第4話 一目惚れ(4)
「お前マジイかれてんのか」
部屋に戻ってきたジュダはベッドに腰掛けたナシルに怒鳴った。ナシルはジュダの視線を避けている。
「なんであんなことしたんだ。あんなことしてお前に護衛任務を譲ってくれるはずないってお前もわかるだろ!」
「でも仕方ないじゃん」
ナシルは悔しそうな声だった。ペテールはナシルの頼みを聞き入れず、パウルもナシルの護衛を譲るつもりはない。こんな状況の中でナシルにできることは、パウルにに行って自分にその任務を譲ってくださいと頼むことしかなかった。
「何もすんな。どうせお前はフォルスってやつの護衛になれないから」
「いや、なる」
「どうやって? 具体的な方法は?」
「それは・・・・・・」
ジュダの問いにナシルは言葉を失って何も言えなかった。実はナシル本人もよくわかっていた。自分が教会所属の見習い神官である限り、フォルスの旅に同行できないということを。しかしだからかといってじっとしてはいられない。しきりに頭の中で浮かぶフォルスがナシルをじっとさせてはくれなかった。
「方法はまだわからないけどとにかくなるよ。なんとしてでも彼女の護衛になって見せる」
ナシルはベッドから勢いよく立ち上がって覚悟を決めるように拳を強く握りしめた。そんな彼をジュダを呆れたように見ていた。
「女に狂ってるのは俺じゃなく、お前の方だな」
「それは違う」
ナシルはきっぱりと言い線を引いた。
人々が教会の見習い神官になる理由はそれぞれあるが、代表的には三つに分けられる。ある者は純粋に神を愛し、主に自分の人生を捧げたいと願って教会に入る。代表的な例がアビガである。あるいは親に捨てられた者や孤児、もしくは親が自分の子供を神に捧げ神官として育ててほしいと教会に預ける場合もある。その代表的な例がナシルである。そして最後に人脈を作るために教会に入る者もいる。見習い神官になって未来神官になる人たちとコネと作っておけば、教会の権力を狙う貴族と結婚して人生逆転を狙うこともできるし、運が良ければ自分の世代で大神官になる人とのコネを作り、心強い後ろ盾を得ることもできる。そうした目的で教会に入るものも少なくない。その代表的な例がジュダである。教会としてはこれを防ぎたいが、さすがに人の考えまで読み取ることはできないため防ぐことはできない。「神様を愛して神官になりたいです」というと、口先だけなのか本気なのか疑うことは神に仕える神官としてあってはならない行為なのだ。
ジュダは神官になるつもりはなかった。見習いとして教会で暮らしながら多くの人とのクネを作り、これを利用してお金持ちの貴族女性と結婚して人生逆転を狙う世俗的な人である。だからこそナシルはジュダの言葉にきっぱりと線を引いたのだ。自分はその人だけを見ているのに対し、ジュダは地位と財力さえあれば誰でもいいという人なのだ。
「僕の愛と君の愛を同じにしないでくれ」
「ハ!」
ナシルの言葉に、ジュダは呆れて笑った。
「せめて俺はお前と違って好きな人のために神官様に盾突いたりはしないんですけど」
「それは盾突いたんじゃない。お願いしただけだ」
「そんな怖い頼み方あるんかい。それに、あんなに堂々と言ったくせに、結局戻ってきたのは一週間の庭の手入れじゃないか。お前、これから一人で庭の手入れどうするつもりだ」
庭の手入れという言葉に、ナシルは目の前が真っ暗になるような気がした。あの時は頭に血が上がって何とも思わなかったが、今こうして頭を冷やして考えてみると、あの広い庭を一人で手入れするなど到底無理な話だった。
一日中やり続けたとしてもできるかどうかわからないのに、日課までこなしながら手入れをすることなど絶対できない。
一日だけならどうにかなるかもしれない。しかし一週間も一人で庭の手入れを続けていたら、過労で倒れてもおかしくない。
もしフォルスの護衛を譲ってもらえるのなら、どんな無理でもやるだろうに。
