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Dead Line ——境界の儀  作者: 一条信輝


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44話 観測

 観測者が、口を開いた。


 声が、頭の中に直接、響いた。発音が錆びている。何百年も話していなかった声が、今、初めて言葉を発している。一つ一つの音節が、ゆっくりと、丁寧に、組み立てられていく。


 『あなたが、橋道のマスターですか』


 既に聞いた問いの繰り返し。だが今度は、その後に続きがあった。


 『私は、観測者の三十六代目。先代から代を継ぎ、代々この箱の中に封じられて、儀式を見続けてきました』


 三十六代目。代々この箱の中に。儀式を見続けてきた。


 陽太は理解しようとした。観測者は、一人ではなかった。代々続いている。三十六代。一代を二十年とすると、七百二十年。鎌倉時代から続いている。京都の地下に、何百年も。


 『あなたの代の儀式で、私は——目覚めました』


 「クリスが箱を傷つけたから」


 『はい。封印が破れたから。本来なら、私は誰の前にも姿を現さず、ただ観測を続け、次の代に引き継ぐはずでした。だが、封印が壊れた今、あなたに伝える機会を得ました』


 「何を伝えるんだ」


 観測者が、頭を下げた。動作が緩慢。何百年も使っていない体を、丁寧に動かしている。


 『この儀式の——本当の起源を』



      *



 観測者が、語り始めた。


 頭の中に、声が直接響く。だが声だけではなかった。映像が混じっていた。観測者の記憶が、陽太の脳に投影されている。


 平安京の地図が見えた。古い絵図。鳥瞰図。四神相応の都市設計。北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎。それを陰陽道の理論で配置した、結界都市としての京都。


 『京都は、生と死の境界が薄い土地として作られました。意図的に。平安京の建設時に、陰陽師たちが計算して、生と死の境界を制御できる都市を作ったのです』


 京都が——意図的に作られた。生と死の境界を制御するために。


 観光地として知られている京都。寺と神社の街。和の文化の中心。だが本当は——もっと深い目的を持って作られた都市。陰陽師たちが八世紀末に、境界を制御するために配置した結界都市。一千年以上、その役割を担ってきた街。


 『初代の儀式は、平安時代に行われました。当時は「儀式」と呼ばれていませんでした。「境界の整え」と呼ばれていました。生と死の境界が乱れたとき、境界を整えるために、英霊と人間が組んで戦いました』


 観測者の記憶が映し出される。平安時代の京都。陰陽師たちが集まって、何かの儀式を執り行っている。式神と人間が組んで、目に見えない何かと戦っている。当時の英霊たちは——日本の英霊だった。坂上田村麻呂のような武将。式神を扱う陰陽師。土地の神々。日本の歴史と神話に根ざした存在たち。


 今は違う。陽太の英霊は北欧の戦士。クリスのロビン・フッドはイングランド。少女のヴラドはルーマニア。アレクサンドロスはマケドニア。儀式の召喚範囲が——いつの間にか世界中に広がっていた。これも変質の一つなのかもしれない。


 『最初の儀式は、世界を救いました。境界が乱れて、彼岸の力が此岸に溢れ出しそうだったのを、英霊と人間の連携で抑え込んだのです。だがそれ以降——儀式は、何度も繰り返されました』


 『境界は、定期的に乱れます。何百年に一度。そのたびに、儀式が必要になります。だが、儀式が繰り返されるうちに——本来の目的が、忘れられていきました』



      *



 観測者の語りが続いた。


 『初代の儀式の参加者は、自分たちが世界を救っていることを知っていました。境界を整えるための戦いだと、認識していました。だが何百年も繰り返すうちに、参加者は世代を重ね、当初の目的が伝承の中で歪んでいきました』


 観測者の記憶——時代を遡る映像。鎌倉時代。室町時代。戦国時代。江戸時代。それぞれの時代の儀式の様子。最初は「境界を整える」だった目的が、徐々に「英霊召喚バトル」の様相を帯びていく。参加者は「勝つこと」を目的とするようになる。「境界の力」を手に入れることを。


