恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 62
私の背筋に冷たいものが流れた。
明らかに、周囲の空気が変わった…
ピンと周囲の空気が張り詰める。
私はただただ、当惑した。
眼前の米倉平造の口から、まさか、私の名前が出るとは、思わなかった…
しかも、それが、水野が好きな女の名前で出てくるとは?
さすがに、考えられない事態…
まさに、想定外の事態だった…
私は、どう言っていいのか、わからないので、ただ、黙った…
迂闊に口を開くわけにはいかない…
私は、ただジッと、真正面に座った米倉平造を見た。
平造もまた、瞬きひとつせずに、ジッと正面から、私を見据えた。
まるで、勝負…
なにかの勝負のようだ…
私と平造が、互いに瞬きひとつせずに、睨み合っていると、ふいに、平造が、ニコッと、相好を崩した。
「…水野のせがれが、高見さんに惹かれるのはわかる…」
そう言って、実に楽しそうに、笑った。
同時に、周囲の緊張がほぐれた。
ピンと張り詰めた空気が、なごんだ。
「…美人で、勝気…かといって、その容姿を自慢しているようには、見えない…」
平造が楽しそうに言う。
「…性格も悪くなく、他人から、嫌われることもない…水野のせがれが、好きになるのは、わかる…」
私は平造の言葉に、どう答えていいか、わからなかったので、
「…」
と、黙っていた。
「…好子は、高見さんに似た美人だが、親の私が言うのもなんだが、金持ちの家に生まれたせいか、少々流されやすいところがある…」
「…」
「…さっきも言ったが、嫌なことがあると、酒に逃げるところがある…それが、好子の弱さだ…」
平造が言った。
平造が、穏やかな笑みを浮かべて続けた。
「…しかしながら、父親としては、それもまたいい…」
「…いい…ですか?…」
私は訊いた。
なぜ、いいのか、わからなかったからだ…
「…その弱さがいい…父親として、守ってあげたくなる…」
平造が楽しそうに言う。
「…その点、失礼ながら、高見さんには、その弱さがない…もし、高見さんが、私の娘なら、高見さんの婿選びを、私はしない…」
「…どうして、しないんですか?…」
「…高見さんに、米倉を任すことができるからだ…」
「…」
「…高見さんならば、なにも心配はない…ただ…」
「…ただ、なんでしょうか?…」
「…高見さんの人生が、米倉一色というか、会社に生涯を捧げる人生になってしまいやしないか、心配になる…」
「…」
「…男も女も自立した人間は、生きてゆく上で、他人を当てにしない…」
「…他人を当てにしない?…」
「…要するに、自分で、自分の人生を切り開いて生きる…例えれば、自分一人で、森の中に住んでいても、たくさんの木を自分一人で、切り開いて、道を作るようなものだ…誰かに頼ることも、一切なく、ただ自分の力だけで、自分の人生を切り開く…だが、その過程で、失ってゆくものも多い…」
「…失ってゆくもの?…」
「…高見さんが、私の娘なら、米倉を任せるだろう…ただし、その代わりに、おそらく、結婚も子供も諦める人生になる可能性が高い…」
「…結婚も子供も諦める? …どうしてですか?…」
「…人間は、誰もが、そんな器用なものはいない…仕事に全力を傾ければ、家庭はおろそかになる…仮に、高見さんが、家庭を持っても、仕事の忙しさから、夫との仲が冷えるだろう…子供もそうだ…だから、米倉を継げば、いずれ離婚に傾くだろう…あるいは、そもそも、米倉を背負うことで、必死になり過ぎて、結婚もしない可能性が高い…」
「…」
「…いずれにしろ、自分の娘には、歩ませたくない人生だ…結婚しようが、離婚しようが、娘の人生だし、私の関知することじゃない…しかしながら、そんな人生を送らせるのは、親としては忍びない…」
平造が言った。
「…同じタイプの美人でも、好子と高見さんは、中身が違い過ぎる…」
平造が笑った…
私は、そんな米倉平造の言葉を訊きながら、そんなものかと思った…
…しっかり者の高見ちづる…
幼い時から、周囲の者からそう言われて育った…
以前も言ったが、私を亡くなった野際陽子さんに例えたひともいる…
私を野際陽子さんといっしょにするのは、おこがましいが、同じように見えるのだろう…
何事も他人に頼ることなく、自分一人で生きる…
そう言われるのは、嬉しく、一見すれば、誉め言葉に思えるが、別の見方をすれば、すべて、自分一人でしかできない…
他人に頼ることができない…
他人に頼らないということは、そもそも、他人を当てにしないということだ…
それが、見えるということだ…
私、高見ちづるを見れば、わかるということだ…
それゆえ、男も寄り付かない…
