幕間 とある病室での風景
学生の夏は短い。
世間一般で言うところの社会人達の方が忙しい日常を送っているようにも思えるが、学生は学生で色々とあるのである。授業に部活、アルバイトに友人達との交遊、人によっては恋愛や失恋。そんなもろもろのイベントは少し気を抜いているとあっという間に過ぎ去っていき、気付けば全てが終了している。
そんな一般的な学生と同様、彼女、望月 静音にとっての夏ももちろん短い。今日は後輩である二つ年上の女性の見舞いの為に長野県中部の総合病院に来ていた。
「あんたも災難だったわねぇ」
静音はベッドに腰掛けると、持ってきていた缶コーヒーを手に取りプルタブを開け、一口すする。ブラックコーヒー独特の舌がしびれるような酸味が口内に広がり自然と険しい表情になってしまう。静音自身はカフェオレ等の甘めのコーヒーが好みではあったが、前日深夜まで書類作成をしていた事から寝不足気味であり、気付け代わりに苦いコーヒーでも飲まないと眠ってしまいそうだったのだ。
「いやぁ、面目ないっす」
ベッドの主である女性は頭をぽりぽり掻くと恥ずかしそうに苦笑した。彼女のベッドにはネームプレートが下げられており、そこには「篠田 笹美」と書かれている。笹美は頭に包帯を巻いているがそれ以外はとても健康そうに見えた。
これが重病人ねぇ……と静音は内心ため息をつく。
昨夜の事。静音がいつものごとくJHKで仕事をしていると携帯電話が鳴った。知らない番号であった為電話に出るかどうか少し悩んだのだが、そもそも自分の携帯電話の番号を知っている人間はJHK関係者ぐらいである。出ても問題がないだろうと判断し通話ボタンを押すと年季の入った中年男性の声が聞こえてきた。
話を聞くと彼は松木市警察の警部らしく、JHKから出向している人間が一人交通事故にあったので対応して欲しいと伝えてきた。松木市に出向と言われ、静音は一人の女性を思い出した。自分の二つ上であり、なおかつ後輩である笹美の事である。
ヒーロー組織であるJHKには出向というシステムがある。
これは入社して基礎教育の終えた者が地元の警察で研修を受けるというもので、何かと付き合いの深い警察との連携を学ぶ機会としている。静音もつい最近まで岐阜県の警察署に出向していたので、この仕組みの事に関しては熟知していた。
交通事故にあった笹美という人間は、静音の後輩にあたる。今年で十九歳になる彼女が十七歳である静音の後輩であるのにはJHKならではの理由があった。
JHKでは入社に際し、知力、体力以外にもヒーロー特性というバトルスーツ適用指数が重要視されている。ヒーロー特性のない者はバトルスーツを着てもスーツの力に振り回され、使いこなす事ができないからだ。この特性があり、なおかつJHKへ入る事を希望した者だけがJHKの職員になる事ができる。
ヒーロー特性は先天性で生まれた時から発現している者もいれば、ある時急に発現する者もいる。それは病院の検査や学生であるならば健康診断で分かる事が多く、静音は十四歳の時に特性が発見されていて、笹美は十八歳になってから発見された人間であった。二人のようなケースはJHKでは珍しくなく、若い古参もいれば年老いた新人というのもいる。見た目の年齢だけでは在席年数が分からないというのがJHKのヒーローの特徴の一つだった。
警部から話を聞いた静音は大変驚いた。交通事故で対応を求められるというのは出向していた人間が怪我で動けなくなった場合だからだ。警部の話では笹美は職務中に盗難車両を見つけ、追跡中に事故に合い、全治一ヶ月の重体だという。全治一ヶ月とはかなりの大怪我である。静音は職務は別として笹美に対しての個人的な心配があり、徹夜して仕事を無理やり片付け翌日の午前中を半休にすると、朝一番で入院先の病院へ向かった。
静音が病室に訪れた時には主治医による笹美の診察の真っ最中だった。主治医は「すっかり良くなった」だの「君は体の頑丈さが異常だね」と言い、あっさり「もう大丈夫だ」とお墨付きを出していた。
