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せいふくっ! -今日から始める大首領-  作者: れぎゅ
第二幕 大首領様は二律背反
19/22

白部ダムへの潜入作戦

 アジト内の応接スペース。四角いテーブルを挟み私と雨が真剣な表情で向かい合っている。

 私と彼女の手にはそれぞれ六枚のカードが握られており、そのカードの内容に私達の運命が全て委ねられていた。


「うぅ~む……なのだ」


 雨が苦しそうな表情で唸る。

 彼女の表情を見る限り、かなり分が悪いのだろう。ポーカーフェイスには程遠い今にも倒れそうな青白い顔をしている。それに対して私は余裕の表情。追い詰める者と追い詰められる者の構図がここにはあった。


「大首領、良い報告がある」


 そんな私たちの元へドクターがやって来た。彼が研究室から出てくるとは珍しい事もあるものだ。


「ん……ちょっと待ってくれ」


 私はドクターをやんわりと手のひらで制止すると、「オープン」と言ってから持っている札を図柄が見えるようにしてテーブル上へ置いた。

 その札にはそれぞれ、次のような絵柄が刻まれていた。ダイヤのエース、スペードのエース、ハートのエース、クローバーのエース、スペードのキング、クローバーのキング。フォーオブアカインドだ。

 それを見た瞬間、雨の顔が絶望に歪み、自身の手札を投げるようにテーブル上に置く。彼女の手札はごくごく平凡なハートのワンペアだった。


「う~あ~、また雨ちゃんの負けだ~!」


 雨が頭を抱えて椅子の上で悶絶している。

 ふっふっふっふっ、これで私の二十四勝一敗三引分けだな。圧倒的な勝利だ。


「……私にはトランプをしているように見えるのだが、気のせいだろうか?」


 ドクターがジト目で私達の事を見ている。もしかしなくても、私と雨が興じているのはトランプ、ポーカーだ。


「うむ、雨がどうしてもと言うのでな。軽く捻ってやっていたところだ」

「人が仕事をしているというのにいい気なものだな?」

「まぁ、そう言うな。部下とのコミュニケーションも長の務めだ」


 私は手元のトランプを手早くまとめ、ケースへ収納した後、雨に差し出す。


「今日のところはこれで仕舞いだ。雨よ、次までに少しは精進してくるのだな」

「大首領様、強すぎなのだ~」


 彼女は悔しそうにトランプを受け取ると、肩をがっくりと落として応接室から出て行った。

 雨は勝負事が大好きなようで事あるごとに私に何らかの勝負を挑んでくる。今回はトランプだったが、ウノや花札、大型の物になると人生ゲームなんて事もある。テーブルゲームは他人とコミュニケーションを取るうえでは非常に有用なものであり、時間が許す限り雨の相手をしてやるのだが、残念な事に彼女はこの手のゲームが大変弱い。

 その弱さの原因の一つは頭を使わない事で、とにかくその時の気分と勢いでゲームを進めたがるのだ。それならば知略があまり絡まないゲームを持ってくればよい話なのだが、彼女は何故か頭を使うゲームを好んで持ってくる。

 その結果、彼女は私に対して大敗する事が多くストレスを溜めるだけ溜めて帰っていくのだった。

 ちなみに雪はこの手のゲームが恐ろしく強い。ゲームをする上で性格というのは重要な要素のようだな。


「で、話というのはなんだ?」


 雨の退出を見届けた後、ドクターに向き直る。


「あぁ、それなのだがな。例の変身装置の完成の目処が立ったので報告に来た」

「おぉ、ついに完成するのか。それはいつ頃になるのだ?」


 ドクターを雇用し始めてから二週間とちょっと。何もない状態からこの短期間で完成の手前までこぎつけるとは、さすが天才よりの科学者だ。セクハラばかりしている女好きというレッテルも少しは見直してやらねばならんな。


「うむ、だが問題が一点あってな。それさえ解決できれば二日とかからず完成するぞ」


 ドクターは眉間に皺を作り少し思案すると、話を続ける。


「実は動力源にサクラジウムが必要なのだ」


 さくら……なんだって?

 聞いた事のない名前だ。サクラでんぷんなら知っているのだが。


「誰がタラの切り身で作った桃色の食材の話をした。サクラジウムだ、サクラジウム。もしかして知らんのか?」


 さっきまでの険しい表情は一変、急に呆れ顔になる。あれ、知らないのがおかしいのか?


「勉強不足だぞ、大首領。サクラジウムぐらい子供だって……いや、雨君だって知っている」


 あえて言い直したところに、ドクターの雨に対する評価が透けて見える感じだな。どうやらサクラジウムというのはそのぐらい一般的なものらしい。


「済まんな、色々と勉強不足なのだ。よければ教えてもらえないだろうか?」

「ふむ、素直に無知を認める事は良い事だ。いいか、サクラジウムというのは燃料鉱石の一種だ。少量でも大量のエネルギーを発生させる事が出来る為、今回のようにコンパクトで高出力が求められる機械にはうってつけの動力源になる」

