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底辺営業マンが異世界転生して 滅びの王国を新規開拓で救った話  作者: もしものべりすと


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第八章 ルート三十六番、もう一度

日本にいた頃の俺の担当は、三十六軒だった。


ここでも、三十六軒を、回ることに、決めた。


三軒が、五軒に、なるのに、ふた月かかった。


五軒が、十軒になるのに、また、ふた月。


雪が、少しずつ、解けていった。


道の脇に、青い小さな花が、点々と、咲き始めた。リーゼは、その花を、ぽつりぽつりと、籠にためた。


「染料に、なるの」


「染料か」


「シェバ村の毛皮、これで、染めたら、もっと、高く売れる」


リーゼは、いつのまにか、俺の弟子のような顔で、ノートを覗き込むようになっていた。


字は、まだ、読めない。だが、絵で見ることは、できる。三十六軒のうち、書き加わった村と村のあいだの線を、彼女は、しっかり、覚えていた。


俺の頁は、薄い網目のように、なっていった。


シェバ村。

ハム村。

鍛冶村。

南のオーリ村。

谷沿いのフィン村。

湖辺のナミナ村。

山の中腹のドック村。


商人ギルドからもらった登録証を、入り口で見せれば、ほとんどの村が、最初の警戒を、解いてくれた。


商人ギルドの古い古い言い伝えを、知っている年寄りが、どの村にも、たいてい一人はいた。


そのたびに、俺は、頭を下げて、まずバックヤードから入って、井戸を見た。


井戸は、不思議と、どこの村でも、何かしら、問題を抱えていた。


水脈の見方は、ハム村で経験を積んだ。倉庫の換気は、卸の倉庫長から教わった知識を、ぶっつけで使った。麦の貯蔵は、押し入れの奥に、湿気抜きの炭を、置くだけで、変わった。


「お前、若いのに、何でも、知っとるのう」


そう言われるたびに、俺は、笑って、首を、振った。


「ぜんぶ、過去の上司や先輩から、教わっただけです」


それは、本心だった。


ノートに残された、十年分の、知識と、教え。それが、ここでは、ほとんどの村で、神様の知恵のように、扱われた。


過去の上司の中には、嫌な奴も、いた。


理不尽なことで、怒鳴る課長。手柄を、横取りする先輩。会議室で、俺の意見を、嘲笑った同期。


でも、彼らも、間違いなく、何かしらの知恵を、俺に、置いていった。


いいことも、悪いことも、結局は、俺のノートに、書き溜まった。


そして、ノートは、こちらの世界で、村ごとに、形を変えて、役に立っていた。


与信、という考え方も、活きた。


ある村の、大量の麦の前払いを、別の村が肩代わりする、というやり取りを、俺は、ノートで管理した。


「これ、どういう仕組みなんじゃ」


オーリ村の長老が、目を丸くした。


「与信、って、いいます。つまり、こちらの村が、向こうの村を、信用してる、と、書いて、保証する仕組みです」


「保証するのは、誰じゃ」


「俺、です」


俺は、苦笑した。


「俺が、両方の村の、ノートを持ってるので。両方の村に、必ず、決まったタイミングで、回ることが、保証になってます」


「お前さん、これ、神話の言葉で、なんと言うか、知っとるか」


「いえ」


「『道を、信用に、変える』。古い、ギルドの口伝えじゃ」


長老は、髭を、震わせた。


「お前さんが、道だ」


俺は、その言葉に、しばらく、答えられなかった。


ノートが、道で、俺が、道だ、というのは、自分でも、ぼんやりとは、感じていた。


だが、面と向かって、言われたのは、初めてだった。


ある日、ヴァルト翁から、(ふみ)が届いた。


街の伝令が、馬で、シェバ村まで持ってきた。手紙は、紙ではなく、薄い羊皮で、銀の留め金の代わりに、青い蝋で、封がしてあった。


開くと、ヴァルト翁の、几帳面な字で、こう、書かれていた。


『お主の三十六軒、十二軒に達したと、聞いた。良い兆しじゃ。が、北の都から、不穏な噂を、伝えておく』


『勇者、と称する若い男が、二月前から、北の都の中央広場で、辻説法を、はじめた。曰く、世界は、ぬるい。商人など、要らぬ。剣で、繋ぎ直す、と』


『若者は、異国から来た、と称しておる。容姿は、お主と、同じ黒髪。気をつけられたい』


俺は、手紙を、もう一度、最初から読み直した。


異国から来た、黒髪の、若い男。


剣で、世界を、繋ぎ直す。


「ササクラさん」


リーゼが、覗き込んだ。


「どうしたの。顔色」


「うん。たぶん、知ってる人かもしれない」


「知ってる人?」


俺は、ノートの、空白の頁に、字を、書いた。


『勇者、と称する黒髪の男。北の都。要警戒』


書いた瞬間、視界の端の文字が、すぅ、と、現れた。


【記録】に第二の異界来訪者が登録されました。


俺は、目を、しばたたかせた。


第二の、異界来訪者。


つまり、俺の他に、もう一人、誰かが、こちらに、来ている。


そして、その誰かが、勇者を、名乗っている。


「リーゼ」


「うん」


「俺、これから、しばらくは、北の都の、噂を、慎重に、集めながら、回る」


「分かった」


リーゼは、しばらく、俺の顔を見て、ぽつり、と、言った。


「ササクラさんが、こんな顔するのは、初めて、見た」


「そんな、変な顔してた?」


「うん。ちょっとだけ、怖い顔」


「俺、たぶん、十年、その顔を、する練習を、してきたんだよ」


「練習?」


「会社で、嫌な同期がいてね」


俺は、ノートの背を、指で、軽く叩いた。


「いつか、そいつに、追い抜かれる夢を、見るたびに、俺は、起きて、ノートを開いて、お得意先の名前を、ひとつずつ、読み返してた」


「読み返したら、どうなったの」


「眠れた」


「変な人」


リーゼは、笑った。


笑いながら、彼女は、俺のノートの上に、青い小さな花を、ひとつ、置いた。


「染料に、ならない大きさだから、これは、おまけ」


俺は、その花を、ノートの間に、挟んだ。


挟んだ瞬間、自分の十年と、こちらでの数ヶ月が、同じノートの中に、収まった気がした。


俺は、ふっ、と、息を吐いた。


ヴァルト翁から、もう一通、追伸が届いた。


『勇者は、近々、辺境の村々に、徴税の名目で、軍を出すという。お主の、最大の敵対者になり得る』


俺は、その追伸を、しばらく、見つめた。


辺境の村々、という言葉が、俺の三十六軒のうち、十二軒を、まるごと、含む可能性があった。


俺は、ノートを、閉じて、立ち上がった。


「リーゼ。明日、ヴァルト翁に、会いに、街へ出る」


「街、行くの」


「うん。一度、ちゃんと、ヴァルト翁と、話しておきたい」


「私も」


リーゼは、口を結んだ。


「私、も、行く」


俺は、しばらく、彼女の顔を、見つめた。


それから、頷いた。


胸ポケットに戻したノートが、わずかに、重かった。


その重みは、たぶん、ヴァルト翁の文の重みではなく、ノートの中で、もう一人、知っている人間の名前が、起き上がろうとしている重みだった。

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