第十章 勇者の城
扉が、開いた瞬間、十年前の俺は、震えていた。
今もたぶん、震えている。
北の都の、白い城は、雪の朝の光を、吸い込むように、立っていた。
正門の前で、武装した兵士が、俺と、リーゼを、上から下まで、舐めるように見た。
「商人ギルドの、招請状を持つ、ササクラ修、と、同行者」
ヴァルト翁が、用意してくれた、招請状を、俺は、差し出した。羊皮に、青い蝋。商人ギルド本部の、紋章。
兵士は、招請状を、しばらく、確認した。
それから、無言で、扉を、開けた。
城の中の、廊下は、長かった。冷たい大理石の床が、足音を、ぴたぴた、と、跳ね返した。シャンデリアの蝋燭は、すべて、点いていた。光が、過剰だった。
謁見の間、と、書かれた、両開きの扉が、ゆっくり、開いた。
中央の、白い玉座に、若い男が、足を組んで、座っていた。
胸の銀の鎧。腰の、白銀の剣。
そして、見覚えのある、傲慢な、目。
「お前、ササクラ、か」
声は、低く、よく通る。十年、聞き慣れた声だった。
「ああ。お前だけじゃなく、俺まで、来てたとはな」
黒木は、ふっ、と、笑った。
笑い方は、十年前と、何も、変わっていなかった。
「俺は、勇者になった。お前は、何になった?」
「ルート営業」
俺は、答えた。
「変わってないな」
「変わる必要が、なかった」
「で、何しに来た」
俺は、ノートを、片手に、立ったまま、答えた。
「お前が、辺境の七つの村を、焼くって聞いたから、頭を下げに来た」
謁見の間に、しん、とした空気が、流れた。
側近らしい鎧の男たちが、顔を、見合わせた。
黒木は、足を、ゆっくり、組み替えた。
「頭、下げに、来た?」
「ああ」
「下げるだけ、で、お前は、何を、もらいに来たんだ」
「もらいに来てない。お願いしに来た」
「お願い、ね」
黒木は、玉座から、ゆっくり、立ち上がった。
歩き出すと、銀の鎧が、ちゃり、と鳴った。
俺の前まで来て、黒木は、しゃがんで、俺のノートに、目をやった。
「相変わらず、ノートか」
「相変わらず」
「お前のは、お遊戯だ」
黒木は、立ち上がりながら、続けた。
「本物の『ルート(世界路)』は、剣で、引く。村を、繋ぐんじゃない。村を、踏み潰して、その上に、まっすぐな、街道を、敷くんだよ」
「踏み潰した村に、誰が、住むんだ」
「住むやつだけが、住めばいい」
「住むやつが、いなくなったら、街道は、何のために、ある」
黒木は、にやり、と、笑った。
「街道は、勇者の、ためにある」
俺は、しばらく、黙った。
ノートの背を、指で、軽く、触った。
このノートに、書いてある、シェバ村の、リーゼの父の咳。ハム村の、井戸の傾斜。鍛冶村の、麦袋の重み。
そのどれも、黒木の言う「街道」には、要らない、ということになる。
俺は、ゆっくり、息を、吐いた。
「黒木」
「なんだ」
「俺、お前の言う、街道、好きじゃない」
「だろうな」
「俺の、ルートは、お前の、街道とは、別の場所に、ある」
黒木の、笑みが、わずかに、止まった。
「別の、場所?」
「うん。お前の街道は、お前の権力が、消えたら、消える。俺のルートは、関わった人が、覚えてる限り、消えない」
それは、十年前、新規開拓のチームの面接で、言えなかった言葉だった。
言えなかった理由は、社内では、誰も、それを、評価しなかったからだ。
ここでは、誰が評価するかは、もう、関係なかった。
黒木は、俺の頬を、指で、ぐっと、つついた。
「お前、ちょっと、変わったな」
「変わってないよ」
「いや、変わった。十年前のお前なら、こんなとこで、立ったまま、口、きけなかった」
「そうかも」
「で」
黒木は、ふっ、と、笑った。
「で、お願い、って、なんだ」
「七つの村を、焼くな」
「却下」
俺は、頷いた。
「分かった」
「分かった?」
黒木は、目を、丸くした。
「やけに、引き下がりが、早いな」
「お前が、却下するの、知ってた」
「知ってたなら、なんで、来た?」
俺は、ノートを、ぱたん、と、閉じた。
「俺、お前の前で、この、ノートを、見せに、来たんだ」
「は?」
「俺は、ノートに、お前の今日の言葉を、記録した。これで、商人ギルドが、お前の意図を、正式に、把握する」
謁見の間の、空気が、再び、止まった。
側近の一人が、慌てた様子で、玉座に、駆け寄った。
「勇者様、これは、商人ギルドの、正式な、訪問記録です。後日、ギルドが、各村に、通達します」
黒木の、目が、わずかに、揺れた。
「お前、それ、最初から、狙って、来たのか」
「狙う、って、ほどでも」
俺は、首を、振った。
「俺は、十年、ルート営業で、訪問記録を、つけてきただけだ。来たから、書いた。それだけだ」
「ルート、営業」
黒木は、苦々しげに、その言葉を、繰り返した。
「相変わらず、お前は、不愉快だ」
俺は、頷いた。
謁見の間を、出るとき、リーゼが、俺の袖を、ぎゅっ、と、握った。彼女の手のひらは、汗で、しっとりしていた。
廊下を、歩きながら、リーゼが、ぽつり、と、言った。
「ササクラさん、すごい」
「すごくない」
「ううん、すごい。あの人、怖かった。私、声が、出なかった」
「俺も、怖かったよ」
「でも、ノート、出した」
「ノートだけは、捨てるな、って、言われたから」
リーゼは、俺の袖を、ぎゅっ、と、もう一度、握った。
廊下の窓の外で、城下の街が、雪を、被り始めていた。
俺は、その雪を、見ながら、ノートに、もう一行、書いた。
『勇者・黒木は、村を、焼く意志がある。要、防衛』
書いた瞬間、視界の端で、文字が、すぅ、と、現れた。
【記録】に防衛戦の予兆が、登録されました。
城を出ると、外は、もう夕方だった。
街の通りは、雪のせいで、半分ほどしか、人通りが、なかった。
リーゼと、二人、ゆっくり、街の宿屋に、向かって歩いた。
途中、屋台で、湯気の立つ、肉まんのような、丸いパンを、二つ、買った。一つを、リーゼに、渡した。
「ササクラさん」
「うん」
「あの人と、十年、同じ会社だったの」
「うん」
「いつも、あんな、感じだったの」
「いつも、もっと、ひどかった」
リーゼは、肉まんを、頬張りながら、しばらく、黙っていた。
「ササクラさん、よく、頑張ったね」
「頑張ってない。ただ、回ってただけ」
「回ってただけ、って、十年、よく、続けたね」
そう言われたのは、初めてだった。
社内では、誰も、続けたことを、褒めなかった。続けることは、新しいことを、始められない無能の証拠、と、見なされていた。
俺は、肉まんの、湯気を、しばらく、見つめていた。
肉まんの皮の、ふくらみは、十年前、駄菓子屋の前で、女の子に渡したのと、同じ、形だった。
世界が、違う場所で、同じ形が、出てくることが、不思議だった。
俺は、ノートを、握り直した。
明日から、防衛戦の準備を、しなければ、ならない。




