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Dead Line ——境界の儀  作者: 一条信輝


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27話 裁き

 クリスが嵐山に来た。


 朝の訓練が終わった直後だった。渡月橋から社務所に戻ろうとしていた。四人で。嵐山の参道を歩いていた。


 紋が脈打った。冷たさではなかった。風。あの風。森の匂い。イングランドの森。


 男が足を止めた。武蔵も。


 参道の先——竹林の入口に、二人が立っていた。白いシャツに黒のロングコート。金髪の短髪。整った姿勢。その隣に、緑のフード付きマント。弓を構えた男。


 クリス・ヴァレンティンとロビン・フッド。


 今度は向こうから来た。


 「おはようございます、瀬川さん」


 丁寧な声。穏やかな目。確信に満ちた目。前と同じだ。何も変わっていない。この男は——迷わない。一片も。


 「もう一度だけ、お願いします」


 クリスが一歩近づいた。


 「儀式から降りてください。あなたも、御影さんも。——これ以上戦い続ければ、犠牲が増えるだけです」


 凛花が歯を食いしばった。目がきつくなっている。前回は退いた。今度は——退く気はない。


 「断る」


 俺が答えた。


 「渡し場を閉じなきゃ人が消え続ける。俺たちが降りても止まらない。葛城がいる。少女がいる。——誰かが渡し場を閉じなきゃ、京都の人間がどんどん消えていく」


 クリスの目が微かに揺れた。——いや、揺れていない。光が変わっただけだ。確信は揺らいでいない。


 「あなたの仰ることは分かります。渡し場を閉じなければ人が消える。その通りです。——ですが、閉じてもまた開く。あなたは少女からそう聞いたはずです」


 知っている。俺たちが少女に会ったことを。何を聞いたかも。この男の情報網は——どこまで届いているのか。


 「閉じても開く儀式のために、また人が殺し合い、また人が消える。あなたが渡し場を閉じれば、十年後か、五十年後か、また渡し場が開いて、また七組が殺し合います。——それを止めたいのです。永遠に」


 永遠に。この男は「一回」ではなく「永遠に」を見ている。俺が見ているのは「今回の儀式」。クリスが見ているのは「全ての儀式」。スケールが違う。


 だが——永遠のために、今の全員を殺すのか。


 「……残念です」


 間。


 「なら——仕方ありません」


 ロビン・フッドの弓弦が鳴った。



      *



 矢が飛んできた。三本。同時に。


 前回は一本だった。今回は三本。堂々と。風を切る音が三重に重なる。


 男が斧を振った。一本を弾く。武蔵が二刀で二本を斬り落とす。太刀と小太刀が光の軌跡を描いて、矢を空中で叩き折った。


 だが——破片が曲がった。前回と同じ。砕けた矢の破片が空中で方向を変えて、再び俺と凛花に向かって飛んでくる。


 「伏せろ!」


 男が叫んだ。俺と凛花が地面に伏せた。破片が頭上を通過する。竹林の竹に突き刺さる。乾いた音が連続した。


 立ち上がる。また飛んでくる。ロビン・フッドが矢を番える速度が速い。一本また一本。矢が止まらない。そして砕いても破片が追ってくる。二重三重の攻撃。矢を弾いて安心した瞬間に、破片が背後から追いかけてくる。前方の矢と後方の破片。挟み撃ち。


 凛花が叫んだ。「走って! 止まったら当たる!」


 四人が竹林の中を走り始めた。矢を避けながら。弾きながら。斬りながら。


 「——悪意を持つ者を自動追尾する」


 凛花が叫んだ。走りながら。竹林の中を。矢を避けながら。息が上がっている。


 「あたしたちが『クリスを倒そう』と思ってる限り、矢は止まらない!」


 分かっている。だがどうすればいい。戦わなければ——撃たれ続ける。戦えば——矢が追ってくる。戦意を持つだけで標的になる。戦わなくても撃たれる。矛盾。八方塞がり。


 男が斧で矢を弾き続けている。だが破片が再追尾する。弾いても弾いても、破片が戻ってくる。弾く。戻る。弾く。戻る。無限ループ。消耗戦。こちらが先に疲弊する。男の腕が重くなり始めている。綱を通じて分かる。疲労が伝わってくる。


