Track-30.私の瞳の中の花火!(Chorus)
カラオケ店を出ると、すっかり日が暮れており、等間隔に設置された街灯に明かりが灯っていた。
昼間の日向では汗をかくような暑さだったが、夜の町を吹き抜ける風はやけに冷たく、汗だくで熱唱した五人は足早に駅に向かって歩いていた。
「なんかせっかくのお祭りやったけど、普通にショッピングしてカラオケ歌っただけやったね」
先頭を歩いていた綾香が信号待ちで立ち止り、そう言いながら後ろを振り向く。
「でも楽しかった。地球にいた頃みたいだった」
綾香の後ろを歩いていた裕子は皆で合わせて買った金色の指輪を触りながら笑う。
「確かに楽しかったけど、せっかくなら、なんかこう、いかにもお祭りって感じが欲しかった気がするかも」
何気なくこぼした杏子の言葉に、すぐ横で立っていた早紀が反応した。
「たとえば、どんな事?」
「う〜ん、どんなだろう、お神輿は違うし、屋台もそれに近いものはあったし」
宙を見て少し悩む杏子の視線に点滅する赤色の歩行者信号が目に入った。赤色の点滅が消えると、一瞬の暗闇の後に青色のランプが点灯する。
「花火!」
「花火!」
二人は同時に叫ぶと顔を見合わせた。
その時、杏子の視界がわずかに歪み、こめかみにあたりに軽い頭痛を感じる。
目眩にも似たその感覚に、杏子は思わず目を閉じてその場にしゃがみこむ。
やがてこめかみの痛みは消え、体の隅々の感覚が戻り始める。ただ、頭の中には薄いモヤがかかったまま、思考がまとまらない。その感覚は、まるで暖かい布団の中で、心地よい微睡のなか、突然起こされた時のような気だるさだった。
このままもう少し目を閉じていたい。
けれども、何かに急かされるように杏子は重い瞼を開けていく。
目を開けると、すぐ目の前に早紀の瞳があった。一切の傷が見当たらない、恐ろしいほど磨き込まれた水晶のような瞳の奥で、真っ青な光が散乱し、点滅して散っている。
体の全ての感覚が急速に覚醒していく。
一瞬の漆黒の後、真っ赤な火花が彼女の瞳の奥から湧き出て来ていた。虹彩に現れたその光は徐々に大きくなり、やがて瞳を飛び出して視界の全てを埋め尽くしていく。杏子には、ただその光を呆然と見つめることしかできなかった。
突然背後から低い炸裂音が聞こえた。
空気の振動を感じた杏子が背後を振り返ると、街路樹の向こうから黄色い火の玉が、まるで口笛のような音を響かせて空に登っていく様子が見えた。
「花火だ!」
優奈が飛び上がって空を指差す。
天空を目指して登って行った火の玉は一瞬姿を消した後、やがて緑色の光を放つ大輪の花を空に描いて広がっていった。
優奈の二重の大きな瞳に、エメラルドのような花火の残照が映し出される。
続け様に打ち上げられる火の玉は、重なり合うように七色の大輪の花を空に広げていた。
「きれい」
裕子も前髪を掻き分けながら空を見上げていた。その涼しげな切長の瞳には、散り落ちて行く火片が黄金色の花びらとして映し出されてた。
「ここにも花火なんてあったんやな」
うっとりと呟く綾香の奥二重のクリクリとした瞳には、琥珀のように光の残滓が散って見えた。
空一面に広がった花火の輪は、やがて黄金色の無数の細かな光に代わり、柳の枝のように地面に落ちていく。
しばらくして、また空気を揺らす低い爆発音が響く。
なんとなく感じる違和感の原因は、周りの人々が花火など気にせず、立ち止まって空を見上げる五人をただ通行の邪魔のように避けて、そのまま歩いている事。
漂う火薬の香りと、降り注ぐ光の驟雨に空を見上げる人もいなければ、体を震わす音に驚く人もいない。
また火の玉が空に登っている。
今度は真っ青な花が空一面に広がった。
その花火はキラキラと輝きながら流れ星のように地面に落ちていく。
美しい花火が空に上がるたびに、
五人以外のだれもが反応しない様子を見るたびに、
いま、この宇宙でこの景色を見ているのはこの五人だけなのかもしれないと思うたびに、
強烈な孤独感が杏子を包んでいった。
誰からともなく、五人は集まり、それぞれの手を握り合う。
せめて、その光景が幻でない事を確かめるように。
ふと横にいた早紀に視線を移す。
早紀は両膝を地面について、俯き杏子と繋いだ手を胸の前に合わせて強く握っていた。