ベッドの上でぴんぴんしている笹美を見た時、静音は大事な事を失念している事に気付いた。
JHKでヒーロー特性の高い人間が交通事故ぐらいで重症になるはずがないという事を。
「それで、今回はなんのへまをしたの?」
静音はジト目で笹美を睨む。心配が安心に切り替わったら、ピンピンしている笹美がなんとなく憎らしくなったからだ。
いつもは腰まである髪をポニーテールにしている笹美だが、さすがにベッドで寝るのには邪魔なのか今日は結んでいない。静音に睨まれた笹美は頬を指先で掻きながら「アハハハハ~」と苦笑する。
「誤解のないように言っておくと、ヘマじゃないっすよ。自分、これでも運転には自信があるっす。あれは軽トラの運転手がいきなり外へ飛び出したのに驚いて対処できなかっただけっす」
笹美は昨日の事故の事を説明した。
巡回中に盗難車両を発見し、それを追跡した事。住宅街でのカーチェイスの末、軽トラから突然運転手が飛び出し、それに気を取られている間にビルに突っ込んでしまった事。パトカーは全損で、退院したら始末書の山が自分を待ち受けている事などなど。
その話を聞いていて静音は思う。それでどうして頭のカスリキズだけで済んでいるのか、と。
「自分、体の頑丈さだけが取り得っすから!」
普通はビルに車で突っ込んだら、最悪死亡事故にでもなるのに。二個上の後輩の常識破りな体の頑丈さに静音はため息をつく。
「あんた、ターミネーターと素手でやりあっても生き残るんじゃないの?」
「先輩、乙女は機械人形と殴りあったりはしないっす」
笹美の口癖は乙女の○○である。自身になんらかのコンプレックスがあるのか、彼女は頻繁にこのような言い方をする。
彼女の言うとおり乙女は機械人形とは殴りあわない。殴りあわないというよりは、現実に存在しないターミネーターとは殴り合えない。ただし、彼女は悪党とは殴りあうのである。笹美の格闘技能がそこいらの格闘家よりも断然上なのは静音が一番良く知っていた。
「それで先輩の方は最近どうっすか? メール送ってもぜんぜん返信してくれないし、ちょっと寂しい感じっすよ?」
「あんたのメールは意味がなさすぎるのよ。腹減っただのトイレ行きたいだのって、私に何を返信しろっていうの?」
「行ってらっしゃいって一言返してくれるだけで満足っす」
「なんで私がわざわざトイレに行くあんたに行ってらっしゃいメールをしてあげなきゃなんないのよ」
軽くため息をついてから、静音はここ最近の事を思い出す。
学生とJHK、二足の草鞋を履いている静音の毎日は忙しいが、だからといってこれといった変化がある訳でもない。学校とJHKと家の往復ばかりである。そこまで考えて、ふとこの間の休日に会った人物の事を思い出した。
「……へぇ、鎧を着たおっさんっすかぁ」
「おっさんって言わないでよ。顔が見えなかったからなんとも言えないけれど、本人は一応若いって言ってたし」
「そのおっさんが、先輩は気になると」
「変な捉え方しないでよね。ただ、ものすごく親切で、ものすごく気遣いができて、ものすごく紳士的で、ものすごく上司にしたい人だったってだけなんだから」
「人はそれを気になると言うっす」
笹美の言い方はどうであれ、気になる人物であるという点では静音は否定できなかった。彼と長く居た訳ではないが、話していると不思議な心地よさがあったし、できる事ならその人の素顔が見たいとさえ思っていた。だが、あの日の混乱の後、たまたま知り合った男と再会する術を静音は持っていない。男とは偶然知り合っただけであり、そんな出会いで連絡先を聞く積極性を静音は持っていなかった。
できる事ならもう一度会いたいし、ゆっくりと話をしてみたい。でもそれも叶わないんだろうなぁと静音は心のどこかで諦めていた。
「まぁ、私らの仕事は名前に反して結構恨み買っちゃう仕事っすからねぇ。一般人でJHKにそれだけ好感を抱いているっていうのは珍しいとは思うっす。うちの警部なんて私が事件を解決するたびに露骨に嫌な顔するっすよ?」
