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Dead Line ——境界の儀  作者: 一条信輝


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42話 西陣

 西陣に着いた頃には、夜になっていた。


 京都の北西部。古い町並み。和装関連の伝統工芸の中心地。狭い路地が碁盤の目状に走っている。古い京町家が並ぶ。観光地ではない、住民の生活の場。


 その一角が——焼けていた。


 路地の交差点。三軒の京町家が崩壊している。木造の家屋。瓦屋根。それが——光の柱の直撃を受けて、半分が吹き飛んでいた。残った半分も、黒く焼け焦げている。屋根がない。柱だけが立っている。


 消防車が三台。救急車が四台。警察。報道陣。野次馬の住民。現場が騒然としていた。サイレンの音が止まない。消防のホースが家屋に水をかけている。


 男が陽太を抱えたまま、現場の遠くで止まった。煙の届かない場所で。


 「……ひどいな」


 陽太が呟いた。


 ひどい。これが「儀式の戦い」の被害。一般市民の家屋が、巻き添えで吹き飛んだ。住人がいたなら——死んでいるか、重傷か。


 救急車に運ばれていく人が見えた。担架の上の女性。意識がないように見える。火傷を負っている。年齢は四十代か五十代。家事の途中だったのだろう。エプロンが半分焼けて残っている。


 その隣に、子供が泣いていた。男の子。十歳くらい。母親が運ばれていくのを見て、警察官に支えられながら泣いている。「お母さん、お母さん」と繰り返している。父親はどこか。家にいたのか。それとも仕事に行っていて、これから知るのか。


 陽太の胸が冷えた。


 あの母子は——儀式に何の関係もない。クリスにも、葛城にも、幻道にも、陽太にも。普通の生活をしていた。普通の夕方を過ごしていた。それが——光の柱で吹き飛ばされた。母親が運ばれて、子供が泣いている。


 夕食の支度をしていたのかもしれない。テレビを見ていたのかもしれない。子供が学校から帰ってきて、宿題を始めたところだったのかもしれない。あの普通の夕方を、光の柱が消した。


 子供の声が聞こえてきた。風に乗って。「お母さん、起きて、起きて」。警察官が「もう病院に運んでもらうから、お母さん大丈夫だからね」と宥めている。子供は聞いていない。お母さん、お母さん、と繰り返している。


 あの子の名前を、陽太は知らない。母親の名前も知らない。父親がどこにいるかも知らない。何の関係もない他人だ。だがその他人が——儀式の犠牲になった。


 「俺たちのせいだ」


 陽太が言った。声が震えなかった。震えなかったが、声が低かった。


 男が陽太を抱えていた腕を、少し緩めた。陽太が地面に降りた。


 「お前のせいじゃねえ」


 「俺たちのせいだ。儀式が街を巻き込んでる。俺たちが儀式の参加者だから」


 「クリスのせいだ。攻撃したのは奴だ」


 「クリスは儀式を破壊しようとしている。それは——儀式が悪いからだ。儀式があるから、こういう被害が出る。儀式が続けば、こういう被害がもっと出る」


 クリスの主張が、頭に響いてきた。「この儀式は人を救っていない。生贄を捧げ続けているだけだ」。あの主張が、目の前で具体化している。一般市民の母子が、儀式の生贄になった。クリスが破壊しようとしている儀式の、犠牲者になった。


 矛盾している。クリスが儀式を破壊しようとして攻撃した結果、儀式の犠牲者が出た。クリスの戦い方が——皮肉にも、クリスの正論を裏付けている。


 陽太は、何も言えなくなった。



      *



 現場から少し離れた路地に入った。煙の匂いが薄くなる場所。古い京町家の影で、男と二人で立ち止まった。


 「……気配を探る」


 陽太が言った。紋に意識を集中する。


 幻道の冷たさが、近くにあった。いや——あった、ではなく、ある。今もある。距離は離れたが、まだ西陣の中にいる。


 「幻道は、まだここにいる」


 「ああ。俺も感じる。西の方角」


 幻道のマスターは、攻撃の現場から逃げていない。観察を続けている。あるいは——他に目的があってここに残っている。


 もう一つの気配があった。紋の脈動が、小さく揺れている。聖なる気配ではない。幻道の冷たさでもない。何か別の——薄い気配。微かな。気のせいかもしれないほど薄い。だが——いる。