「早紀、大丈夫?」
杏子も膝を地面につけて、早紀の顔を覗き込む。
杏子の視線に気づいた早紀は、ゆっくりと瞳を開き、
「花火、見れてよかったね」
消え入りそうな、か細い声でそう言って笑みを作った。
※
駅前に着く頃、更新祭りが終わり、目の前に見慣れたディスプレイが現れた。
『システム更新終了。御協力ありがとうございました』
なお、今回の更新内容にあっては以下の通りとなります。ディスプレイ環境の最適化、最新言語導入、概念言語化思考アルゴリズムの更新、固定デバイスへの残照データサーバ干渉エラー対策の強化と改善......、なお、完了間際に発生したシステムバグのデバッグ作業のため更新祭が時間通りに終了できなかった事をここにお詫びします。今後とも、全天球型オービットナビゲーションシステムをよろしくお願いします。(更新祭実行委員会)
案内の文字が消えた途端、ディスプレイには田端の顔面が映し出された。
「今、大変な事になってるんだけど、今日、何かした?、と言うか、何かしたよね」
田端の視線がこちらから外れてあちこちを彷徨う。彼の顔の周りにはディスプレイの小窓が複数開いているのだろう。
「これ、どういうこと?」
動画資料が転送されてくる。
一つは有名な動画投稿サイトのもの。
画面には女子高校生らしき配信者が街を歩いている映像が流れる。映像の解像度が低い事からディスプレイのライブ撮影ではなく、個人デバイスの録画画像だと思われる。
「やばい、やばいって。ガチすごい歌上手い子達がいるんですけど」
映像はフラフラと揺れてケナミナの銅像を写し、さらに横に動き、人垣の向こうに、満足そうに熱唱している優奈の姿がチラリと写し出された。
「周りみんなガン引きするくらい上手。歌ってる歌もエモくてバグりそう。誰か調べたいけどディスプレイ無いし、ほんとやばい、みんなに知らせたいのに」
画面はまた女子高生の自撮り顔に戻る。
同じような動画が次々と添付されてくる。
「こういうの、勝手にやっちゃうと怒られちゃうから、やるならちゃんと言って下さい」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど、軽率でした」
杏子が皆を代表して頭を下げた。
「まあ、この影響かどうかわからないけど、明日朝イチから出演依頼来たので、いつもの衣装持って現地集合でお願いね」
田端は言い終わらないうちに、集合時間とイベント会場の地図をディスプレイに添付していた。電車で数駅先の公園で開催されるマルシェイベント会場らしい。ここなら皆自宅から電車で行けそうだ。
「田端さんに怒られちゃった? ごめんね」
ディスプレイの向こうで優奈と綾香が杏子に向かって手を合わせて頭を下げていた。
「いいよ。やっぱりちょっと話題になってるみたい。でもおかげで明日ライブ入ったのでみんなに送るね」
田端から送られてきた画像を四人に転送した時、杏子は明日着るべき衣装を文化会館のロッカー室に干したまま置き忘れている事に気がついた。
「私、衣装をスタジオに置き忘れちゃったから、今からそれ取りに行ってくるね」
もともと夕ご飯は皆家で食べるつもりでいたのでこの後の予定は無かった。
ディスプレイがなかった時の癖で腕時計を見る。
なんとか九時頃には家に帰れそうだ。帰るのが少し遅れる事をマーサにメッセージで伝える。すぐに既読マークが点灯し、『ご飯用意してるから、できるだけ早く帰ってきてね』のメッセージが表示された。
メッセージに返信していると、背後で誰かが前へ進み出す靴音が聞こえた。
「わ、私も衣装忘れたから取りに行く」
声がした方を振り返る。
そこには髪を揺らすほど力強く、片手を高く挙げている早紀がいた。
駅舎の明かりに照らされた早紀の瞳は、ただまっすぐ、杏子の目を見つめていた。
「えっ、早紀、昨日ちゃんと持って、ング」
言いかけた綾香の口を裕子が手で塞いでいた。
「わかった。帰ったら必ずいつものお茶会をしよう」
早紀の様子を見た裕子は、杏子に向き合って頷く。
改札を入ると、杏子と早紀は二人のみ別のホームに移動する事になった。
「じゃあ、またあとでね」
別れ際、そう言って手を振った裕子は何かを思い出したように、少し離れた杏子のそばに走り寄り、杏子だけ聞こえるように