「なるほど」


 どうやらサクラジウムというのは石炭や原油といった燃料資源の一種のようだ。


「そこでだ。大首領にはぜひサクラジウムを手に入れていただきたい。それさえ手に入れば完成したも同然なのだ」

「だが、それはどうすれば入手出来るのだ? 有名な物らしいがホームセンターで袋詰めで売っているような物なのか?」

「特異性があってな、一般の流通経路では入手できん。その部分に関してはアリス君に調査してもらっている」


 なるほど、先ほど司令室に行った際にアリスがなにやら調べ物をしているようだったのだが、それはこの件だったのか。

 サクラジウムというのがどの程度入手が困難な物かは分からんが、入手しなければ変身装置の開発は進まない。ここは一つ、入手できるように努力してみるか。


「わかった。では、その要請を受け入れよう」

「よろしく頼む。ところで大首領はギャンブルが好きなのかね?」

「いや、別に好きという訳ではない。あれは雨にせっつかれて仕方なくやっていただけだ」

「その割にはけっこう力を入れてやっていたようだがな」


 特に気合を入れて遊んでいた訳ではないのだが、第三者から見るとそう見えたのだろうか。私が力を入れたというよりは、雨の肩に力が入りまくっていただけだと思うのだがな。


「もしよかったら、一局どうだね?」


 ドクターは応接室の棚から将棋盤を取り出すとテーブルの中央に置いた。彼の口元が不敵に歪む。どうやらかなりの自信があるらしい。

 彼とはこういう場で落ち着いて話をする機会が今までなかった。彼の人となりを知るには良い機会になるだろう。


「せっかくのドクターからのお誘いだ。お相手しよう」


 私は木箱の蓋を開けると、将棋盤の上に駒を並べ始めた。



 その日の夕食後、自室で将棋の本を読んでいるとアリスがやって来た。

 あの後ドクターと対局したのだが、それはそれは完膚なきまでにボロボロにやられてしまった。ドクターが恐ろしく強いのか、私が特別弱いのかは分からないが、王将以外の全ての駒を取られるという負け方をしたのは生まれて始めての経験だった。

 あそこまで徹底的に完膚なきまでにやられてしまうと私の反骨精神にも火がついてしまう。打倒ドクターを心に誓い、将棋の勉強の真っ最中だった。


「マスター、お休み中のところ申し訳ありません。ドクターに頼まれていたサクラジウムの件でご報告したいのですが」


 そう言う彼女の胸にはノートパソコンが抱かれていた。たぶんサクラジウムについて調べた資料が入っているのだろう。

 読みかけの将棋の本にしおりを挟みテーブルに置いた後、ソファーの端へ体を移動し、空いたスペースをポンポンと右手で叩く。アリスはそれに気付くと「失礼します」と礼儀正しくお辞儀し、私の隣に腰掛けた。

 私の向かいにはテーブルを挟んでもう一つソファーがあるのだが、何故かアリスは私の横に好んで座る傾向がある。隣に女の子が座っていると個人的に私が落ち着かないので何度か正面のソファーに座らせようとした事があったのだがだが、その度に彼女は悲しそうな顔をして何かを訴えるような目で私を見つめてきた。結局、その目に負け、隣の席に座らせる事が慣例となっている。


 アリスは抱えていたノートパソコンをテーブルの上で開くと、画面を指差した。画面上には桜色をした水晶のような鉱物が映し出されており、これがサクラジウムというものらしい。見た感じでは桃色の水晶のようにも見るのだが、不思議な事に石の周りが薄っすらと光っているようにも見える。なんとも不思議な石のようだ。

 

「ドクターから説明があったと思いますが、サクラジウムは少量で大量のエネルギーを得る事が出来る燃料鉱石です。エネルギー発生の際に環境汚染の心配が無い事から次世代のエネルギーとして注目を浴びる一方、エネルギー出力が強大であるという点から兵器への転用が目立ちます。鉱脈が現在のところ日本の富士地下深くからしか見つかっておらず、流通量は非常に少ない為大変貴重です。流通経路は情報規制が厳しくまだ分かっていません。流通経路が分からない以上、輸送車両か採掘場を襲撃するしか入手手段はないと思われます」


 どうやらサクラジウムというのは世界中で日本でしか産出されない貴重な燃料鉱石らしい。名前や特性は広く知れ渡っているようなのだが、産出量が少なく一般への流通がほぼ無い為、現物を見た事がある人間は少ないそうだ。実際アリスも現物を見た事はないらしい。

 しかし、襲撃をかけなければ入手できないとなると物騒な話になるな。いや、この場合は襲撃というより泥棒か。私の頭に某有名大泥棒の三代目の姿が思い浮かんだ。


「貴重な燃料鉱石と言うからには警備も厳重なのではないのか?」

「そうですね。Sランクとなっているようです」


 Sランクというのはうちの組織で定めている警備レベルの事だ。

 SS、S、AA、A、B、C、Dの六段階で設定されており、最低のDがほぼ警備無し、最高のSSはJHK+警察+厳重な警備設備となっている。

 この間のスコルピオンの警備体制はBランクで、この場合は組織的な警備員+厳重な警備設備と定めていた。


「今の組織の状態で襲撃をかけた場合、成功率はどの程度だと思う?」

「経験不足という事も含めると、5%程度かと」

「襲撃の経験という事か?」

「いえ、どちらかというと潜入ですね。潜入訓練はしていますが実戦経験がまだありません。ある程度の経験がないとSランクの警備を突破する事は難しいと判断しています」


 この間の地熱発電所は一応潜入作戦ではあったのだが、警備体制がCランクとかなり低かった為、経験らしい経験も積めていなかった。貴重な燃料鉱石ともなるとやはり入手は困難なようだな。

 私がどうしたものかと考えていると、アリスはノートパソコンを操作し画面上に地図を表示させる。地図は太平洋沿岸の静岡県から愛知県にかけての地形図のようで、静岡県の斜め上ぐらいの所に三つの赤い光点が記されていた。


「ですが、それはメインの採掘場を襲撃した場合です。調査の結果サクラジウムの採掘場は全部で三箇所あり、内一箇所は産出量の低下から閉鎖されている事が分かりました。閉鎖された採掘場は警備レベルもAランクと多少低くなっており、何度か潜入作戦の経験を積めば突破は容易だと判断しました。閉鎖されたとはいえドクターが必要とする分ぐらいのサクラジウムはまだ残されていると思われます」


 地図の光点の横にS、S、Aとローマ字表記がされている。どうやらこれがその採掘場の警備レベルらしい。Aの採掘場は富士山の山梨県側の方で、他二つの採掘場と富士山を挟んで丁度反対側に位置しているようだ。

 アリスはAの表記がされた光点を指差すと「狙うべきは閉鎖された採掘場ですね」と言った。


 そうなると私達のする事の方向性は決まる。

 サクラジウムの入手の前段階として潜入作戦の実戦経験を積む。それと同時に潜入訓練を繰り返し行い、問題がないレベルまで技術が向上したら閉鎖された採掘場を襲撃し、サクラジウムを入手する。それでドクターの要請も完了だ。

