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第13話 断念(3)

 いつもと変わらない平穏な日常の教会。廊下では同じ服を着た見習い神官たちが皆、同じ方向へと歩いていた。午前の日課である朝の祈りのため、礼拝堂へ向かっているのだ。見習い神官たちの中には、ナシルとジュダ、アビがの姿もいた。


「ああ、行きたくないなー」


 ジュダが文句を言い始めた。


「もっと寝たいな。ナシル一緒にサボって部屋でもっと寝る?」

「僕は怒られたくない」

「そうよ、ジュダそんなに行きたいならあんた一人で行ってよ。ナシルまで巻き込まないで」


 ナシルの言葉に続いてアビガがさらに一言加えた。ジュダはチッと舌打ちをして顔を背けた。


「あら、あの人は」


 ジュダは誰かを目にしてナシルの袖を引っ張った。


「なに」

「あそこのあの人、フォルスだよね? お前が惚れたって」


 ジュダは礼拝堂の前を指さした。アビがとナシルは同時に彼が指さした先へ視線を向けた。礼拝堂の大きな扉の前に、金髪の少女が立っているのが目に入った。


「あら、フォルス様だね」


 アビガはその少女がフォルスだと一目でわかった。


「ナシル、フォルス様だよ。行って声かけてみたら・・・あれ? ナシル?」


 隣を歩いているはずのナシルの姿が消えていた。アビガは戸惑いながら周りを見回すと、ナシルが後ろで呆然と立ち止まっているのを見つけた。


「ナシル大丈夫?」

「ジュダ」

「ん? 俺?」

「さっきのあれ、まだ有効なの?」

「さっきのあれって?「


 ジュダは首を傾げて聞き返した。


「一緒にサボりしようってこと」

「マジで言ってる?」

「ナシル!」


 ナシルの口からあんな言葉が出るとは、アビガもジュダも想像すらしていなかった。


「それはいつでも有効だぞ。今、部屋に戻ろっか」


 ジュダの問いに、ナシルが頷いた。すると、アビガが大声を上げた。


「ナシル、急にどうした。あんたが祈りをサボるなんて、おかしいよ」

「アビガ、ごめん。あとで説明してあげるから。ジュダ行こう」


 ジュダははしゃいでナシルの方へ近づいた。そして二人は自分たちの部屋へ戻っていった。一人残されたアビガは、呆れて言葉も出なかった。ただ呆気に取られて遠ざかっていく二人を見つめていた。やがてその二人の姿が完全に見えなくなると、アビガは一人でも祈りを捧げようと思って礼拝堂へ向かった。アビガが礼拝堂に入ろうとしたとき、扉の横に立っていたフォルスが彼女を呼び止めた。


「アビガ様おはようございます」

「おはようございます。その・・・」

「ここは人が多いからフォルスって呼んでください」


 アビガがどの名前で呼ぶべきか迷っていることに気づいたフォルスは周りの人たちを示しながら言った。


「はい、フォルス様、おはようございます」


 アビガは軽くお辞儀した。


「ところで、ナシル神官様はどこにいますか。さっき一緒にいるのを見たんですが」

「あ、それがですね・・・」


 アビガは少し悩んだ。正直に「祈りをサボって部屋に戻った」というべきか、それともナシルの体面を保つために嘘をつくべきか。しかしその悩みは長くは続かず、アビガはすぐに答えを出した。