「綾香と優奈にも話してみる」
そう囁くと、綾香と優奈の方へ走っていった。
「じゃあ、行こうか」
杏子に促された早紀はこくりと頷き、杏子の目の前をゆっくりと歩き始めた。
杏子は両手を握り締め、瞬きもせず、だだまっすぐと早紀の小さな背中を見つめていた。
※
「今日さあ、」
電車に乗って、横に座った早紀に話しかけた杏子は早紀がコクリコクリと首を倒しながら眠っている事に気がついた。彼女の膝の上にはフリルがついたバッグが載せられていて、その口から雑誌が見えていた。
おそらく昨日徹夜して調べたのだろう。なのにそんな疲れなど一つも見せず、今日の早紀はみんなが楽しむ事だけを考えて完璧に行動していた。
「そんなに無理したら、体壊しちゃうよ」
杏子は早紀の寝顔に向かって声をかける。
裕子の行動の通り、早紀なんらかの目的を持って杏子と二人きりになろうとした。まだ、確証はないけれど、早紀は、何かに向けて一歩踏み出したに違いない。
私も、踏み出さなくてはいけない。
靴を揃え姿勢を正した杏子は、向かいの窓に映る自分の姿にそう誓った。
電車がいつもの駅に到着した。
その頃にちょうど目を覚ました早紀と杏子は改札を出て夜の街を歩き始めた。
駅を出た途端、ディスプレイに綾香の顔が映し出された。
「ちょっと、これ、ひどくない?」
添付された画像には、今日のライブ画像の中の綾香の映像に合わせて、『この衣装はないわ、ダサすぎ』のキャプションが入っていた。
すぐに別のディスプレイが開き、今度は優奈の顔が映る。
「綾香、今はやめときな、早紀も一緒にいるんだよ」
優奈の声で綾香の動画は消えて、今度は少し落ち込んだ表情で「ごめんね」と呟く綾香の顔が映る。よく見ると背景の様子がよく似ている。どこかのレストランだろうか。
「もう、ダメだっていったのに。ごめんね、やっぱり気になって帰れないからみんなでファミレスに来てる。ちょっとライブ画像はやめておくね。ちゃんと作戦会議してからまた連絡する」
新たに現れた裕子が手を振るとすぐに全ての画像が消えた。
「誰かから連絡?」
前を歩いていた早紀が歩みを止めた杏子を振り返って首を傾げる。
「うん、裕子達から、三人でファミレス寄って帰るから少し帰るの遅くなるって」
杏子は咄嗟に答えて、歩き出す。
返答に納得した早紀はまた前を向いて歩き始めた。
前を歩く早紀の艶やかな髪が、オレンジ色の街灯の光を受けて、歩くたびにまるで絹の様にサラサラと流れている。
「今日のカラオケ楽しかったね」
惑わすように揺れるその髪の毛を見ながら、杏子はなんとか声を発した。
「杏子はよくカラオケとか行ってたの?」
後ろ向きに歩く早紀はそう言って首を傾げる。
「部活忙しかったからあまり、でも休みの時とか何回か行ってたよ。いつも友だちとシルバリオン歌ってた」
杏子の答えに頷いた早紀はくるりと前を向いて歩き出して言う。
「私さぁ、実は今日、産まれて初めてカラオケ行ったの」
「え、そうだったの。そんなふうには全然見えなかったよ」
突然の告白に杏子は驚きの声を出す。
早紀は振り返らず、前を向いて語り始めた。
「家、厳しかったからね。だから内心すごいドキドキしてたの。ワンドリンク制の事も知らなかったから私だけ水頼んじゃったし、歌う仕組みも分からなかったから、最初のジャンケンはわざと負けたの」
「そうなんだ、でも今日、楽しかったでしょ。これからもいっぱい行こうよ」
杏子の言葉に早紀は前を向いたまま、「うん」と頷いていた。
「私、知らない事ばかり。だからすぐに行動できる綾香や優奈がとても羨ましい」
「それは私も同感」
杏子はそう言って、さっきの画像の綾香を思い出して思わず笑う。
「あんなふうに生きてみたい。私、あれこれ事前に考えすぎて、やりたい事諦めたり、すぐに向いてないってってやめてしまったりそんなのばかりだから」
早紀の言葉を聞いた杏子は、より小さく見える早紀の背中に向かって言う。
「でも、今日ちゃんと計画してくれたじゃない。ジュース美味しかったし、綺麗な指輪も買えたし」
「そう言ってくれると、とても嬉しい」
早紀は前を向いたまま呟く。
「また、みんなで遊びに行こうね、次はこの前ライブで行ったところみたいな遊園地なんかもいいかも」