JHKと警察は悪人に対して対応をするという点では同じ組織ではあるが、JHKは警察の上位組織という位置づけになっており、それゆえいざという時に指揮権を獲得する事が多い。縄張り意識の強い警察官にとって、捜査の途中でサッと横入りされて捜査の指揮権を取られたあげく、解決までされたのでは面白くもないのだろう。特にJHKには若年でも優秀な職員が多い。妙齢の警察官にとっては息子ほどの人間が自分達をアゴで使うという感覚にもなるのだろう。
一般人の方は警察ほど露骨に嫌がられはしないのだが、いざという時に頼りにならなかったり、必要な時にいてくれなかったり、予防ではなく後手後手の解決だったりと、もう少しがんばって欲しいという言い方をよくされている。
これはJHKの組織が機密性の高い体質の為、自らの情報を公に公開していない事もあり、「悪と戦ってくれるヒーロー組織だけど、実際何をやっているのかあまりよく分からない」という情報不足が原因となっていた。
実際は人手不足や悪の組織の多さのせいで対応しきれないというJHKなりの理由があるのだが、一般人はそれを知らないのだから知っている範囲の情報によるイメージしかもてない。この組織の機密体質に関し、「今時秘密戦隊なんて流行らないのよ」とは静音の考えである。
それに加え悪人達からは恨み辛みの対象にもなりやすい。警察が解決した事件であっても悪いのはJHKだと勝手に恨みを募らせる。悪い事をして勝手に逆恨みをするなというのは静音達の感想なのだが、悪には悪なりの言い分があるようだった。
「あの人自身がJHKに好感を持っているというよりは、私が落ち込んでいたから励ましてくれたって感じが強かったのよね。もしかしたら本当は他の人と同じでJHKに対してあまり良いイメージを持ってないかもしれないし。でも、それって私を励ましてくれたって事だし、優しい人なんだろうなぁって思うのよね」
励ましだったかもしれないが、それでもJHKの自分をあそこまで励ましてくれた人を静音は今まで見た事がなかった。その事が静音の中ではとても大きい出来事として残っていたのだ。
「しかもその人、結構できる人でさ。悪の組織を倒すより人命を優先すべきだとか言って、私に避難誘導の指揮を執れって言ってくれたのよね。普通だったら、避難誘導よりも悪人倒せって言われるでしょ? そういうところもすごいなぁって思うのよ」
「べた褒めっすね」
「そういうつもりはないんだけれど、でも、すごい人はすごいって言いたくない?」
「私の見立てだと、先輩の私情がだいぶ入っている気がするっす」
そう言いながら笹美は見舞い品の中に入っていたみかんの皮をむき出した。
「私情って何よ?」
静音が不服そうに言う。
「いやぁ、先輩ってあんまり誰かを褒めるって事しないじゃないっすか。その先輩がそれだけ褒めるっていうのは、まぁ、たしかにその人がすごかったって事なんでしょうけど、それ以上に先輩が気に入ってるからじゃないかなぁっと私的には思うだけっす」
みかんの白い筋を取りながら笹美が答える。
「気に入って……って。別に私はそんなつもりじゃ」
「いーや、気に入っているっす。間違いないっすよ? ……うわすっぱ!」
口に入れたみかんの予想以上の酸味に笹美がくちびるを尖らせる。静音は静音でこれ心外とばかりに唇を尖らせる。
「私の見立てだと、それは恋っすね」
「はぁっ!?」
突拍子もない意見に片眉を吊り上げて静音が驚く。
「あのね、顔も知らない、名前も知らない、少し話をしただけの人とどうして恋に落ちるっていうのよ」
「恋は相手に好意を抱く事っす。そこに顔や名前や時間は関係ないっす。文通だけで恋に落ちる人っているじゃないっすか?」
「でも文通って何回もやり取りがあって、その中で想いを募らせていく訳じゃない?」
「じゃあ、一目ぼれって言葉を送るっす」
「だから顔を見てないって言ってるじゃない」
「出会った時に惚れる事を、広義の意味じゃあ一目ぼれって言うっす」
「あんたねぇ……」
そう言って静音は笹美の後頭部を小突いた。
