第2話 後編
やっと週末がやってきた。今週は本当に長かった……。ここ何年分かの面倒事が一気にやってきたみたいだった。
でも、週末は奴らと会うこともないだろう。思う存分、家でゆっくりするぜ!
「奏音、奏音いないのかい!」
母が俺を探しているみたいだ。嫌な予感しかしない。今のうちに見つからないように外に逃げよう!
「奏音! ここにいたのかい。呼んでるんだから返事しなさい!」
どうして見つかったのだ。声がした方と別の方に逃げていたのに。
「暇なら買い物に行ってきな!」
折角手に入れた安息日を、母のお使いに使うなど嫌だった。
「それがさ、今から勉強しようと思って」
学生の本分は勉強だからねと、付け加えておく。
「あんたが勉強? 笑わせないでおくれよ。あんたが家で勉強なんてするはずがないことは私が一番知ってるよ」
ひどっ! そんなに自分の息子が勉強をしないことを、自信満々に言わなくてもいいのではないか! 俺だってときどき、たまに、稀に勉強するときもあるはずだと思わなくもないこともないんだけど……。
「ほら、ここに買うものは全部書いてあるから買ってきな!」
近くのスーパーの広告に何個かマーカーで○がつけてある。えっと……、広告しかくれないの?
「金がないと買えないだろ!」
「あら、お金が欲しかったのかい。それならもっと早く言いなさい。ったく、面倒だね!」
まるでいつもは渡してないのにみたいに言うなよ! 忘れてただけだろ!
それで、俺は何を買ってくればいいんだ? えっと、千葉産大根Lサイズ一本98円! メキシコ産かぼちゃ1/4カット148円! 大分産ピーマン200g98円! 山梨県・他国内産ナス2本88円! 国産若鳥手羽120g98円! お一人様一つ限りか。
これで何を作るんだろう?
って、これタイムセールじゃん! あそこのスーパーのタイムセールはおばちゃん達が怖いから嫌なんだよ。やべっ、後十分で始まるし!
「母さん、金まだ?」
「うるさいわね! もっと早く言わないあんたが悪いんでしょ!」
そんな馬鹿な話があってたまるか。
「ほら、お金だよ。早く行ってきな!」
そう言って渡されたのは五百円硬貨一枚。果してこれで足りるだろうか? いや、足りない! 足りるわけないだろ――!
でも、もう金をもらってる時間なんてない! もらおうとしたところでまたグタグタ言われるだけだ。
残りはもう八分! 残された時間は少ない。スーパーまで信号に止まらなければ自転車で六分といったところ。信号に止まってしまったら、完全にOUTだ。
俺は全力で自転車のペダルを踏み込む。普段運動不足の足が悲鳴をあげているが、それを聞き入れている暇はない。脳に酸素が回らない。少しでも多く酸素を取り込もうと、肺が大きく膨らむ。
カーブギリギリまでペダルを回し、直前でブレーキをありったけの力で握りハンドルを曲げる。そしてまた直ぐにペダルに力を込めるのだ。
車も抜いてやるぜ!
そして、やっとのことで辿り着いた。額に汗を浮かべ、肩を上下に大きく揺らして店の中に入る。
既に店の中では、おばちゃん達が鬼のような形相で争い合っている。俺がいくら頑張っても、残念ながら間にあわなかったのだ。
「うぉりゃー!」
頑張っておばさん達の中に手を伸ばす。
まずは大根! あともう少し。そこだぁ!
その瞬間、横からやってきた手に俺の狙っていた大根はいとも簡単に持っていかれた。
ならば、次はかぼちゃだぁー!
しかし、またあともう少しというところで取られてしまう。
今度こそは……。
最終的に俺は母に頼まれたものを一つも取れなかった。
すべては俺が取ろうとしているものを、わざわざ奪っていく男のせいだ!
そいつは身長が高く、世間一般ではイケメンと言われる部類の顔をしていた。年齢的には俺と同じくらい。
文句の一つくらい言ってやろうと思ったが、タイムセールが終わった時には見当たらなかった。
「はぁー、絶対に怒られるなぁ」
店の外に出ると、例の男がおばちゃん達に囲まれている。
「流石、イケメン。おばちゃんにも人気あんのかよ」
何をやっているのかと見てみると、奴ときたらさっきのタイムセールの品をおばちゃん達に配っているじゃないか!