 いや、わたしは神官だ。嘘をつくわけにはいけない。


「祈りサボって部屋に戻りました。あるバカと一緒に」


 「バカ?」という言葉が気になったフォルスだが、今はナシルの方が優先だった。


「もしかして、わたしを見て逃げたんじゃないですよね?」

「それは違う・・・あ、そうかも」


 否定しかけたアビガは、何かに気づいたように言葉を変えた。

 最初ジュダの誘いを断ったナシルが、突然サボろうと言い出したのはフォルスを見たあとだった。ならば原因はフォルス様かもしれない、とフォルスは思った。

 アビガはそっとフォルスを見た。返事を待つ彼女の姿は、どこか緊張しているようにも見えた。

 まだただの推測に過ぎない。確証もないのに口にすれば、余計な誤解を招くかもしれない。


「それは違うと思います。多分、あのバカのせいです」

「そうでしょうか」


 フォルスはほっとして眉がふっと和らいだ。


「もしナシル様を見かけたら、わたしが探しているって伝えていただけますか」

「はい。伝えておきます」

「ありがとうございます」


 フォルスはアビガの手を握り、嬉しそうに微笑んだ。その最中、フォルスの腹からぐうと鳴り響いた。


「アハハ、すみません。朝ごはんをまだ食べてなくて」


 フォルスは恥ずかしそうに頬を赤くし、苦笑しながら自分の腹に手を当てた。


「では、わたしは失礼します」


 そう言い残してフォルスは急いでどこかへ走っていった。


「あ、あの!」


 アビガは呼び止めようとしたが、瞬く間に視界から見えなくなってしまい、フォルスに声が届かなかった。

 もう十時なのに、まだ何も食べてないということは、ずっとここでナシルを待っていたということかな。ナシルに何か言いたいことでもあるかな。そんなことを考えながら、アビガは礼拝堂の中へ足を向けた。


******


 二つのベッドが対称になるように置かれている小さな部屋の中。ジュダはベッドの上でゴロゴロしており、ナシルはベッドにぼーっと腰掛けていた。どこか違和感のあるナシルの様子に、ジュダは聞いた。


「で、もう理由を教えてくれ」

「なんの理由」

「急にサボって部屋に戻ろって言った理由」

「別に大した理由はない。ただ今日はサボりたかっただけななんだ」

「嘘つくな」


 ジュダの声に、ナシルの両肩がビクッとした。


「フォルスのせいなんだろ? 急にサボろうって言い出したの」

「そんなんじゃないってば。変なこと言うな」

「最初は嫌だって言ってたくせに、フォルスを見てから急にサボろうって言っただろ。だったらフォルスが原因だってことはバカでもわかるぞ」

「・・・・・・」


 ナシルは何の言葉も返さず、ただ視線を背けた。その怪しい振る舞いがか、えってジュダに確信を強めた。


「フォルスを避けることにしたんか。なんで」

「それが・・・」


 急にナシルはため息を吐き、言葉を継いだ。


「僕はあの人の護衛になりたい。だけど、あの人の護衛になるには、僕が弱すぎる」

「どういうことだ」

「一昨日は運が良くて、僕もフォルス様も無事で済んだが、これから先もそうだって保証はないだろ」

「つまり、死ぬのが怖いから諦めたいってことか。まあマジで死にかけたんだし、怯えるのもわかるけど」

「いや、怖いとかそういう問題じゃない」


 ナシルは低く言った。


「僕が怖いのは僕が弱いせいでフォルス様を危険な目に遭わせてしまうのだ。もし守れなくてフォルス様が死んでしまったら僕は多分一生自分を許せない」

「だから、フォルス様の護衛になるのは諦めて避けてるんだってこと?」

「うん」

「そこまでしなくてもいいんじゃねぇ?」


 ジュダは理解できないと言わんばかりの表情を浮かべた。ナシルはどういうことだとでも言いたげに顔を上げた。


「護衛を諦めるのは勝手にしろ。けど、わざわざ避ける必要はなくない? 普通に挨拶したり、話したりしてもいいと思うが」


 ジュダはベッドに腰掛けて言った。


「なんで避けようとしてるんだ」

「だって・・・・・・から」

「なんだって」


 ナシルの声が小さすぎて聞こえなかった。


「もっと大きい声で言って。聞こえないぞ」

「一緒にいると余計に好きになっちゃうから、避けてるんだ!」


 ナシルは爆発するように大声を上げた。それを聞いてジュダは呆然とナシルを見つめた。


「一緒にいると余計に好きになるって?」

「そうだ」

「・・・・・・プッ、プハハハハハ」


 突然ジュダは腹を抱えて爆笑し始めた。


「マジで笑えるね。もっと好きになるなんて。プハハハハ」

「笑うな!』


 ナシルは恥ずかしさで顔が真っ赤になった。それにも構わず、ジュダはしばらく笑い続けた。しばらくして、ようやく落ち着いたジュダは涙を拭いながら尋ねた。


「で、好きになるから避けるわけか」

「そうだ」


 ナシルの顔はまだ赤くなっていた。


「でもさ、好きになっても構わないだろ。わざわざ好きな気持ちを諦めらなくてもいいと思うが」

「だって、あの人に彼氏がいるっぽいから」

「え、彼氏がいるって?」


 ジュダは目を見開いた。


「詳しく話してみて」

「昨日見たんだ。遠くてよく見えなかったけど、男に見える人と一緒いた」

「お前の見間違いの可能性は?」

「二十パーセントくらいかな」

「それは男確定だな」

「だろ」


 ナシルは俯いて深くため息をついた。


「でも、なんであの人が彼氏だって確信するんだ。スキンシップでもした?

