採掘場での一騒動
- 富士樹海 河口湖周辺 午後二十三時十一分 大首領 -
「……抜き足……差し足」
私の動きに合わせてカサリカサリと音がする。
「……抜き足……差し足」
自らの気配を消し、暗く静かな山中を進む。
大股でゆっくりと静かに……抜き足……忍び足……。
「……マスター」
「……話しかけるではない。私は今忍びに忍んでいるのだ」
「いえ、それはよいのですが、なぜこのような格好をしているのですか?」
私の後ろを普通に歩いて着いて来ていたアリスが、視線を上にあげてソレを注視する。
「これは日本に古来から伝わる泥棒の衣装なのだ。知らないか?」
頭に被っている物、ほっかむりを指差す。
「いえ、名称は知っています。ですが、それはただの布着れであり消音効果がある訳でもなく赤外線を遮断する機能がある訳でもありません。それを身に着ける意味が分かりません」
意味というか気分の問題だ。それに、ほら、顔が隠れるから正体が分かりにくくなるだろ?
「マスターの体格ではどのような変装でも一発で分かってしまうと思うのですが」
アリスは極めて冷静な口調で突っ込んでくる。
「……息苦しいからやめるとするか」
「はい、それがよいと思います」
私はほっかむりを取るときれいに折りたたみ胸元へしまい込んだ。
今私達は富士山の北側、河口湖周辺の樹海の中にいる。時刻としては夜の十一時を少しまわったぐらいだ。昼間はそれなりに光に満ちているだろう樹海は、今は月の光さえ届かない漆黒の空間である。たまに聞こえてくる夜梟の鳴き声が不気味さを演出していた。この樹海を抜けた先に目的地であるサクラジウムの採掘場がある。
私の後ろを歩くアリスは汗一つかいていない。彼女の足では落ち葉の積み重なったこの道は大変だと思うのだが、歩く速度はいつもと変わらないように見える。何かそういう特殊な歩法でもあるのだろうか。
逆にその後ろを歩いている雨達は疲労気味だ。特に雪と戦闘員達は背負っている武器が木や草に当たって歩きにくそうにしている。樹海に入ってから既に二十分あまり。慣れない山道に皆の疲労は溜まりに溜まっているようだった。
今回の作戦はすごくシンプルだ。私、アリス、雨、雪。それに訓練成果の高かった戦闘員四名で採掘場へ潜入し、サクラジウムを入手する。進入経路は警備の厚い正面を避け、採掘場を覆っている樹海からだ。施設内の地図は既に入手できており、比較的安全に進入できるルートも用意してある。サクラジウムを入手した後は速やかに施設から脱出。樹海の傍に置いてきた車に戻り、アジトへ帰るという算段だ。
もちろん戦闘になる事も考え、閃光弾や煙幕弾。ゴム弾を発射するライフルも用意してあるし、発見が困難な防犯設備用に妨害電波発生装置なんてものも持ってきている。そのおかげで少々荷物は増えてしまっているが、皆の安全を守る為だと考えればこれも致し方なかろう。
施設の警備員は分かる範囲で四十人程度で、内訳は警備用の門が道路沿いに三箇所あり分散する形で十人、施設内は三十人程度という話だ。人数はたしかに多いが、戦闘になったとしてもファイヤーレッド程の脅威ではない。苦戦はしたとしても負ける事はないだろう。
しばらく樹海を進み、小高く隆起した地面を登る。その直後、後ろを歩いていた戦闘員の一人がいきなり転んだ。
「おい、どうした?」
「いや、なんだこれ、穴か?」
見てみると彼の右足は太もも部分まですっぽりと落とし穴に埋まっていた。彼は右足を引き抜こうともがくが、一向に抜けないようだった。
「ちょっと見せてください」
アリスが戦闘員の所に行き彼の右足が埋まっている穴を確認する。右の人差し指を穴に突き刺し、引き抜くと、指先にぬらりと光るものが見えた。
「……粘着性の樹脂、ですね。急いで彼を引き抜いてください。この樹脂は衝撃が加わると急速硬化するタイプです」
「一体なんでこんなところにそんなものが? もしかして罠か何かですの?」
戦闘員四人が穴に落ちた戦闘員の体をがっしりと掴み、引き抜く。ややあって彼の右足はなんとか穴から抜けた。彼の右足には半透明の粘度の高い液体がべったりとついていた。
「罠だったとしても、こんだけ暗くちゃ何にも見えないのだ」
雨がそう言って不用意に右足を前に踏み出す。その瞬間、雨が忽然と姿を消した。
おい、どこへいった!?
「ここなのだ~!」
上を見上げると雨が逆さの状態で宙吊りになっていた。右足部分を見るとワイヤーのような紐が引っかかっている。彼女は両手でスカートがめくれないように器用に押さえると、体を右に左に揺らしなんとかワイヤーの拘束から逃れようともがいていた。
「全員動くなっ!」
私の号令に全員の動きがピタリと止まる。
「何も触るな! 何があるか分からんぞ!?」
辺りを静寂が支配する。頭上で雨がじたばたともがく音だけが聞こえる。
どうやらこの辺り一体には罠が仕掛けられているようだ。不用意に動くと次は何が出てくるか分からんぞ。
「……おかしいですね。採掘場の警備レベルは確かにAランクと高めにはなっていますが、周囲の樹海にまで罠を仕掛けているというのはいささか不可解です」
「ですが、現にこうやって罠が張り巡らされていますわ。事前調査で分からなかっただけではないんですの?」
「その可能性も否定できなくはないのですが、それにしても罠の種類が陳腐です。解せません」
そこまで話してアリスが目を細めて前方を注視する。暗くて何も見えないが、何かあるのか?
「ちょっと待ってください。今赤外線モードに切り替えます」
アリスの瞳に一瞬だけ緑の走査線が走る。彼女の眼球は人工の物で複数の機能があるらしく、機能を切り替える時に今のように光の線が一瞬走る。私が聞いているのは望遠と暗視、それに今言った赤外線だ。彼女はしばらく前方を見ていたが、何かに気付いたようで眉を怪訝そうにしかめる。
「……足跡?」
注視していたところに歩いていきしゃがむと、落ち葉を優しく掻き分け始める。その後二度、三度と優しく地面を触ると、彼女はこちらに振り向いた。
「マスター、足跡です。しかも一人ではなく複数人です」
アリスのしゃがんでいる所まで進み、彼女の手のひらが示す部分へライトを当てる。薄っすらとではあるがその部分だけ地面にへこみがあった。三日月のようにへこんでおり、何か模様のようなものが見て取れる。確かに彼女の言うとおり足跡のようだった。
誰かがここを通ったという事か? こんな未開の樹海をか?