 武蔵が矢を斬り落としながら走っている。二刀が空気を裂く。だが斬った破片がまた飛んでくる。武蔵の顔に、珍しく苛立ちが浮かんでいた。斬っても斬っても終わらない。剣士にとって——斬ったものが死なないのは、屈辱に近い。


 竹林の中を走っている。矢が竹を貫通して飛んでくる。竹が裂ける音。空気を切る音。風。森の風。ロビン・フッドの風が、嵐山の竹林を吹き抜けている。竹の破片と矢の破片が空中で交差する。朝日が竹の間から差し込んで、破片がきらきらと光る。戦場なのに——美しかった。


 「考えろ——」


 走りながら考えた。心臓が跳ねている。息が上がっている。足が——まだ動く。あの夜からずっと走ってきた。走ることには慣れた。


 裁きの矢。悪意を持つ者を自動追尾。「悪意」。凛花は「戦意」と言った。だが——本当にそうか。前に退いたとき、矢は追ってこなかった。「戦意を持っていないから」。退いていたから。


 だが今、俺たちは退いていない。立ち向かっている。クリスを「敵」と見なしている。だから矢が追ってくる。


 敵と見なさなければいいのか。——いや、無理だ。撃ってきている相手を「敵じゃない」と思えるわけがない。


 だが——「悪意」と「戦意」は違う。


 ロビン・フッドは「義賊」だ。悪人を裁く弓手。追尾するのは「悪意」——他者を害しようとする意図。「倒そう」「殺そう」「排除しよう」。それが悪意。


 だが「守ろう」は悪意ではない。「自分を守るために戦う」のは——害意ではない。防衛。防衛は悪ではない。


 ロビン・フッドは義賊だ。シャーウッドの森の義賊。権力者から奪い、貧者に分け与えた男。——義賊は悪人を射る。善人は射たない。ロビン・フッドの矢は「悪意」を追う。「善意」は追わない。


 なら——善意で戦えばいい。守るために。害する意図なく。排除する意図なく。ただ、自分たちの命を、仲間の命を、守るために。


 「——凛花!」


 走りながら叫んだ。


 「クリスを倒そうと思うな! 守ることだけ考えろ! 自分を守る! 仲間を守る! ——それだけ考えろ!」


 凛花が俺を見た。走りながら。髪が風で乱れている。目が鋭い。


 「何を——」


 「悪意を持たなければ追ってこない! 悪意ってのは『害しようとする意図』だ! 守るために戦うなら——悪意じゃない! 義賊の矢は善人を射たない!」


 凛花の目が変わった。理解した。


 「——武蔵! クリスを狙うな! 矢だけを斬れ! 防御だけ!」


 武蔵が頷いた。刀の構えが変わった。攻撃の構えから——防御の構えに。二刀を体の前に構える。守りの姿勢。


 俺が男に叫んだ。「不退橋! 正面だけ守れ! 攻撃するな!」


 男が斧を構え直した。不退橋。正面からの攻撃を絶対防御。——攻撃ではなく、防御。守るための力。


 矢が飛んできた。


 男が弾いた。不退橋で。武蔵が斬り落とした。二天一流で。


 破片が——曲がらなかった。


 砕けた矢の破片が、地面に落ちた。追尾しない。再追尾しない。


 「……効いてる」


 凛花が呟いた。


 効いている。悪意を持たずに戦う。守るためだけに動く。クリスを倒そうとしない。ロビン・フッドを排除しようとしない。ただ——自分たちを守る。それだけを考える。


 矢が追ってこなくなった。弾けば落ちる。斬れば散る。再追尾しない。ロビン・フッドの裁きの矢は——悪意のない者を追わない。義賊の矢は、善人を射たない。


 四人が防御に徹した。男が正面の矢を不退橋で弾く。武蔵が側面の矢を二刀で斬り落とす。俺が方向を叫ぶ。凛花が武蔵に指示を出す。——あの境界石の結界と同じ形。だが今回は、矢が追ってこない。防御だけでいい。攻撃しなくていい。