「いてっ。何するんすか?」
「人の心情を勝手な憶測だけで決め付けるな。私があの人に抱いた気持ちは、そう、尊敬よ」
「そうなんすかねぇ~」
静音自身は認めていないが、笹美は彼女の事を『老け専』あるいは『ファザコン』と分析している。例えて言うと若いアイドルの男の子よりも、世界一不幸な警察官を地で行く某アメリカの俳優の方が好みなのである。
以前、笹美がその事を静音に指摘したのだが、当の本人は全力否定していた。だが、彼女がかっこいいと言ってくる映画俳優は総じて渋めだったりするのだ。今回の話を聞いた限りでは、その鎧の男はかなり渋めで静音のストライクゾーンど真ん中だったのだろうと笹美は判断していた。
だが、それをあえてこの場で追求すれば、静音の機嫌は更に悪化するだろう。笹美はそう考え、それ以上の詮索をやめる事にした。
「あ、それでね。話は変わっちゃうんだけれど、あんた、来月の昇級試験受けるつもりなの?」
「あぁー、それっすかぁ」
JHKでは厳格に階級が定められており、ある一定の階級までは昇級試験に受かる事で昇格する。静音は二級、笹美は三級職員で来月に昇級試験が控えていた。
「勉強する時間ができたみたいだし、いい機会だから受けてみたら?」
「まぁ、入院中は暇っすからねぇ。先輩はどうするんすか?」
「私? もちろん受けるわよ。しかも一級をね」
「飛び級っすか」
昇級試験は一級までは飛び級受験が認められていた。能力、才能がある者を出来るだけ早く上にあげたいというJHK側の意向である。
「一級になって実績を積めばバトルスーツの着用を認められる訳だし、やっぱJHKに入ったら早くヒーローになりたい訳じゃない?」
「まぁ、先輩なら飛び級狙いもいけるんでしょうけどねぇ」
笹美は頭をぽりぽりと掻いた。昇級試験は基本的に筆記試験である。勉強が苦手な笹美には少々苦手な分野だった。
「あんたもさっさと一級になりなさいよね。JHKに入ったんだからバトルスーツぐらい持ちたいでしょ?」
「そうなんすけどねぇ」
その後しばらくの間、静音と笹美は昇級試験について語り合った。静音的にはこの二個上の後輩を気に入っており、できる事なら一緒に第一線で仕事をしたいと思っている。静音は善意から昇級試験のヤマや勉強の仕方を教えるのだが、笹美的には昇級試験にそこまで魅力を感じていないようであまり身を入れて聞いているような感じはしない。
そんな話をしているといつの間にか午後の仕事の時間になった。静音はまだ昇級試験の事で話したい事がたくさんあったようだが、職場のルールを破ってまで教えるつもりもない。「はやく職場復帰しなさいよね」と最後に一声かけ、病室を後にした。
静音が立ち去った後、病室のベッドの上で笹美ははなにやらぐったりと肩を落としていた。彼女としては先日の事故よりも、静音の講釈の方がよっぽど災難だったらしい。
ベッドの脇には静音の見舞い品である昇級試験用のテキストが、さぁ勉強しなさいと言わんばかりに置かれている。笹美はとても緩慢な動作でテキストを手に取ると、覇気のない顔つきでページをめくり始めた。
病院を出ると午後の日差しの強さに静音は目を細めた。
エアコンで空調管理されている病院内と違い、外は肌が焼けるような暑さだった。
世間一般の学生達は夏休みのシーズンである。恋にバカンスに忙しい毎日を送っているのであろう。その事を思う時、静音は一抹の寂しさを感じる事がある。たらればの話は考えたくないが、もし自分にヒーロー特性が出なかったら他の学生達と同じような時間を過ごす事が出来たのであろうか。時間に追われる毎日を過ごしているとふいにそんな事を考えてしまうのだ。
だが、そこまで考えて静音は頭を振る。何を悔いる必要がある。JHKに就職したのは自分の意思だ。私の青春はここにあるのだ。胸を張れ、私。
いつものように自分に自分で渇を入れる。下降していた気分が盛り上がってくる。
さぁ、午後もがんばろう。
背筋を軽く伸ばし、静音はJHK支部へ向け歩き始めた。