「何の目的があったのかは分かりませんが、何者かがここを通ったのは間違いないようです。足跡はこの先へまっすぐ続いています」
彼女の視線の先には真っ暗な樹海が広がっているが、その方向は私達が行こうとしている採掘場の方向だ。
「しかも、この辺一帯は複数の人間が繰り返し歩いたような感じです。足跡の乾き具合から見て、そう時間も経っていないでしょう。経っていたとしても一日……いえ、二日程度でしょうか」
「という事は、数日前に何者かがここに罠をしかけたと。そういう事になるのか?」
「可能性の話ではありますが、現状分析からはそう判断できます」
「も~、足跡はいいから降ろして欲しいのだ~!」
雨が顔を真っ赤にしながら泣き叫ぶ。ずっと逆さ吊りだったので頭に血が上って苦しそうだ。
「雨、動くな。周囲の安全を確保したら下ろしてやるから、もう少し辛抱していろ」
「そうは言っても、頭に血がのぼってくらくらしてきたのだ~」
空中でもがく雨の胸元から何かが落ちる。あれは携帯電話だろうか。その携帯電話が雨の真下の地面に落ちて、弾んだ。
次の瞬間、携帯電話の落ちた地面からワイヤーが飛び出す。ヒュルヒュルと風切り音を鳴らし、ワイヤーが近くの木に吸い込まれていった。その直後、『ぶぉん!』と何か巨大な物体が暗闇から飛び出してくる。
「どぉわぁっ!?」
条件反射で真横に飛び、それを避ける。いきなり飛び出してきたのは巨大な丸太だ。その丸太が振り子の原理で右に左にと空中を舞う。
「きゃぁ!?」
「なんじゃ、こりゃ!?」
「あっぶねぇっ!?」
丸太が私達の間を縦横無尽に飛び回る。いきなり飛び込んできた丸太に場は大混乱だ。
「ぎゃわぁっ!?」
遠くで戦闘員の悲鳴があがる。誰かが新たに踏んだ罠によって丸太が二本に増え、戦闘員をなぎ倒したのだ。
「こなくそっ!」
私に向かってきた丸太に向かって体重を乗せた拳を下から打ち付ける。丸太は拳が当たった所から真っ二つになると上空へ吹っ飛んでいった。
丸太を砕いた衝撃はさほど重くはない。私の拳撃でも十分破壊可能なようだ。そうだ、避けるから新たな罠を踏むのだ。他の者には無理でも私ならこの程度の丸太、吹っ飛ばせる。
そう考えると次の行動は早い。もう一つの丸太に狙いを定め大地を疾走する。
「いけー、大首領様~!」
安全圏である空中でぶらぶら揺れながら雨が声援を送ってくる。丸太の軌道は読めている、もらったっ! 拳が命中。先ほどの丸太と同じように砕けながら上空へ吹っ飛んでいく。よし、これで脅威は去ったぞ。
だが罠はまだ続く。空中からひゅるるるるると何かが落ちてくる音。今度はなんだ!?
「ぎゃぁぁぁあ!?」
「なんなんですの、これぇっ!?」
丸太が終わったら今度は空中から泥の塊が降ってくる。その間に戦闘員の一人がワイヤーに足を取られて悲鳴をあげなら頭上に飛んでいく。どこからともなく新たな丸太が飛来して目の前の戦闘員を吹っ飛ばす。ネットのようなものが飛んできて、戦闘員をまとめて捕縛する。地面が盛り上がり、巨大な五平もちみたいなものが飛び出してきてまた誰かを吹っ飛ばす。なんなんだ、ここは!?
「皆さん、動いてください! 固まっていると巻き込まれますわよ!」
頭上から降り注ぐ泥の塊を右に左に華麗にかわし、迫る丸太を屈んで避け、驚異的な瞬発力で巨大五平餅の魔の手から逃げる。雪は戦闘員に指示を出しながらも、なんとか罠を避けている。
「なんのこれしき、ですわっ!」
背面飛びをしながら、華麗に竹やりをかわす。新体操選手も真っ青な機敏な動作だ。
「くそ、これじゃあキリがないぞ! 全員後ろに下がるんだ!」
丸太の一つを砕きながら私も指示を飛ばす。周囲を見回すと視界の隅にアリスが映った。彼女は飛んでくる泥の弾を最小限のステップでかわしている。その頭上に何かの影が映る。なんでドラム缶が飛んでくるんだ!?
「アリス、しゃがめっ!」
両の足に力を込め一気に解放し、アリスの元へ一気に跳躍すると、彼女を胸に抱えたまま大地に転がる。その直後、アリスのいた場所に無数のドラム缶が雨のように降り注いだ。
「……マスター、申し訳ありません。助かりました」
「あ、あぁ、ケガはないか?」
「はい」
胸の中のアリスの無事を確認し、ほっと胸を撫で下ろす。その直後、私の体が地面に沈みこんだ。
「え?」
私の体が沈みこんだのではない。地面が割れたのだ。異変を感じた瞬間、私の体を浮遊感が襲う。
「な、え、うわぁぁぁぁぁぁ………………!」
急激に地面が遠ざかる。視界はあっという間に闇に包まれ、やがて私の意識を刈り取った。
遠くから何かが呼ぶ声が聞こえた。
朦朧とした意識の中で、その声が誰なのかを必死に思い出そうとする。
名前、顔、名前、顔……。どこかで聞いた事があるようで、どこでも聞いた事がない声。大人の女性のようで、子供の女の子のような声。声の主を私は思い出せない。思い出せないまま意識が浮上していくのを感じる。声は遠ざかり、段々聞こえなくなっていく。
思い出してあげたかったのに思い出して上げられなかった事を私は悲しいと感じているようだった。声は完全に聞こえなくなり、代わりに別の声が聞こえる。その声は良く知っているあの子の声だった。
「マスター! ……マスター!」
眼を覚ますとアリス顔が目の前にあった。彼女は私を揺すっているようで、体にわずかながらの振動を感じる。
頬や体が何か冷たい物の感触を私に教えてくれる。どうやら私は仰向けの状態で地面に横たわっているようだった。体の節々に感覚をいきわたらせ、体の異常を確認する。
右手の指先……動く。左手の指先……動く。腕も足も……動く。体を起き上がらせようとして、ひどく苦労しながら上半身を持ち上げる。
「マスター!」
私が起きた事に気付いたのか、アリスが目を見開き大声をあげる。
「……ここは、どこだ?」
痛む頭を右手で押さえ、なんとか上半身を起こす事に成功した。目の前にはアリスがいる。両の肩を落とし、安堵したような表情を浮かべていた。
「マスター、お怪我はありませんか?」
「……あぁ、特に痛むところはないし、大丈夫だと思う。お前はどうだ?」
「私は大丈夫です。落下する時にマスターに抱きとめていただいたので、ケガはありません」
そう言われて、落下中に夢中でアリスを胸に抱え込んだのを思い出す。
そうだ、穴だ。私達は穴に落ちたのだった。
「お前にケガがなくてよかった。それよりここがどこか分かるか?」
「先ほどの樹海の下にあった洞窟だと思います。これをごらんください」
彼女はそう言って、地面に落ちていたこぶし大の石を私に見せる。黒っぽい岩石だ。
「岩の質感から考えると、これは玄武岩です。正確には灰長石玄武岩と言います。これは富士地中の洞窟に良く見られる鉱石です」
富士山の地下には大小様々な洞窟が広がっている。
活火山である富士山は過去に何度も噴火しており、その度に周囲には溶岩流が流れ出した。千度を越える高温の溶岩は空気に触れる事により表面だけは急速に固まるが、溶岩流の中は高温でドロドロのままの状態を維持する。中の溶岩だけが流れ続け、表層と内部に空洞が残り、これが洞窟となる。富士山の溶岩トンネルと言われるものだ。
「つまり、ここは溶岩トンネルの一つです」
上を見上げてみると、私の頭の上に大きな穴がぽっかりと口をあけているのが見える。私達が落ちてきた穴だ。
たぶん風穴になりかけだったものなのだろうが、その先は真っ暗で何も見えない。暗い樹海と言っても月明かりでそれなりに視界はあった。その光さえ見えないという事は、かなり深くまで落ちてしまったのだろう。
天井は高くジャンプしても手が届きそうもない。落ちてきた穴を登るというのは無理そうだ。
「皆さんに連絡を取ろうと試みたのですが、どうやら通信機の電波が届かないようで連絡がとれません。安否は不明です」
「作戦途中に何らかのトラブルがあった場合は、すぐさま作戦を中止し車のある所まで退避する手はずになっていたはずだ。殺傷性のある罠はなかったと思うし、彼女達であれば大丈夫だろう」
「私もそう思います。むしろ雨さん達より私達の置かれている現状の方が厳しいと思います」
地上で衛星電波の受信できる範囲であればアリスはGPSナビのように周囲の地形をリアルタイムで確認する事ができる。だが、地底となると話は変わってくる。なにせ、洞窟の地図データなんて持っていないのだ。どちらに行けば出口に向かうのかまったく分からない。
見たところ洞窟内はかなり広い空間のようで、大人が立って歩いても余裕があるほど天井は高い。一本道のようで、私の前後には先の見えない暗闇がどこまでも続いている。
潜入作戦の初っ端からこんなトラブルになってしまうとは。まったくもってついていない。そういえば光源がないのに洞窟内が良く見えるな。なんでだ?