究極の意味で、私と恋愛をしたいと男は思わない…
恋愛というものは、ある意味、相手を頼るということだ…
誰もが、誰かに頼られるのは、ある意味嬉しい…
自分がその人間に認められるからだ…
力を貸して欲しいと言えば、面倒だな、とか、厄介だな、と思う反面、自分を頼ってくれたことに、嬉しさを感じる側面もある。
しかしながら、私と恋愛しても、私が相手を頼ることはない…
あるいは、頼りにしていると、言葉では言ってみても、そうではないことは、私の普段の言動を見れば、わかる…
その結果、男も寄り付かない…
おそらく、水野が、私を好きだと言ったのは、言葉は悪いが、怖いもの見たさというと、言い過ぎだが、水野にとって、私のような女が身近にいなかったからだろう…
私は、米倉平造の言葉を訊きながら、思った…
が、同時に気付いた。
今、眼前の米倉平造は、私と好子さんを比べて、
「…同じタイプの美人でも、好子と高見さんは、中身が違い過ぎる…」
と、言った。
これは、つまり、私と好子さんは、ライバルでもなんでもないということを、言っているということだ…
ライバルというのは、通常、キャラが被る…
ある意味、お互いが、代替品…
取り換えが効く。
だから、Aさんがダメなら、Bさんでもいい…
あるいは、
Bさんがダメなら、Aさんでもいいということになる…
しかし、私と好子さんは、外見こそ似ているゆえに、キャラが被るが、中身が違う…
だから、ライバルたりえない…
私に求めているものと、米倉好子さんに、求めるものは、違うからだ…
私は、その事実に気付いた。
そこまで、考えたとき、
「…高見さんは、水野のせがれのことをどう思う?…」
と、平造が訊いた。
私は、平造を見た。
平造は、穏やかに笑みをたたえながら、私を見たが、目は真剣だった…
少しも笑ってなかった…
私はそれを見て、どう言おうか、迷ったが、
「…正直、惹かれました…」
と、率直に言った。
「…惹かれた? なぜ?…」
平造が訊く。
当たり前のことだ…
平造のストレートな質問に、私は悩んだが、
「…見たことのないタイプの男のひとだったからかもしれません…」
と、答えた。
「…見たことのないタイプ?…」
「…ハイ…」
私の言葉に、平造は、吟味するように、考え込んだ…
そして、
「…おそらく、水野のせがれも、高見さんと同じことを言うよ…」
と、楽しそうに笑った。
「…お互いが、お互いに惹かれる…これ以上、ない組み合わせだが、残念ながら、うまくはいかないだろう…」
「…どうしてですか?…」
「…水野のせがれは苦労人だ…」
「…苦労人?…」
「…あの男は、水野の愛人の子で、正妻との間で、子供のいなかった良平が、仕方なく、養子にした…それゆえ、生粋のお坊ちゃんでもなんでもない…」
「…」
「…高見さんも、しっかり者…いっしょになると、家に男が二人いるようなもので、両雄並び立たずという事態になるだろう…」
…つまり、私と水野は、結婚できない…
…暗にそう言っている…
しかし、それが、平造の嫌みでもなんでもないことは、私にもわかった…
家に男が二人いるようなものというのは、キャラクターが被るということだ…
男も女も、お互いが、相手の足りない部分を補うのが、理想だ…
さらにいえば、剛と柔ではないが、キャラが違わなければ、困る…
例えば、気が弱い男の場合は、女は気が強くなければ、ならない…
もちろん、これは真逆でもいい…
いずれにしろ、お互いが、気が強ければ、ケンカになれば、お互いが、一歩も引かずに、すぐに離婚になる…
また、お互いが、気が弱ければ、やはり生きてゆくのに、苦労する…
気が弱い者同士が結婚して、世間の荒波に揉まれて、生きてゆけるのか、不安になるからだ…
私は、そこまで、考えたとき、目の前の米倉平造は、おそらく、仮に、私と水野が、結婚しようが、邪魔はしないのでは? と、思った…
平造には、私と水野の将来が見えている…
仮に、水野と私がカップルになっても、いずれ将来破綻するのは、わかっている…
例えていえば、先ほど、平造が、言った、バブル入社の大量社員と同じ…
いずれ、この好景気が終えれば、大量解雇されるのは、目に見えてる…
わからないのは、ただ一つ…
この空前の好景気がいつまで続くかだ…
私と水野が結婚すれば、何年持つか、だ…
それだけだ…
それだけのことだ…
そのことに、私は気付いた。
そして、その平造の意見に私も同意だった…
私もまた、同じ意見だった…
私が心の中で、答えを出したのに、気付いたのかもしれない…
平造が、
「…良平が、せがれのことを気にしていたが、私はさほど、気にすることではないよ…と、言ってやったよ…」
と、私に告げた。