 守る。ただ守る。それだけで——凌げる。


 だが凌げるだけだ。矢は止まらない。ロビン・フッドは次々に矢を放つ。防御し続ける限り死なないが、攻撃もできない。クリスに近づけない。近づこうとした瞬間——「倒そう」という意図が生まれる。悪意が生まれる。矢が追い始める。


 膠着。守れるが、攻められない。



      *



 矢が止んだ。


 クリスが手を上げた。ロビン・フッドが弓を降ろした。


 竹林の中。折れた竹が散らばっている。矢の破片が地面に刺さっている。だが——誰も傷を負っていない。防御だけで凌ぎ切った。


 クリスが歩いてきた。穏やかな顔。だが——目の奥に、何か新しいものがあった。驚き。微かな驚き。


 「……悪意を捨てて戦う。——なるほど。そういう方法がありましたか」


 感心している。本気で。この男は——敵の工夫を、素直に認める。


 「ですが——それは防御しかできないということです。あなたたちは私を倒せない。私に悪意を向けた瞬間に、矢が追う。——永遠に膠着しますよ」


 正論だった。防御はできるようになった。だが攻撃できない。クリスを「倒そう」と思った瞬間に、矢が戻ってくる。


 クリスが背を向けた。


 「今日はここまでにしましょう。——次は、本気で来ます。防御だけでは凌げないほどの矢を持って」


 歩いていく。ロビン・フッドが後ろに続く。竹林の向こうに消えていく。


 去り際に振り返った。


 「God bless you。——あなたたちの善意が、最後まで続くことを祈っています」


 祈りながら去っていった。



      *



 竹林の中。四人が立っている。折れた竹の間で。朝日が竹の切り口を照らしている。樹液が光っている。


 「……対処法は見つかったわね」


 凛花が言った。息が上がっている。額に汗。だが目に安堵はなかった。


 「でも攻撃できない。クリスを倒すには——悪意を持たずに倒す方法が要る。矛盾よね。倒そうとした瞬間に、それは悪意になる」


 矛盾。悪意なく敵を倒す。守りながら攻める。——そんなことが可能なのか。ハサンは「見えない」を綱の冷たさで突破した。境界石は力技で壊した。だがロビン・フッドの矢は——「心」を標的にしている。技術や力では突破できない。心の問題だ。


 男が斧を肩に担いだ。いつもの姿勢。


 「まあ——なんとかなるだろ」


 軽い声。だが目は真剣だった。この男の「なんとかなる」は——いつも根拠がない。だが外れたことがない。


 凛花が呟いた。腕を組んで。竹林の向こう——クリスが去った方角を見ながら。


 「あの男は——たぶん、一番厄介よ。善意で戦える人間は、迷わないから」


 迷わない。クリスは迷わない。正しいと信じているから。善意で動いているから。迷いがない敵は——隙がない。


 堂島は迷いがあった。娘への執着が判断を歪めていた。だからハサンの指示を誤り、最後は覚醒した男に敗れた。葛城は虚無がある。義務で動く男には情熱がない。アレクサンドロスに「退屈だ」と言われるほどの虚無。


 クリスには——どちらもない。迷いもない。虚無もない。善意と確信だけがある。揺るがない。折れない。——だからこそ、この男を止められるかどうかが、第三部の鍵になる。


 だが——今は葛城が先だ。葛城を倒す。それが、今の最優先。クリスとの本格対決は、その後だ。


 凛花が振り返った。俺を見た。


 「クリスは後よ。——まず、葛城」


 頷いた。まず葛城。盾と剣で。


 手の甲の紋が脈打っていた。温かくも冷たくもない。ただ——速い。戦いが近づいている。

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