杏子の言葉に早紀「うん」とだけ答えて、そこからは無言で歩き続けた。
杏子は早紀の背中をみつめる。杏子の持っていた漠然とした不安は今、確実なものになった。
やはりもう時間はない。今日、いや、今がラストチャンスに違いない。
※
文化会館に着くとすぐに三階に上がり、スタジオ横のロッカールームに入り、乾燥室に干していた衣装を回収すると、さっさと畳み、その辺りにあった大きな紙袋に入れた。
もう少し荷物を入れたほうがそれっぽくなりそう。
杏子は自分のロッカーを開けると、洗濯して畳んでいた別の衣装をひろげると、無造作にまるめて袋に放りこんだ。
「あれ?」
電気を消してドアを閉めようとした杏子はスタジオの奥で何か光っている物を見つけた。
履きかけていた靴を脱いでスタジオに入ると、光を出していたのはビデオデッキだった。シルバリオンのお手本ディスクが終わってからは電源を切って隅に置いておいはずだが。
誰かが侵入した様子はない。取り出しボタンを押すと、まだディスクが入ったままになっていた。すぐにトレイを戻して電源を切る。腕時計を見る。こんなことに時間を使っている場合ではない。
スタジオを出て鍵を閉める。早紀は階段に腰掛けていた。
「もう出ても大丈夫?」
上半身位ある紙袋を肩に掛けた杏子が話しかけると早紀は頷いて立ち上がった。
※
駅に向かって歩いていく。杏子は前を歩く早紀の揺れる髪を何気なく眺めていた。文化会館を出てから二人は一言も言葉を交わしていない。
『杏子、今どんな状況?』
ディスプレイに裕子から送られた文字が浮かび上がった。
杏子は目線で仮想キーボードを操作してメッセージを作成して送信する。
『スタジオを出た。駅に向かってる。まだ話はしていない』
直後に既読マークが点灯し、返信が来る。
『こういうの、いつも優香にやってもらっていたけど、私も変わりたいから今日は頑張る。返事はいらないから、早紀をずっと見ていてあげて』
既読
前方に広がる夜の街並みの景色、一人無言で歩く早紀、そこに差し込む光のように文字が重なって表示される。そしてしばらくすると上にスライドして消えていく。
『三人で話し合った。綾香と優奈とも意見は一致してる』
『綾香が少し動揺してたけど、こっちでなんとかするから大丈夫』
『早紀が抱えている悩みには見当がついている。私なりの回答は今日歌で早紀に届けたんだけど届いたのかな。私は音楽しかできないから』
既読
『今日の早紀の様子は明らかにおかしい。一生懸命なのはいつも通りだけど、節々で一人になって俯いていた』
既読
街灯から外れ、ふっと早紀の姿が消えた。一瞬視線が彷徨うが、すぐに次の街灯に照らされて見えた早紀の姿に安堵する。
『これは私が感じたことなんだけど、今日の早紀、異常なくらい美人だった気がする』
既読
『どこかで大きな決心をした人は異常に美しい姿になると聞いたことがある』
『今、早紀は最後の望みとして私達じゃなく、杏子を選んでいる』
『まだ間に合うと思う。だから、お願い。何もしてあげれない私たちに代わって、早紀を救ってあげて欲しい』
既読
『いざとなれば強行手段も考えている。絶対に失うわけにはいかないから。でも今ならまだ』
『なにも力になれなくてごめん、身勝手なお願いだけど頑張って』
ちゃんと見てるよ
裕子の言葉が前を歩く早紀の背中と重なる。
みんな、こんなにあなたのことを考えているよ。
街の明かりが増えていく、そろそろ駅に着く頃である。ならば。
思ったとおり、駅のロータリー付近で電車の音が聞こえた。全速力で走れば間に合うタイミングだが、この荷物で走れない。早紀は杏子を振り返るも、全く走る様子がない事を確認してまた歩き始める。
杏子の視界には、前を歩く早紀の姿、それに重なるように三人からの応援のメッセージ、そして、端の方に時刻表が表示されている。
『あなた達二人がどんな選択をしたとしても、私たちはあなた達を信じて、ずっと支え続けるから』
『ありがとう。みんなのおかげで私にもやっと早紀と向き合う覚悟ができました』
さっきの電車の次は、特急列車、急行列車、回送列車が駅を通過していく。次の停車列車まで時間にして、およそ三十分。早紀と自然な形できちんと話す時間を作ることができた。