「てめぇ、いらないなら俺によこせや!」
「嫌だね!」
それだけいうとやつはまたおばちゃん達と楽しそうに話し始める。
なんなんだよ、こいつは!
何も買えずに家に戻ってきた俺に対して、母親は全く怒りもしなかった。
それどころか、
「多分買えないと思ってたよ」
とまで言う始末。じゃあ、買いに行かせるな!
「そうそう、使わなかった千円そこにおいておきな!」
「っちょ! 五百円しかもらってないんですけど!」
「そうだったかい? じゃあ、千円おいてきな!」
人の話聞け! ってか、それはカツアゲですか? 息子からカツアゲしますか?
俺は何も言わずに五百円を置いてその場を離脱した。
はぁー、もう疲れた。
おばちゃん達はいつもあんな戦いをしてるのか! 男にはとても無理だな。
せっかくの休日だったのに休めなかったし……。
「もういいや。寝よ」
プルルルル、プルルルル。
このタイミングで電話が鳴った。周だったら無視しよう。
携帯の液晶を見てみると、見覚えのない番号だ。
間違い電話か何かだろう。放っておけば勝手に切れるだろう。
プルルルル、プルルルル。
そのうち、切れるはずだ。
プルルルル、プルルルル!
もう少し待てば……。
プルルルル、プルルルル!
だぁー! うるさいな、早く切れ!
「はい、もしもし! どちら様で? 間違い電話だったら怒るよ!」
「え~と。君はあれだろ? 私がわかるか?」
分かるはずがない。それに、人をあれ呼ばわりとは、まともな奴ではないはずだ。
「誰だよ! オレオレ詐欺か? あぁー?」
「お前は~ゆ、ゆゆっ、悠木……、かかかっ、奏音だよな?」
オレオレ詐欺ではないようだ。
「そうだが、お前は誰だよ!」
「わ、私はマキだ」
マキって言うと、昨日のおもいっきり勘違いした女の名前だったはずだ。
しかし、こんな挙動不審な奴ではなかったはずだが?
「何の用だ?」
「あ、明日、午前十時に駅前の噴水のところに居ろ」
どうせ、面倒ごとだ。こういうのは相手にしないに限る。
「明日は用事があるんだ」
「何の用があるんだ?」
「家でゆっくりしていようかと……」
「チッ!」
大きな音で舌打ちが聞こえた。まるで、耳元で舌打ちされているようだ。
「聞いた私が馬鹿だった。明日は遅れたら容赦しないからな!」
プー、プー、プー……。
切れたよ! いつも通り強制ですか?
だが、こんな一方的な話を聞く必要もないだろう。
深い眠りの中にいた俺は突然現実世界に呼び戻された。
「グボッ!」
腹が痛い。変な声を出してしまった。思いっきり殴られたみたいだ。
いつもならこんなことはない。俺の家族は俺が寝坊していても誰も起こそうとしないからだ。
完全に覚醒していない意識の俺は目を開けることで、覚醒できると思っていた。
目を開けるとそこに待っていたのは、朝のまぶしい日差しと俺の腹を踏みつけているマキの姿が……。
ああ、まだ俺は夢の中にいるんだ。昨日こいつから電話があったから気になっていて、夢にまで出てきたんだな。
まだ、夢を見ているのならいっそのこと今からもう一度寝てしまおう。夢の中で寝るなんてなかなかできる体験じゃないしな。
先ほどの衝撃も和らぎ睡魔が俺を迎えに来た。まぶたが次第に閉じて行く。さよなら、夢の中のマキよ。
「寝るなぁー!」
「ぐはっ!」
俺は再び現実世界に引き戻された。腹の上にあった足がまた振り下ろされたらしい。
俺だって、これが夢じゃないことぐらいわかってるさ! でも、でもだな。寝ざめてすぐにこんな風景が広がっていたら、現実逃避の一つくらいしたくもなる。
「早く起きろ!」
俺は包まっていた布団をはぎ取られ、ベットから突き落とされた。
いくらなんでもひどすぎませんか?