「暗視機能が働いているのです。そもそも私の目はマスターの目を元に研究して作られています。私に出来る事がマスターにできないはずがありません」
「だが先ほどまでは普通の目だったはずだぞ?」
「たぶんですが、落ちた衝撃から回復する際に目の機能が回復されてのではないでしょうか」
この間ファイヤーレッドにやられた時にも似たような事があったな。今回もあれと同じという事か。
まぁ、見えないよりは見えた方がいい訳だし、今はありがたい。
「現状は分かった。ひとまず私達はここからの脱出だな。問題はどちらに進むかなのだが……」
洞窟は一本道のようだが、右と左に分かれている。はたしてどちらが出口なのだろうか。こういう場合のセオリーは風が吹いてくる方向や水の流れる方向に向かうといったものだったはずだが。
「アリス、風向きは分からないか?」
「上の穴から吹いてくる風が邪魔しているのでうまく風速を計れませんが、向こうの方に風が流れているような感じはします」
そう言って私から見て右側の通路を指差す。
「了解だ。まずは進んでみよう」
洞窟が広い為か、それとも一本道で迷いにくいからだろうか。私達はさしたるトラブルも無く洞窟内を進む事ができた。
もっとも、本当にこの先に出口があるという保障はない。風が流れる方向に向けて歩くという考え自体に間違いはないと思っているが、先の見えない洞窟をどんどん進んでいく事に対し、不安を感じないわけではない。本当にこの先でよいのだろうか。自分自身でも何度目か分からないぐらい、そう自問自答した。
「……しかし、あの罠は一体なんだったのだろうな」
気分を紛らわす為に、そんな事を呟いた。
「周囲にあった無数の足跡は一定方向へ向かっていました。罠も昼間のように光のある状態で注意深く探れば見つけられるものでしたし、殺傷性もかぎりなく低いものばかりでした。足止め、かく乱……そういった類なのか、もしくは別の意図があったのかですね」
「別の意図とはなんだ?」
アリスが足を止める。
「重要施設を守る罠であった場合、マスターであればどのようなものにしますか?」
重要施設を守る罠、だろ? 私であれば、侵入者がそれ以上先に進まないようにはするだろうな。
「そうですよね。では、泥の塊やもがけば外れるワイヤーで足止めができるでしょうか? 私はできないと思います。敵の侵入を食い止めるのが目的であれば、身動きが出来なくなるようにするのがセオリーです。それこそ殺すか、身動きが完全にできなくなるような状態にする罠を設置します。あそこにあった罠はそういう罠ではなかったと思います」
そうなるとますます意味が分からなくなるな。あそこに設置されていた罠に意味がなくなってしまう。
「意味はあると思います。ただ私達が設置した人の意図を理解できていないだけです」
「たしかに、その通りではあるな」
考える事を放棄する訳ではないが、考えるだけ無駄な事というものもある。
とにかく、今は前に進もう。
- 富士樹海 河口湖周辺 午後二十三時五十二分 園田 雪 -
「ふぇぇぇぇ~……やっと降りられたのだぁ~」
ふらふらと雨が地面に座り込みます。先ほどの騒ぎの間、ずぅっと釣らされっぱなしで頭に血が昇ったのでしょう。顔が真っ赤で息も荒いです。
周囲を見回すと先ほどの惨状の結果が目に入ってきます。地面には無数の泥の塊や先端が丸くなった竹やりが転がっており、空中では推進力を失った丸がぶらりぶらりと揺れています。戦闘員達の半数は罠にやられてしまい、地面にひっくり返って倒れているか、落とし穴にはまって抜け出せないかの状態ですし、雨はご覧の通りです。幸いな事に私は罠にやられる事はありませんでしたが、肝心要の大首領様は穴の底へ消えていってしまいました。
施設に潜入する前にとんだ惨事に見舞われてしまいましたわね。
「大首領様とアリスちゃん、大丈夫かなぁ?」
へたり込んだまま雨が私を見上げて聞いてきます。
お二人が落ちた穴は先ほど確認しましたが、底が真っ暗でかなり深いようでした。何度も呼んだのですが、下からの返事は無く、安否が分かりません。とても心配です。
ですが大首領様はお体が丈夫な方ですから、例え深い穴に落ちたとしても何食わぬ顔でいるかもしれません。自力で脱出するぐらいのお力も持っています。そう考えれば、少しは気も休まるというものですわ。
とにかく今は体制を立て直して後方へ下がらなければいけませんわね。出撃前の会議で話し合った緊急時の取り決めを思い出し、私は取るべき行動を思い出します。トラブルが発生した場合は全員を連れて樹海の出発地点に戻る、でしたわね。何もしないで撤退するのは悔しいですが、惨事が起きてからでは遅いですわ。ここは取り決めどおりにしておきましょう。
雨と動ける戦闘員の方達で罠にやられた皆さんを助け起こします。皆さん怪我はほぼ無いようでしたが、さすがに丸太の直撃を受けた方は捻挫をしているようでした。大首領様とアリスちゃん以外全員が揃っているのを確認し、足元に注意しながら来た道を戻り始めます。
しばらく進むと、森の奥で何かの音がしました。鳥や風の音とは違う、あきらかに何かが動く音です。ガサガサ……ガサガサ……と木の葉が揺れる音が聞こえます。気のせいではないようです。野生動物か何かでしょうか? それとも警備している者かもしれませんわね。手のひらで姿勢を低くするように指示を出すと、全員がその場に伏せます。
「……何かな、雪ちゃん」
小声で雨が聞いてきます。
「さぁ、分かりませんわ。でも確認しない訳にはいきませんわね」
戦闘員の皆さんをその場に待機させ、雨と二人だけで音の確認に向かいます。用心しながら、なるべく音を出さないように、静かに静かに樹海を進みます。二十メートルほど進み、目の前にある茂みを少しだけ掻き分け、目を凝らすと――人がいました。
「……っ!?」
思わず雨が声を出しそうになって、彼女の口を両手で塞ぎます。彼女は目で「あれ、誰!?」と訴えてきますが、私にだって分かりません。
その人……いいえ、その人達ですか。一人、二人、三人……全て女性で、カーキ色の軍服のような服を着ていて、背中には銃を背負っていますわね。見た感じは軍隊の方のようにも見えますが、一体何者でしょうか。
彼女達は周囲の状況を確認しながらなにやら話し合っているようです。
「……? ……。 ……」
「…………。 ……」
ここからでは遠すぎて声が聞き取れませんわね。もう少し近くにいければよいのでしょうけれど、さすがにこれ以上近づくのは危険ですわ。相手が何者かまでは分かりませんが、少なくとも私達の味方ではないのだけは確かなようですし、ここは戻ってすぐにこの場を離れた方が安全ですわね。
私は雨に目で合図を送ろうとして、彼女の方へ向くと……あれ、なんで? 雨の姿がどこにも見当たりませんわ。
慌てて周囲を探すと、少し離れた所にホフク前進しながらまるで蛇のように大地を進む雨の姿があるじゃありませんか! ちょっと雨、何やってるの! 戻ってきなさい! あぁ~、今すぐ叫んで雨を連れ戻したいですわ! あの子は何を考えているのでしょうか!
雨は一瞬動きを止めこちらに振り返ると、ニカッと笑いました。たぶん安心してと言っているつもりなのでしょうけれど、ハラハラしかしませんわ。私は手を振ってこっちに戻って来いと合図を送りますが、そんな私を見て雨は親指を突き出し力強く頷くと、ウネウネとまた前進を始めてしまいました。戻って来いと合図を送ったのにあの子は何を勘違いしているのでしょうか。幸い軍服を着た人達は雨に気付いていないようで、まだ何かを話し合っています。あぁ、もう、見ていてハラハラしますわ!
