第十六話 私に話をしなさい!
剣聖クラウスは、白銀の男から注意を離さなかった。
床から足を浮かせている。
滞空の術なら、高位の魔術師が使うところを見たことはあった。
それだけなら、驚きはしても理解はできた。
高位魔術師を相手にした経験はある。
対立したとて、なんてことはない。
だが、この男からは、術を維持するための動作さえ読み取れない。
視線も呼吸も、将軍が剣へ手を掛けた時にも変わらなかった。
ただ、抜きかけた刃とその持ち主を見て笑った。
白銀の男を前に、クラウスは呼吸を整えた。
『強い』という言葉では足りない。
剣を抜いた後の展開が浮かばない。間合いへ入れるか。精霊の力を借りれば届くか。
いつもなら考えるはずのことが、考える前に意味を失っていた。
脳裏に冴えないある男の顔が浮かぶ。
その男からは、何も感じなかった。
何も感じないまま剣を抜き、その男にはすべてを読まれた。
逃げ道も、踏み込む瞬間も、撤退する判断まで。
だが、目の前の男は、その逆だった。
存在を感じるだけで、剣を抜くという選択肢が消える。
――力の正体が分からぬ相手に会うのは、これで二度目か。
止めなければ何が起きたのか。
クラウスには分からなかった。
だが、分からないまま、将軍に剣を抜かせてよいとは思えなかった。
剣聖「陛下。お話をお続けください」
国王は剣聖を見た後、姿勢を正した。
何かを読み取ったのだろう。
国王「そちらの御方について、伺っておきたい。皇帝を名乗られていると聞いた」
アシュヴァルは何も答えなかった。
ただ、壁の装飾を眺めている。
国王はセラへ目を戻した。
国王「その御仁は、貴国の政治にどのように関与されている」
セラ「国の役職には就かれていません」
国王「では、貴殿の助言者か?」
セラ「違います」
国王「警護として同行されたのか?」
セラ「それも違います」
答えるほど国王の表情に疑念が増えた。
セラは、少し腹が立った。
自分だって、説明してほしい。
なぜ、いつもいるのか。
なぜ、何もしないのに、誰より楽しそうなのか。
だが、今それを言うわけにはいかなかった。
そんな話をしに来たわけではない。
剣聖「一つ、お伺いしてもよろしいか」
今度は剣聖クラウスが尋ねた。
剣聖「仮に両国の間で戦となった場合、その御方は軍に加わられるのか?」
周囲の者たちが黙った。
皆が、セラの返答を待っていた。
セラ「私は、その方の行動をお約束できません」
剣聖「命じる立場にはない、ということか」
セラ「はい」
別の臣下が口を開いた。
臣下「では、アルディアへ攻め入った場合も――」
セラ「待ってください!」
セラは国王へ向き直った。
セラ「私は王位の承認と、我が国の継承への介入について話しに来ています!なぜ、攻め入った場合の話をされるのですか!」
背後で皇帝が笑った。
セラは振り返る。
セラ「笑っていないで、あんたも何か――」
そこで止めた。
自分の代わりに話してほしいと、この男に頼みかけてしまっていた。
皇帝「何だ。続けよ」
セラ「……いい。あんたは黙ってて」
団長がセラを見た。
剣聖も皇帝の反応を確かめる。
アシュヴァルは、また笑った。
皇帝「では、貴様の話を聞こうではないか」
セラは玉座へ向き直った。
セラ「私に話をしてください。アルディアの次の王を、御国で選ぶおつもりなのか。それを伺っています」
国王はようやく、セラを見返した。
国王「正統な継承者の訴えを聞くことまで、貴殿は禁じるつもりか?」
セラ「話を聞くことと、その方を王にするために、他国の王が手を貸すことは全く違う話だと思います」
国王「我らが手を貸したと?」
セラ「そのお考えがあるのかを、今はお聞きしています」
国王は肘掛けへ手を置いた。
国王「貴殿が国を治めるに足る者か、貴国の諸侯が疑っている」
セラ「知っています。ですが、その諸侯と向き合うのは私の務めです。御国の兵を借りて、答えを決める話ではありません」