 

「かしこまりました。では潜入訓練は雪さんを中心に行ってもらう事にします。それと実戦経験を積むのに良い相手も探しておきますね」



 それから二週間、悪の秘密結社は総出を挙げて潜入訓練を行った。

 初めの内はアジト内で訓練を行っていたのだが、アリスの調べで塩頭市の隣町である岡川市にちょうど良い広さの廃墟がある事が分かり、四日目からはそちらに場所を移す事にした。基本動作の訓練であればアジト内の訓練施設でも問題はないのだが、それ以外の例えば通路間の団体移動や重火器を使用した突入訓練はどうしても広い場所が必要になるからである。廃墟は元ショッピングセンターの建物で、広さも構造も今回のような訓練にはうってつけの物件だった。

 ショッピングセンターは小高い山の天辺に建てられており、道中の山道は細く蛇行したもので車一台が通行するので精一杯だった。こんな立地の悪い所に建てたのであれば潰れるのも納得ができる。ここの経営者は一体何を考えてこんな所に建てたのだろうか。


 廃墟内の一室に立ちそんな事を考えていると、突如前方の壁がなんの前触れも無く吹き飛んだ。

 コンクリート片が飛び散り、煙が立ち込める。その中から戦闘員達が銃を片手にぞろぞろと飛び出してきた。彼らはそのまま通路を駆け抜けると、その先の曲がり角の壁にキレイに一列になって張り付く。

 先頭の戦闘員が後ろの戦闘員達に向けて手のひらを差し出す。指が三本、二本と減っていき、グーになった所で、先頭の戦闘員が何かを通路の先に放り投げた。数瞬後、通路の先から炸裂音が響き、少し遅れて猛烈な煙が噴出す。


「ゴーゴーゴーッ!」

『キキィーッ!』


 戦闘員達は煙の中に突っ込んでいくと私の前から姿を消した。その様子を見て横に立っていたアリスがうんうんと頷いている。どうやら戦闘員達の動きはまずまずのようだった。

 初めは雪を中心に訓練を行っていたが、こちらの場所に移動してからはアリスも指導員として参加しており、雪は動作等の肉体的な指導、アリスは突入方法や技術等の知識的な指導を行っている。今はちょうど技術的な指導の部分で、狭い通路内で入り口を確保して突入する訓練の真っ最中だった。


「なぁ、アリス。爆薬で突入って、ちょっと乱暴すぎないか?」

「狭い屋内へ突入する場合、入り口からのエントリーは避け、指向性爆薬によって壁を壊し内部へ侵入する事は、潜入作戦では常勝手段です」


 アリスの技術指導はどこぞの軍隊顔負けの本格的なもので、爆薬の使用は当たり前、閃光弾や催涙弾、無線封鎖や電波妨害なんてものも教えている。前者で使用している武器はこの間の武器商人から買ったもので、後者の機材はドクターが暇つぶしに作った物だ。彼曰く「サクラジウムが来るまで暇」らしく、プラスチック爆弾に改良を加えたり、ライフルに特殊なサイレンサーを取り付けたりもしていた。

 戦闘員達の動きは始めの数日間は素人臭いものだったが、そこから更に数日間訓練を積んだ今では見違えるように鋭敏な動作になっていた。アリスの教え方には妥協が無く、細かい動作の一つ一つを徹底的に指摘しその指摘部分を雪が反復練習させるといった二人三脚の指導を行っており、その結果、短期間の訓練ではあるが、驚くほど訓練成果が出ていた。

 私はというとアリスの指導風景を横で眺めたり、雪の指導風景を横で眺めたり、たまに屋上で息抜きをしたりとまったく訓練には関わっていない。というか、役に立っていない。たまにする事といえば、アリスからの相談に対し良い悪いの判断を下すぐらいである。

 アリス的には判断をしてくれるだけで十分だと言ってくれるし、雪も上で見守るのが長の務めと言ってくれてはいるが、私的にはどうにも役立たず感が拭えない。そう思い資材の搬入等を手伝おうとすると風美辺りに注意されてしまう。

 ドクターと将棋勝負で負けた件もある。私も戦略というものについて学ばなければいかんなぁ。こういう時に役に立てないのは、組織の長として悲しいぞ。

 

「大首領様~!」


 隣の部屋から雨と風美が入ってきた。

 普段の格好とは違い今日の二人は給食のおばちゃんのような割烹着姿だ。雨の右手にはお玉、左手にはフライパンが握られており、それを頭の上でカンカンと打ち鳴らすと「ごはんだよ~っ!」と元気よく叫んだ。



「では、全員合掌!」


 私の声で全員が両手を胸の前で合わせる。


「いただきますなのだーっ!」

『いただきますっ!』


 雨の号令に従い全員が行儀良く頭を下げると、瞬間、行儀良さはどこへやら。戦闘員達は目の前に詰まれたお握りを我先にとばかりに奪い合う。


「これは俺のだっ!」

「ばか、てめぇはそっちの梅干でも摘んでろ! これは俺のおにぎりだ!」

「うるせぇ、俺によこせぇ!?」

「いっぱいありますから、仲良く食べてくださいね~」


 そんな戦闘員達を風美がニコニコ顔で見守っている。彼女はあっという間に空になったお握りの皿をテーブルから下げると、追加のお握りを置いていく。だが、それもあっという間に無くなっていく。戦闘員達の食欲には目を見張るものがあった。

 訓練中は外の天候が悪くない限りできるだけ屋外で食事を取るようにしていた。暗く埃っぽい室内でびっちり訓練をしているのだから、食事中ぐらいは日の光を浴びてリラックスさせたいと考えたからだ。ショッピングセンター跡だけあって周囲はアスファルトで舗装されており、そこに簡易の椅子とテーブルを置いて食事場所としていた。皆わきあいあいと食事を取っているようで、なによりだ。