幸い雨は彼女達に見つかる事なく、彼女達のすぐ近くの茂みに入っていきました。それを見て私は両肩の力がガクッと抜けるのを感じます。安心したら、なんだか雨のあの動きが情けなく感じてきてしまいましたわ。女の子なんですから、あぁいうのはやめてくださいまし。
たぶん雨はあの人達が何を話しているのか聞きにいったのですわね。それは良い事ではあるのですが、見つかってしまったら元も子もありませんわ。
お願いだから、変な事はしないでくださいね、雨!
- 富士樹海 河口湖周辺 午後二十三時五十八分 園田 雨 -
にゅっふふふふふ~、雨ちゃん必殺『ヘビにょろにょろの術』大成功なのだ。気配と自分の足音を消した状態で高速移動するこの技をひそかに自分の部屋で編み出しておいて大正解だったのだ。
雪ちゃんは心配性なのだ。雨ちゃんのこの技はいまだかつて誰にも破られた事のない最強の隠密移動なのだ。軍人さんの一人や二人、簡単に欺く事ができるのだ。
さてさて、このお姉さん達は一体何を話しているのかな。盗聴開始なのだ。
「こっち方で音がしたのはたしかなの?」
「たしかっすよ。私、これでも耳はいい方っす」
「そうは言っても、こんな時間にこんな所をうろうろする物好きさんなんていないと思うわよ~」
どうやら三人は雨ちゃん達が罠にやられていた時の音を聞いてやってきたみたいなのだ。たしかに結構派手な音をたてちゃってたからねぇ。気付かれてもしょうがないとは思うのだ。
それにしても三人とも自衛隊の人みたいな服着てるけど、どっかの軍隊の人なのかな?
「まったく、明日は実技試験の本番があるっていうのに、なんで私達が確認しにいかなくちゃならないんだかねぇ」
少し赤みのかかった髪色のお姉さんが、ショートカットの髪をわしゃわしゃと掻き毟りながら文句を言っているのだ。ちょっと気の強そうな感じなのだ。
「しかたないっすよ。私達、ぺーぺーっすからねぇ」
こっちの人は髪型がポニーテールで、背は三人の中で一番大きいのだ。変な喋り方してるけど、ショートカットの人の後輩か何かなのかな?
「後輩は先輩の指示に従うのはどこの社会も一緒よねぇ~。あんまり遅くなるとお肌が荒れるから私も嫌なんだけど、こればっかりはしょうがないわぁ~」
この人はブロンド色の髪で髪型がお嬢様みたいにふわふわしているのだ。身長はそんなに大きくないんだけど、なんか凶暴な胸の大きさをしているのだ。むぅ、この人は雨ちゃんの敵なのだ。間違いない。
ひとまず名前が分からないから、初めから順番にショート娘、ポニー娘、巨乳としておくのだ。
「どうせ富士の樹海で肝試しをやってるバカな大学生か何かでしょ? 行くだけムダムダ」
「そうは言ってもね~。採掘場にご厄介になっている身としては、周辺警備ぐらいはお手伝いしないといけないじゃな~い?」
「ご厄介って言っても、宿舎の一部を貸してもらっているのと、周辺の樹海を実技試験用に使わせてもらってるだけっす」
「それに採掘場には専門の警備員がいるじゃない。その人達が確認に行けばいいだけだと思うのよね」
「それでもね~、教官としては採掘公社さんの方に良いイメージを与えておきたいのよ~、きっと。じゃなかったら~、普通民間にここまで協力はしないわ~」
「私達イメージ悪いっすからねぇ~」
「だったら普段からもっと民間に対してアピールすればいいのにねぇ。こういう時だけ見栄を張るんだから、教官にも困っちゃうわ」
ふむふむ。この人達は採掘場の警備員じゃないみたいなのだ。採掘場の場所を貸してもらっているどっかの軍隊の人って感じなのかな?
「この先ってたしか明日の実技試験で使用する場所よね。うかつに入ったら、私達が罠の餌食になるんじゃないの?」
「大丈夫よ~。私こう見えても夜目が効くから、罠ぐらい簡単に見分けられるわ~」
「自分ちょっと自身ないっす。最近ウナギ食べてないんで夜目には自信がないっす」
「それは迷信だっての。じゃあ、あなたが先頭でお願いね。私は後方で周囲の確認をしながら、いつでも飛び出せるようにしておくから」
「まかせておいてね~」
なるほど。どこの人達かはわからないけど、この人達は何かの試験を受けに来た人達のようなのだ。さっきの罠は明日この人達が受ける試験用だったんだね。自衛隊とかって、たまに山の中で訓練しているって話を聞いた事があるし、たぶんそういう感じの試験だと思うのだ。でも、罠は雨ちゃん達がぼろぼろにしちゃったんだよね。なんか悪い事しちゃったのだ。
「それにしても柚木さんさ。前から聞こうと思ってたんだけど、なんでJHKなんかに入ったの? あなたって確か柚木コーポレーションのお嬢様でしょう?」
んんん? 今、なんか大変な事をいっていなかったかな? たしかJHKがなんとかって聞こえたけど……。
「学校の健康診断の時にヒーロー特性が判明してしまいましたので~。先生方のお話に頷いていたらいつの間にかJHKに入っちゃってました~」
「先生の話に少しは考えなかった訳? お嬢様なら何もこんな危ない仕事しなくたって、他にいっぱいやれる事はあったでしょうに」
「考えなかったというか、言っている意味がよく分からなかったんですよ~。書類も日本語で書いてあったからよく分かりませんでしたし~、とりあえずサインしたのがいけなかったのかしら~」
「そういえば柚木さんって、帰国子女でひらがなしか読めなかったんっすよね。これで私より筆記試験の成績がいいっていうんだから、納得いかねぇっす」
「筆記試験は英語も選べるから楽勝だったわ~」
「笹美、彼女は頭が悪いんじゃなくて日本語が読めないだけなの。勉強が基本的に苦手なあんたとは違うのよ」
「へーいへい」
ポニー娘が唇を尖らせてすなちゃったのだ。どうやら巨乳は柚木って名前で、しかもお嬢様みたいなのだ。話を聞いていて雨ちゃんが思うに、この子はアホの子だと思うな。
あ、話が終わったのか、巨乳を先頭に彼女達が先へ進んでいくのだ。あれ、でも、そっちの方向って……。あぁ、戦闘員の皆がいる方向なのだ!
やばい、やばいのだ! あの人達があのまま進んで行っちゃったら皆と鉢合わせになっちゃうのだ! なにか方法を考えないとマズイのだ!
こういう場合ってどうするんだっけ? たしか違う方向に気をそらせばいいんだったっけ? なにかないかな、なにかないかな。背負っていたバックを降ろして荷物を大慌てで確認。バックの奥で、手が何か丸いものを探り当てたのだ。そうだ、これがあったのだ。それを掴んで勢い良くバックから手を引っこ抜く。雨ちゃんが握っているのは、この間アリスちゃんが使ってたのと同じ閃光弾なのだ。
大慌てでピンを引き抜いて、全力全開であの人達の進行方向と逆の方向へ放り投げる。しばらくして、森の奥からものすごい光と爆発音が響き渡ったのだ。
「な、なに!?」
「なんすか!?」
その衝撃に歩いていたショート娘達が驚いて振り返るのだ。どうだ、これなら爆発が気になって確認どころの話にはならないんじゃないかな。
「あらあら~」
……巨乳はあんまりびっくりしてないみたいだけど、一応気づいてはいるみたいなのだ。
「閃光!? 爆発!? 敵襲っすか!?」
「慌てないで笹美。まだ攻撃と決まった訳じゃないわ。でも確認の必要はあるわね。急ぐわよ!」
「あ、ちょっと待って欲しいっすー!」
ショート娘とポニー娘が爆発のあった方向へ慌てて走っていった後、その後ろを巨乳がのんびりぽてぽてと追いかけていくのだ。ひとまずこれでちょっとは時間がかせげたはず。雨ちゃんはそのまま『ヘビにょろにょろの術 中腰バージョン』で雪ちゃんのところに戻ると、なんかワーワー言っている雪ちゃんの手を引っ張って皆の所に戻ったのだ。
とにかく急いで皆を連れて逃げなきゃ危ないのだ!
