10:打算には打算を
「整理しますわね」
エレナはひとつ息を吐き、机の上の書類を端へ寄せると、白紙とペンを手元に引き寄せた。
声のトーンから感情的な響きが消え、ただ事実の確認として淡々と言葉を紡ぎ始める。
「まず、あなた達も知っていることとは思いますが、ルナさんの退学手続きは既に完了しています。不確定要素が多すぎて話を進められないので、ここからの話は『ルナさんは学園に戻りたいと考えている』という前提を置かせてもらいますわね」
その事実を改めて突きつけられ、わたしは息を呑んだ。
「学籍がなくなった以上、学園側が彼女の進退に介入する権限はありません。ですから、今回わたくしたちが考えるべきは『退学を取り消す方法』ではありません」
さらさらとペンを走らせて要点を紙に書き出しながら、エレナは途切れることなく語り続ける。
「手っ取り早く、学園へ戻る方法、それは彼女の『家の中での価値と発言力を高めること』でしょう」
エレナは次の言葉を続けようと口を開きかけ、一瞬だけ、躊躇うように口を結んだ。
「……今回の一件、最も焦っているのは他でもない、モントルヴァル卿のはずです。“わざわざ自分から秘密を明かした理由”は正直、皆目見当もつきませんが、彼は他家から入った婿養子。正統な血筋である奥様が亡くなった後、彼が実権を握り続けられたのは、男の跡取りであるルナさんの後見人という立場があったからです」
エレナは紙に家系図のような簡単な図式を書き込み、父親のポジションをペン先でトントンと叩いた。
「ですが、ルナさんが女性であったことが露見した今、彼の足元は非常にぐらついています。遠からず、分家や親族たちが『女に家は継げない。よそ者の婿は当主の座を明け渡せ』と牙を剥いてくるでしょう」
「だから、自分の立場を守るためにルナを退学させたってことか?」
シリルが顔をしかめながら問うと、エレナは短く頷いた。
「……それが一番自然でしょう。彼が今の地位を保つには、手っ取り早くルナさんを結婚させて既成事実を作るしかありません。自分に絶対に逆らわない傀儡の男をルナさんの夫として宛がうか、あるいは、自分を保護してくれる有力な貴族にルナさんを売り渡すか」
淡々と語られる貴族社会の冷酷なロジックに、部屋の空気が重くなる。
「彼にとって一番都合が悪いのは、ルナさんが学園に留まることです。わたくしのような外部の権力と本格的に結びついてしまえば……『正統な血筋は私にある。不当に実権を握っている義父は隠居しろ』と、逆に追い出すことができてしまいますからね」
「……ルナ様がそんなこと、なさるはずがありません」
アメリアが呟くと、エレナは「それは感情論ですわ」とバッサリ切り捨てた。
「する、しないは関係ありません。卿にとっては『される可能性がある』というだけで致命的なリスクに映るでしょう。だからこそ、ルナさんが何か行動をする前に強引に、実家に呼び戻した」
「……最低だな」
シリルがギリッと歯を食いしばり、低い声で吐き捨てた。
「自分の保身のために、娘の人生を道具みたいに切り売りするのかよ」
「やり方を擁護するつもりはありませんが……それは短絡的な意見ですわよ、シリル君。強大な貴族は、それだけ守るものも多いのです。家を守り、土地を守ること、それが貴族の役目なのです」
エレナは冷ややかな目でシリルをたしなめると、再びペンを手に取った。
「目的が保身と権力の維持であるなら、交渉の余地はあります。ルナさんを今すぐ結婚させるより、学園を卒業させた方が大きな利益になる……そういう図式が成立すればいい」
「……」
「どうしたんですか、ノネットさん?」
エレナの言うことに筋は通る。それはわたしの知る、ゲームでのルナの父親のイメージとも合致する。
ルナの個別ルートにおいても、家督を守ることに固執した彼がルナを政略結婚の道具にしようとするのだ――ただし、今とはかなり状況が違う中で、だけど。
しかし、嫌々力を貸してやるというような口ぶりだったくせに、エレナはすっかりわたしたちの味方になってくれているように思える。
「いえ、エレナ様はツンデレだなと思って」
「ツンデレ? とは何ですか」
「とっても賢いってことです!」
「……なんとなくですが、嘘ですわよね? まあ、よいです。話を続けましょう」
「ですが、実際どうしたら学園にいることが有意義だとモントルヴァル卿に示せるのでしょうか?」
アメリアが小さく手を挙げてエレナに問いかける。
「何はともあれ、まずは交渉のテーブルに乗ってもらう必要があるでしょう。まずはあなた達を公的な使者としてあの家に派遣します」
