第十五章 連絡網は、ルートでできている
営業マンの伝言ゲームは、本社のメールより速い。
ヴァルト翁の事務所の地下室に、俺ははじめて入った。
天井が低い、石造りの部屋だった。中央に丸い石の台が置かれていて、その上に、青い苔のような薄い光を放つ苔玉が、四個、並んでいた。
「これが、伝令石じゃ」
ヴァルト翁が苔玉を指で軽く示した。
「世界ルートが繋がっている場所同士なら、一方で言葉を吹き込むと、もう一方で声が再生される」
「なるほど」
「あちらの世界の、なんと言うか、知らんが」
「電話、だと思います」
「でんわ」
「うん。声が別の場所で聞こえる仕組み」
ヴァルト翁はにやりと笑った。
「神話の伝令石が、お主の世界では、でんわというのか。便利な世界じゃ」
「便利、です。でも、こちらと似てるのは、結局、どこに繋ぐかは人が決めなきゃいけない、という点で」
「うむ」
俺はノートを開いた。
「俺は、この四つの伝令石を、こうやって配ろうと思います」
俺は地図に、印を打った。
シェバ村。
オーリ村。
南西の、新たに繋いだ孤立した七つの村のうち、地理的中心のティル村。
そして、ヴァルト翁のギルド本部。
四つの拠点。
「この四つの拠点から、それぞれ徒歩や馬車で半日以内の村に、伝令を走らせます」
「うむ」
「同時に、すべての生き残った村に、こう伝えてもらいます」
俺はノートに書いた。
『勇者の支配を拒む者は、集まれ。場所は、ハム村の井戸端』
「井戸端」
ヴァルト翁が頷いた。
「お主が最初に、井戸の傾斜を直した場所じゃ」
「はい」
「象徴的じゃの」
「象徴、というか、たぶん、あの井戸の周辺は、雪どけの水がいちばん多く湧く土地なので、人を集めても飲み水が足りる、と思って」
ヴァルト翁はしばらく俺を見つめて、笑った。
「実用的だな」
俺は頷いた。
「実用、優先で」
伝令石が、震えた。
最初の伝言を四つの石に吹き込んだのは、俺だった。
短い言葉だった。
『シェバ村のササクラだ。村と村を繋ぐ仕事を、続けてきた者だ。勇者の支配を拒む者、ハム村の井戸端に来てほしい』
ヴァルト翁が苔玉を、軽く撫でた。
苔玉は四個とも、同じ青い波紋を出した。
その波紋が世界に伝わっていく感覚が、確かに地下室の壁の向こうから響いた。
俺は目を閉じた。
頭の中で、十年回ってきたお得意先の顔が、ぐるぐると回った。
パン屋のおじさん。
駄菓子屋の婆ちゃん。
山の食堂のおじいさん。
俺の最初の先輩。
ぜんぶ、もう、こちらの世界にはいない人たちだった。
でも、彼らから教わった、たった一つの言葉が、今、世界に響いている。
『お得意さんを、忘れるな』
俺は目を開けた。
ヴァルト翁が苔玉から手を離した。
「あとは、待つだけじゃ」
「待つ、って、何日」
「お主のノートが本物の世界ルートなら、三日。偽物なら、永遠」
「永遠」
「永遠じゃ」
ヴァルト翁はにやりと笑った。
俺はしばらく、苔玉の前で座っていた。
座っていたら、リーゼが地下室まで降りてきた。
「ササクラさん」
「うん」
「上で、人が来てる」
「人?」
「ハム村に向かってる、って」
俺は立ち上がった。
階段を駆け上がった。
事務所の窓の外を見た。
街の通りに、ぽつりぽつりと人が増えていた。
毛皮の外套を着た辺境の者たち。麻の簡素な服を着た村の若者。鍛冶屋らしい、ぶ厚い前掛けをつけた男たち。
「もう、来たのか」
俺は目を瞬かせた。
ヴァルト翁が後ろから笑った。
「世界ルートは、神話の神々の道じゃ。物理的な距離より、関係性の距離で繋がる。お主のノートに名前が書かれた者は、声が最も早く届く」
俺は息を止めた。
街の通りに増えていく人の数を、見た。
商人風の男が馬車を降りて、こちらに頭を下げた。
「ササクラ殿。シェバ村に五年前、塩を納めた、フォルカ商会の息子です。父が亡くなる前に、ササクラ殿の話を、何度もしておりました」
俺はノートを開いた。
ノートにフォルカ商会という名前は、書いていなかった。
「いえ、五年前、俺、シェバ村にいなかったんですけど」
「いえ。神話で、お主と繋がったということです」
商人は頭を下げた。
「ササクラ殿のルートに、加えてください」
「あ、はい」
俺はノートに、フォルカ商会と書いた。
【記録】に新規加盟者を登録しました。
文字が、また、視界の端で光った。
そのあと、ぽつりぽつりと現れる人々の数は、増え続けた。
ある人は、徒歩で。
ある人は、馬で。
ある人は、馬車で。
ある人は、家族ぐるみで。
ぜんぶ、俺のノートの何処かに、名前が書かれていた。
そうでない人も混じっていた。だが、彼らは必ず、ノートに書かれた誰かの紹介で来ていた。
紹介、つまり、ルートの二次元の広がりだった。
俺はその人々を、街の通りで、ひとりずつ出迎えた。
ハム村の井戸端まで、数日の道のりがある。
その間、俺はノートに新しい名前を、ひたすら書き加え続けた。
書き加える手が、ふるえなかった。
二十三名の横線の隣に、それをはるかに上回る数の名前が、増えていった。
リーゼが隣でぽつりと言った。
「ササクラさんが回ってきた人たちが、ぜんぶ、来てくれた」
俺は頷いた。
頷きながら、自分の頬がわずかに緩んでいることに気づいた。
ヴァルト翁が後ろでぽつりと言った。
「ササクラ。お主、初めて笑ったのう」
「え」
「街に来てから、ずっと能面じゃった」
俺は自分の頬に手を当てた。
確かに、いつもよりも、少しだけ、頬の筋が上に上がっていた。
笑うという動作を、十年、忘れていた気がする。
笑う必要がなかった、というべきかもしれない。
でも、今は、笑うというより、頬が勝手に緩んだ。
その勝手に緩んだ感覚が、十年、社内でずっと抑え込んできた何かを、そっと外していた。
街の通りには、もう、数百人、集まっていた。
俺はヴァルト翁に頷いた。
「みんなをハム村まで、安全に移送する手配を、お願いします」
「うむ」
「俺は、ノートを持って先に出ます」
「先に行って、何を」
「井戸端に、もう一度、線を引きます」
俺はノートをぐっと握り直した。
「人を迎える線、です」
リーゼが俺の隣で頷いた。
「私も、行く」
「うん」
「井戸端で、待ってる」
「うん」
俺は麻袋を肩に担ぎ直した。
肩にノートの重みが、わずかに伝わった。
その重みは、二十三名分の重みと、千人を超える名前の重みが、ちょうど釣り合っている重みだった。