 雨と風美には戦闘員達への炊き出しを頼んでいた。元々すばしっこい雨には改めて肉体指導をする必要がなく、むしろ遊撃として好きに動かせておいた方が雨の個性を潰さないで済むとアリスが判断していたからだ。風美の手伝いをする事に初めは難色を示していた雨ではあったが、自身の作った料理を勢い良く食べる戦闘員達の姿を見てなにやら思うところがあったのか、今では率先して炊事を行っている。雨の心変わりに風美は大変助かると喜んでいた。

 私の目の前の皿には三個のお握りとトン汁が置かれているのだが、お握りのうち一つはひどくいびつな形をしている。どうやらこれは雨が握ったもののようだった。だが、形はどうあれ味自体は悪くない。雨のがんばりに感謝しながら咀嚼する。


「マスター、食事をしながらで構いませんのでお話を聞いていただけますか?」


 隣で行儀良くトン汁を啜っていたアリスが、私に話しかけてきた。

 私はお握りをほお張りながら、問題ないと返す。


「戦闘員達の技術もだいぶ向上してきました。そろそろ実戦経験を積むにはよいタイミングだと判断しています。次の制圧作戦を提案させていただきたいのですがよろしいですか?」


 アリスは訓練の傍ら次の対組織戦の相手を選定していた。選定基準は戦力が私達より下回っており、なおかつ適度な警備体制を敷いている組織だ。昨日聞いた時にはまだ決まっていないとの事だったが、私の知らない間に見つけていたようだ。

 対戦相手に選んだ組織は『山岳集団 ヒマラヤン』という小規模の組織らしく、とある重要な施設を制圧エリアに置いているとの事だ。


「その重要な施設とはなんだ?」

「ダムです」

「ダムぅ?」


 長野県の西側にある日本アルプスにはたくさんのダムが設けられている。その中の一つ、山深い山中に作られた巨大発電施設である白部ダムがヒマラヤンの根城らしい。この間の地熱発電所に続いて今度も発電施設か。なんとなく嫌な予感はするがその辺は大丈夫なんだろうな?


「裏づけ調査の結果も問題ありません。JHKや警察関連の関与は一切ないと断定できます」


 ヒマラヤンは山を愛する極悪組織で、登山愛好家上がりの肉体派戦闘集団だそうだ。彼ら独自の山登りのルールを他者へ強要し、従わない者には口にするのも嫌になるような残酷な仕打ちを数多く行っているらしく、登山愛好家達にとっては恐怖の代名詞となっているらしい。彼らは白部ダムが無人発電所なのを良い事に勝手に根城としているだけでなく、白部ダムを見に来た観光客を襲い強盗まがいの犯罪にも手を染めているという。なんともはた迷惑な組織だと思う。


「悪の組織なわけですから、よそ様に迷惑をかけるのはむしろ悪の組織として正しい行いだと私は思いますが」

「だが、だからといってせっかく観光に来た人達に迷惑をかける事もないだろう。観光客の思い出はボロボロだぞ?」

「襲った人間の思い出まで傷つけるとは、ヒマラヤンは立派ですね。私たちも見習わないといけません」


 この子は相変わらずこういう考え方しかしないのだから、困ったものだ。

 聞けば白部ダムはかなり大型の施設らしく、山に囲まれた立地から天然の要塞のようになっているそうだ。近隣に住居等が無い為他者に迷惑がかかる心配もなく、なおかつ山奥なのでJHKが仮に出動したとしても彼らが到着する前に逃げる事ができる。潜入作戦の経験を積むにはかなり都合が良いそうだ。

 

 若干の心配はあるが、今回の潜入作戦は前回の地熱発電所の時とは違う。訓練もしてあるし、武器も揃っている。ヒマラヤン自体の脅威も小さい。JHKや他の組織の介入の心配もない。条件はきっちり揃っている。大丈夫なはずだ。

 

 私はアリスに提案の受諾を伝えると、食事の手を止めその場に立ち上がり、食事中の皆に対し訓練の終了と作戦の決行を告げた。



 三日後。

 私達は電車とバスとトロッコ電車を乗り継いで、白部ダムまでやって来た。

 

「うぅぅむ、これはすごい。昭和の時代にこんな立派で巨大な建造物を建てたとは、同じ日本人として誇らしい気分になるな」


 白部ダムは事前の情報通り山深い山中に作られていた。車での交通手段は無く、専用のトロッコ電車を乗り継がないと辿りつけない場所と言えば、ここがどれだけ山奥にあるかが分かるだろう。

 そんな山奥にあるにも関わらず白部ダムは雄大で巨大な建造物だった。堤防の長さは数百メートルはあるのか、反対岸に立っている観光客が豆粒のように見え、貯水している池はあまりの広さの為に奥が見えない。堤防から下を覗くとあまりの高さに目がくらみそうになる。これだけの巨大建造物をこんな山深い山中に作ってしまうというのだから、この工事に関わった人達の熱意には頭が下がる。


「白部ダムは日本を代表するダムの一つで、アーチ式コンクリートダムです。ダムの高さは百七十九メートル、総貯水量は一億九千九百万立方メートルで、どちらも日本最大となり、これ程の規模のダムは他にありません。総工費は建設当時の費用で五百十四億円にものぼり、作業員延べ人数は一千万人を超えるそうです。工事期間中の転落や事故などによる労働災害も多く、殉職者は百数十人にも及び、いかにダム建設工事が苦難を極めたがよく分かります」

「ずいぶん詳しいな。来る前に調べてきたのか?」

「いえ、パンフレットがありましたのでトロッコ電車に乗っている間に読んでおきました」


 そう言って彼女は小さく折りたたまれたパンフレットを私に見せてくれた。言われてみればトロッコ電車の駅にそんなのが置いてあったな。


「それはそうと他の連中はどうした? 駅の入り口までは一緒だったと思うが」

「皆さんでしたらあちらに……」


 アリスは私達から少し離れた所にある堤防への入り口部分を指差す。

 

「さぁさぁ、皆並ぶのだーっ!」

『おぉーっ!』

「よーし、いっくよー! 一足す一は~!?」

『にぃーっ!』


 そこでは雨と戦闘員達がわきあいあいと集合写真を撮っていた。集合写真が終わると今度は気に入った者同士が集まり写真撮影を始める。観光名所に来たら写真を撮りたくなる気持ちは分からんでもないが、あいつら何しに来たのか分かってるのか?


