第7話 侵入者(2)
フォルスの鋭い悲鳴に、ナシルはすぐ目を開けてフォルスに視線を移した。フォルスは地面に倒れ込んでいて、彼女の前には顔まで黒い布で覆った男が右手に短剣を持って立っている。
フォルスのブルブルと震えながら、黒い男を見上げた。フォルスの瞳は恐怖で満ちていた。それもそのはず、ついさっきまであの短剣によって殺されかけていたのだ。もしフォルスが体をひねって避けなかったら、あの短剣に斬られて真っ二つになるはずだ。危険を感じて反射的に攻撃を避けたが、バランスを崩して転んでしまった。攻撃は避けたが、不幸にも黒い男の攻撃はそれで終わりではな。黒い男はフォルスの頭をめがけて短剣を振るった。そして足の力が抜けたフォルスに短剣を避ける方法などなかった。ただ無力に自分の頭めがけて凄まじい速さで迫り来る短剣を見つめることしかできなかった。やがて短剣とフォルスの距離が拳ひとつ分ほどまで縮まった瞬間、ナシルは手を伸ばして叫んだ。
「ダメェ!」
ナシルの喉の張り裂けんばかりの叫びと共に、凄まじい風が吹きつけ黒い男子を吹き飛ばした。そのため黒い男は短剣を取り落としてしまい、フォルスへと向かっていた短剣は主を失い、力なく風に飛ばされ地面に落ちた。突然の出来事に黒い男が動揺している隙を突き、ナシルはフォルスのもとへ駆け寄り、彼女を支えながら容体を確かめた。
「大丈夫ですか」
「はい・・・大丈夫です」
フォルスの声がかすかに震えていた。声だけではなかった。手と肩もかすかに震えていることが、ナシルの手を通して伝わってきた。
「フォルス様顔に傷が」
ナシルはフォルスの真っ白な頬に赤い線が一本走っていることに気づいた。
「さっきちょっと掠ったみたいです。これくらい大丈夫です」
フォルスは大丈夫だって気にしてない様子だったが、ナシルは違った。
僕が油断したせいで。もっと気を張っていれば、こんなことにいはならなかった。少しでも周囲に目を配っていれば、たとえ一秒でも早くあの男の気配に気づいていれば、こんなことにはならなかった。
と自分を責めているナシルの耳にカサっと草を踏む音が聞こえた。振り向くと、黒い男が淡々と立っている。ナシルは立ち上がってフォルスの前に立った。
「ここは教会です。これ以上勝手なことは許せません」
「・・・・・・」
ナシルの警告にも、黒い男は何の反応も示さなかった。ただ立ち尽くしたままナシルを見つめているだけだった。
なんのつもりだ。
ナシルは黒い男を足元から頭の先までじっくりと見渡した。全身が黒い布で覆われていたが、腕の太さや骨格からよく鍛え上げられた体であるこだと見て取れた。そしていつ拾ったのか、彼の右手にはさっき取り落としたはずの短剣が握られていた。
どこから教会に侵入したのか。どうしてフォルスを狙って攻撃したのか。気になることは一つや二つではなかった。しかしそういうことよりナシルは今すごく腹を立てていた。本気でフォルスを殺そうとしたあの男を今にもぶん殴ってやりたかった。しかしナシルは神官である。個人的な感情で人に暴力を振るうのは控えるべきだ。だからこそ、できる限り自分の怒りを抑え込みながら、ナシルは黒い男に言った。
「大人しく教会へついてきーー」
ナシルの言葉が終わるより早く、黒い男が凄まじい勢いで襲いかかってきた。あっという間にナシルのすぐ前まで距離を縮まった黒い男は短剣を振り上げてナシルを真っ二つにしようとした。ナシルは短剣が振り下ろされる前に軽く後ろへ跳び、距離を取った。同時にナシルの手のひらに緑の光が宿り、魔法陣が浮かび上がった。すると、地面から蔦が伸びて黒い男の手首を拘束した。黒い男は頭上に短剣を振り上げたまま拘束された。
普段から大神官様と魔法の手合わせをしておいて良かった。それがなかったらおそらく動揺してあの短剣に斬られてただろう。
