恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 88
…水野…
…水野透…
私は、その名前を心の中で、叫んだ…
オマエのせいで、今、私は、こんなに動揺しているんだ!…
一体、どうしてくれる?
思わず、走り寄って、問い詰めたくなった…
あまりにも、自分勝手な話だが、事実、それが、偽りのない、気持ちだった…
しかしながら、不思議なことに、水野の顔を、久しぶりに見るにつけ、少しずつ、冷静になった…
昨夜、私が、水野透に、心惹かれていたことを、米倉正造に、暴露された…
いや、指摘された…
それは、最初、内山さんから、私の情報が、漏れたことだと、考えた。
しかしながら、冷静になって、振り返ると、以前、すでに、正造から、水野に惚れたのでは? と、邪推というか、指摘されたことがあった…
私は、それを思い出した。
水野の顔を見て、それを思い出した。
そして、私がその事実に気付いたころ、水野の姿を見て、周囲が、ちょっとしたパニックになった…
私と同じ、金崎実業に勤める社員=具体的には、若い女子社員が、水野の存在に気付いて、
「…エッ? ウソッ!」
と、絶句した…
驚いた。
当然、金崎実業の社員は、水野の正体を知っている…
以前、自分たちの勤務する営業所にやって来た取引先の社員が、まさか今をときめく、水野財閥の御曹司であることを知って、後で、大騒ぎになった…
そんな大金持ちの御曹司が、再び、会社の近くに現れた。
驚くのが、当然だ…
だが、当の水野本人は、愛想笑いをするでもなく、ただ真面目な顔で、ポツンとひとりで、路上に立ち尽くしていた…
その姿は、カッコイイというよりも、むしろ、孤独な感じだった…
孤高といった方が、いいのかもしれない…
私には、その姿の方が、水野本人の素の姿が出ていると、感じた…
愛人の子として、産まれ、水野家の養子になり、それなりに苦労して、現在の地位にいる…
ルックスでも、学力でも、仕事の能力でもなんでもない…
すでに産まれ落ちたときから、苦労するような星の配置に生まれたように、思えた…
事実、占い師なら、そんなふうに、言うのかもしれない…
水野は、ポツンと、一人で、立っているだけだった…
また水野の存在に気付いた、金崎実業の女子社員も、キャーキャーいうだけで、話しかけることはなかった…
さすがに、大金持ちの御曹司とわかったので、以前のように、気安く話しかけることはできなかったのだろう…
…だったら、私は、どうする?…
とっさに、思った…
どうして、この場に、水野が現れたのか、わからないが、私は、どうする?
…水野に話しかけるか?…
いや、
それはできない…
私ごときが、気安く話しかけることはできない…
この前は、中村君と水野の三人で会った…
しかし、それは、周囲の目がなかったから…
今のように、金崎実業の社員が、いる前で、自分から話しかけることはできない…
…無視しよう…
とっさに、そう決意した…
それゆえ、わざとツンと澄ました顔で、歩いた…
まさか、水野が私に話しかけることは、あるまい…
なにが目的で、ここに現れたかは、わからないが、まさか、私を目当てにやって来たわけではあるまい…
そう、確信した…
事実、私の中で、水野のターゲットは、内山さん、なのでは? と、考えた。
内山さんの父親は、金崎実業の社長で、米倉奉公会の会員…
米倉と水野の合併において、邪魔になる人物だ…
水野は、直接、内山さんの父親に会うことはできないが、内山さんに会うのは、容易い…
簡単だ…
水野は、内山さんとは、面識があり、歳も近い…
三十半ばの水野が、二十代前半の内山さんと話すのは、簡単だが、内山さんの父親は、どう考えても、五十代後半以降だろう…
いかに、水野財閥の御曹司でも、話しかけづらい…
仕事のようなオフィシャルな場面なら、いざ知らず、プライベートでは、話しかけづらいだろう…
私は思った。
そう思いながら、水野の方は、見ずに、金崎実業の営業所のある、雑居ビルを目指した。
「…高見さん…」
水野が、小さく声をかけた。
私のカラダがピクッと反応した。
自分でも意外だった…
まさか、水野から、声をかけられただけで、これほど反応するなんて…
どれだけ、子供なんだ?