「一緒に歩いてた」

「え?」


 ジュダは首を傾げた。


「今なんて」

「一緒に歩いてたって」


 ナシルの答えに、ジュダは何も言わずに立ち上がって彼の前に立った。そして、ナシルの両肩に手を置いた。


「・・・それだけ?」

「ん?」

「このバカやろがあ!」


 突然の怒鳴りに、ナシルは両耳を塞いだ。


「いきなり何すんだ!』

「一緒に歩くことで彼氏ぃ!? お前マジでバカかよ。男女が一緒に歩くのは普通だ。全然恋人っぽい行動じゃねえんだよ」

「いや、男女二人きりで歩くのは恋人だろ」

「このバカが」


 ジュダは呆れたように額に手を当てた。

 ナシルがこう考えるのも無理はない。ナシルは生まれてからずっと教会で育った。だから同年代の男女の交流も少なく、恋愛に疎い。そのため、スキンシップに対するハードルも低い。おそらく、ただ一緒に座っているだけでも付き合っていると勘違いしてしまうのだろう。


「一緒に歩いたことだけでそう思うのなら、お前はアビガと付き合ってんのか」

「バカなこと言うな」

「今お前が言ってることがそういう意味だよ」


 ジュダの言葉に、ナシルはきょとんとした顔をした。


「たかが一緒に歩いただけで彼氏だと思い込むなんて、ガチでバカだなお前は」

「いや、それだけじゃないんだ。いきなり後ろから抱きついてたんだ」

「それはちょっと恋人っぽいね」


 これについてはジュダも認めざるを得なかった。


「でもわかんねえじゃん。何か事情があったのかもしれねえぞ」

「例えば?」

「えぇと・・・わかんねえな」


 ジュダはナシルを慰めようと必死に考えてみたが、恋人でもないのにいきなり抱きつくような、誰が聞いても納得できる状況は思いつかなかった。


「ほら、ないだろ。やっぱり彼氏に違いない」

「あの人がそう言った?」

「ん?」

「この人が私の彼氏ですってあの人が言ったって聞いてるんだ」

「それは・・・いいや」

「じゃ、聞いてみろ」


 ジュダはナシルの隣に座りながら言った。


「ここで一人でモヤモヤするな。いっそあの人に聞けよ。この前、ある男と一緒に歩いてるのを見たんだけど、もしかして彼氏ですかって」

「そんなこと聞けないよ。無理だ」

「じゃこのまま諦めるんか」


 ジュダの問いに、ナシルはすぐに答えられなかった。


「はっきり言え。お前はあの人のことが好きだよね?」


 ナシルは何も言わずに頷いた。諦めると決めたものの、たった一日で気持ちを完全に消し去ることなどできなかった。


「そんなに好きな人なのに、これで諦めるのかよ」

「でも、彼氏がーー」

「お前の勘違いかもしれないだろ。勘違いで、好きな人を諦めるつもりか。臆病者みたいに?」

「・・・・・・」

「お前だって他のヤツにあの人を取られるのは嫌だろ。勘違いして諦めたのに、実は彼氏なんていなくて、その隙に他のヤツとくっつくなんて嫌だろ」


 ナシルは小さく頷いた。


「だから聞きなよ。後悔したくないなら。わかった?」

「・・・・・・」

「なんだ。なんでそんな人を不思議そうに見る目は」

「いや、君が役に立つこともあるんだなって思ってた。ちょっと驚いた」

「はあ!? 死にたいんかい!」


 ジュダはこびしを握って怒った。ナシルは微笑みながらジュダの攻撃を避けベッドから立ち上がった。


「僕決めた。聞いてみる。やっぱりこのまま諦めたら、一生後悔する気がする」

「そう、その調子だ」


 ジュダは満足げな顔をして腕を組んで頷いた。ナシルは決意に満ちた表情で部屋を出ていった。

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