「そうですわね。あとで雨に言い聞かせておきますわ」

「……そういうお前はなんでソフトクリームを持っているのかね?」

「あそこの売店で買いましたの。牧場直送の新鮮な牛乳で作られているそうでとてもおいしいですわよ?」


 雨達を注意しておくと言った雪の手にはソフトクリームが握られていた。お前もしっかり観光気分じゃないか。

 まったく、少しはアリスを見習ったらどうだ? 彼女は幼い容姿でありながら、お前達と違いきちんと潜入作戦に向けて現地の確認をして……ないな。アリスは雪の持っているソフトクリームが気になるのか、ダムそっちのけでソフトクリームを凝視している。その表情はかなり真剣だ。もしかして食べたいのか?

 アリスの性格上、食べたいと思ってもそれを素直に口に出したりはしないだろう。この子はそういう自分の欲求に対し我慢してしまう子だ。せっかくアリスが興味を持ったのだ、ここは私が気を利かせてやるべきところだろう。


「……アリス、ちょっと売店に行ってソフトクリームを買ってこい」

「あ、いえ、私は別にそういうつもりでは」


 アリスは自分がソフトクリームを凝視していた事に私が気付いたと思ったのだろう。珍しく慌てると両手をぷるぷる振りながら弁解を始める。


「いいから買ってこい。私が食べたくなったのだ。だから二つ買って来い、いいな?」

「いや、その……そういう事であれば」


 彼女は少し申し訳なさそうな顔をしたが、私が小銭を渡すと口元を少しだけ綻ばせ、売店へ駆けていった。


「ご立派ですわ、大首領様」


 アリスが売店へ向かった後、雪が私の方へ近づいてきてそう言った。


「食べたいなら食べたいで素直に言えばいいものを」

「それが言えないのがアリスちゃんなんじゃありませんか。そこを汲んであげるのは保護者としての大首領様のお仕事ですわ」

「まぁ、そうなのだろうがな。というか、お前達、今日は何をしにきたのかちゃんと分かっているのだろうな?」

「えぇ、存じ上げておりますわ。ちゃんと準備もしてきていますし」


 そう言って彼女は肩に背負っている荷物を見せた。

 アジトから白部ダムまでは片道四時間の長距離移動となる。道中いつもの戦闘服姿だと目立ってしょうがない。その為、鎧が脱げない私は別として、それ以外の者は現地までは全員私服で来させていた。雪も今は私服であり、大き目のリュックサックと弓矢を入れる細長い筒を背負っている。


「それならいいのだがな。それじゃあ三十分の休憩を挟んだ後、全員戦闘服に着替え、作戦を開始するぞ。雨達にもそう伝えておいてくれ」

「三十分、ですか? ……あぁ、なるほど」


 少し思案した後、雪が柔らかく微笑む。その目が妙に優しい。あ、もしかしてこいつ気付いたな。


「いいえ、何も気付いていませんわよ。……三十分あればアリスちゃんもゆっくりアイスを食べられますわね?」

「あのなぁ……そういう事はな、気付いても言わないものだぞ?」


 彼女は頭を下げ「ごゆっくり」と言うと雨達の所へ向かった。

 しばらくしてアリスがソフトクリームを二つ持って私の元へやって来た。


「マスター、見てください。店員の人がおまけをしてくれました」


 彼女の持っている二つのうち、片方はソフトクリームの段が二段程多く巻かれていた。


「店員が私を外国人だと勘違いしたようで、日本語が上手だと褒めてくれた後、特別だよと言って多めに盛り付けてくれました」


 売店の方を見ると人の良さそうなおばちゃんがこちらに向けて手を振っているのが見えた。どうやらあのおばちゃんがアリスの言う店員のようだ。私は彼女に対し会釈すると、アリスの頭を撫でる。


「それは得をしたな、よかったではないか」

「では、こちらはマスターがお食べください」


 そう言って彼女は大きい方のソフトクリームを私に差し出してくるが、それを右手で制止する。


「いいからそっちはお前が食べなさい。私は普通の方でよい」

「体の大きさから言っても、大きい方をマスターが食べる方が適切だと思うのですが」

「いいから、お前が食べなさい。お前が買ったからおまけしてもらえたのだし、それはお前の取り分だ」

「……マスターがそう仰るのであれば」


 そう言って私に普通のサイズのソフトクリームを手渡した後、彼女は小さな舌でぺろりとソフトクリームを舐める。一瞬ぎゅっと目を瞑り肩を縮めるが、すぐに目を開くと口元を綻ばせておいしそうにソフトクリームを食べ始めた。


「どうだ、うまいか?」

「はい、大変おいしいです。生まれて初めて食べましたが、ソフトクリームとはこんなにもおいしい物だったのですね」


 いつものポーカーフェイスを崩し、歳相応の笑顔を浮かべながらソフトクリームの感想を述べるアリス。そんな彼女の笑顔を見ながら食べるソフトクリームは私にとってもおいしいものだった。



 さて、潜入訓練を終えた私達にとってダム内への侵入はとても簡単なものだった。アリス直伝の潜入技術を身に着けた戦闘員達にとって、隠れるところがたくさんある施設内は門を広く開けた家と変わりはない。私が思っていた以上に潜入は順調に進んでいく。

 とはいえ元々のダム内の防犯設備があったり、ヒマラヤンの戦闘員の巡回があったり、うっかり間違えて敵の宿舎に入ってしまいそうになったりと、それなりにイベントはある。その中でも肝を冷やしたのはヒマラヤンの戦闘員と鉢合わせした時である。


「な、なんだべ、お前らは!?」


 ヒマラヤンの戦闘員は真夏であるにも関わらず、まるで冬の雪山に登山するような豪快な登山服姿だった。しかも顔にはガスマスクを着けており、怪しさ満点である。彼は曲がり角からいきなり現れた私達に驚くと、すぐに敵だと判断したらしく手に持っていた巨大なピッケルで殴りかかってきた。