大神官との手合わせのおかげで、実戦は初めてだけど冷静にいられた。ナシルは心の中で大神官に感謝した。
このまま教会まで連れて行こう。
とナシルは思った瞬間、黒い男は短剣を逆手に持ち替えて紙を切り裂くように滑らかに蔦を切り払った。黒い男は拘束を解くや否やナシルに襲いかかった。ナシルは何の動揺も見せず、自分に向かって突っ込んでくる黒い男を平然と見つめた。
ここは花畑だから炎属性は使えない。ならこの魔法で。
ナシルの手のひらに魔法陣が浮かび上がり青い光を放った。すると、黒い男の頭上から水が覆い始め、瞬く間に彼の全身は完全に水に包まれた。
「水中監獄」
水属性の上位魔法で、相手の全身を水で包み込み拘束する魔法である。この魔法から抜け出せなければ、このまま水の中に閉じ込められなんの抵抗もできないまま溺死してしまう恐ろしい魔法である。
黒い男は水の中に閉じ込められて戸惑ったのか、あちこちで短剣を振るって水を切り払おうとした。しかし、斬るたびに水が押し寄せてきてどれだけ振るっても無駄だった。ナシルは水の中でもがく黒い男をじっと見据えていた。
気絶したら教会に連れて行って尋問しよう。
目の前にいるこの男は、フォルスを殺そうとした人であり、フォルスの顔に傷を負わせた。怒りは頂点に達していたが、何しろナシルは神官であるため、殺すわけにはいかなかった。ナシルは湧いてくる怒りを必死に抑えた。溺死する寸前まで閉じ込めて、気絶したら教会へ連れて行って神官様に引き渡して情報を吐かせるつもりだった。
やがて黒い男の動きが目に見えて鈍くなり、ついには意識を失ったのか、腕と体が力を失ってぐったりと崩れ落ちた。気絶を確認したナシルは魔法を解いた。すると、黒い男を包んでいた水は地面に落ち、黒い男もそのまま力なく倒れ込んだ。状況が一段落すると、ナシルはフォルスの方へ振り返った。
「フォルス様もう終わりました」
ナシルの言葉に、フォルスは地面に手をついて立ち上がった。
「ありがとうございます。守ってくださーー」
「危ないっ!」
何かを捉えたナシルは反射的に手を伸ばした。彼の手から白い光が迸り、フォルスの周囲に幾何学模様の透明な障壁が展開された。突然の出来事にフォルスが戸惑うのも束の間、甲高い金属音が響き渡った。鋭い何かが、展開されたばかりの防御障壁を激しく打ち据えたのだ。
「きゃああああああ!」
フォルスは悲鳴を上げながらその場に倒れ込んだ。フォルスの背後に、いつの間にか一人の女が立っていた。教会という神聖な場所に到底似つかわしくない、露出の多い扇情的な服装。黒みがかった赤いショートヘアと血のように赤い瞳。女は手にした鎌でこめかみを掻きながら、倒れ込んだフォルスを見下ろした。
「惜しいなぁ。一秒早かったら首斬られたのに」
殺せなくて心から惜しがるような声だった。謎の女の言うことは事実だった。もしナシルの魔法展開が〇点四秒遅れてたら、あの女の鎌は無慈悲にフォルスの首を切り落としていたはずだ。
あの人は一体誰だ。
ナシルの手が震えている。あの謎の女から発してくる殺意に肌がチクチクし、全神経が彼に語っている。
「あの人は危ない」と。
「この防御魔法は結構硬いな。だいたいな攻撃は簡単に防げるくらいの高度だ」
謎の女は興味深そうにナシルが展開した防御魔法に手を触れながら観察していた。その隙を逃さず、ナシルは謎の女に魔法を放った。鋭い槍の形をした水塊がナシルの頭上に現れ、次々に女へ飛来した。それが謎の女を貫くという確信した、その瞬間だった。女はフォルスに視線を肯定したまま手にした短剣を軽く振るう。すると空中で、ナシルの魔法が跡形もなく消え去った。
