7:※教典に『友達を攫え』とは書いてありません
放課後の喧騒が遠ざかった、夕暮れの礼拝堂。
天井の高い静寂な空間で、ステンドグラス越しに差し込む橙色の光だけが、等間隔に並んだ長椅子を淡く照らしていた。
わたしは祭壇の前の席にひとり座り、組んだ両手を見つめていた。
『貴女のその個人的な確信は、今の盤面においては何の解決策にもなりませんのよ』
頭の中で、エレナの冷たい声が何度もリフレインしている。
反論できなかった。彼女の言うことは、きっとすべて正しい。
事情はわからない。でも、すべてがエレナの言うとおりで、ルナが自分を殺して何かを守ろうとしているのなら、わたしは……。
「ノネット様……ここにいらっしゃったんですね」
静かな足音とともに、背後から声がかけられた。
振り返ると、アメリアが心配そうな瞳でわたしを見下ろしていた。
「アメリア様……えっと、なにか御用でしょうか?」
「いえ……」
アメリアは小さく首を横に振ると、わたしの隣に腰を下ろした。
「ふらふらと何処かに行ってしまわれたので……シリル様と一緒に捜していました」
「……すみません」
アメリアはもう一度、首を横に振る。
「……アメリア様はどう思いますか?」
「ルナ様のことですか?」
「はい……ルナ様は本当に、結婚なんて望んでいるんでしょうか?」
「どうでしょうか。確かに、貴族の方の結婚というものはそういうものだと聞いたことはありますけど……」
自分で聞いておきながら、内心で苦笑する。
なんて無駄な問いかけだろうか。
アメリアは聖女という特別な立場だが、貴族ではない。
影響力という意味ではそこらの貴族よりもあるかもしれないが、社会的な身分は平民と変わらないのだ。
それに、仮に彼女が貴族であったとしても、他家の事情なんて知る由もないというのに。
「……わたしは、どうしたらいいんでしょうか?」
ぽつりと、自分の口からそんな言葉がこぼれ落ちた。
またも、意味のない問いかけ。
……ダメだ。早く撤回しなければ。
こんな言葉はアメリアを困らせるだけ――、
「攫いに行きましょう!!」
「…………え?」
あまりにも予想外すぎる言葉に、わたしの思考は一瞬の間、完全に停止した。
ポカンと口を開けたまま、瞬きだけを繰り返す。
「さ、さらう……? ルナ様を、ですか?」
「はい! ルナ様はもうご実家に戻られてしまっていますから……私たちがモントルヴァル家のお屋敷に忍び込んで、無理やり連れだすんです!」
「えええええっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
アメリアの顔を見る。冗談を言っているような様子は微塵もない。
両手を固く握り締め、ステンドグラスの光を浴びたその瞳は、聖女のような……いや、何かの使命に目覚めた過激派のような光を宿していた。
「ア、アメリア様! それはダメでしょ! わかんないですけど多分犯罪ですよ! 建造物侵入とかそういうの!」
「わかっています。でも、エレナ様はおっしゃっていましたよね。私たちには、大義名分も、介入する正当な権利もないと」
「は、はい」
「あのエレナ様が言うくらいですし、表のルールで戦っても絶対に勝てません。ですけど、謎の賊に攫われたんだったら仕方ないねってなるじゃないですか!」
「いや……え……まあ、そう……? かもしれないですね?」
「ノネット様は、ルナ様が本当は結婚なんて望んでいないと断言しましたよね」
「しましたけど……」
「もしかしたら、冷静に考えるような時間もないままに、ご実家に帰ることを決められたのかもしれません!」
それは……一理あるのかもしれない。
「ルナ様の本心を聞き出すためにも、一度無理やりにでもご実家から引き剥がすべきです!」
力説するアメリアの姿に、わたしは小さく頷いた。
「確かにそう………………って、いやいやいや! ダメですよ!」
危ない危ない。受け入れる寸前だった。
なんだか、アメリアの言っていることがこれ以上ないほどの名案のように思えてしまう――これが聖女のカリスマか……!