 『勝者は、境界の力を得ます。それは事実です。だが本来、境界の力は——勝利の報酬ではなく、整えのための手段でした。手段が目的に変わってしまったのです』


 手段が目的に。それが——少女の四百年。凛花の弟への執着。葛城の家の名誉。クリスの儀式破壊。みんな、それぞれの「目的」を持って戦っている。だが本来は、目的ではなく、手段だった。境界を整えるための。


 『そして、私たち観測者は、儀式の本来の目的を覚えています。代々の観測者が、引き継いできました。儀式が変質しても、本来の目的を忘れないように』


 「観測者は、何をしているんだ」


 『観測しています。記録しています。介入はしません』


 介入しない。何百年も。儀式が変質していくのを、ただ見ていた。本来の目的が忘れられていくのを、ただ記録していた。


 「なぜ介入しないんだ」


 『介入できる存在ではないのです。私たちは、儀式の参加者ではありません。境界の力を直接扱える存在ではありません。記録するだけ。次代に引き継ぐだけ』


 観測者の声に、感情の薄さが感じられた。何百年も「ただ見ている」存在の、希薄さ。だがその薄さの奥に、ほんの少し、悔しさのようなものがあった。何かをしたいのに、できない。それが何百年も続いている。


 『そして今、儀式は最後の段階に入っています』



      *



 最後の段階。


 観測者が、続けた。


 『あなたの代の儀式は、これまでと違います。クリス・ヴァレンティンという、儀式破壊を目論む参加者が現れた。第七陣営の幻道のマスターは、別れを終わらせようとしている。葛城冬真は計算で全てを管理しようとしている。少女は四百年の境界の力を持っている』


 観測者は陽太の代の儀式を全て見ていた。封じられたまま、京都の地下から、京都全体を観測していた。


 『これらの動きが——儀式の本来の構造を、決定的に壊そうとしています。今までの儀式は、変質しても「整える」目的を一部残していました。だがこの代の儀式は、整えるのではなく、破壊する方向に動いています』


 破壊する方向。クリスは儀式を破壊しようとしている。幻道は別れを終わらせて永遠を作ろうとしている。どちらも、「整える」ではない。


 『境界が、本来の形を失います。一度形を失えば、修復は不可能。彼岸と此岸が永久に混ざり合い、世界は——』


 観測者が言葉を切った。


 『——終わります』


 終わる。世界が。


 陽太は息を飲んだ。男が背後で、低く呻いた。話の重さに。


 世界が終わる。京都が変質する。彼岸が此岸に流れ込む。死者と生者の境界が消える。死んだ人間が戻ってきて、生きている人間が消える。それが永久に続く。それは——もう世界ではない。少女が四百年も恐れてきた「彼岸に飲まれる」が、京都全体で、世界全体で、起きる。


 観測者が続けた。声に温度はないが、重さがある。


 『この代の儀式の参加者は、誰一人として、本来の目的を知りません。葛城も、御影も、堂島も、少女も、クリスも、幻道も。みんな、自分の目的のために戦っています。だがそれが——世界を終わらせる方向に、動いています』


 みんな自分の目的を持っている。葛城の家、凛花の弟、少女の生、クリスの信仰、幻道の永遠。それぞれが正しい目的を追っている。だが結果として——世界を終わらせる。皮肉だ。誰も悪意がないのに、世界が終わる。


 「待ってくれ」


 陽太が口を挟んだ。声が掠れた。


 「情報が——多すぎる。儀式の起源、本来の目的、世界が終わる。それを、いきなり俺に言われても、どう受け止めていいか分からない」


 観測者が頭を下げたまま、答えた。


 『無理もありません。代々の観測者が記録してきた何百年分の情報を、一夜で渡しています。すぐに消化できるとは思っていません。だが、伝えるべきことは伝えなければなりません。封印が次にいつ閉じるか、私にも分からないのです』