「ぶげらっ!?」


 だが吹き飛ばされたのは男の方だった。後方を確認すると戦闘員の一人が、腰溜めで銃を構えている姿が見えた。どうやら彼が咄嗟の判断で銃撃し、撃退したらしい。


「いやぁ、焦った焦った」


 彼は右手をぷるぷると二、三度振るうと、汗を拭い取るように顎を撫でた。


「ゴム弾を発射するとはいっても、結構衝撃あるんだな、これ。支えにしてた右手がまだ痺れてるぜ」


 戦闘員達に持たせているのは非殺傷性のゴム弾を発射する銃である。弾自体はスーパーボールほどの大きさではあるが、大人であってもこの弾の直撃を受ければ悶絶するし、当たり所が悪ければ今倒れているヒマラヤンの戦闘員のように気絶してしまう。一応実弾も用意はしてあるが、できる事なら殺生をしたくないという私の方針から、基本はゴム弾の使用を心がけさせていた。

 銃を撃った戦闘員は、「どうよ、訓練の成果出たんじゃない?」と自らの腕前を周りに自慢している。実際、彼の動作は素早く的確であった。訓練の成果がしっかりと出ているのだろう。


 今回の作戦も敵の親玉を取り押さえるという点ではスコルピオンの時と同じである。ただし、今回は出来る限り戦闘はしない方針で作戦を立てている。これは潜入作戦の経験を積む為であり、どれだけ自分達の潜入技術が向上しているのかの確認の為でもあった。

 入り口で取り押さえ尋問したヒマラヤンの戦闘員の話によると、敵の親玉は基本的には主管理室と呼ばれる所にいるらしい。私達は一路主管理室を目指している真っ最中だ。


 電源区画を抜け、管理区画に入る。先ほどまでは配管やなにやらがむき出しの通路だったが、こちらの区画に入ってからは普通のオフィスビルのような整然とした通路に変わっていた。

 アリスが右耳に手を添えながら目を閉じる。彼女がこの仕草をする時は、音紋センサーに集中している時だ。やがて目を開くと彼女は進行方向の先にあるドアを指差し「ここです」と言った。どうやら目的地に着いたようだ。


 雪が無言で戦闘員達に合図を出す。戦闘員のうち三名が音も無くドアへ忍び寄り、ドアノブの部分に拳ほどの大きさで紙に包まれた物体を取り付け、最後に小指ほどの大きさの筒を差すとこちらへ戻ってくる。取り付けた戦闘員が私達に親指を突き立て完了の合図を送る。紙に包まれた物体はC4爆弾と呼ばれるプラスチック爆弾で、突き刺したのは時限性の信管だ。信管を突き刺してからきっちり六十秒で爆発するようにドクターが調整をかけてある。

 アリスが指を銃の形にして、胸の前で上下に二回振る。それを見た戦闘員達が銃を構え、通路の壁に張り付く。

 時間がゆっくり流れる。十秒、いやもう二十秒は経っただろうか。全員がドアをジッと見つめる。ごくりと誰かの唾を飲み込む音が聞こえる。全員の緊張がピークに達する。瞬間、ドアが爆ぜた。それに合わせて先頭に立っていた二人の戦闘員がドアの両サイドに張り付き、内部に何かを投げ入れる。数瞬後室内からは更に爆音と閃光があがる。


「な、なんだべーっ!?」

「て、敵襲だべかーっ!?」


 室内からはヒマラヤンと思われる男達の悲痛な叫び声が聞こえてくる。管理室内でくつろいでいた所にいきなり爆発と目を覆いたくなるような閃光を喰らわされれば誰だって混乱するだろう。


「さぁ、突入ですわ! 一斉射っ!」


 雪の号令で残り半数の戦闘員が動き出す。通路の壁に張り付くように二列に並ぶとそれぞれが持っている銃が室内に向けて発射される。甲高い銃撃音が通路内を埋め尽くす。時間にして十秒、室内にたっぷり銃弾を打ち込んだ後、雪が右手を掲げると銃撃が一斉に止む。それを合図に雨と控えていた戦闘員達が飛び出し、室内へ突入した。

 室内からは「ぐぎゃ」だの「もうやめて」だの「お婿にいけなくなっちゃう」だのとヒマラヤン達の悲痛な叫び声があがり、それを掻き消すように「にゃーはっはっはっはっはっ!」という雨の雄たけびが聞こえてきた。私のいる位置からは室内の状況は見えないが、今日の雨は絶好調のようだ。

 しばらくすると室内から喧騒が聞こえなくなった。雨がドアから顔を出し右手で輪っかを作る。制圧完了のサインだ。私はほっと肩を撫で下ろす。

 管理室の制圧は予想以上にうまくいった。後は敵の親玉を縛り上げて降伏勧告するだけだな。

 

「……あら?」


 私より先に室内の様子を確認に行った雪が頭を傾げる。


「どうした、雪」

「いえ、この部屋、ヒマラヤンの戦闘員しかいないみたいですわ」

「なんだって?」


 慌てて室内を覗く。全身ぼろぼろになったヒマラヤンの戦闘員達とそれを縛り上げている途中のうちの戦闘員しか室内にはいない。


「アリス、ヒマラヤンのボスは戦闘員と同じ服装をしているのか?」

「いいえ、事前の情報によるとヒマラヤンのボスは最高の山男であるマタギの格好をしているという話です」


 床に倒れているのは登山服姿の男達ばかりだ。マタギの格好をした男は一人もいない。では、ボスはどこだ?

