恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 75
…キーパーソン?…
そんな、大げさな…
私は考える。
しかし、不思議だ…
私が勤務する金崎実業の営業所は、どこにでもある、金崎実業の営業所の一つ…
それなのに、なぜ、大昭和の出世頭といわれた溝口が出入りしたり、金崎実業の重役の娘が、勤務しているのだろう…
今さらながら、それが、疑問というか、謎だった…
私は、水野を見た。
そして、中村君を見た。
そして、考えた。
水野は、最初、この介護施設にやって来た時、ここに、米倉正造の母親が、いると言った…
どうして、それを知ってるの? と、私が訊くと、親父が、米倉平造の親友だと言っただろ、と、少しイライラした調子で言った。
私は、そのとき、なぜ、水野がイライラしているのか、わからなかった…
しかし、今、米倉が、水野を食い物にしているかもしれないという現状を訊いて、わかった…
当たり前だが、親友と思っていた人物に、足をすくわれたわけだ…
いや、足をすくわれたというより、騙された衝撃の方が大きいかもしれない…
親友と思っていた人物に騙されたとなれば、その衝撃もさることながら、そんな男の本性を見抜けず、親友と思っていた自分自身にも、腹が立つ…
自分自身の間抜けさに腹が立つのだ…
そして、それは、水野も同様…
水野自身は、米倉平造の親友ではないが、父親は、平造の親友だった…
おそらくは、自分の父親の愚かさに、腹が立ったのではないか?
それが、水野がイライラした原因ではないか?
私は、それに気付いた。
そして、もう一つの事実に気付いた。
この水野透が、父親を嫌ってない事実に、だ…
この水野透は、愛人の子…
普通に考えれば、父親を嫌っていて、当然だ…
しかし、透には、それがない…
なぜなら、水野が米倉に食い物にされるかもしれない事実に、憤ってる。
もし、透が、父親の良平を嫌いならば、むしろ、父親が罠に嵌められたかもしれない現状に、喜ぶだろう…
私は、その事実に気付いた。
私が、そんなことを考えて、水野を見ていると、
「…なにを見ている?…」
と、不思議そうな表情で、水野が、私に訊いた。
私は、少し躊躇ったが、
「…水野さんは、お父様がお好きなんですね?…」
と、言った。
「…親父が好き?…」
「…だって、お父様が、米倉平造に騙されたかもしれない現状に、憤ってらっしゃるでしょう…」
私の言葉に、水野の顔が凍り付いた…
そして、
「…」
と、絶句した。
少しの間、驚いたように、ジッと私の顔を凝視した。
それから、おもむろに、口を開いた。
「…そんなことは、考えなかった…」
水野が、語る。
「…オレは、ただ親父が米倉平造に騙されているかもしれない現状に腹が立っただけだ…」
水野が言った。
「…でも、腹が立ったのは、お父様をお好きだからでしょう? …嫌いならば、騙されたことに、むしろ、喜ぶんじゃないんですか?…」
「…喜ぶ?…」
「…誰もが嫌いな人間には、失敗してもらいたいし、好きな人間には、成功してもらいたいと思うもの…水野さんが、お父様が、米倉平造に騙されたかもしれない現状に、憤ってるのは、お父様をお好きな証明では?…」
私の言葉に、水野は、考え込んだ…
「…それは、わからない…」
水野が、考え込みながら、ゆっくりと言った。
「…オレは、親父は好きじゃないし、水野の後継者である現実にも、納得していない…」
「…納得していない? どうしてですか?…」
「…オレは愛人の子…親父が正妻との間に子供がいれば、オレは、親父の子供として、認知されなかった…」
水野が激白する。
「…正妻との間に子供がいないから、オレは、水野に呼ばれた…それが、現実だ…だから、親父を好きかどうか、聞かれれば、返答に詰まる…」
「…」
「…でも、高見さんに、今、そんなことを言われて、初めて、オレは、親父が嫌いじゃないと思ったよ…自分でも、意外だった…他人に言われなければ、わからないことも、案外あるものだな…」
そう言って、水野は苦笑いを浮かべた。
…たしかに、水野の言う通り…
他人に言われて、初めて、わかることも、案外多いものだ…
私自身に限っていえば、それは、年齢だろう…
誰もがそうだが、生きていれば、歳を取る。
高見さんは、キレイだ、美人だと、周囲の者にチヤホヤされてきて、いつしか、それが、当たり前になる。
しかしながら、今、現在、33歳になり、だいぶ若さがなくなってきた…
私よりももっと若い、別の同じような美人が、周囲に現れて、
「…高見さんも、だいぶお歳だから…」
