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第6話 侵入者(1)

 教会の中にある庭園。青々とした木々は丁寧に手入れされており、庭の中央の噴水は勢いよく水を噴き上げている。色とりどりの花々が華やかに並んでいてまるで楽園にいるかのような印象を与える美しい庭園。ナシルは手にハサミとじょうろを持ち、庭の手入れをしながら歩き回っている。


「うあ、腰痛い」


 ナシルは背筋をぐっと伸ばしてうめき声を漏らした。水やりや細い枝を切るためには長時間腰をかがめていなければならないため、腰の痛みは激しかった。


「ふぅ、広いね」


 ナシルはため息をつきながらまだ手入れされなていない区画に視線を向けた。広く広がる花畑を見渡すt、ナシルは目の前が真っ暗になった。まだ半分も終わっていないのに、いったいいつになれば手入れが終わるのか見当もつかなかった。


「でも一人じゃなくてよかった」


 以前、パウルにフォルスの護衛任務を自分に譲ってほしいと頼んだことが大神官の耳にまで入ってしまい、罰を受けることになった。その際パウルは一週間一人で庭の手入れを行うように命じたが、さすがにそれはひどすぎると思った大神官によって五日に短縮され、さらに一人じゃなく庭の手入れ担当者と一緒に作業するという罰になった。これはペテールの気遣い、いや、気遣いというよりもえこひいきに近いものだった。


「フォルスサボらないで。早く手を動かしなさい」


 反対側の区画からアビガがゆっくりと歩いてきて、腰を伸ばして休んでいるナシルを叱った。


「わかった」


 ナシルは再び草むらの前にしゃがみ込み、細い枝を切り始めた。アビガは庭の手入れ担当の一人である。アビガの他に五人いるが、それぞれ別の区画を手入れしているため、ここにはいなかった。アビガはナシルと割と近い区画を担当していたため、時々ナシルの調子を見にきてくれた。


「ここをもっと切らないと」

「どこ」

「ここ」


 アビガはナシルの横にしゃがみ込んでナシルが切り損ねた細い枝を代わりに切ってくれた。


「もっときちんとやって。じゃないと二度手間になるから」

「わかった」

「あと、花は切っちゃダメ。わかってるよね?」

「わかってる」


 ナシルは庭の手入れが初めてで慣れていなかった。これはペテールのえこひいきというよりは、担当の仕事が違っていた。教会の庭を管理する担当がいれば、教会の礼拝堂や施設を管理する担当もいる。そしてナシルは教会の礼拝堂の掃除担当で、庭の手入れのような別の仕事をする機会はなかった。


「ところでナシルはどうして庭の手入れの罰を受けることになったの」

「パウル神官様に無礼なことを言っちゃって」

「えっ? あんたが? ジュダじゃなくナシルあんたが?」


 アビガは信じられないといった様子で何度も問い返した。ナシルは細い枝を切りながら頷いた。


「どうして? まさかあのフォルス? あの少女が原因なの?」

「恥ずかしいけど、うん。護衛役をやりたいから、僕に譲ってくださいと言ったんだ」

「はあ?!」


 アビガは驚いてバネが跳ね上がるように勢いよく立ち上がった。


「あ、あの任務は大神官様が直接授かった任務じゃん。なんでそんなことしたの」

「そうだね。あの時僕ちょっとどうかしてたみたい」


 普段のナシルなら決してそんな行動は取らなかったはずだ。たとえそうするとしても、もっと礼儀正しく丁寧に頼んでいたはずだ。しかしその時のナシルには、礼儀をわきまえる余裕がなかった。一週間にも満たない限られた時間と、このままではフォルスの護衛役を奪われてしまってもう会えないという焦りが、ナシルの冷静さを失わせ、判断を鈍らせていた。


