生きた者として」


 助ける。少女が陽太を助ける。観測者が「介入できない」と言った。だが少女は介入できる。少女自身が儀式の参加者だから。冥道のマスターとして。


 「凛花は」


 陽太が聞いた。


 「凛花も、知るべきだろうか。観測者の話を。本来の儀式の話を」


 少女が考えた。


 「凛花は——今、難しい状況じゃ。葛城を倒すことに集中しておる。お前さんを切り捨てたばかりじゃ。今、観測者の話を伝えても、信じぬじゃろう。あるいは『陽太の罠じゃ』と疑うじゃろう」


 凛花が信じない。それは、陽太も予想できた。凛花の覚悟は、葛城を倒して境界の力を得ることに集中している。今、その動機の前提が崩れる話を聞いても、受け入れられない。


 「いつ、伝えればいい」


 「凛花が崩れるとき。覚悟が崩れる瞬間。そのときに、お前さんが伝えれば、聞くじゃろう。——それまでは、わらわが見ておる」


 崩れる瞬間。少女が四百年前に「覚悟を決めた者は脆い」と言った。その瞬間が来る。凛花が崩れる瞬間が、いずれ来る。陽太はそれを待つ。


 その瞬間に、凛花を連れ戻す。観測者の話を伝える。本来の儀式に戻す。それが、陽太の役割の一つになった。



      *



 杭林を出る前、少女が陽太に近づいた。手のひらの上の紅葉の葉を、陽太に渡した。


 「これを持っておけ」


 「何だこれ」


 「ただの紅葉じゃ。——だが、わらわが渡したものじゃ。わらわの力が薄くこもっておる。お前さんが危なくなったら、これを破れ。わらわが感知する。動けるなら助けに行く」


 お守り。少女からの。四百年の少女が、陽太に渡したお守り。


 陽太は受け取った。手のひらに乗せた。普通の紅葉の葉。だが——温かい。


 「……ありがとう」


 「礼を言うな。わらわも変わったのじゃ、お前さんに会って」


 少女が笑った。今日は何度目かの薄い笑み。だが今日のは、明るい。


 四百年動かなかった少女が、変わり始めている。観測者の話を聞いて。陽太との関係を経て。


 陽太と男が、杭林を後にした。秋の夕日が、紅葉の山を照らしていた。

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