という、周囲の人間の陰口が、私の耳に届いて、初めて、自分が若くない現実に気付かされる…
そういうことだ…
少しずつ、若さがなくなり、肝心の美人も色あせてくるものだ…
そして、その美人という武器が、ちょうど、花がゆっくりと、散るように、衰えてくる…
残念ながら、それが真実…
どんな美人にでも、起こる真実だ…
私は、考える。
「…高見さん…なにを考えている?…」
水野が訊いた。
「…なにも…」
即座に答えた。
まさか、年々、歳を取るごとに、自分の美貌が衰えてくることを、考えていたなどとは、言えない(苦笑)…
そんな私を見て、水野が笑った…
「…なに? …なにがおかしいの?…」
「…高見ちづる…不思議な女だ…」
水野が、実感を込めて言う。
「…不思議? …なにが、不思議なの?…」
「…まったくの、平民なのに、いつのまにか、米倉と水野という金持ち同士の争いの真っただ中にいる…しかも、そのことに、本人の自覚がない…」
「…」
「…まったく、不思議な女だよ…」
そう言って、水野が、歩き出した。
私は、水野の言い草に、唖然とした…
だが、言われてみれば、水野の言う通り…
ただの庶民に過ぎない、私、高見ちづるが、週刊誌に載るような、金持ちのお嬢さまと、お坊ちゃまに接している…
これは、ある意味、奇跡…
ありえない事態だ…
「…高見さんは、欲がなさ過ぎるんですよ…」
中村君が、言った。
「…欲がなさ過ぎる? …どういうこと?…」
「…こう言っては、身も蓋もないけれど、あの水野の御曹司と知り合っても、色仕掛けで、誘うこともない…誰が見ても、美人で、キレイ…でも、その美貌を生かして、金持ちの御曹司を誘うこともない…それが、あの水野さんにとっては、不思議なんですよ…」
「…不思議?…」
「…どんな人間もちょっとぐらい、背伸びをして、少しでも良い条件を探そうとする…就職や結婚はその典型でしょう…でも、高見さんを、見ていても、まったく、欲がない…それが、水野さんには、不思議なんでしょう…でも、そのお陰で、周囲から信頼されてる…」
「…私が信頼?…」
「…欲望は、態度に出るものです…高見さんには、それがないから、周囲の人間が、安心して、高見さんに接することができる…」
「…私は…」
私は、抗弁したかった…
それは、あまりにも、一方的な見方だ…
私は現実を知っている…
少しぐらい、美人に生まれても、学校や職場のアイドルで終わるのが、大半だと知ってるからだ、と言いたかった…
それゆえ、私が口を開きかけると、
「…とにかく、自分がどう自分を見ているのかと、周囲の人間が、どう自分を見ているかは、落差があるものです…高見さんが、どう自分を思おうとね…」
中村君が、断言した。
「…」
「…行きましょう…」
そう言って、中村君が、私を促した…
私は、中村君の背中を見ながら、それは、私と中村君の年齢の差だよ、とも言いたかった…
個人の能力や性格の問題もあるが、私と中村君を比べれば、年齢の差が大きい…
だから、どうしても、若い分、夢が大きくなる…
中村君が、私のルックスで、大学を出たての年齢ならば、もっと夢を見るかもしれない…
少なくとも、33歳と23歳では、夢を見る大きさが違う…
いや、
元々、私は小さい頃から、夢は見ない子供だった…
できない夢は見ない…
こまっしゃくれた子供だった…
それが、この年齢=33歳になったに過ぎない…
だから、なにも変わらない…
少しぐらい美人に生まれても、少しぐらい頭が良く生まれても、人生はさほど変わらない…
誰もが、平凡な人生を送るのみだ…
大差はない…
誰もが、水野や米倉になれるわけもない…
金持ちと庶民…
圧倒的な差だ…
その差を埋めることなど、できないし、また庶民である、私が、金持ちになれるわけではない…
そして、よしんば、金持ちになれたとしても、薔薇色の人生が待っているわけではない…
人間生きていれば、悩みはあるからだ…
米倉は、あれほどの豪邸に住んでいても、実質、破産状態にあるかもしれない…
だとすれば、当然、悩みは深い…
なにより、その点を除いても、あの米倉の豪邸に住む面々、平造を筆頭として、平造の妻、澄子、正造、好子、新造の姉弟、そして、澄子の夫、直一と接したが、誰一人、幸福そうな人間はいなかった…
あれほどの金持ちにもかかわらず、だ…
お金は、ひとを幸せにしない…
つくづく、考えさせる。
お金がなければ、生活ができないし、生きてゆけない…
だから、ある意味、なにより大切なもの…
にもかかわらず、それが、溢れていても、幸せになれるわけではない…
お金があることがすなわち、幸せに直結しない…
お金があることと、幸せには、相関関係が、ないからだ…