国王「近隣の乱れは、我が国にも及ぶ」
セラ「ですから、従来の取り決めは守ると伝えました。通行も交易も続けるためにも、ここへは来ています」
セラは一度、言葉を切った。
セラ「ですが、我が国の混乱を理由に次の王まで選ばれるつもりなら、その話には応じられません」
返答はなかった。
国王は剣聖へ目を向ける。
クラウスは僅かに顎を引いた。
国王「本日の話はここまでとしよう。返答は文書で遣わす」
また、文書。
セラはそう思ったが、今ここで答える気はないのだと分かった。
国王「道中の安全は保証する。滞在を望むのであれば、客舎を用意させる」
セラ「正式なご返答を、お待ちします」
セラは一礼した。
最後まで、膝はつかなかった。
*
謁見の間を出て、案内役が少し先へ進んだところで、団長が口を開いた。
団長「陛下」
セラ「分かってるわ。途中で声が大きくなった」
団長「それも、ありますが」
――それも。
他にもあるらしい。
団長「皇帝陛下への物言いです!」
セラは隣を見た。
アシュヴァルはまだ楽しそうだった。
セラ「だって、この人、ずっと笑っていたでしょう」
団長「それでもです!」
セラ「本人は怒っていないじゃない?」
団長「怒られてからでは、遅いのです!」
セラは口を閉じた。
ベルント伯爵は、言葉を言い終える前に殺された。
その記憶は消えていない。
どこまでが許されるのか。
自分でも分からないまま、口が先に動くようになっていた。
セラ「……気をつけます」
皇帝「うむ、よく気をつけよ。このままでは、貴様の臣下の方が先に倒れそうではないか」
セラ「誰のせいよ」
――また、出てしまった。
団長が黙った。
セラも黙る。
アシュヴァルだけが笑っていた。
*
謁見の間に残った国王は、扉が閉まると剣聖を呼んだ。
国王「説明せよ。なぜ止めた」
将軍「陛下。あの小娘の態度は――」
国王「お前に聞いているのではない」
国王の視線はクラウスへ向いていた。
国王「なぜ、止めた?」
剣聖「剣を抜くべき相手ではなかったためです」
国王「あの女が、か?」
剣聖「いえ、後ろにいた男です」
将軍が眉を寄せた。
将軍「滞空の術を使えるからといって――」
剣聖「お前は、あの男の前で剣を抜きかけた」
剣聖が将軍を見た。
静かな声だった。
剣聖「お前が剣を抜き終えるまで、無事でいられたか。私には判断がつかない」
将軍は口を閉じた。
国王が身を起こす。
国王「それほどか」
剣聖「あの男は、底が、見えません」
国王「勝てぬのか」
クラウスは、すぐには答えなかった。
見たことのない力を、想像だけで大きく伝えるべきではない。
しかし、分からないものを弱いと扱うこともできなかった。
剣聖「それを、試して確かめてよい相手でもございません」
国王は背もたれへ身体を戻した。
女に対する怒りは残っていたが、剣聖の判断を退けようとはしない。
国王「女は、あの男へ命じる立場にはないと言っていたな」
剣聖「はい、間違いなく」
国王「だが、あの女はかの男にあれほどの口を利いていた」
クラウスも見ていた。
笑うな、黙っていろ。
女王はそう言い、皇帝は笑って受け流していた。
命じられないという言葉だけで、二人の関係を判断してはならない。
何を許され、女王があの男にどこまで何を頼めるのかは、全く分からないままだ。
剣聖「少なくとも、本日あの二人を引き留めるべきではありませんでした。今後の継承についても、その点を踏まえてご判断を」
国王はしばらく考え、控えていた臣下を呼んだ。
国王「女王への返答を整えよ。通行の取り決めは維持する」
臣下「王位の承認につきましては」
国王「……まだ決めぬ」
クラウスは皇帝がいた場所へ目を向けた。
床にも柱にも、何の傷もない。
誰も殺されず、謁見は終わった。
それは、自分が将軍を止めたからなのか?
それとも、あの男が何もしないと決めていただけだからなのか?
最後まで、確かめることはできなかった。