 その時、管理室入り口のすぐ横にあったドアから水の流れる音が聞こえ、ガチャリとドアが開く。


「あぁ~、昨日食ったイノシシのせいで腹の調子がおかしいべ。お前らは大丈夫か~?」


 ズボンあげながらマタギの格好をした男が出てきた。

 マタギと私達の目がぶつかり、数瞬見つめ合う。マタギは室内を見渡すと状況に気付いたのか、ズボンのチャックもベルトも閉めずに入り口のドアから脱兎のごとく逃げ出した。ボスはトイレに入っていた為、この場にいなかったのだ。


「っていか、ベルトとチャックぐらい閉めてから逃げろっ!」


 私達は雪と数名の戦闘員を部屋に残し、社会の窓全開のマタギを追いかけた。



 マタギは見た目の重厚さとは裏腹に身のこなしがとても軽く、すばしっこかった。

 関取のように大柄で、足は短足。毛皮でできたベストを羽織り、靴は草鞋で背中には猟銃を背負った格好は、まるで昔話の中に出てくるマタギそのものだ。そのマタギは通路内にある配管を忍者のように華麗に飛び越え、通路を塞ぐパイプをサッカー選手のスライディングの要領で潜り抜け、二メートルはある段差をネコのように身軽に飛び降り、そして社会の窓は相変わらず全開のままで駆け抜けていく。大型の発電施設である白部ダムだが、全力疾走できるほど通路内は広くない。男とは逆に私達は通路内の障害物に邪魔をされ、思うように追いかける事ができない。

 さすがマタギ……じゃなくて山岳組織のボスだ。足場の悪い道の走り方をよく心得ている。


「マスター、まずいです。このままではヒマラヤンのボスが外に出てしまいます。外に出てしまった場合、周りは彼らのフィールドである山です。そこに逃げ込まれてしまっては私達では発見できなくなります」


 すでに施設の八割は過ぎている。残り二割で捕まえられなければ奴は外に出てしまう。それは分かっているが、こちらもこれ以上は速度が上げられない。


「アリスちゃん、なんか足止めできないの!?」


 先頭を走っていた雨が足元のパイプを飛び越えながら叫ぶ。


「足止め……ですか。分かりました、なんとかしてみます」


 アリスは走りながら携帯電話を器用に操作すると、どこかへ電話をかける。しばらくすると携帯電話のスピーカーから雪の声が聞こえてきた。さすがに走りながらは話しづらいのか、ハンズフリーにしているらしい。


「雪さん、アリスです。管理室の制御盤に放水というボタンはありませんか?」


 しばらくしてから雪が返答を返す。


『……ありますわ。これをどうするんですの?』

「すぐに押してください。ダムの放水を利用して、この先の通路を封鎖します』

『ですが一番から四番まであって、どれを押して良いのかわかりませんわよ』

「では全部押してください。急いでください、ボスに逃げられます』

『わ、分かりましたわ』


 しばらくして通路内に警報が響き渡る。放水開始前の合図だ。だが、男は既に施設の入り口付近までたどり着いている。間に合うか!? 

 男が出口のドアを蹴り破り外へ飛び出す。私達も少し遅れて外に出る。暗い所から明るい所に急に出た為目がくらむが、それでも足を止めず前に進む。目が慣れてくると外の風景がはっきりと見えてくる。どうやらここはダムの中腹部分にあるキャットウォークらしく、右側には天高くそびえるダムの堤防が壁となって続いている。しかもキャットウォークの幅は先ほどの通路よりなお狭い。男は既に堤防の四分の一程を進んでおり、私達との差は距離にして百メートル以上だ。ここを抜けたらもう山の中だ。手出しが出来ない!


 その時、私達の足元から振動が響いてきた。いや、足元ではない、上だ!

 私達の頭上、クレスゲートと呼ばれる水門がダム自体を振動させながらゆっくりと開門していく。その隙間から水が……流れてきた!?


「や、やばいぞ!? 戻れ、戻れーっ!?」


 私達は絶叫をあげながら今来た道を必死で戻る。その間にも上空からは大量の水が私達を押し流そうと迫ってくる。急げ、急げ、急げってばさ! 私達全員が出てきた出口へたどり着くと同時にキャットウォークを水が飲み込んだ。か、間一髪だった。

 毎秒十トンの水が私達のすぐ目の前をゴウゴウと音を立てて流れ落ちていく。その姿は滝というよりは水の壁だ。私達やヒマラヤンのボスが走っていた辺りは水の壁に飲み込まれ真っ白に染まっている。少しでも戻るのが遅れていたら、私達全員がこの水の中だった。

 いくら戦闘技術を鍛えているとはいえ、自然の力には勝てない。危うく全滅するところだったぞ。安堵のため息が漏れ、肩ががっくりと下がる。


 そこでふと思い出す。そういえばヒマラヤンのボスはどうなった?


「……大変申し上げにくいのですが」


 息一つ切らしていないアリスが、神妙な顔つきになる。もしかして逃げられたのか!?


「いえ、流されました」

「……へ?」

「私の動体センサーがしっかりと記録しています。ヒマラヤンのボスは放水の水に巻き込まれて流されてしまいました」


 えぇぇぇぇっ!?



 それから十分後、雪に放水を止めてもらい私達はヒマラヤンのボスの捜索を行っていた。


「おーい、いたかー!?」

「こっちにはいないぞー!?」


 私達が今いる場所はダムの下にある減勢池と呼ばれる所だ。ダムから放水した水の勢いを抑える為の貯水槽みたいなもので、先ほどのヒマラヤンのボスが走っていた位置から考えて、ここに落ちている可能性が高いらしい。

 あの放水を喰らったのだ。溺死体とかになってないだろうなぁ?