「ほー防御魔法を使いながら同時に別属性の魔法まで使えるんだ。なかなかやるんじゃないか。まあ、こんな硬い防御魔法を使えるから当然なものか。気に入った。おい、テメェ名前はなんだ」
「他人の名前を聞く前に、先に名乗るべきだと思いますが」
「・・・それもそっか。俺はリスだ。何者だと聞かれたらお前たちの言う『魔女』だ」
「魔女・・・」
ナシルは驚いて思わず呟いた。本物の魔女を見るのは初めてだった。そのため、本当に魔女なのかは信じられなかったが、相手が本物の魔女であるなら、さっきナシルの魔法を強制解除したのも理解できた。悪魔との契約によって強力な力を得た魔女たちは常識を逸脱した存在である。常識的に不可能だと思われることさえ、魔女たちにとって容易いことに過ぎない。
「じゃ俺は名乗ったぜ。お前の名前を言え」
「ナシルです」
「ナシル、か。お前とは一度のんびり戦ってみたいが、今日ここにきたのはお前じゃなくこいつだからな」
リスは頭上に鎌を振り上げて防御魔法へ向けて強く振り下ろした。防御魔法を打ち砕かんばかりの勢いの鎌を目にしても、ナシルは動じなかった。
あの程度の攻撃では、防御魔法を破れない。
今フォルスに掛けられている防御魔法は、あらゆる物理攻撃と魔法攻撃を無効化する上位魔法である。ゆえに、あのような普通の攻撃では防御魔法を破られない。
防御魔法に攻撃が弾かれる隙を狙って気絶魔法で制圧する。
ナシルの手のひらにかすかに白い光が放った。やがてその弱々しい光は力を増し、標的へと放たれようとした刹那、ナシルの脳裏に先ほどの光景がよぎった。
あの人はさっきも僕の魔法を無力化した。なら防御魔法も・・・。
どうやって魔法を強制解除したのかわからない。何かしらのトリックがあるのか、あるいは条件があるのかわからない。しかし、もしあの人は無条件で魔法解除ができるのなら? 望めばいつでも魔法を無力化できるのなら?
常識的にあり得ない。他人の魔法を勝手に解除できるなんて、絶対あり得ない話だとナシルもよく知っている。しかし相手は魔女だ。常識的に不可能だと思われることを、最も簡単にやれる常識外の存在である。そしてそれを証明するかのように、リスの鎌はまるでグラスを砕くようにガシャンと音を立ててフォルスを守っていた防御魔法を打ち砕いた。
「あり得ない」
常識的に絶対ありないし、理解できない出来事だが、実際にナシルの目の前で起きた現実だった。
防御魔法があんなに無力に・・・、あの人は一体なんなんだ。いや、今はそんなことよりフォルス様を。
防御魔法が無力に解除された今、リスからフォルスを守るものは何一つなかった。そしてそれをわからない者は、少なくともこの場にはいない。リスは再び鎌を頭の横へ振り上げて不敵な笑みを浮かべ無慈悲に振り下ろした。リスの鎌はフォルスの首めがけて振り下ろされた。恐怖に体が固まったフォルスは逃げることさえ忘れたまま、その鎌をじっと見つめていた。座り込んだまま死をまつフォルスの前に、白い衣を翻しながらナシルが立ちはだかった。そして、リスの鎌を自らの腕で受け止めた。リスの鎌はナシルの袖を切り裂き、そのまま左腕に深く食い込んだ。
「ほお?!」
目の前の光景にリスは興味深そうに目が丸くなった。
「完全に斬り落とすつもりだったのに、あの一瞬で腕をマナで強化して防ぐなんて、神官様ほんとタフだなあ」
ラスがナシルの腕に食い込んでいた鎌を引き抜いた。ナシルは腕を下ろしながら、フォルスを庇うようにその前へ立った。
「フォルス神官様、腕から血が・・・!」
フォルスは驚いたように口元を押さえて体を震わせながらナシルの左腕を指差した。ナシルの真っ白な神官服が血に滲み、赤く染まり始めていた。
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