 次にいつ閉じるか分からない。話している間に箱の力が消費されていく。観測者は今しかない。


 「葛城に話したらどうだ。あの男のほうが、こういう話を理解できる」


 陽太が言った。葛城は計算の男。情報を処理して計画に組み込める。陽太のような一般人より、適任のはず。


 『葛城冬真に話す機会があれば、そうしました。だが私は箱から出られません。あの男は、ここに来ません。ここに来た橋道のマスターであるあなたに、話すしかありません』


 ここに来た——という偶然。クリスの攻撃で箱が傷ついて、陽太と男がここに来た。それが偶然なのか必然なのか。


 『あなたは、橋道のマスター。橋は、境界を渡るための場所。あなたの英霊は、橋の上で死んだ戦士。橋の象徴を持つ陣営は——本来の儀式の中心でした。境界を整える役割を、橋道の陣営が担っていたのです』


 「俺たちが——中心?」


 声に動揺が混じった。普通の高校生だ。陰陽道も京都の歴史も、教科書で習ったことしか知らない。それが「儀式の中心」と言われても、現実感がない。


 『はい。あなたの英霊が、無名の橋の戦士であることに、意味があります。橋を守る無名の者。それが、整えの中心の象徴です』


 無名の橋の戦士。男のことを言っている。男が——本来の儀式の中心の象徴。だから橋道のマスターと組んだ。陽太は、選ばれたわけではない。だが、橋道の英霊と組んだことで、本来の儀式の役割を担うことになった。


 「待て。俺は——一般人だ。魔術の素養もない。陰陽道も知らない。葛城のように計算もできない。少女のように四百年生きてもいない。なのに——中心?」


 陽太の反論。観測者は感情なく答えた。


 『資格や能力ではありません。橋道のマスターであることが、それ自体で意味を持つのです。あなたが何者であるかではなく、あなたが橋道のマスターとして、この時に立っていること。それが、本来の儀式における中心です』



      *



 観測者が、頭を下げた。緩慢に。


 『継ぐ者よ。あなたに、伝えるべきことを伝えました。残りは、あなたが選ぶことです』


 継ぐ者。観測者は陽太を、そう呼ぶ。観測者の系譜を継ぐのではない。本来の儀式の役割を、継ぐ者として。


 「俺は——どうすればいい」


 『私には、答える資格がありません。観測者は介入しません。記録するだけ。あなたの選択を、また記録します』


 また記録する。観測者は陽太の選択を、ただ記録するだけ。介入しない。これも何百年も続いてきた観測者の役割。


 観測者の輪郭が、薄くなり始めた。形を維持できなくなっている。封印が壊れて漏れ出てきた力には限りがある。話している間に、消費されていく。


 『次に目覚めるのは——次の代の儀式の時。あるいは、永久に目覚めないかもしれません。封印が完全に壊れたら、私たちは消滅します』


 観測者の体が、煙のように崩れ始めた。元の黒い箱に戻ろうとしている。だが箱のひびはまだ広がり続けている。


 『あなたの英霊は——あなたを信じています。あなたも、英霊を信じてください。橋道の組み合わせは、迷ったときに、信頼を選ぶことです』


 信頼を選ぶ。


 観測者が完全に煙になった。黒い箱の中に吸い戻されていく。最後に、頭を下げた姿勢のまま、消えた。


 石室に、静寂が戻った。陽太と男だけが残された。黒い箱だけが、石の台座の上に残っている。表面のひびがゆっくりと収束していく。封印が再び閉じている。だが完全には閉じない。微細なひびが残っている。漏れ続ける。たぶん次の儀式まで。あるいは永久に。


 男が斧を肩に担いだ。


 「……出るぞ、坊主」


 「ああ」


 階段を上った。地上に戻った。焼け跡の家屋の中に。月が沈みかけていた。空が薄く明るくなっている。夜明けが近い。


 陽太の頭の中で、観測者の言葉が反響していた。「世界は終わります」「橋道は本来の儀式の中心でした」「信頼を選ぶことです」。


 俺は——選ばれた。

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