脳
俺は渚をつれ廊下に出た。
病室では先生が他の医師や看護師と検査を行っている。
日は完全に落ち辺りは暗くなっていた。
廊下に設置されている緑色のベンチに渚を座らせる。
しかし渚は手を離そうとはせずしょうがなく俺も隣へ腰掛ける。
「……渚?少しは落ち着いた?」
なるべく優しく声をかけた。いや、意識して優しくした訳じゃない。自然とそんな声が出ていた。
「…うん。だけど、まだ離さないで…まだ。ごめん…」
申し訳なさそうに渚は訴えてくる。離さないで、居なくならないでと。
「大丈夫。俺はここにいるから。もう少し落ち着いたら話そう」
そう言って俺と渚は5分か10分か。もしかしたらもっと長い時間黙ってお互いの手の温度を感じ合っていた。
「…ねぇ?響?……忘れててごめんなさい。」
渚が口を開く。だいぶ落ち着いてきたのか、さっきまでの様に声に震えや怯えはなくなっていた。
「ううん。大丈夫。……もうすぐ検査も終わる。それの結果を聞いたら家に帰ろう。……それから今までのこと話そう?」
「うん……。あっ!蒼海ちゃんが…」
渚はしまったという顔をした。蒼海ちゃんを幼稚園に預けっぱなしだと思い出したんだろう。
「蒼海ちゃんは大丈夫だよ。光さんに頼んでおいたから…。」
そう、渚が記憶を戻して休ませたあと俺は光さんに事情を説明し蒼海ちゃんのことを頼んでいた。
光さんは一言「私に任せておきなさい」と言ってくれた。頼りになる儀姉だ。落ち着いたら渚と二人で謝りにいかないと。
「そう……姉さんが…。姉さんにも、謝らないといけないな…」
渚は申し訳なさそうに言う。
「うん。そうだね。俺も渚も、蒼空くんや蒼海ちゃんみんながお世話になった。みんなで謝りに行こう。」
「うん…」
そんな会話をしていると病室のドアが開く。検査が終わったようだ。中から先生が出てくる。
「野上さん、検査が終わりました。お伝えしたいことがありますのでどうぞこちらへ。」
そう言って俺達は病室の中へと案内される。
「検査の結果、蒼空くんは脳死ではなく植物状態と判断されました。」
先生は中へ入るとそう説明した。
「脳死と植物状態は同じと思っている人は多いかもしれませんが違います。まず脳死なんですがこれは脳の全機能が停止してしまっている状態です。呼吸も人工的にしか行えません。」
「あ、あのっ、先生。蒼空くんはいずれ自発呼吸できると言われていたのは…?」
思わず口を挟んでしまった。そうだ。脳死と判断されていたはずなのに自発呼吸ができるようになるとはおかしい
「はい。蒼空くんは自発呼吸できると判断されたのはごく稀な事なんです。本来、脳というのは私達専門家にもほとんど理解できていないブラックボックスなんです。…蒼空くんは完全に脳死と判断はされていました…されていたんです。しかし、彼はなぜか呼吸器系の回復があった。他の脳機能は停止しているのにです。……すいません、我々にもこの程度しか言えないのです。」
「あ、いえ、…」
先生は続ける。
「話を戻します。…次は植物状態なんですが、これは一部の脳機能が生きている状態です。意識がないというよりは眠っている、と伝えた方がわかりやすいかもしれません。」
先生はなるべく分かり易いようにとゆっくり話をしてくれていた。
「それを踏まえた上でなんですが…蒼空くんは当初脳死と判断されました。通常、脳死と判断された患者は法律上で死亡と同じ扱いになります。……ですが、息子さんには不可解な部分があった。……脳死と判断する上で脳波を計測するのですが…おかしなことに、反応が見られたんです。」
初めて聞いた事だった。何故今まで話してくれなかったのだろうか?…いや、恐らくあの時の俺にそんな話をされても頭に入ってこなかっただろう…
「ほかの検査では完全に脳は死んでると判断されたのにも関わらず脳波には反応がでた。…その反応というのが、夢なんです。」
「夢?」俺は問いかける
「はい。夢を見ている状態の脳波だったんです。死んでいる筈の脳から…。我々は困惑しました。本来ありえないことですから。……そこで、我々は脳死と判断したのにもかかわらず死亡認定をしませんでした。………医者としての好奇心からです。」
「………」先生は頭を下げてそう言った。
恐らく蒼空くんは特別な事例だったんだろう。病院としても手元に置いておきたいという考えもあって当然だ。
むしろ、感謝していた。だって、もし先生達が興味を持たなかったら蒼空くんは死亡認定をされて今頃灰になってたのだから
「……いえ、今まで良くしてくださったんです。…頭をあげてください。」
「…ありがとうございます。」
先生は顔をあげまた話始めた。
「我々は経過を見守りました。……成長していく息子さんを見て恐怖を抱いたこともあります。死んでいる筈の人間が成長していくんですから。しかし、息子さんの成長は身体の機能まで回復していきました…自発呼吸ができる可能性がでるほどに。…異例中の異例でした。」
先生は時折申し訳ないと謝りながら語っていく。
「脳死患者が自発呼吸を行う…正直我々の診断ミスも疑いました。しかし、当時の検査にも立ち会っていた私達にはそんな事なかったと言いきれます。データもそれを証明していて……しかし、今日ついに息子さんが反応したと聞いて考えを改めねばなと…。」
医者として認めたくない部分もあったのだろう。医師が一度出した判断は中々変えないと聞いていたし。
「蒼空くんは回復したんです。脳の機能が。すでに自発呼吸もできる状態でしょう。…明日には人工呼吸器を取り外す手術を行います。」
「ほ、ほんとうですか?!」驚いた。こんなにも急に回復するなんて。
「はい。我々にも信じられませんが本当です………医師としてあまり言いたくはないのですが、奇跡としか言いようがありません。死んだ人が生き返った事と大差ないのですから。」
「っ!」
奇跡。その言葉をどれほど待ったか。
泣きそうになるのを必死にこらえる。隣りには渚がいるのだ。
今は、泣くのではなく支えてあげなければ。
「先生…今までありがとうございました。…植物状態だとしてもわたし達にとってこんなに嬉しいことはないです」
「野上さん…植物状態と言っても、目覚める可能性はまだまだ低いんで――」
先生の言葉を遮るように俺はいう
「それでも。それでも、嬉しい事なんです。」
「…はい。御心ずかい、感謝します。」
先生はそのあと謝罪をしてきたが、そんな事しないでくれとお願いした。
では、また明日と先生は医務室へと足早に帰っていった。明日の手術の準備があるのだろう。
俺は渚を連れて家に帰ってきた。
明かりが消えている我が家だったが、俺にはとても暖かく感じた。