「もーバカだね。そんなにフォルスって人が好きなの?」

「うん」


 ナシルは何の迷いもなく即答した。たとえ出会ってまだ三日しか経っていなかったとしても、フォルスのことが好きだという気持ちは確かだった。


「ジュダなら頷けるけど、あんたがそんなことするとは・・・ショックだよ」


 アビガは頭を押さえながら顔をしかめた。


「アビガちょっとこっち手伝ってくれる?」

「はい。今行きます」


 反対側の区画から神官の手伝いを求める声に、アビガは大声で答えた。


「わたし行ってくるからちゃんとやってね。わたしが戻るまでせめてここは終わらせてよ」

「頑張ってみる」


 ナシルの答えを聞いてアビガは駆け足で助けを求めた神官のところへ向かった。一人になったナシルはしゃがみ込んで細い枝を切った。


「あれ、ナシル神官様?」


 聞き慣れた声に、ナシルは思わず振り向いた。声の主を目にしたナシルは目が丸くなった。あれほど会いたがっていたフォルスが今ナシルの目の前に立っている。


「やっぱり。ナシル神官様ですよね。おはようございます」

「・・・・・・」


 フォルスが腰をかがめてナシルと目線を合わせて挨拶した。ナシルは想像もしていなかった突然の再会に、挨拶どころか固まったまま、ぼんやりと彼女を見つめていた。


「え、まさかわたしのこと忘れたんですか? わたしでしょ。フォルス」

「い、いえ、ちゃんと覚えています」


 それもはっきりと頭に刻み込まれている。


「少し驚いて、すみません」

「そういうことですね。よかった。わたしのこと完全に忘れてしまったのかと思いました」

「そんなことは絶対ありません」


 フォルスを忘れることなんて、ナシルに不可能なことであった。


「僕がフォルス様を忘れることなど絶対ありませんから、心配しないでください」

「フフッ、そう言ってもらえて嬉しいですね。ところで今は何しているんですか」

「庭の手入れをしていました」


 ナシルは手のハサミとじょうろを見せた。


「こんなに広い庭を一人でですか」

「いいえ、他の人たちも一緒にやっています。僕に割り当てられた区画がここなので、一人でやっているように見えるだけなんです」


 ナシルは別の区画を示した。ここでは見えないが、そこには庭の手入れ担当たちが細い枝を切り花の水やりをして管理していた。


「へぇそうなんですね。誰がこんなに広い庭を綺麗に管理するのか気になっていましたけど、神官様たちがやってるんですね。すごいです」


 フォルスは親指を立てながら言った。その尊敬の眼差しにナシルは頭を掻いて照れくさそうに微笑んだ。実は今日は初日だと言わないといけないのに、フォルスの褒め言葉が嬉しすぎて結局最後まで言えなかった。


「うわ、この花きれい。この花なんと言うんですか」


 フォルスがナシルの隣に一緒にしゃがみ込んで尋ねた。


「薔薇だと思います」

「それはわたしも知ってます。薔薇の横の白い花のことですよ」

「あ、それはかすみそうです。多分」

「かすみそうですね。赤と白の組み合わせがきれいですね」


 フォルスは花をじっと眺めて言った。ナシルはフォルスの横顔をじっと見つめた。


 かわいい。いつ見てもかわいい。

 フォルスを見つめるだけで幸せで、このまま時が止まればいいとナシルは心の中で思った。しばらくじっとフォルスを見つめている中、いきなりフォルスが立ち上がった。


「花を見たら他のところも回りたくなりました」


 もうここを去るってことだな。

 ナイルは少し残念な気持ちになった。もう少し一緒にいてくれたらいいのに、もう少し傍にいてほしい、と思いながらも口に出すことはできなかった。

 ナシルはおもむろに立ち上がり、フォルスに向かって言った。


「そうですか。あっちの庭も綺麗で有名ですので、あっちに行ってみるのをお勧めします」

「へぇそうなんですか。でも、どこなのかわかりません」

「あっちです。あっち」


 ナシルはもう一度指さして教えた。しかしフォルスはまだわからないといった顔をしていた。


「よくわかりません。実はわたし方向音痴なので・・・あ! いいこと思いついた」


 急にフォルスは手を打った。


「ナシル神官様が案内してください。わたしここにくるのは初めてだから、よくわからないんです。あと一人で回って道に迷ったら困りますし。ですから、ナシル神官様が案内してください」


