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底辺営業マンが異世界転生して 滅びの王国を新規開拓で救った話  作者: もしものべりすと


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第十九章 別れ

営業は、出会った数だけ、別れる仕事でもある。


開けた草原からハム村に戻ったのは、夕刻だった。


二百を超える人々は、それぞれの村に帰り始めていた。


俺は井戸端で、一人ずつ頭を下げた。


「ありがとうございました」


「ササクラ殿こそ」


「ササクラ殿、また、ノートを持って回りに来てくだせえ」


「もう、シェバ村だけじゃなくて、うちの村にも」


それぞれが、それぞれの言葉で、別れの挨拶を置いていった。


俺はそれをすべて、笑顔で受け取った。


ハム村の井戸端に最後まで残ったのは、リーゼとヴァルト翁、シェバ村の村人たちだった。


リーゼがノートを両手で抱えて、こちらに歩いてきた。


「ササクラさん、戻ってきた」


「うん、戻ってきた」


「絶対、戻る、って言ったから」


「うん」


リーゼはノートを、俺の胸に押し付けた。


「商人の約束、守ってくれた」


「うん」


俺はノートを受け取った。


胸ポケットに戻した瞬間、いつもの重みが戻ってきた。


その重みが、自分の心臓のあたりで温かくなった。


ヴァルト翁が近づいてきた。


「ササクラ」


「はい」


「お主、これから何をするつもりじゃ」


俺はしばらく考えた。


「ノートに書かれた村を、もう一度ぜんぶ回ろうと思います」


「最後の挨拶をしてから、街に戻ります」


「最後の、挨拶」


ヴァルト翁がにやりと笑った。


「お主、自分でも気づいておるな」


「気づいてます」


俺は頷いた。


「世界ルートが繋がった瞬間から、俺の体、少しずつ薄くなってます」


「いつから気づいた」


「黒木の前で、頭を下げた直後から」


「なるほど」


ヴァルト翁はしばらく空を見上げた。


「神話にこうある。世界ルートが再接続された日、それを引き直した者は、元の世界に還る。それが、神々の定めじゃ」


「なんで還るんですか」


「神々の儀式は、対価を求める。引き直した者の、こちらでの存在を対価とする」


俺は頷いた。


「分かりました」


「悲しまんのか」


「悲しいです」


「悲しいか」


「悲しいけど、たぶん、これでちょうど、いいと思います」


俺はノートの背を、軽く叩いた。


「俺、向こうにまだ続いているルートがある。三十六軒、回り終わってないんです」


「うむ」


「向こうのお得意先たちにも、頭を下げて回らないと」


「うむ」


「だから、還ります。還って、また、回ります」


ヴァルト翁の目が、ゆっくり和んだ。


「お主、本当に、ルート営業じゃのう」


「はい」


「行ってくる、というのは、必ず戻る、という契約じゃ、とお主、言うとったな」


「はい」


「それじゃあ、こちらにも戻ってこい」


ヴァルト翁の声が、わずかに震えた。


俺は頷いた。


頷きながら、答えなかった。


答えられなかった。


ヴァルト翁が、深く、深く頷いた。


「分かった。答えんでいい。商人ギルドは、お主の頁を永遠に残す」


「ありがとうございます」


俺は頭を下げた。


それから、シェバ村に戻った。


戻る道は、雪がほとんど解けて、青い小さな花が点々と咲き始めていた。


リーゼと、二人で歩いた。


「ササクラさん、私の村、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、回ってくれた」


「うん」


「だから、最後にシェバ村が、いい?」


「うん」


シェバ村の入り口に、村人たちがぜんぶ並んでいた。


イーラ婆さんが最前列で、白い髪を撫でていた。


「ササクラ」


「はい」


「ノートに、わしの名前、まだあるか」


「あります」


「消さんでくれや」


「消しません」


「行きなさい」


イーラ婆さんは頷いて、頭を下げた。


俺は頭を下げ返した。


下げ返しながら、十年回ってきたお得意先の婆ちゃんの顔と、彼女の顔が重なって、しばらく息が止まった。


世界が違う場所で、同じ顔が出てくるのは、不思議だった。


不思議と、世界はたぶん、同じ顔の人間で繋がれている、ということなのかもしれなかった。


シェバ村の村長の家、つまりリーゼの家に戻った。


家はまだ、屋根の半分が抜けていた。


囲炉裏の灰の匂いが、湿っていた。


リーゼが、囲炉裏のいつもの場所に座った。


俺は、向かいに座った。


俺の体はもう、半分、薄くなっていた。


「ササクラさん」


「うん」


「行っちゃうの」


「うん」


「戻る場所があるの」


「うん。三十六軒、まだ続いてる」


「待ってるね」


「うん」


「いつか、また、来てくれる?」


「分からない」


俺は首を振った。


「分からないけど、ノートには君の名前をぜんぶ残しておく」


俺はノートを開いた。


開いて、リーゼの頁を撫でた。


それから、ノートを彼女に差し出した。


「これ、君に預ける」


「え」


「俺の向こうのお得意さんと、こちらのお得意さんが、ぜんぶ書いてある」


「これは、世界のルートだから、世界に置いていく」


「君が、こちらのお得意さんたちの代わりに、世界を見ててくれ」


リーゼはノートを両手で受け取った。


両手の指が、ふるえていた。


「これ、ササクラさんの命、だよ」


「うん」


「もらっていいの」


「うん」


「絶対、絶対、戻ってきて、っていう契約、ノートを、預ける」


「うん」


リーゼはしばらく、ノートを抱きしめていた。


それから、ぽつりと言った。


「ササクラさん」


「うん」


「私、字、もっと習うね」


「うん」


「ノートの空白の頁に、私が続きを書く」


「うん」


「だから、見に来てね」


「うん」


俺は頷いた。


頷きながら、自分の体がもう、ほとんど透けていた。


囲炉裏の火が、俺の体の向こう側を、ちらりと揺らして見せた。


俺は最後に、ノートを開いて、空いている頁に字を書いた。


『リーゼへ ありがとう ササクラ』


書き終えた瞬間、俺はリーゼにノートを戻した。


リーゼはノートをぎゅっと抱きしめた。


抱きしめた腕の中で、ノートの最後の頁の字を、ゆっくりなぞった。


俺の体が、ふっと軽くなった。


世界が、白く溶けていった。


リーゼの声が、最後まで聞こえた。


「ササクラさん。


行ってきます、って言って」


俺は笑った。


笑いながら、答えた。


「行ってきます」



リーゼの抱きしめた腕の中で、ノートの表紙がわずかに光った。


光はすぐに消えた。


家の中の囲炉裏の火が、ぱちりと爆ぜた。


リーゼはノートを両手で抱えたまま、しばらく動かなかった。


家の半分抜けた屋根の隙間から、青い小さな花がひと片、ふわりと舞い込んだ。


花はノートの最後の頁の上に、そっと落ちた。


リーゼはその花を指でつまんで、ノートの間に挟んだ。


挟んだ瞬間、彼女の頬を、初めて、涙がひと筋伝った。


伝った涙はすぐに、ノートの表紙に落ちて染み込んでいった。


『行ってきます』


その言葉が、家の中で、もう一度こだまのように響いた。


リーゼはぽつりと言った。


「行ってらっしゃい」


その声は、囲炉裏の火の音より低く、けれどはっきりと、家の中の空気に刻まれた。

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