もし一週間、たった一人で庭の手入れを完璧にやり遂げたご褒美でフォルスの護衛を任せる、という条件だったならナシルは睡眠時間まで削ってでもやり遂げていただろう。だが、そんなことは絶対ないとナシル自身もよくわかっていて、思わずため息が出た。
「そろそろ、自分が恋に目が眩んでなにをしでかしたのか実感してきたか?」
「実感しすぎて頭が痛くなるほどだ」
「プハハ、お前はガチでイカれたやつだ」
ジュダはナシルを見てクスクスと笑った。ナシルは呆れたように彼を見て言った。
「いい加減にして。そろそろ行こう。夕べの祈りの時間だ」
もうすぐ二十一時で、見習い神官たちは一時間ほど夕べの祈りを捧げる時間だった。
「ああ、行きたくないな」
ジュダは反抗するようにベッドに倒れ込んだ。信仰心などかけらもないジュダにとって祈りの時間は退屈であくびだけ出るだけの時間だった。
「早く起きろ。サボったら僕と一緒に庭の手入れすることになっちゃうよ」
「ふむ、いっそ一緒に庭の手入れしよっか」
「勝手にしろ」
「ちょっとちょっと、冗談だよ冗談」
冷たく背を向けて部屋を出ようとするナシルを、ジュダは慌てて掴んだ。
「俺も行く。早く行こう」
ジュダはドアを開けてまるで執事のように外へと手で示した。ナシルは「いきなりなに。ついにイカれたのか」と言いたげな表情を浮かべながら部屋を出た。
しばらくして、ジュダとナシルは礼拝堂に入った。そこはかつてフォルスと初めて出会った礼拝堂である。礼拝堂の中にはすでに先に到着していた見習い神官たちが、それぞれの席に着き神に祈りを捧げている。その中にはアビガもいた。ナシルとジュダは最後に到着したのだった。
ナシルとジュダはアビガの後ろの席に座った。特に深い意味はない。すでに他の席は先に来た者たちで埋まっており、二人が並んで座れる席がここしかなかった。あと、他の人たちよりも同い年のアビガと一緒にいる方がずっと居心地いい。
「ちょっとあんたたちどうしてここに座るのよ。邪魔だから別のところに行ってよ」
「一緒に座れる席がない」
「だから早く来ればよかったじゃん」
祈りを捧げていたアビガは、人の気配に気づいてそっと目を開け後ろに座っているジュダとナシルを叱った。ナシルとジュダは苦笑いを浮かべた。
「ごめん。邪魔にならないように静かにするよ」
「少しでも騒いだら神官様に言いつけるからね」
そんな半ば脅しのような注意を残してアビガは再び祈りに専念した。両手を合わせて目を閉じて真剣に祈りを捧げるアビガの姿は、まるで聖書の挿絵に描かれた人のようだった。
ナシルも両手を合わせて目を閉じた。そして呟くように小声で祈った。
「どうかフォルス様の旅に同行させてください。どうかお願いします」
ナシルの祈りは短くて簡単だった。ただフォルスと一緒に旅に出られるようにと、その言葉だけ何度繰り返して祈るだけだった。この祈りを神様に聞き届けてくださるかはわからないが、今かれにできることは祈ることだけなので、ただひたすら祈り続けることしかできなかった。
祈り初めてどれほど時間が経ったんだろうか、夕べの祈りの終わりを告げる鐘が鳴り響くと、座って祈っていた見習い神官の何人かは席を立ち、それぞれの部屋へと戻り始めた。ナシルも祈りを終えゆっくりと目を開いた。
「ジュダ起きろ」
「ん? あ、終わった?」
ナシルは隣で寝ていたジュダを起こした。ジュダは口元のよだれを拭いながらあたりを見回した。
「俺たちも部屋に戻ろ。俺眠い」
「うん」
ナシルとジュダが立ち上がった。すると、ちょうど祈りを終えたアビガが立ち上がった。
「え、あんたたちまだいたの? 珍しいね」
「ふっ、俺もたまには真面目に祈るんだぞ」
ジュダは胸を張って堂々と言った。アビガはため息をつき頭を左右に振る。
「ナシルは真面目に祈るのわかるけど、ジュダは違うだろ。あんたは後ろで寝てたじゃん」
「は!? なんで俺が寝たって確信するんだ」
「ナシル、ジュダ祈ってた?」
「いや、寝てた」
「ほら」
「ナシルこの裏切り者。お前だけは俺の味方をしろよ」
