第九章 ルートの拡張
営業の楽しさを、思い出すまでに、十年と、異世界転生が、いるとは、思わなかった。
街・バルカに着いたのは、五日後の、夕刻だった。
リーゼは、初めての街に、口を、ぽかんと開けていた。石畳の音、馬車の鈴、肉を焼く煙、革と香辛料の匂い。雪国の村しか知らなかった彼女には、すべてが、めまいの種だった。
俺は、彼女の袖を、ゆるく、引いた。
「あんまり、口を開けてると、誰かが、何か、入れてくる」
「変な人、入れないで」
「それは、入れないよ」
ヴァルト翁の事務所は、商人ギルドの本部の、二階にあった。木造の階段が、一段、踏むごとに、ぎし、と、鳴った。
階段の途中で、すれ違った職員が、俺を見て、ぴたり、と立ち止まった。
「失礼。あなた、ササクラ殿か」
「はい」
「シェバ村―ハム村―鍛冶村―オーリ村―フィン村―ナミナ村―ドック村のルートを、開いた、あの」
俺は、頷いた。
職員は、しばらく、俺の顔と、ノートを、ぽかんと、見つめた。
それから、深く、深く、頭を下げた。
「私たちが、二十年、開けなかった道を、たった、半年で」
俺は、苦笑して、頷いた。
「俺、二十年、それしか、やってない仕事なので」
職員は、目を、潤ませた。
「神話、ではないんですね。本当の話、なんですね」
俺は、何と答えていいか、わからなかった。
ヴァルト翁の部屋に通されると、ヴァルト翁は、机に向かって、羊皮紙の山を、整理していた。窓際に、香炉。中で、薄い緑の煙が、ゆらり、と立ち昇っていた。
「来たか」
ヴァルト翁は、顔を上げて、にやり、と笑った。
「お主、ギルド本部の階段を、英雄のように、上ってきたな」
「いえ、すみません、ただ、上ってきただけで」
「謙遜は、もう、いい」
ヴァルト翁は、机の下から、一枚の、巨大な羊皮紙を、引っ張り出した。
「これを、見よ」
机の上に、広げられたのは、北方一帯の、地図だった。
そこに、赤い線で、いくつもの道が、書き込まれている。
赤い線の隣に、小さく、村の名前が、添えてあった。
シェバ村。ハム村。鍛冶村。オーリ村。フィン村。ナミナ村。ドック村。
俺の、ノートに、書いてある名前と、まったく同じ並びで、線が、繋がれていた。
「これは……」
「お主の、ノートを、ギルドが、複写、許可、いただいた範囲で、書き写した」
「複写したって、いつ」
「お主が、シェバ村でわしと話した、最初の夜じゃ。隣の部屋で、若い職員が、書き写しておった」
「許可、しましたっけ」
「した。寝言で」
ヴァルト翁は、本気か冗談か、分からない顔で、答えた。
俺は、地図を、見つめた。
七つの村が、放射状に、線で結ばれている。中央に、シェバ村。
これを、俺は、自分の足で、引いた。
「ヴァルトさん」
「うむ」
「これ、すごい、んですか」
「すごい、というか、神話の、欠片じゃ」
ヴァルト翁は、地図の、別の場所を、指差した。
地図の南西の隅に、薄く、別の七つの村が、丸印だけで、書かれていた。線は、ない。
「南西にも、似た、孤立した村が七つある。これも、お主に、繋いでもらいたい」
「繋ぐ、って」
「お主の三十六軒の、一部に、組み入れて、定期的に、回る」
俺は、頷いた。
「分かりました。問題は、距離と、季節と、馬車の有無、です」
「馬車は、ギルドが、出す」
「あ、そうですか」
「お主が、契約金を、断ったお礼じゃ」
ヴァルト翁は、ふっと、笑った。
「ところで、本題じゃ」
ヴァルト翁の、笑みが、ゆっくり、引いた。
「勇者の、名前を、聞いたか」
「いえ」
「クロキ・ショー、と、名乗っておる」
俺は、息を、止めた。
胸の中の何かが、ぐっ、と、押された。
「ササクラさん?」
リーゼが、俺の袖を、引いた。
俺は、息を、整え直した。
「ヴァルトさん、それ、俺の、知り合いです」
ヴァルト翁の、眉が、上がった。
「やはり、か」
「同期です。会社の」
「同期、というのは」
「同じ年に、同じ会社に、入った、別の人間、という意味です」
ヴァルト翁は、しばらく、考え込んだ。
「ふむ。お主と同じ会社の、出身か」
「はい」
「役職は、お主より、上、だったか」
「俺より、ずっと、上です。新規開拓の、エースで、表彰常連で、社内の評判も、良かった」
「お主は」
「俺は、ルート営業の、ヒラ、十年です」
ヴァルト翁は、はあ、と、長い息を、吐いた。
「あちらの世界でも、似たような構図だったか」
「はい」
「こちらに来て、引っくり返した、わけじゃ」
俺は、首を、振った。
「いえ。引っくり返したのは、こちらの世界の方で、俺は、ただ、いつもの仕事を、いつも通り、しただけです」
ヴァルト翁の、目が、ゆっくり、和んだ。
「その答えで、十分じゃ」
ヴァルト翁は、地図を、丁寧に、巻き戻した。
「クロキ・ショーは、近々、軍を、辺境に、向ける。お主の七つの村を、目標にする可能性が、高い」
「それは、徴税ですか」
「いや、それより、ひどい、おそらく、見せしめの、焼き打ち、じゃ」
俺は、ノートを、握る手に、力が入った。
「なぜ、見せしめを?」
「お主が、繋いだルートが、ある程度、機能してしまうと、勇者の、求心力が、相対的に、下がる」
「下がる」
「『勇者など、いなくとも、村は、生きていける』、という事実が、辺境から、街へ、伝わってしまう」
ヴァルト翁は、机の角を、指で、軽く、叩いた。
「クロキ・ショーは、それを、許容できぬ性格、と、見受けられる」
俺は、ノートを、ゆっくり、開いた。
新しい頁に、字を、書いた。
『勇者の襲撃。要対策』
書いた瞬間、視界の端で、文字が、すぅ、と、現れた。
【記録】に最大級の警告が、登録されました。
俺は、それを、しばらく、見つめた。
ヴァルト翁が、銀の留め金を、ことり、と、外した。
「ササクラ修。お主に、ひとつ、提案がある」
「はい」
「クロキ・ショーに、会いに、行かんか」
俺は、目を、上げた。
「会う?」
「会って、話す。お主の口から、勇者に、こちらの状況を、伝えるのじゃ」
「俺、たぶん、説得できないと、思います」
「説得が、目的ではない」
ヴァルト翁は、にやり、と、笑った。
「お主が、勇者と、対面した、という事実を、こちらが、欲しい」
「俺の名前を、勇者の前に、置きたい、と」
「左様」
俺は、ノートを、撫でた。
考えるべきことが、多すぎた。
リーゼが、心配そうに、俺の袖の裾を、軽く、引いていた。
「ササクラさん。会うの」
「うん。会う」
俺は、迷いながらも、頷いた。
会うこと自体は、たぶん、避けられない。
向こうから、来る前に、こちらから、行ったほうが、まだ、こちらの主導権が、残る。
それは、十年前、苦手な得意先に、年賀状を、こちらから先に、送るのと、同じ理屈だった。