「…好子と水野のせがれは、合っている…これは、必ずしも、親の欲目ではないよ…もちろん、親の欲目も若干入っていることは、否定できない…だが、苦労人の水野のせがれと、生粋のお嬢様の好子は、互いにないものを持っている…だから、結婚しても、さほど、うまくいかないことはないと、私は思っている…」
平造が、穏やかに言った。
「…娘の幸せを考えない親はいない…私が、水野のせがれと、好子の結婚を後押しするのは、それほど、うまくいかないとは思わないからだ…単純に、水野が、この米倉以上の金持ちだからというのではないよ…親のごり押しで、結婚しても、うまくゆくはずがない…なにより、私が、その経験者だ…」
「…経験者?…」
「…そうだ…私の場合は、親のごり押しではないが、周囲の希望から、米倉のお嬢様といっしょになった…そして、その結果が、これだ…」
平造が、自嘲気味に笑った。
「…いかに、条件が合致しても、人間同士の組み合わせは、ウマが合うとか、合わないとか、いうものがある…まして、男女の場合は、いかに相手が、美男美女でも、嫌なものは嫌だ…それが現実だ…」
平造が、笑った…
私は、そんな米倉平造を見て、この男が、やはり、優れた経営者であろうことは、容易に想像できた…
言っていること、一つ一つが理にかなっている…
反論ができない…
理詰めで、こちらが、反論できないことを言う。
しかしながら、それも嫌みがない…
同じ言葉でも、どう言うかだ…
いや、
相手に、どう思われるかだ…
仮に、今、米倉平造と同じことを、他人が言った場合、言われた相手が、反感を持つ場合と持たない場合がある…
つまり、誰が言うかだ…
平造が言えば、誰もが反感を持たない…
いや、
誰もが、反感を持たないといえば、言い過ぎだが、反感を持つものは、少数派だろう…
つまり、平造は敵を作らない…
どんなに優れた頭脳の持ち主でも、周囲に敵を作り続けては、なにもできない…
なにをしようと、周囲が協力してくれないどころか、足を引っ張るだろう…
そうなれば、なにをやっても、うまくいかない…
とりわけ、米倉平造のように、会社の経営者の一番大切なことは、うまくひとを使えるかどうかだ…
それがなにより、大事だ…
いかに頭が良い人間でも、ひとをうまく使えなければ、社長を続けることはできない…
当たり前のことだ…
社長に必要な究極の能力は、事業を拡大することでも、先を見る力でもない…
自分の周囲の人間をうまく使えるか、それに尽きる…
それが、根底にある。
それができて、初めて、他のことにとりかかることができる。
人を使うのは、家でいえば、土台で、土台がしっかりしなければ、なにもできないからだ…
私は思った。
「…高見さん…」
平造が、優しく、私に語りかける。
「…そう緊張しなくていい…」
平造が、私の心の奥底を見抜いたように、言う。
「…今日、高見さんと、こう話しているのは、水野良平に頼まれたとか、そういう話じゃない…良平は、良平で、せがれの透のことを、気を揉んでいる…」
「…」
「…良平は、透君を、好子と結婚させて、うまく、水野と米倉を存続させたいと、願っているだけだ…」
「…」
「…良平が、高見さんに言ったかどうか、わからないが、私と、良平は、境遇が似ている…」
「…境遇が似ている?…」
「…良平もまた水野の婿養子…私と同じように、水野の一族の遠縁だ…それが、本家に招かれて、本家のお嬢様と結婚して、本家を継いだ…それゆえ、奥さんに頭が上がらない…」
「…」
「…だから、外に愛人を作って、透君が生まれた…奥さんとの間には、子供が生まれず、仕方なく、透君を、養子縁組をせざるを得なかった…」
米倉平造が驚きの事実を明かした…
たしかに、あの水野良平が、会社帰りの私を待ち伏せて、
「…平造と、私は、境遇が似ていて、仲良くなるのに、時間がかからなかった…」
と、私に言ったことを思い出した。
あのときは、その意味を深くは考えなかったが、今、平造が言った事実を前にすると、その意味がわかる…
二人とも傍流…
主流でない二人が、本家を継ぎ、会社の社長になった…
それゆえ、他人にはわからない苦労があるのは、容易に推測できる…
戦前からの名門を受け継ぎ、発展させる苦労は、想像を絶するものだろう…
同じような境遇の持ち主が、どこかで、出会い、肝胆相照らす仲になったということだろう…
そして、今、自分の息子と娘を、結婚させようとしている…
互いに、打算はあるが、それを考慮せずとも、自分の息子と娘を結婚させようと思うほど、互いを信頼している証拠でもある。
これは、叶わない…
とてもじゃないが、私、高見ちづるの出番はない…
私は、そう思った…