「約束は十時からだろう? まだ六時じゃないか!」
約束の駅前の噴水までは、俺の家から歩いて十五分ほどのところにある。九時に起きたって間に合うだろう。
行く気はなかったが……。
「男なら早く行って待っているのが、当り前だろう?」
俺だってその通りだと思うが、それだって限度がある。
「俺に何時間待てと? てか、なんでお前俺の部屋にいるんだよ!」
「お前の母親に入れてもらった。お前を起こしてくれと頼まれたんだ」
何、勝手なことしてるんだよ! 俺の知り合いが来たなら、まず俺を起こしに来るのが普通じゃないか?
「さぁ、早くしろ! 出かけるぞ!」
マキは俺の準備を無理やり進めていく。服のコーディネートから、髪型のセットまで。
朝食も、マキが作ってくれたらしい。俺の母はいつも朝食を食パンで済ませさせるから、マキが作ってくれた豪華な朝食は新鮮だった。
「お前、料理うまいな。流石、紅葉のお付きだ」
「当たり前だろう。こんなことができなかったら、お嬢様のお付きにさせてもらえるはずがない」
マキは俺の言葉に対して、全く表情を変えずに答えた。
ここで少し恥じらいを見せながら、喜んでくれでもしたら、もう少し可愛げがあるのだが、どうせ、こいつに言っても無駄だろう。
「ゆっくり食べている時間はないぞ。早く食べてしまえ」
俺の思いも届かず、急かしてくる。
仕方なしに早く食べ終えると、そのまま待ち合わせの場所に連れていかれた。
結局、俺は十時まで三時間待たされた。だが、まだ来ない。
誰がって思うだろ? もう、マキはいるんだから。
「誰か一緒に行くのか?」
「はぁ? 何を言っている? 昨日言っただろ?」
絶対、言っていない。あれだけ慌てていたのだから、大事なことを言い忘れたのだろう。
「聞いてねぇよ!」
「そうだったか?」
マキは悪びれる様子もなく、淡々と言う。
「今日はお嬢様とのデートだ」
「はぁー!」
なんで勝手にデートなんか仕組んでんだよ! 今日は一日あのわがままお嬢様と一緒なのか?
せっかくの日曜日だというのに早朝から叩き起こされて、お嬢様の面倒をみて……。全く休めもしないんだな。
「もう十時じゃないか!」
既に約束の時間は過ぎている。仮にもお嬢様というのなら、それぐらいの礼義を守ってほしい。
「お嬢様は多忙なんだ。我慢しろ!」
「はいはい」
仕方がない。まあ、俺も寛大な男だ。ちょっとくらい遅れたって赦してやろう。
それから一時間後。十一時を回った。無言で立っている俺たち二人を、通り過ぎていく人々が不審がっているように見える。
「さすがに遅いなぁ。私は様子を見てくるからお前はここで待っていろ!」
そう言い残して、マキは人混みの中に消えていった。
そして、現在の時刻は午後八時。おもいっきり待ちぼうけを喰らった。
空からはポツリポツリと雨粒が降ってきた。ここいてはびしょ濡れになってしまうので、この噴水が見える店の軒先に避難した。
いつまで待たせるんだ! こうなったらとことん待ってやるぜ!
さて、今日は月曜日。新しい一週間の始まりだ。
でも俺は今ベットの中で寝ている。別にまだ早朝だからというオチはない。
昨日待ちぼうけを喰らった俺は風邪をひき寝込んでしまった。定番だな……。
軟弱な奴とか言われても仕方がないのかもしれないが、十二時間以上待った俺の忍耐力は評価に値すると自負している。
しかしながら、土日に体を休めることができなかったから、ちょうどいいと言えばいいのかもしれない。
退屈で仕方がないが……。
今、家にいるのは俺一人だ。母親は買い物がてら近所のおばさんと世間話を少々。あと三時間は帰ってこないだろう。
昼飯は米はあるからお粥でも作れとのこと。俺、病人なんですけど? 少しくらい気を使ってくださってもよろしいのではないでしょうか?