「……ダメですか?」
「ダメですよ!!」
「しゅん……」
わたしはおかしな考えを振り払うように頭を振る。
「ノネット様」
先ほどまでとは打って変わって、彼女の声は凪のように穏やかな声音だった。
そして、瞳を閉じ、祈るように言葉を紡ぎ始めた。
「私は……無知で、非才で、神の教えしか知らない人間です」
「アメリア様……?」
「だから、エレナ様がおっしゃるような、貴族としての名誉ある義務とか、国を動かすための政治の理屈は、正直よくわかりません」
アメリアは伏せていた目を上げ、まっすぐにわたしを見つめた。
「『暗闇で泣いている者がいれば、どんな茨の道であっても手を伸ばしなさい』」
「……」
「エレナ様は、個人の想いだけでは家も国も救えないとおっしゃいました。それは、きっと正しいのでしょう。でも……それは為政者の理屈です」
アメリアは、胸の前で手を組んだ。
「私はひとりの聖職者として、ノネット様に教えを説くことができます」
それは、為政者の冷徹な正論とは対極にある、誰かを無償の愛で救う不合理な論理。
「大義なんて、なくてもいいじゃありませんか。私たちがルナ様を助けたい理由は『友達だから』……教えに照らし合わせても、それだけで十分すぎる理由です」
その言葉が、冷え切っていた胸の奥にじんわりと染み込んでいく。
為政者の理屈と、聖職者の理屈。
どちらが正しいのかと問われれば、きっと社会的にはエレナの言うことが絶対的に正しいのだろう。
けれど、アメリアの不合理で純粋な言葉は、完全に塞がれていたわたしの視界に、温かい一条の光を差し込んでくれた。
「……ふふっ、あははははっ!」
「ノネット様?」
「ごめんなさい……でも、ありがとうございます、アメリア様」
わたしは目元を指先で拭い、小さく息を吐き出した。
エレナの正論に押しつぶされて、一番大事なことを忘れるところだった。
大義名分なんてなくても、助けたいと願うこと自体はちっとも間違っていないのだ。
「アメリア様のおかげで、少し目が覚めました。ルナ様を見捨てるなんて、やっぱり絶対に嫌です」
「はいっ!」
アメリアがぱぁっと顔を輝かせる。
だが、だからといって「よし、じゃあ今すぐ実家にカチコミに行こう」と立ち上がれるほど、わたしの頭は振り切れていなかった。
「ただ……その、やっぱり『攫う』というのは保留でお願いします」
「ええっ、どうしてですか! 教典にも――」
「教典に『友達を攫え』とは絶対に書いてないと思います!」
不満げに唇を尖らせるアメリアを、わたしは慌てて宥めた。
気持ちは救われた。大義名分なんてなくても動いていいのだと思えたことで、完全に止まっていた足がようやく前を向いた。
けれど、じゃあ具体的にどう動くのかと問われると、やっぱりまったくわからないのだ。
そもそも、今のわたしたちはルナが置かれている状況を何ひとつわかっていない。
本当に結婚を望んでいるのか。家のために仕方なく自分を殺しているのか。それとも、別の理由があるのか。
勝手に助けるだなんだと息巻く前に、まずはルナ自身の口から、彼女の考えを聞き出すべきだろう。
ルナの真実を知りたい。それが、今のわたしを突き動かすたったひとつの理由だった。
ただ、そのためにどうすればいいかが問題だ。
わたしはエレナのように政治的な戦い方も知らなければ、アメリアのようなファンタジーな能力を持っているわけでもない。
唯一、可能性のありそうな“実家”だって頼れない。
どうすればいいんだろう。
難しいことはわからない。わたし一人じゃどうにもならないのだろうか。
「……あ」
「ノネット様?」
そうだ。わたしは主人公じゃない。
でも、この世界にはいるじゃないか。
どんなに分厚い壁が立ち塞がっていても、理屈や常識をひっくり返して、真実へと辿り着いてくれるはずの『絶対的な存在』が。
「アメリア様!」
「はいっ」
「シリルはどこにいますか!?」
そう。彼は、『青空』という物語の真の主人公なのだから。
次回も1週間以内に更新予定です