「僕はどっちの味方でもない」
指をさしながら言うジュダを背にしてナシルは礼拝堂の正門へ向かった。ジュダはナシルを追いかけながら尋ねた。
「もし俺があのフォルスってやつだったとしても同じこと言ったか」
「お前何言ってんだ。もちろん、違うだろ」
ナシルはそんなの当然だと言わんばかりに、少しの迷いもなく答えた。もしその場にいたのがジュダではなくフォルスだったら、ナシルの答えは違っていただろう。たとえ隣でいびきをかいて眠っていたとしても、熱心に祈りを捧げていたとフォルスの味方にしていたはずだ。
「この女に狂ったやつめ。友達より彼女を優先するのかい」
「何言ってるんだ。僕がいつーー」
「フォルスって誰のこと?」
ジュダとナシルの会話にアビガの声が割り込んできた。いつの間についてきていたのか、ナシルの横を歩いていた。
「フォルスって、ナシルが一目惚れした人いる」
「え、本当に?」
アビガがまっすぐにナシルの目を見つめて尋ねた。なんだか照れくさくなったナシルは顔を赤らめた。
「うん」
ナシルが頷くと、アビガは少し驚いたように目が大きくなった。
「意外だね。ナシルは女子に興味ないと思った」
「俺もそう思ってた」
ナシル自身もそう思ってた。女や恋愛、結婚などに全く興味がなかった。たまに教会でジュダが可愛いと言った女性を見てもなんの感情も湧かなかった。むしろ神官としては欲情に惑わされないという意味でいいことだと思っていた。だがフォルスを見た瞬間、自分の考えが間違っていたのだと気づくのに、それほど時間はかからなかった。
「だからずっと後ろで、旅に出させてくださいって祈ってたんだね」
「聞いてた?」
「聞こえてたよ。誰かと一緒に旅を出させてくださいって。それが誰なのかは聞こえなかったけど、フォルスっていう女だったんだね」
ナシルは気恥ずかしくなった。アビガがナシルの背中をパンと叩いた。
「まあとにかく応援するよ。頑張れ」
「ありがとう」
「じゃ、わたしは行くね。おやすみ」
廊下の突き当たりの分かれ道で、アビガは右の階段を下りていった。教会の中で、女性の訪問者や女性の神官たちが生活する区画へ続く階段だ。
ナシルとジュダは右の廊下をそのまま歩いていった。やがて自分たちの部屋が見えてきた。ジュダは部屋のドアを開けて中へ入った。だが、ナシルは部屋には入らなかった。
「そこで何してんだ。入らないんか」
「ちょっと寄りたいとこがある。先に寝てて」
「そう? ふわぁー昨日みたいに起こすな」
「わかった」
ジュダはあくびをしながらドアを閉めた。ナシルは昨日フォルスと会った場所へ向かった。
昨日ほどではないが無数の星が夜空に散りばめられていた。ナシルは昨日と同じところに座り、静かに夜空を仰いだ。
実はナシルがここに来たのは、辛い思いをしているからではない。昨日みたいにここでフォルスと会えるのではないかという期待があったからだった。
昨日、教会にいる間ここに来てもいいって聞いてたから。
たとえここで会うって約束をしたわけではないので、百パーセントの確率で会えるわけではないが、昨日フォルスが「たまにここに来る」って言っていたその言葉を頼りに、待ってみることにしたのだ。一縷の可能性でもあるのなら、待って会う方が嬉しいから。
しかし期待とは裏腹に、どれだけ待ってもフォルスはおろか、誰かがここに上がってくる気配さえなかった。ナシルは俯いて小さくため息をついた。
「やっぱり会えないのかな」
ナシルは落胆した。会えるだろうと期待していたが、結局その願いは叶わず、胸に深い失望感が広がった。
「もう帰ろ」
ナシルは屋根に手をついて立ち上がろうとした。電気も寒いし、夜も深い。そろそろ戻って寝るべきだった。立ち上がる前、ナシルは最後に夜空を仰いで静かに神に祈りを捧げた。
「どうか、あの人と会えますように」
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