 フォルスはナシルに向かって手を差し出した。ナシルはその手をじっと見下ろした。


「僕はまだやることがいっぱい残ってるんですが」

「そんなこと言わずに、今日だけサボってわたしとお花見しましょう。わたしが道に迷わないように手伝ってください」


 フォルスは甘い声に、ナシルの頭の中では自分に任された庭の手入れを終わらせなければならないという責任感と、フォルスと一緒にいたいという自分勝手な感情が激しくぶつかり合っていた。どちらが勝つのかまったくわからないこの状況の中、一つの考えがその均衡を覆してしまった。


 助けを求める人を見ぬふりするわけにはいかないから。

 聖書でもそのように語られており、道徳的にも助けを求める人を助けることが正しいとされている。

 ナシルは顔を上げてフォルスの目を見つめて答えた。


「わかりました。僕でよければ案内してあげます」

「わい、ありがとうございます〜」


 明るく笑って答えるフォルス。その笑顔を見て、ナシルは心の中に残っていたわずかな罪悪感が完全に消えていくのを感じた。


「それでは、まずあっちへ行きましょうか。あっちは色とりどりの花がいっぱいで綺麗ですよ。多くの方があれを見に訪れる場所なんです」

「それは楽しみですね。早く行きましょう」


 フォルスは明るく答えた。ナシルは先に立って道案内をした。ナシルは全力を尽くしてフォルスに教会の庭を見せてあげた。教会内で美しいと評判の場所を全て彼女に見せてあげたかった。


「うわ、ひまわりがたくさんあります」


 最初に向かったところは、ひまわりがびっしりと咲き誇る美しい場所だった。ナシルがここに最初に連れてきたのは、日が沈む前に見るのが一番美しい場所だったからだ。

 そのあともナシルはフォルスを連れて、いくつもの花畑へと案内した。色とりどりのチューリップが美しく広がる庭園。ピンクのススキが一面に咲き、まるで夢の中にいるかのような感覚を与える庭など、教会内でも特に美しいとされる庭園を次々と見せて回った。


「あれ、あれはナシルだけど。あいつ何してるんだ」


 ナシルがフォルスに庭を案内している途中、偶然アビガのいるところを通りかかった。


「一緒にいる人は誰?」


 アビガはナシルの隣を歩いている少女を見て首を傾げた。


「アビガここはもう終わりです。手伝ってくれてありがとう」

「いえいえ、わたしは他のところを手伝います」


 アビガはナシルが向かっていく方向を指差して立ち上がった。そして足音を殺しながらナシルの後をこっそりついていった。


 ナシルとフォルスが庭を歩き回っているうちに、いつの間にか日が沈み始め、世界が赤く染まっていた。


「うわ綺麗ぃ。ナシル神官様ここの花すごく綺麗ですよ」


 花畑の中に立つフォルスは、子供のような明るい笑顔で花を見つめていた。その姿をナシルはぼんやりとしたままうっとりと見つめていた。


 まるで絵みたい。あの笑顔すごく綺麗ぃ。

 夕焼けに染まった空はオレンジ色に輝き、色とりどりの花々の間に立って子供みたいにはしゃいでいるフォルスの姿はまるで一幅の絵のようだった。

 このまま時間が止まってほしい。あの人があんな顔で笑うのずっと見たい。

 フォルスの笑顔を見ると、ナシルも幸せな気持ちになるようだった。彼女と一緒にいる時間がとても幸せで大切で今日のこの風景を死ぬまで忘れず目に焼き付けておこうとナシルは思った。


「ナシル神官様もこっちに来て一緒に見ましょうよ。早く」

「はい。すぐ行きます」


 ナシルは微笑んで彼女へゆっくり歩み寄った。明るく笑って自分を手招きするフォルスの姿があまりにも美しくて、あまりにも愛らしくて、愛しくて、ナシルは一瞬たりとも彼女から目を離すことができなかった。瞬きすることさえ惜しいと思うほどだった。

 ナシルが一歩一歩ゆっくりとフォルスへ近づいていく中、フォルスの背後に黒い影が一つ、ナシルの視界に入った。正体のわからないその影は、懐から何かを取り出した。その物体に太陽の光が照り返し、ナシルの目を射ると、ナシルは咄嗟に顔をしかめ、目を閉じた。


「きゃああああああああ!」


 そしてその瞬間、フォルスの悲鳴がナシルの耳をつんざいた。

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