- 富士樹海 河口湖地下 午後二十三時五十七分 大首領 -
閉じ込められた。
風が流れる方向へ向けて洞窟内を進み、その先の突き当たりにぶち当たった時、私はそう結論付けた。目の前には崩れた岩肌。つい数分前に突然上から地鳴りが聞こえ、崩落音が聞こえてきたので嫌な予感はしていたのだが……まさか自分達の進んでいる先が崩落しているなんて思ってもみなかった。
アリスは自前の手榴弾で崩落した岩石を破壊したいようだったが、こんな密閉された空間、ましてやいまだ崩落時の砂埃が舞っている状態で爆発なんて起こしたら、二次災害どころの話では済まなくなってしまう。
落ちてきた場所まで戻ってこことは逆の方向へ進んでみようとも考えたのだが、あちら側には風が流れていない為行き止まりの可能性が非常に高い。戻るだけ無駄なような気がする。
雨達の事も心配だ。先ほどの地鳴りは地震のような感じではなかった。たぶん地面の上で何かしらの爆発があったのだろう。彼女達なら大丈夫だと信じたいが、万が一の事もある。このままここで立ち往生している訳にもいかない。早く脱出しなければ。
アリスは入念に岩肌を調べている。岩肌に手をあて、その先を透視しているかのように目を閉じて何かを探っている。数個目の岩を手で触った時、彼女がこちらに振り向いた。
「マスター、この先に穴があります。ここを崩せば通れるかもしれません」
その岩はアリスよりも大きく、周囲には大小様々な岩石が敷き詰められている。簡単に動かせそうもないが、どかさないと話は進まない。私はアリスを後ろに下げると岩の前に立ち拳を握る。力加減を間違えると一発アウトだ。慎重に行くぞ。
「ふんっ!」
目的の岩に向かって拳を突き出す。拳に返ってくる衝撃が思っていた以上に軽く、岩は簡単に砕けてしまった。危なかった。全力で拳を叩きつけていたら崩壊していたかもしれない。力を押さえて正解だった。
岩が砕けた先には人一人が通れる程度の穴が空いていた。このぐらいの大きさであれば、私の体でも通れるだろう。他の岩を刺激しないように慎重に穴の中へ入いり進んでいく。岩壁の厚さはそれほどでもなかったようで、簡単に突破する事ができた。
周囲に異常が無い事を確認してから、先の通路へ出る。こちら側には特に被害が出ていないようだった。
洞窟をそのまま進むと、周囲の岩肌の感じが変わってきた。先ほどまでのごつごつした岩肌から、滑らかな流線型の岩肌へ変化し、地面の感触もでこぼこなものから、平らな物へ変わってきている。岩肌の変化にアリスも何か思うところがあるのだろう。怪訝そうな顔で周囲を見回している。
その空間はいきなり広がっていた。今までは大人三人が並んで歩くのがやっとだった広さから、野球が出来るぐらいの広さを持つドーム状の空間が目の前に現れた。空間の両側には鉄骨で出来た柱が立っており、天井が崩れてこないようにしっかりと補強がされている。右と左、そして前方には横穴らしき入り口が開いており、そのうち一つには鉄製の扉が取り付けられていた。これは明らかに人工的に整備された空間だ。一体どうなっているんだ?
「驚きました」
目を見開き感嘆の声をあげる。
「マスター、ここはサクラジウム採掘場の端の方です。周囲の構造が事前に調べた採掘場の地図と合致します」
どうやら先ほどの溶岩トンネルはサクラジウム採掘場に繋がっていたようだった。穴に落ちて迷っていたと思ったら、思いがけず当初の目的地にたどり着いてしまったらしい。これを僥倖と言うのだろうか。
場所が把握さえ出来れば、アリスのナビが有効になる。彼女は事前に調べたルートに従い三つある扉のうちの一つ、鉄製の扉を選択する。扉には鍵がかかってはいたが、それ以上の細工はしていないようだった。そうなのであれば、私の力で壊せばいい。
扉を正拳突きで破壊し、表れた通路を先に進む。細長い通路ではあったが先ほどの洞窟と違って地面が整えられており、歩くのに支障はない。通路は無数の横穴が繋がっていたが、アリスは迷う事なく通路を選択する。ややあって、私達は採掘場の中枢部にたどり着く事ができた。
先ほどの空間よりもさらに広く、天井は見上げるほど高い。内壁には使用用途の分からない作業機械が所狭しと並べられており、広場の中央には巨大な半円形の構造物が鎮座していた。港等にある巨大なガスタンクを半分に切ったような形をしていて、表面には何かの模様のように真っ黒いパイプが走り回っている。
「アリス、これはなんだ?」
「これはサクラジウムの精製機械です」
精製機械というと何かをすり潰したり砕いたりする、もっと無骨な機械をイメージしてしまうのだがな。サクラジウムというのはやはり特殊な鉱石だという事か。地下深くに建設された、サクラジウム専用の機械。今は沈黙しているその機械は、その形もあってある意味不気味な存在だ。
使用されなくなってそれなりの月日が経っているのか、表面には土ぼこりが付着し、周囲には破損したドラム缶や用途不明の機械が転がっている。この機械が稼動していた時はそれなりに慌しい空間だったのだろう。物悲しい感じだな。
機械の前まで移動すると、アリスは操作盤をチェックする。指先が計器の一つ一つを追い、操作盤のスイッチと照合しているようだ。
「……電源さえ通せば、稼動できそうですね」
彼女は背負っていたバックから、ノートパソコンを取り出すと操作盤にケーブルを繋いでいく。どうやらノートパソコンの方からこの機械をハッキングか何かをするようだ。静かな空間に彼女のキーを操作する音だけが響く。リズミカルに規則正しく、カタタタタタッカタタタタタッとキーが弾かれる。
やがてその音が止まると、突然機械が振動を始める。
「成功しました。このままサクラジウムの精製に入ります」
ノートパソコンをバックへしまい、今度は操作盤を操作する。機械の振動は更に大きくなり、その動作音が地下にあるこの空間内に反響する。チュインともキュインとも言い表せる甲高い音だ。
「精製はどのぐらいの時間がかかるんだ?」
「量にもよるのでしょうが、およそ十分もあれば問題ないかと」
十分か。その間何も起こらなければよいのだが。
機械の小窓から内部を覗く。円形の空間に台座が置かれており、そこへ向かって桜色の雷が落ちているが見えた。雷が桜色というのもまた不気味な話だな。台座の上には何もないように見えるが、本当にこれで大丈夫なのだろうか。正体不明の機械を使っているというのもあるので、若干不安になってしまうな。
「台座の上には何も無いようだが、本当にコレで大丈夫なのか?」
「サクラジウムは鉱石を粒子単位にまで砕き、それを電子の作用によって再結晶化させたものです。台座の上には何もないように見えますが、少しずつですが結晶化されたサクラジウムが出来上がっているはずです」
ピシャンピシャン! と台座に桜色の雷が落ちる。アリスの言うとおり、台座の上に本当に僅かではあるが豆粒のようなものが出来上がっていた。
「そもそもサクラジウムというのは大型の鉱石ではありません。大きくてもビー玉程度、小さい物になるとゴマ粒ぐらいのサイズになります」
「燃料鉱石といわれていたので石炭のような物だと思っていたのだが、違うのだな」
「ゴマ粒程度のサイズでも普通の燃料鉱石の何百倍のエネルギーを発生させられますし、逆に大きすぎるとエネルギーが巨大すぎて機械の方で制御もできません。末端価格ではありますがグラム辺り一億とも二億とも言われています」
「いちおくぅ!?」
なんだその桁外れの金額は!