そう思いながらも、一方で、水野が私に声をかけてくれたことが嬉しかった…
天にも昇るくらい、嬉しかった…
だが、それを表情に表すことはできない…
私は、わざと、水野の声が聞こえないフリをして、歩いた。
「…高見ちづる…」
水野は、今度は、もう一度、大きな声で、私の名前を呼んだ…
その声で、私の周囲にいた金崎実業の女子社員が、水野を振り返って見た…
「…アンタに危険が迫っている…」
…私に危険?…
…一体、どういう意味なんだろ?…
私は、考えた。
そして、同時に、水野を見た。
いや、
見たのではない…
私が、水野を見ようとしたときは、すでに、水野は、私の目の前にいた。
そして、私の手というか、カラダに触れた。
あまりのことに、私は、声も出なかった…
文字通り、絶句したとか、言うのではなく、驚きで、声を出すのも、忘れた感じだった…
「…な、なにを…」
私は辛うじて、声を出して、言った。
「…オレといっしょに来い…」
水野は、強引に私の手を引っ張った…
長身の水野に手を取られると、155㎝と小柄な私は、まるで、小学生が、大人に、引っ張られるように、水野の思い通りになった…
「…や、やめて、水野さん…」
私は抗議する。
水野は、私の抗議の声に…いや、周囲の目が、気になって、私のカラダを離した。
「…手荒な真似をして、すまなかった…」
水野が詫びた…
「…だけど、とにかく、一刻も早く、オレの話を聞いて欲しい…」
「…だけど…会社が…」
「…会社より、オレの話の方が大切だ…」
水野が、怒鳴った…
周囲の視線が、私と水野のやりとりに集中する。
私と水野は、周囲の視線を気にしながらも、一方で、冷静だった…
…まるで、映画やテレビのドラマのワンシーンみたい…
自分でも、一方で、そんな気持ちを、心の中で、抱いた…
女に生まれたのならば、一度は、周囲の面前で、男にやってもらいたい場面…
バカなシーンと思われようと、女なら誰でも一度は、夢見るシーンだ…
「…さあ…早く…」
水野が、強引に私の手を取って歩き出した…
私は、
「…待って、…ちょっと待って、水野さん…」
と、言いながら、実は内心、ちょっぴり嬉しかった…
強引に、男に手を引っ張られるのが、嬉しかった…
水野は、私を振り向くと、
「…ゴメン…でも、時間がないんだ…」
「…時間がない?…なんの時間がないんですか?…」
「…オレの結婚式…」
水野がポツリと呟いた。
「…水野さんの結婚式?…」
その言葉で、私は、瞬時に冷静になった…
水野透と、米倉好子は結婚する…
…だったら、一体、私になんの用事があるのだろう?…
当然の疑問が、脳裏に浮かんだ…
「…水野さん…一体、私になにを…」
まさか、米倉好子との結婚式を避けるために、私をここに連れに来たわけでは、あるまい…
それでは、まるで、映画…
映画そのものだからだ…
「…まさか、好子さんとの結婚を止めて、私と…」
思わず、私は口走った…
すると、水野はそれまでの強引な調子から一転して、ポカンとした…
…この女、なにをわけのわからないことを言ってるんだ?…
そんな感じで、私を見た。
事実、水野が、口を開くと、
「…一体、なにを言ってるんだ?…」
と、呆れた口調で言った。
「…オレは、アンタの身を心配しているんだ!…」
水野が激高する。
「…私の身を心配?…」
私は呟くと、同時に、この水野が本気で、私を心配していることに、気付いた。
誰もが、演技と、本気の区別はつく。
なぜだか、わからないが、水野は、本気で、私の身を心配していた。
同時に、気付いた。
一体、私は、どうして、心配されてるんだろう?
私の身に危険が迫っていると言ったけど、それは、それは、一体どんな危険なんだ?
そんな当たり前のことが、次々と脳裏に浮かんだ…
「…私の身になにが…」
「…米倉好子が、結婚して、あの米倉の豪邸から出る…」
なぜか、水野はいきなり、そんな話をした。
好子さんが、結婚する以上、あの米倉の豪邸を出るのは、当たり前…
いや、
当たり前ではない…
あれほどの豪邸だ…
結婚しても、結婚相手の男と住むことができる…
現に、正造の姉の澄子さんは、夫の直一氏と、あの豪邸に同居していたではないか?
だが、それが、一体どうしたというのだ?
私は思った。
「…高見ちづる…アンタは、米倉好子と似ている…」
水野は、当たり前のことを、口にした。
「…瓜二つとまでは、言わないが、姉妹といっていいほど、似ている…」
それは、言われずとも、わかっている…
だが、それが一体、どうしたというのだ?
「…アンタは、米倉好子の代わり…身代わりだ…」
突然、水野が意味不明なことを、口走った…
「…私が、好子さんの身代わり?…」
どういう意味だろう?
考える。
私は、最初、溝口を通じて、米倉正造と会い、正造の交際相手として、あの米倉の豪邸に招かれた…
そして、それは、私が、正造の妹と思われた、好子さんと似ているから…
女優の常盤貴子を、小柄にしたような感じの、私と好子さんは、似ている…
そして、好子さんは、平造のお気に入り…
溺愛する娘だ…
平造の溺愛する娘に、よく似た私、高見ちづるを、平造に紹介することで、正造は、平造に気に入られようとした…
それまで、派手好きな女を好きだった米倉正造が、初めて、連れてきた、清楚で、真面目そうな、美少女然とした女…
そんな私を連れてくることで、正造は、平造から、仕事に真面目に取り組む姿勢を見直され、米倉を相続するのではなかったのか?
それゆえ、正造は、私をあの米倉の豪邸に連れていったのでは、なかったのか?
「…私が、身代わりって…?」
私はもう一度繰り返した…
水野は、少しいら立ったように、
「…アンタは、米倉好子の身代わり…身代わりなんだ…」
と、繰り返した。
「…だから、身代わりって…」
正直、意味がわからなかった…
私が、好子さんに似ているのは、わかる…
だが、身代わりって、一体、どういう意味なんだろう?
さっぱり、わからない…
だが、水野は、本気だった…
私を救うことに、本気だった…
真剣だった
それは、わかった…
私は、ただただ当惑して、水野と向かい合っていた…