 陽太は紋に意識を集中した。何度か。気配を絞り込もうとした。それは——紋とは違う波長で揺れていた。男や凛花や葛城やクリスの英霊たちが持つ波長とも違う。マスターの紋の波長とも違う。第三の何か。儀式の参加者ではない波長。


 だが渡し場の力に触れている。だから感じ取れる。儀式の力の中に存在しているが、儀式の参加者ではない——そういう存在。


 「もう一つ、いる」


 陽太が呟いた。


 「ああ。俺も感じる。だが薄い」


 男が首をひねった。「英霊じゃねえ。マスターでもねえ。だが——存在感がある。生きているものの気配じゃねえ。だが死んでもいねえ。中間みてえな何かだ」


 生きているものではない。死者でもない。英霊でもない。マスターでもない。中間。——なら何だ。ヴラドのような死霊術で生み出された存在か。あるいは渡し場の力で生まれた何かか。少女のような、儀式の敗者の生き残りか。


 「少女みたいな存在か?」


 陽太が聞いた。


 「いや。少女は——人間の輪郭がはっきりしてる。彼岸にしがみついてるが、本人の意思がある。あれは違う。意思があるかどうかも分からねえ。もっと——機械みてえな」


 機械のような気配。意思があるかも分からない。だが渡し場の力の中に存在している。


 その気配が、焼けた家屋の方向から来ていた。何かが、あの家屋に「いた」。光の柱が落ちた家屋に。


 「あの家屋に、何かいたのか」


 「……いたんじゃねえか。クリスが攻撃したのは、その何かを狙ってだ。住宅街は巻き添え——じゃねえ。あの家屋自体が、標的だった」


 あの家屋が標的。そこに住んでいた母子が標的——ではない。母子は普通の住人。あの家に何か別のものがあったのか。それとも、あの家の地下に何かがあるのか。京町家の下に。京都の地脈の中に。


 京都の地脈には、渡し場の力が流れている。地下水脈のように。表に現れているのは、橋や寺などの「渡し場」だが、地下では脈々と繋がっている。あの京町家の下に、何かの脈が走っているのかもしれない。何百年も。住人も知らずに。


 京都の街全体が、地下で渡し場の力に貫かれている。それは少女が言っていた。「平安京は四神相応の結界都市」。生と死の境界が薄い土地。陽太たちが知っているのは表面だけだ。橋。寺。鴨川。だが地下には——目に見えない網の目がある。何百年も前から、誰かが守ってきた網の目が。


 「『代々の使命』ってやつか」


 男が呟いた。「あの京町家の住人が、何代も前から守ってきたものがあった。多分、地下の脈の何かだ」


 「クリスはそれを知っていた。だから攻撃した」


 「ああ。だが幻道もそれを知っていた。だから西陣にいた」


 二者がそれを知っていて、陽太たちだけが知らなかった。儀式の参加者として、陽太たちは情報の遅れを取っていた。凛花がいた頃なら、凛花が知っていたかもしれない。だが今は——一人と一体だけ。情報が薄い。



      *



 もう少し近づいた。


 消防の作業が続いている。警察が住民の証言を取っている。報道陣がカメラを構えている。陽太と男は、野次馬の中に紛れた。男は霊体化した。陽太一人だけ、フード付きのパーカーを深く被って、顔を隠した。