「そんなに驚く数字はありません。戦闘機だって数十億するのですから」
それは兵器に限定して考えた場合だろ。いくらなんでも比較対象がおかしくないか?
ん、待てよ。という事はだ。私は今数億円以上の価値があるものを盗もうとしているのか?
「まぁ、そうなりますね」
うわぁ、今さらながらに色々ヤバイ気がしてきたぞ。数億なんて言ったら漬物石代わりになる金額ではないか。えぇっとうまい棒が何本買えるんだ?
「税抜きで考えると、一千万本ですね」
私の庶民的な疑問に、アリスが冷静に答える。
「いいのだろうか……本当にこれを盗んでいいのだろうか……」
「ここまできて盗むのに躊躇する必要はないと思いますが。それにこれがないと変身装置が完成させられませんし」
「そうなのだが、さすがに億はなぁ~」
庶民的金銭感覚しかない私には、あまりに高額すぎてイメージができない。せめて一万円ぐらいのものであれば、良心もそこまで痛まなくて済むのだが……。
その時、機械の電源がいきなり落ちた。代わりに広場内が赤く染まる。なんだ、一体何が起きた!?
「この赤い明かりは非常灯ですね。警告音が鳴っていないので私達が発見された訳ではないと思いますが、この場を離れたほうがよいと思います。マスター、申し訳ありませんが、そこの扉を破壊していただきますか?」
「あ、あぁ、分かった」
私はアリスに指示された取り出し口のドアを力任せにもぎ取る。彼女は素早く機械の中に入り込むと、中から精製途中だったサクラジウムを取り出した。外に出てきた彼女が手のひらを広げて、私にサクラジウムを見せてくれる。小指の先ほどの小さな桜色の鉱石がそこにはあった。こんなに小さくて大丈夫なのか?
「量としては十分すぎると思います。ドクターが必要としている量のざっと二百倍はあると思いますよ」
そう言って彼女は鉱石をスカートの中にしまいこむ。
「さぁ、脱出しましょう。ここからであれば私が道案内できます」
私はアリスにうなづくと、彼女の指示に従い外へ向けて走り出した。
- 富士樹海 河口湖周辺 午前零時二十一分 園田 雪 -
「皆さん、いそいでください!」
目の前に現れた倒木をジャンプでかわし、着地の勢いそのままに前方へ向けて走ります。私の後ろには戦闘員の皆さんが息を切らしながらついてきています。皆さんだいぶ苦しそうですが、もうちょっとだけがんばっていただきましょう。最後尾には雨が周囲の確認をしながらついてきています。
雨が不用意に閃光弾を使ったせいで、私達は今逃亡の真っ最中です。
たしかにあの爆発のおかげで戦闘員の皆さんが直接発見される事はさけられましたけれど、逆に施設内の警戒態勢をあげてしまい、周囲を警備していた人達が私達を侵入者とみなして探し回っています。
あの子は本当に後先考えずに行動するのですから! 帰ったらキツイおしおきですわ!
『どこだー!?』
『そっちはいたかー!?』
『こっちにはいないぞ! 反対側を探せーっ!』
右側の方で男性の叫び声が聞こえます。きっと私達を探している警備員ですわね。私達は進行方向を変え、樹海をさらに走り抜けます。樹海の地面はところどころがぬかるんでいて、気を抜けば足を絡め取られそうになります。しかも体力の消耗が激しくて、どんどん息が上がってきてしまいます。でも、止まる訳にはまいりませんわね。ここが踏ん張りどころですわ!
目の前に大きな茂みが現れます。その先が若干明るくなっているようです。どうやら広い空間に出られそうですわね。私達は勢い良く茂みに飛び込みます。茂みの先は予想通り開けた空間でした。鬱蒼と生い茂っていた木々は姿を消し、左右に舗装された道路が延びています。どうやら県道に出れたようですわね。
「雪ちゃん、車はあっちだ!」
戦闘員の一人が右方向を指差します。
目を凝らしてみてみると、道路から外れるように車が止まっているのが見えました。よかった、樹海に入った時とほぼ同じ場所に出れたようですわ。私達は大急ぎで車の元に駆け出します。
その時、目の前に突然閃光が表れ、目がくらみました。一体なんですの、これ!?
「やばっ! 雪ちゃん、軍隊がいるぞ!」
手を目の前にかざして前方を確認すると、私達の車の向こうから何かがこちらに突進してくるのが見えました。重厚な排気音を響かせ、道路を疾走するその何かはひどく無骨な形をしていました。車としての性能は残しつつもその頑丈さを極限まで高めた車両、装甲車ですわ。
「皆、よけるのだ!」
雨が叫ぶのと同時に私達は道路の左右に退避します。その直後、私達の間を土煙を上げながら装甲車がものすごい勢いで走り抜けていきました。危うく轢かれるところでしたわ。
装甲車は少し離れた所で急転回すると、こちらへ進路を変え再度突進してきます。ちょっと待ってください、ひき殺す気なんですの!? 倒れている体を強引に立ち上がらせ、その場から退避。装甲車は私の居た場所へ突っ込むと、道路縁の土を巻き上げながら直進。私達の乗ってきた車を跳ね飛ばし、急旋回。再度私達に向けて突進してきます。
ちょっと待ってください! たしかに私達は施設へ侵入しようとしましたが、まだ未遂ですわよ!? いくらなんでも装甲車で体当たりって物騒じゃありませんか!?
『わーっはっはっはっはっ! 怪しいやつめ、観念するっすーっ!』
装甲車の外部スピーカーから女性の声が聞こえてきます。ものすごく楽しそうに聞こえるのは私の気のせいですか!?
私達は道路を右に左に走り回り装甲車からの体当たりから逃げ惑います。装甲車は道路沿いのガードレールを突き破り、木々をなぎ倒し、縁石をふっ飛ばし、表面の装甲をぼろぼろにしながら執拗に私達を追い掛け回します。もう、なんて非常識!
「皆さん、樹海の中に戻ってください!」
道路沿いを走っていては危険と考えて、私達は樹海の中に逃げ込みます。樹海の中は木が生い茂っていますから、装甲車といえど入ってこられないはずですわ。これでまずは一安心……。
『甘いっす!』
バゥン! とジャンプし、装甲車が私の視界のまん前に飛び込んできます。樹海に突っ込んできたんですの!? ちょっと待ってくださいな!?
私達は大慌てで装甲車から逃げ出します。後ろの方からはバキッ! メキメキメキッ! と何かが破壊される音が聞こえてきます。走りながら振り返ると、装甲車が樹海の木々をなぎ倒しながら私達を追いかけてくるのが見えました。両目にあたるヘッドライトを爛々と輝かせ、爆音を響かせながら迫ってくるその姿は、なんというか化け物そのものですわ。
『ぎゃー、なんだーっ!?』
『なんで、こんな所を車が走って……ぶげらっ!?』
『や、やまだーっ! 山田がなんかに轢かれた……ひでぶっ!?』
『こ、こっちくんなー!?』
『退避ーっ! 総員退避ーっ!』
『ぎゃーっはっはっはっはっはっすーっ!』
後ろの方からなにやら悲鳴が聞こえてきます。
あれはたぶん、きっと、警備員の方々の声ですわね。あの装甲車、味方も関係なしなんですの!?
「雪ちゃん、どっちに逃げんの!?」
「どっちでもいいですわ、とにかく奥に逃げましょう!」
『わーっはっはっはっはっはっ! 私の装甲車に走れぬ道はなしっすーっ!』
先ほどまでの疲れはどこへやら。人間、土壇場になると力が沸いて来るといいますが、本当なのですわね! もう、勘弁してくださいな!