エレナは説明に用いていた紙とは別に、封筒と手紙を取り出すと何事かしたため始める。
「あなた達は学園の事務手続きの不備を解消するために派遣された、生徒会の使い走りです」
「事務手続き?」
「ルナさんは急な退学手続きをとりましたが、彼女が生徒会で担当していた重要書類の引き継ぎには、本人の直筆署名が欠けている……そういうことにしましょうか。たとえば、王家や有力貴族から降りている助成金の監査書類などですわね。本人の直接の引き継ぎなしに事後処理を進めれば、出資元への重大な背任行為とみなされかねない。その責任は当然、娘をいきなり引き抜いたモントルヴァル家に向かいます」
リアルで、泥臭くて、絶対に断れない手続き上の必然性。
学園のシステムと外のしがらみを知り尽くした生徒会長だからこそ出せる口実だった。
「ご丁寧に王家の封蝋を添えておきましょう。学園にわたくしがいることは卿も知っていることなので、門前払いはできませんわ」
「なるほど……確かに、それなら面会を突っぱねることはできないな」
シリルが納得したように頷く。
「ええ。そして面会を果たし、ルナさんにこの話をして、卿を交渉のテーブルに引きずり出してください」
エレナはペンを置くと、ワックス炉に火を灯した。慣れた手つきで棒状の蝋をナイフで削り、それらを載せたスプーンを炉へとセットした。
「現在、ルナさんは長年性別を偽っていたという致命的な問題を抱えています。卿が今の地位を守るために彼女を急いで嫁がせようとしても、事情を知る相手からは間違いなく足元を見られます。最悪の場合、自分に都合のいい婿を迎えるつもりが、逆に相手の家に実権を丸ごと乗っ取られるリスクすらありますわ」
「……」
「そこで、わたくしたちが提示するのは『傷物の令嬢として買い叩かれるリスク』と『学園の庇護下で箔をつける利益』の天秤です」
視線をこちらに向けず、エレナは語る。
彼女は書き終えた手紙を封筒へと収め、続けて、綴じ目に溶けた蝋を落とすと、すぐさまシーリングスタンプを押し付けた。
「これを」
封蝋が固まったのを見計らい、エレナは封書をこちらに差し出してくる。
「一応、こちらにも学園に戻した場合の“便宜”を記しておきました。少なくとも、性別を詐称していた件については、王家への説明を求められるでしょうから、わたくしを味方にできるのはきっとメリットと思ってくれるでしょう。退学を取り消して学園に戻し、わたくしをはじめとする有力貴族とのパイプ役として卒業まで務め上げれば、ルナさんの価値は跳ね上がります」
淡々と語られるそのロジックに、わたしは息を呑んだ。
「卿の目的が家の保身と権力の維持なら、計算できるはずです。今すぐ急いで安い条件で嫁がせて家を乗っ取られるリスクを負うより、卒業までの数年間を待った方が、卿自身にとってもはるかに有利な縁談を組める……そう思っていただくのです」
「……打算には打算をぶつける、か」
「その通りですわ。ルナさんの学園復帰を認めれば、最高の箔を約束する。拒んで急いで嫁がせれば、相手に買い叩かれて家を失うリスクが残る。これで、卿はルナさんを今すぐ手放すメリットを失う……はずですわ」
わたしは、エレナの提示したカウンターに深く頷いた。
「ところで」
「なんですか?」
「エレナ様はついて来ていただけないんですか?」
「わたくしは立場上、あまり有力貴族と直接面会を図るのは難しいのです、理解してください。それにですね……わたくしは公務もありますし、あなた達がいない間の生徒会の仕事、誰がやると思っているのですか?」
「……はい! 甘えてばかりですいませんでした!!」
わたしが力強く答えると、エレナは少しだけ毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。
「勘違いしないでくださいな。わたくしはただ、生徒会の書類不備を放っておけないから知恵を貸しただけですわよ」
「はいはい、わかってるさ。本当に助かるよ、エレナ」
「シリル君、あなた本当に少しは言葉を弁えなさいな!」
シリルが無邪気に笑いかけると、エレナは顔をしかめてそっぽを向いた。
「エレナ様! 本当にありがとうございます!」
作戦は決まった。
これでルナに会いに行ける。絶対に学園に連れ戻すんだ。
「……」
ーーそう、そんな風にとんとん拍子に話が進んで、希望を見出し始めていたこの時のわたしは、エレナが内心に抱く懸念など知る由もなかったのだ。
投稿遅くなりすみません。
直近少々忙しく(今も週一でペースは速くないのですが)……次回更新は少し遅くなるかもしません。