 住民の話が聞こえてきた。


 「あんなところに何があったんやろね。ただの住宅やのに」


 「いや、あの家、おかしかったで。何代も前から続いとる古い家で、地下があるとか聞いたことある」


 「地下?」


 「うん。明治の頃からあの家は地下に何かを保管してるって、近所の年寄りが言うとった」


 地下。明治から。何かを保管。


 陽太は紋に意識を集中した。あの薄い気配が、まだある。焼けた家屋の——下から。地下から。光の柱は地上の家屋を破壊したが、地下にあるものまでは届いていないのか。


 もう一人の住民が話していた。


 「うちの婆ちゃんが、あの家の主人と知り合いやったらしいんやけど。家の人、変なこと言うとったって。『この家を守るのが代々の使命や』って。何のことか分からんけど」


 代々の使命。地下に何かを保管。


 別の住民が応じた。


 「そういえば、あの家の人、何年か前にも『最近、夢見が悪い』って言うとったわ。『地下から声が聞こえるみたいで』って。気のせいやろ言うてたけど」


 地下から声。


 また別の住民。


 「うちの夫が大工やってんやけどな。あの家、絶対に地下を改装するなって、家の人が念を押しとったらしいわ。配管の修理ですら、地下には入らせんかった。何があったんやろ」


 地下に入らせない。徹底的に守っていた。何を。


 話を聞きながら、陽太は紋の薄い気配が確実に強くなっているのを感じていた。あの家の地下から漏れている。光の柱が地上の建物を破壊したことで、地下の何かを覆っていた何かも傷ついたのかもしれない。封じ込められていたものが、漏れ始めている。


 幻道のマスターも、これを知っていたのか。だから西陣にいたのか。観察していたのか、それとも別の目的で。


 陽太と男が、目を合わせた。同じことを考えていた。


 「この家、調べた方がいい」


 「ああ。だが——今は無理だな。消防と警察がいる」


 夜が更けるのを待つしかない。あるいは別の方法を考えるしかない。


 夜の西陣。サイレンと野次馬の声と、燃えた木の匂い。京都の中心に近い住宅街で、こんなことが起きている。明日の新聞に載るだろう。「原因不明の爆発」として。だが本当の原因は——儀式だった。クリスが何かを狙って攻撃した結果。



      *



 西陣の路地裏で、男と二人で身を潜めた。


 深夜になるのを待つ。消防が引き上げ、警察も帰る。立入禁止のテープだけが残る。その時に、焼けた家屋の地下を調べる。


 待っている間、陽太はスマホを見た。SNS が騒いでいた。「西陣で原因不明の爆発」「気象庁は地震を否定」「京都府が原因調査チームを派遣」「外国メディアも報道開始」。


 外国メディア。京都の異変が、海外に伝わり始めている。クリスのバチカンの本部にも、もう情報が入っているはずだ。クリスの上司——あるいは関係者——が動き出すかもしれない。


 日本国内も騒ぎ始めている。京都府知事のコメントが出ていた。「市民の皆様の安全を最優先に、徹底的に原因を究明します」。形式的な言葉。だが本気だ。京都の街が、儀式の戦場として認知され始めている。


 戦いが、見えない場所から、見える場所に出てきた。それだけではなく——日本中、世界中の目が、京都に集まり始めている。


 男が呟いた。「お前——」


 「何」


 「これからどうする」


 「あの家の地下を調べる。何がいたのか。何が狙われたのか。それを知る」


 「クリスは」


 「クリスはまだ攻めてくる。三日後と言って今日が一日目。明日と明後日も来る。だが——その前に、西陣の謎を解いておきたい。じゃないと、何のために戦ってるか分からない」


 男が頷いた。あの薄い笑み。


 「……成長したな、坊主」


 成長。一日でまた一段。あの一条戻橋で「成長したな」と言われたばかりなのに、もう次の一段を上っている。


 深夜まで、まだ時間があった。男と二人で、路地裏に座っていた。京町家の影で。京都の夜の空気の中で。

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