- 富士樹海 サクラジウム採掘所施設内 午前零時三十五分 大首領 -
施設内の警備はザルもいいところだった。警備員達との遭遇戦はあるものの、思っていたほど驚異ではない。
来る途中アリスがコンピュータをハッキングしたのだが、どうやら施設の周辺で侵入者が見つかったようで、そちらの方へ警備員の過半数をまわしているようだった。侵入者と聞いて私は真っ先に雨達の事が思い浮かんだ。あいつら、まさか見つかったんじゃないだろうな。そう考えると気ばかりが焦る。
「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
前方に警備員が現れる。二人……いや三人か。カーキ色の軍服姿に手にはライフル。その銃口が私達に向けられている。
「どうする、アリス!?」
「正面突破です」
「了解だ!」
右手を振り上げて、通路の先に向かって振り落とす。手から発生した衝撃波が警備員を巻き込んで爆散する。吹っ飛ばされた警備員達をジャンプで乗り越え、速度を落とさずにそのまま走り抜ける。
通路を抜け、T字路にぶつかる。
「こっちです」
アリスは迷う事なく右折を選択。通路を曲がると目の前にはバリケードと数人の警備員が待機している。くそ、待ち伏せされたか!
「失礼します」
そう言ってアリスは走りながら私の背中に飛び乗り、おんぶお化けの要領でしがみつく。
「マスター、ジャンプでかわしてください。警備員は私がなんとかします」
「よし、まかせたぞ!」
両足に力を込め、速度を落とさず跳躍。いきなり飛び上がった私達に対応できず、警備員達が見上げるように目で追いかける。警備員が真下に来た時、背中のアリスが警備員目掛けて発砲。ゴム弾は警備員達の体にキレイに吸い込まれ、弾着の衝撃で吹き飛ばされる。私はそのまま警備員達の後方へ着地、勢いを殺さずに前方へ向けて走り出す。アリスの発砲はまるでカウボーイか流鏑馬といった感じだな。たいした腕前だ。
アリスは銃をスカートの中に戻すと、私の背中から飛び降り、そのまま併走してくる。
「この先はどこに繋がっているんだ?」
「正面玄関です。先ほど調べた結果、施設内の警備員の大半は外へ出てしまっています。さすがに門番ぐらいはいるでしょうが、それ以外の警備はあってないようなものです。下手に裏口から出て樹海で足止めを喰らうよりは、確実に脱出できます」
そうなると門番をなんとかするのは私の役目だな。走りながら拳に力を込める。
「お手数をおかけします。殺傷性が高くてよいのであれば私が片付けるのですが……」
「お前の事だからバズーカやらミサイルやらをぶっ放す気なんだろ? そういうのは勘弁してくれ」
「事態が事態ならそれも致し方ないと思うのですが」
正面にガラス戸のドアが見えてきた。あれが出口だな。
「防犯の為に施錠されていますが足を止める必要はありません。マスター、お願いします」
「まかせろ!」
走りながら右手を振り上げ、狙いを定めて振り下ろす。直後、腕から放たれた衝撃波がガラス戸を粉砕する。ガラスの粉を含んだ白煙がキラキラと舞い散る中に私達は突っ込み、走り抜ける。よし、施設の外へ出たぞ。
「このまま真っ直ぐ。すぐ目の前にあるのが正門です。突破します」
門の所には警備員と思われる人間が三名立っている。彼らは玄関の爆発に気付いたのか、私達を指差しなにやら叫んでいる。だが、今は聞いている暇も義理もない。
「く、来るなぁっ!? 止まれ、止まれっ!?」
警備員が銃を構えるが、止まってやる義理はない。押しと通らせてもらうぞ!
衝撃波を二発、三発と重ねて発射。警備員が爆風に巻き込まれて吹っ飛んでいく。門へ到達するやいなや、渾身の力を込めて拳を叩きつけて門を破壊。走る勢いそのままに門を突破する。
このまま進めば第二、第三の門があるはずだ。それも全部突破するのか?
「いえ、途中で樹海に入りましょう。全て突破するのは効率がよくありません」
「了解だ。入るタイミングは教えてくれよ」
「まかせてください」
私の全力疾走にアリスは無表情のままついてくる。運動能力は高いとは思っていたが、大人の全力疾走についてくるとはたいしたものだ。
整備されているとはいえ今走っている道路は未舗装の道路だ。たまに大きな岩や水溜りなどがあって走りやすくはない。それでも来る時と違い今は暗闇が昼間のようにはっきりと見える。大きな水溜りを軽い跳躍でかわし、速度を落とす事なく走り抜ける。
しばらく進むと右の茂みからザザザザッと何かが擦れる音が聞こえてきた。それにあわせて誰かが叫んでいる声も聞こえてくる。そう思ったのも束の間、樹海の中から何者かが踊りだしてきた。
「うわぁっと!」
いきなり目の前に飛び出されたのでつんのめりそうになる。
「あぁぁぁ! 大首領様なのだぁ!」
「おぉ! 雨! それに皆も!」
樹海から飛び出してきたのは雨達だった。彼女達は何かひどく慌てているようで、額に汗を張り付かせながら肩で荒い息をしている。
「雨、無事を喜ぶのは後ですわ! 早く逃げないと!」
「そ、そ、そうだったのだ! 大首領様、早く逃げるのだ!」
「お、おい、逃げるって何からだ!」
雨が私の腕をぐいぐい引っ張る。
「うわぁっ! きたぞぉっ!?」
樹海の近くに立っていた戦闘員が叫び声をあげるとその場から駆け出した。
ドカ! バキ! メキメキメキョリッ! 破壊音を響かせながら何かが近づいてくる。それは突然、樹海から飛び出してきた。
「なんじゃそりゃ!?」
飛び出してきたのは鉄の塊だ。ブォンブォンとエンジン音を響かせながら装甲車が私の目の前に躍り出てくる。なんでこんなものがいきなり樹海から飛び出してくるんだ!?
いきなりの出来事に体が動かない。スローモーションの要領で私に覆いかぶさろうとしている装甲車がゆっくりと近づいてくる。この距離ではもう避けられないぞ。体が条件反射的に動き、右手がゆっくりと装甲車の腹に向かって伸びていく。次の瞬間、私の拳と装甲車の間で爆発が起きた。
目の前で閃光と衝撃が同時に炸裂し、思わず目を閉じる。数瞬後、後ろの方で何かが激突するような音が聞こえた。
『……お、おぉぉぉ~!』
皆の驚く声が聞こえる。目を開くと、先ほどまで迫っていた装甲車はどこにもなかった。今、何が起きたんだ?
「さすがマスター。ここまでお力を回復させていたとは驚きです」
「えっと。私は今何をしたんだ?」
「お気づきになりませんか?」
彼女は後ろを振り返るとその先を指で指し示す。その遥か向こうで真っ黒い煙が天高く舞い上がっているのが見えた。
「マスターは装甲車をその拳の力で吹き飛ばしたのです。しかも装甲車の一番強度の弱い腹部分に的確に拳を叩き込みました。あれだけの衝撃を受けたのであれば、二度と走り出す事はないでしょう」
「大首領様、すっごいのだぁ!」
え、え、え?
つまりは私は飛び込んできた装甲車にキレイにカウンターを決めて、パンチだけで吹っ飛ばしたっていうのか? そんなあほな!?