 上を見上げるとダムの堤防部分に観光客が集まっており、私達に向けて手を振っている。彼らは時間外の観光放水が行われたと勘違いしているらしく、それを行った私達に「もう一回やって!」とアンコールをせがんでいる。これ以上放水してヒマラヤンのボスが更に先に流されてしまっては捜索のしようがない。申し訳ないが、しばらくは我慢してもらおう。


「いたぞーっ! こっちだーっ!」


 減勢池の奥側、副ダムと呼ばれる所の水門付近で戦闘員の一人が手を振っている。どうやら発見したようだ。付近を捜索していた者達が水門へ集まっていく。

 

「……これはまた、悲惨な状態だな」


 ヒマラヤンのボスは水門前の排水路にある金網に引っかかっていた。潰れたカエルのような格好で大またを広げ金網に引っ付いているその姿は、マタギというよりは水太りしたタヌキだ。

 逃亡時全開だった社会の窓はその入り口を更に広げ、下半身がパンツ一丁の状態である。流される時の水流の力でズボンが脱げてしまったのだろう。だからベルトと社会の窓は閉めろと言ったのだ。

 下半身パンツ一丁の状態で戦闘員達に引き上げられる男の姿を見て、あぁいう捕まり方だけは絶対にしたくないと思うのだった。



 さて、ヒマラヤン達はあっさりと私達に投降した。自分達のボスの見るも哀れな姿を見て、私達の事を極悪非道で残忍な組織だと思ったらしい。彼らの私を見る目がまるで悪霊でも見るかのような怯えの色を映し出している。あれは狙ってやった訳ではなくどちらかというと不慮の事故だったのだが……。


 彼らの話を聞いて分かった事だが、観光客への強盗まがいの行動は別として、彼らなりに山を愛するがゆえに犯罪行為に手を染めていたようだった。

 富士山が世界遺産に登録されたのを皮切りに世間では登山ブームが広がり登山者が増えたそうなのだが、それにともなってマナーの悪い登山者達も増えたそうだ。初めは初心者ゆえに仕方がないと見逃していた彼らではあったが、何ヶ月もその状態が続くと次第にそういう行いをする者を許せなくなっていった。小さな戒め行為を行っていた彼らではあるが、時が経つにつれて段々エスカレートしていき、今に至るという訳らしい。


「山は、山は……俺達登山愛好家にとって聖域なんだべ」

「それを土足で踏み荒らす連中が許せなかったんだべさ」


 そう言って全身がっちりのむさ苦しい男達がおいおいと泣き出す。彼らの山に対する情熱は本物のようだ。そこに関しては認めてやりたいのだが、他人に迷惑をかける行為は同じ悪の組織として見過ごす事はできない。さて、どうしたものか。


「そうですね。もしよろしければこの者達を傘下に加えてはどうですか?」

「この者達をか?」

「はい。制圧エリアの規模が広がってきましたし、そろそろ支部を設けようと考えていました。ここは山深い山中ですので、彼らのように登山スキルの高い者達の方がここを運営する上で有利になります。話を聞く限り彼らは山が好きなだけのようですし、その辺りを条件に出せばこちらの傘下に入るのではないでしょうか?」


 なるほどな。ここは元々彼らの制圧エリアだったわけだし、引き続き管理させておいた方が何かと都合がいいのだろう。アリスの言う事はもっともである。

 私はそこまで考えると、ヒマラヤンのボスの前に立つ。先ほどの逃走時に見せた迫力はどこかに消えうせ、肩を落とし力なくうなだれている。


「ヒマラヤンのボスよ。名を聞こう」

「お、オラは山口 太郎と言いますだ」

「では山口よ。お前達は今日から私達悪の秘密結社の傘下に入れ。その代わり私はお前達が望む山のあるべき姿を守る為に力を貸す。どうだ?」

「お、オラ達を懐柔するつもりか?」


 山口が怯えと疑いが混ざった目で私の事を見上げる。


「そういう訳ではない。私は話を聞いていてお前達の山に対する情熱は本当だと思った。お前達の行った事は悪の組織に恥じぬ立派な悪行であり、それは許される事ではない。だがお前の仲間達を見てみろ。山を想うがゆえに流している涙は本物だ。私はその涙を美しいと思う」


 私は片ひざをついて男の前に座ると、右手を差し出す。


「私だって山々の自然は美しいと思うし、できればその自然を守りたいとも思う。そう思う私の気持ちと、山を大切にしたいと思うお前達の気持ちに違いはないだろ? だから私はお前達のその山を愛する心を信じるし、同じ山を愛する者として協力したいと思うのだ。その力を私達に貸してくれ。悪いようにはしないぞ?」

「お、オラ達を認めてくれるのか?」

「もちろんだ」


 山口は感極まったのか両の目から滝のように涙を流すと私の右手を両腕でがっちりと掴み、ぶんぶんと力強く振る。


「分かっただ! オラ達は今日からあんたについていくだよ!」


 周りのヒマラヤンの戦闘員達も私と山口の話を聞いて一人また一人と号泣していく。


「山好きってだけで汗臭いとか田舎臭いとか言われてバカにされてきたけんど、そんなオラ達を認めてくれたのはあんただけだ! オラ達は全力であんたとこの山々を守りぬくべ!」

『だべさだべさ!』


 山口の叫びに周囲の戦闘員達も賛同し雄たけびをあげる。今気付いたが、「だべさ」というのがヒマラヤンの掛け声だったのだな。

 ヒマラヤン達はがっしりと肩を組んで円陣を組むと「山の男にゃ惚れるなよ~」と合唱を始めた。


 そんな訳でヒマラヤンは本日から「悪の秘密結社 白部ダム支部」と名前を変える事となった。



 それから数日後。山口から電子メールで定期報告が届いた。


「……なるほど、重要施設を観光客へ解放し見学ツアーを行っているのか。しかも希望者に対し山登りの講習会まで開いているとは、彼らもなかなかやるな」

「はい、観光に伴う物販収益や見学料の徴収を行い組織の資金源となるようにしているようです。その他にも山岳愛好会と連携をとり山の自然保護活動なども行っているようです」


 メールに添付されていた画像には、悪と大きく書かれたハッピを着たむさ苦しい男達が観光客と仲良くピースしている様子が写されていた。その顔つきはヒマラヤンをやっていた頃よりも輝いて見えた。


「これで彼らも誇りを持って仕事をする事ができるだろう。よきかなよきかな」

「今回の潜入作戦は大成功だったと思います。戦闘員達の潜入技術向上も予想以上でしたし、引き続き潜入作戦の経験を積めるように作戦を立案していきますね」

「そうだな、よろしく頼むぞ」


 さぁ、この調子で経験を積んだら本命のサクラジウム採掘場だ。

 私はアリスの頭を軽く撫でると、次の潜入作戦に対して改めて気合を入れるのだった。

 

 


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