そして、ルックスもそう…
同じだ…
誰もが、美人やイケメンに生まれたいが、美人やイケメンに生まれたところで、人生が、変わるわけではない…
そのルックスを武器に、芸能人やホストやホステス、あるいは、玉の輿に乗れる人間は、数えるほどしかいない…
唯一、ルックスが良く生まれて、楽しいことと言えば、周囲の人間にチヤホヤされることだ…
そのルックスが衰えるまで、チヤホヤされる…
しかし、それは、例えれば、魔法のようなもの…
歳を取れば、取るほど、その魔法の威力は衰え、いつのまにか、消えてなくなる…
そういうものだ…
私は思った。
米倉の凋落の報道が、週刊誌を賑わせたのは、その直後だった…
水野の話はウソではなかった…
いや、週刊誌だけではない…
テレビのニュース番組や、ワイドショーに至るまで、米倉の凋落について、報道していた…
戦前からの名門の米倉…
大日産業を率い、財界にも、確固たる地位を築いていた米倉の凋落は、格好の話題だった…
明治時代に創業し、大正、昭和、平成と長きに渡って、日本の財界において、一定の位置にいた、米倉…
それが、令和になって、破産するかもしれないとの事実は、ある意味、格好の報道の対象だった…
時代が変わったことを象徴させる出来事だったからだ…
私の職場でも、話題になっていた…
理由は単純だ…
金崎実業の独立にある。
私の勤める金崎実業は、溝口のいた大昭和の合併対象になっていた…
巨大な大昭和に吸収合併される可能性が大だった…
それが、大昭和の株を水野が米倉から買ったが、大昭和もまた、粉飾決算にまみれていることが明らかになった…
つまり、水野は、米倉に騙されたのだ…
その結果、金崎実業の買収がなくなった…
これは、皮肉な結果だった…
要するに、大昭和の懐事情が思ったよりも、悪く、とても、今、金を出して、金崎実業を買収する余裕がなくなったわけだ…
社内では、その結果に喝采を上げていた。
買収されれば、当然、リストラが断行される…
買収に際し、人を切らない…従業員の雇用を約束すると大見えを切った企業の大半は、その約束を守らない…
目に見える形で、人を切らないが、あの溝口のように、関連会社に飛ばされて、倉庫係に左遷などと、事実上の退職勧奨を受ける…
そして、大半は仕方なく、自分から辞めざるを得ない…
それが、現実だ…
それがわかっているからこそ、金崎実業では、誰もが、ホッとしていた…
少なくとも、当面は、リストラはないと、判断したからだ…
若い男女はいいが、四十歳以上で、リストラされて、それまで、金崎実業一筋だった社員が、他社で、同じ給与を得ることなど、誰もできない…
金崎実業にかかわらず、名の知れた会社で、相応の給与をもらっていて、リストラに遭った場合、給与は最低でも半額になる場合が大半だ…
そもそも、大企業と中小企業では、給与体系が異なるからだ…
大企業で、年収八百万もらっていれば、仮に中小企業に転職した場合は、その半額の四百万ももらえまい…
しかも、中小企業に転職できればの話だ…
できない可能性も高い…
それが、わかってるからこそ、大昭和との吸収合併がなくなったことに、誰もがホッとした…
これは、男だけではない…
本音では、女の私も同じだ…
33歳の今まで、この金崎実業一筋…
他社を知らない…
学生時代は、アルバイトで、いくつかの会社を経験したが、それは、十年以上前…
そして、なにより、怖い…
年齢を重ねたことで、若い頃よりも、冒険心がなくなった…
いや、
恐れを知るようになった…
誰もが、若い頃は、向こう見ずで、恐れを知らない…
それが歳を取ることによって、警戒心が強くなる=恐れを知る…
自分の能力で、他社で通用するのか?
職場の人間関係はどうか?
うまく、中に入れるのか?
与えられる仕事は、自分に合っているのか?
そんなことを考える。
すると、足がすくむ…
あまりも、現実が重いからだ…
それならば、今のまま、金崎実業にいようという結論になる…
これは、誰もが同じ…
同じ結論だ…
しかしながら、それが、いつまで、続くか?
金崎実業が、合併の対象になったのは、弱いからだ…
一言で言って、規模が小さいから…
内山さんが、かつて、言ったように、
「…金崎実業程度の規模で、単独で生き残るのは無理…」
だからだ…
それが、この業界の共通の認識だろう…
第一波は、やり過ごしたが、第二波、第三波と来る可能性がある。
合併や、買収の話が、続々やって来る可能性が高い…
そのとき、私は、どうするのだろう?
この営業所はどうなるのだろう?
そんなことを、ボンヤリと考えた。