「正確にはパンチだけではなく、非常に低いレベルではありましたが滅びの凱歌が起動していました。出力が高い状態で滅びの凱歌をぶつけていた場合、装甲車両は両断され、その車体が雨さん達に襲い掛かっていた事でしょう。まさに神懸り的な調整ですね」
「いや、本人、無意識でやった事なので、なにがなにやらなのだが」
「無意識であればなおの事すごい事です」
アリスの賛辞が止まらない。
拳を見ていると、うっすらと紫色の光を帯びているのが見えた。たぶん滅びの凱歌の残渣だろう。
「さぁ、今のうちに逃げましょう。次の追っ手がいつやってくるかわかりません」
物寂しい県道を私達は一列になって歩いていた。
時刻は既に早朝の五時。空は段々と白み始め、隣に広がる樹海からは小鳥達の声がちらりほらりと聞こえ始めていた。
あの後、周辺にいる警備員達をかわし樹海経由で車に戻った私達だが、その惨状にまずは唖然とした。乗ってきた車は交通事故にでもあったかのような無残な姿になっていたからだ。
これに関しては雪が説明をしてくれた。なんでも一度車に戻った際に装甲車が現れ、その巨体で体当たりをしたらしいのだ。しかもその後雪達をひき殺そうと執拗に追い狙い、樹海内で壮絶な鬼ごっこをしたという。いくら装甲車とはいえ、限度というものはあるだろう。まったく運転手の顔が見てみたいぞ。
「ねぇ、大首領様。どこまで歩くの~?」
先ほどまで元気だった雨は、頭についているツインテールをだらりと下げ、力なく問いかけてきた。
「そんな事私が知るか。車がないんだから歩くしかないだろう」
「あと二十八キロほどで最寄の駅につきます。それに乗れば私達の住んでいる塩頭市まで戻れますよ」
「二十八キロ~!?」
雨が全身を使ってげんなりを表現する。「えぇ、勘弁してよ」と顔に書いてあるようだ。
戦闘員や雪も文句こそ言わないが、その顔には疲労が色濃く出ている。それもそうだろう。一晩中樹海の中を走り回って、装甲車に追っかけまわされ、最後の締めにさらに歩かされているのだからな。いくら体力があったとしても、疲労の一つや二つは感じてしまうだろう。表情一つ変えずに歩いているのはアリスぐらいだ。
「そういえば雨。あの人達は結局何を話していたんですの?」
雨達は私達とはぐれた時に、謎の軍服を着た人間達を発見していたらしい。その際に追いかけられる根本的な原因を雨が作ったようだったのだが、それに関してはアジトに戻ってから雪がなんらかの罰を与えると言っていた。
「ん~とね。なんかの試験を受けに来ていた軍隊の人らしくって、雨ちゃん達がひどい目にあった罠はその人達用だったらしいのだ。あと巨乳の人がどっかのお嬢様らしくって、その軍隊にいるのは変じゃないのかな~って話をしていたと思うのだ」
雨はその……なんだ。胸の大きい女性が気に入らなかったらしく、「人類の敵」とか「巨乳は滅ぶべし」などと物騒な事を言っている。それは単なるお前の感想だろうが。それよりも、その軍隊はどこの軍隊とか、そういう事は言っていなかったのか?
「なんだったっけかなぁ~。どたばたしてたら忘れちゃったのだ。なんか頭にジェイがつくとこだったんだよね~」
ジェイジェイジェイジェイ……と雨が呟く。一番肝心なところがうろ覚えらしい。
「ジェイ……ジェイ……ジェイアールエー……だったかなぁ?」
「日本競馬協会の人達が軍隊なんてやってたんですの?」
「いや、違ったかなぁ。なんかそんな感じだったんだけどね~」
ジェイのつく軍隊か。私はJHKかJDFぐらいしか思い当たらないのだが。
「もし、JHKだったとしたら、少し納得できる部分はあります」
隣を歩いていたアリスが会話に参加してくる。
「JHKは定期的に昇級試験という試験を行っているそうです。先ほどの罠は致死性のない罠ばかりでしたので、実技試験用の罠だったと考えれば納得ができます。それにJRAはただの民間組織ですし、軍隊を雇うような組織でもありません。そこの部分に関しては雨さんの勘違いだと思います」
「じゃあさっきの三人はJHKの人だったって言うの?」
「可能性は高いというだけです。戻って調べてみればもう少し確証のある事が言えるとは思いますが、今の状態ではなんとも言えません」
もしそうだったとした場合、私達はとんだタイミングで潜入作戦を行ってしまった事になるな。下手をすればJHKの増援を呼ばれて大惨事になっていた可能性もある。
「トラブルはありましたが、雨さん達の動きは陽動としての役割を担いましたし、私達もそのおかげで警備が手薄な施設内を安全に脱出できました。結果としてサクラジウムも入手できましたし、よかったのではないでしょうか?」
「でもいきなりお二人が消えた時はどうしようかと思いましたわ」
「そだねぇ。大首領様と合流できたからあの車はなんとかなったけど、雨ちゃん達だけだとどうにもできなかったかもしれないのだ」
「装甲車と渡り合える……というのは無理な話なのでしょうが、私も雨ももう少し戦闘力が欲しいところですわね」
「その辺はドクターの研究成果に期待しましょう。変身装置が作れたのであれば、お二人の戦闘力は間違いなく強化されますので」
「それって雨ちゃんが変身できるって事?」
雨のツインテールがぴょこりと跳ねる。
「変身装置なのですから、変身はするでしょうね」
「おぉ~、雨ちゃん、変身しちゃうのか~」
なにやら感嘆の声をあげながら雨が考えている。彼女の頭の中では、一体何に変身しているのだろうか?
「そうは言っても、まずはアジトまで戻らねばな。さぁ、気合を入れて駅まで歩くぞ」
『おぉ~……』
雨達の返事に力がない。まったく、疲れた時ほど気合が必要だというのに。
「もう一回だ! 気合を入れて駅まで歩くぞ!」
『おぉーっ!』
明るくなり始めた空の下、私達は駅へ向けて歩き出した。
- 富士樹海 サクラジウム採掘場 正門付近 午前四時一分 望月 静音 -
「げほ……げほっ!」
黒煙が立ち込める車内からなんとか這い出し、私は大きく咳き込んだ。
「ひどいめにあったっすねぇ~」
「ジェットコースターみたいで面白かったけどねぇ~」
残る二人も車内から這い出してきて、先ほどの感想を述べる。
侵入者は取り逃がすし、装甲車はおしゃかになるし。しかも貫徹のまま今日の実技試験に挑まなきゃならないんなんて。なんて厄日なのかしら。
「あんたねぇ、装甲車とはいえ樹海の中に突っ込むなんて非常識もいいところよ……。もうぜったいにあんたの運転には乗らないんだから!」
「車に乗ったら人を追いかけたくなる。それがヒーローのサガっすよ」
「それは笹美ちゃんだけのお話よね~」
「しかも、あんた。樹海の中で警備員の何人かを轢いていなかった?」
笹美は意味ありげに腕を組むと、私に向かってこう答えた。
「先輩、良い言葉があるっす」
「なによ」
「気にしないっす」
もったいぶって何を言うかと思ったら、それってただのごまかしじゃない。
「ちょっとは気にしたほうがいいと思うわよ~。これでJHKの印象が悪くなっちゃったら、笹美ちゃんのせいだわ~」
それにしてもさっきの大柄の男。車の窓越しにちょっとしか見えなかったけど、ものすごいパワーだったわ。何をしたかまでは分からないけれど、彼の一撃で装甲車が吹き飛ばされたのだけは間違いない。まるで変身装置でも使ったかのような力だった。
そう考えるとただの侵入者って訳ではないわね。爆発物を持っていた事も考えれば、どこかの悪の組織と考えるのが妥当だわ。そうなると、私達の管轄よね。
幸い追いかけていた時の連中の姿はしっかり覚えているし、支部に戻ってからデータベースを漁ればなんらかの糸口はつかめるはず。よしよしよし。これは事件ね、犯罪ね。私の正義の魂が燃えてきたわ。
「……先輩、目が怪しいっすよ? 大丈夫っすか?」
「笹美、試験が終わったらちょっと忙しくなるわよ。覚悟しておきなさい」
「あらあらあら~。何か楽しい事でもするのかしら~。私もまぜてちょうだ~い」
どういう理由があったにしろ、悪の組織は見逃しちゃおけないわ。
今日の借りは、うん千倍にして返してやるんだから。覚悟しておきなさいよ!