まあ、自分で飯を作るのは面倒くさいので作らない方向で。別に作れないわけじゃないですよ?
ピーポーン!
玄関の呼び鈴が鳴った。
こんなときに、誰だ! 母親はいないし、俺が出るしかないではないか。
がちゃ!
聞き間違えでなければ、玄関のドアが開いた音がした。母は玄関に鍵を掛けていかなかったらしい。
母なら呼び鈴は鳴らさないし……。
泥棒ですか?
やべぇ、足音が俺の部屋に一直線で向かってくる。
これはもう、中学の修学旅行で買った木刀で応戦するしかないな!
そして、扉が開く。今だ――!
「おりゃー!」
「きゃあ!」
泥棒は驚き尻もちをつき、高い声で短い悲鳴を上げる。
随分かわいい声を出す泥棒だ。
泥棒に視線を向けると、そこにいたのは頭を抱え震えている瑞希だった。
「何勝手に入ってきてんだよ! 泥棒かと思ったぞ」
「だって、奏音ちゃんが心配だったから……」
「それでも、人の家に勝手に上がっていい理由にならないだろ」
そういえば、こいつは昔から気になっていることがあると、後先考えずに一直線に突き進む奴だったな。
「お昼は食べたの?」
「食べてねぇ」
「おばさん作ってくれなかったの?」
こいつ、まだ俺の母の性格を理解していないらしい。俺と知り合って十何年にもなるのに。俺の家にもかなり来てたのにな。
「外で世間話してるよ」
「そうなんだ、じゃあ私が作ってあげるよ!」
「悪いな」
瑞希の提案を素直に受け入れる。
瑞希の料理は母のよりも断然おいしいから、素直にうれしい。まあ、こんなこと言ったら飯を作ってもらえなくなるから言わないが……。母様、いつも食事を作ってくださっていること感謝していますよ!
「はい、できたよ」
俺が心の中で母親の機嫌を取っていた間に飯はできていた。機嫌を取るのには結構時間がかかるらしい。
「玉子粥だよ」
「ありがとう。うん! うまいな」
ツルルルルルル!
今度は電話が鳴り始めた。
「私が出てくる!」
そう言うと瑞希は食卓の横に置いてある電話の受話器を上げた。
「もしもし、悠木ですが……。はい、はい。……はい、……はい」
ある程度話していたかと思うと、受話器を俺の方へ突き出してきた。
「奏音ちゃん、池宮城さんだよ!」
瑞希がなぜか不機嫌に見えた。受話器を受け取る俺に、鋭い視線を向けてくる。
「はい、代わりました。奏音です」
「紅葉です。昨日は申し訳ありませんでしたわ。私を待っていて、風邪をひいたんでしょ?」
受話器から聞こえてきた紅葉の声はおしとやかなものだった。とても学園で会った人と同一人物とは思えない。
「確かにそうだが……。いや、そんなことはないぞ!」
「そう」
紅葉は明らかに納得していない様子。俺が『確かにそうだ』とか言ってしまったんだから当然か。失言だな。
「それで、昨日のお詫びに風邪が良くなったら、埋め合わせをさせていただきたいのですが?」
「気にしなくてもいいぞ?」
俺も強制的につくらされた約束だ。紅葉の方だって似たようなものだったのかもしれない。
「私がしたいんです。させてください!」
「……わかった。いいよ」
紅葉の気迫に押されてついOKを出してしまった。ところで、紅葉がしたいのは埋め合わせなのか? 俺とのデートなのか? 気になる所だ。
考えるまでもない。前者に決まっている。
「それでは、また決まり次第連絡しますわ」
俺が受話器を下ろすと頬を膨らました瑞希の姿が目に入ってきた。まるで幼稚園児の様だ。この電話の間に、幼児退行でもしてしまったのか?
「昨日、池宮城さんとのデートの予定だったんだってね?」
「まあ、そうだったな」
別に隠すような事でもないだろう。
「私が心配してきてあげたのに……。ばっかみたい! 奏音ちゃんは池宮城さんに看病してもらえばいいんだよ! ふん」
瑞希は扉を思いっきり閉めると、そのまま帰っていった。
急にどうしたんだ?




