恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 61
「…高見さんは…」
平造が、ゆっくりと口を開いた。
「…失礼ながら、自分の結婚をどう思っている?…」
あまりにも、意外な質問だった…
これまで、私が攻め手というと、おかしいが、私が米倉と水野について、質問ばかりしていたので、自分のことを言われるとは、思わなかった…
自分が、受け手になるとは、思わなかった…
私は、絶句する。
私は、どう言っていいのか、迷った。
ふと、気付くと、私の返答を、平造、平造の妻、新造さんの三人が、息を飲んで、待っていた…
「…率直に言って、焦りがないといえば、ウソになります…」
私はゆっくりと言った。
「…この歳です…学生時代の友人や、会社の同僚で、結婚した人間は、大勢います…それに…」
「…それに…なに?…」
「…それに、この歳になると、年々、同期の同僚が、退職していって、残った者が、どんどん少なくなっていきます…正直、段々、居心地が悪くなっていきます…だから、私も、そろそろ会社を辞めなくてはならないのかと、最近、思い始めました…」
私の言葉に三人が沈黙する。
「…でも…でも、会社を退職したり、結婚したりすることで、人生がリセットされるわけではありません…」
「…リセットされるわけではない? …それはどういう…」
「…会社を退職して、転職しても、次の会社になじめなかったり、結婚しても、離婚することは、昨今、珍しいことでもなんでもありません…それを考えると、会社に残るべきか、辞めるべきか、結婚するべきか、結婚しないべきか、悩みます…あるいは、会社にこのままでいて、私の居場所があるのか…無理に好きでもない男のひとと結婚して、幸せになれるか…考えれば、考えるほど、結論が出ません…だから、結局、結論を出さずに、答えを後回しにする…そんな感じです…」
私の言葉に、三人は、やはり、沈黙した。
どう答えていいか、わからなかったのだろう…
はっきり言って答えはない…
解決策はない…
仮に、私が、眼前の米倉平造が、率いる大日産業に入社しても、同じ…
結婚や、仕事から、逃げることはできない…
それがわかっているから、誰もなにも言わなかった…
いや、
言えなかったのが、真実だろう…
沈黙が流れた。
「…ひとは、誰もが生きるのに、苦労するものだ…」
ゆっくりと、平造が、口を開いた。
「…これは、高見さんだけではない…私も米倉を存続させるのに、必至だし、正造もそうだろう…」
「…正造さんも?…」
「…立場は違えど、正造もまた、苦闘している…あの男は、自分が米倉だと思っている…自分こそが、米倉の正当な後継者だと思っている…それが、あの男を支えるただ一つの原動力だろう…」
私は平造の言葉に、
「…」
と、沈黙した。
「…正造はバカではないよ…」
平造が続けた。
「…経営者としての才覚がなにもなければ、最初から、正造を後継者に据える選択はなかった…また、そんなに才能がなければ、自分が、米倉を背負うことが、そもそも無理なことがわかるはずだ…」
当たり前のことだった…
「…だから、困る!…」
平造が、それまでの穏やかな口調とは、一転して、力強い口調で、言った。
「…なまじ、無能でないから、困る…自分の力を過信してしまう…それが、困る…」
平造が、顔を真っ赤にして、言った。
「…愚かというか、バカな人間は、もの凄くいい…誰もが、その人間の扱いに、悩まなくていいからだ…三十年前のバブル時代がそうだった…あの数年間は、日本中の会社の採用基準が下がった…わかりやすく言えば、大学の偏差値が60以上でなければ、入れない会社でも、偏差値50でも入れた…空前の好景気で、どこの会社も人手不足だから、採用基準を下げなければ、人が集まらなかったからだ…そして、バブルが崩壊して、いらない人間は、真っ先に切られた…景気がいいから、採用されたに過ぎないからだ…今で、いう期間工のような扱いの人間が、大勢いたのに、本人たちはそれに気付かなかった…」
平造が苦々しげに語った…
「…私はそれを見るのが嫌だった…それから比べれば、正造はまともだった…だから、困った…」
平造が、ぶちまける。
この手の話は、私もまた叔母から、訊いたことがある。
私に似た美人の叔母も、若い頃は、大手の百貨店に勤務していて、この手の話は、よく聞いたものだ…
おそらく一見して、採用レベルが下がったのが、誰の目にも、明らかなのだろう…
現実に、わかりやすい例えで言えば、偏差値70の高校の進学校と、偏差値40の工業高校の生徒を比べれば、違いは一目瞭然…
そこまで言わずとも、やはり、今、平造が言ったように、偏差値60の大学と偏差値50の大学では、学生の質は歴然と違う…
それを目の当たりにして、それがわからないレベルの人間ならば、平造が言うように、バブルが弾けた途端、お役御免になり、会社から放り出されただろう…
私は思った。
「…比較というものは、相対的なものだ…」
平造が、突然、言った…
…相対的なものって?…
平造の言っている意味がわからなかった…
それが、私の表情に出たのだろう…
「…比較、いや、評価には、絶対的評価と相対的評価がある…この違いはわかるね?…」
「…違いですか?…」
「…学校の成績を考えてみればいい…絶対的な評価というものは、例えば、五段階評価で、一番評価が高いのが、5とすれば、クラスに30人いても、全員の評価が高ければ、極端な話、全員評価が、5でもいい…しかし、相対的な評価ならば、30人いれば、例えば、5の評価を与えるのは、3人だけだとする。全体の10パーセントを、5の評価を与えるというように、基準が異なる…だから、通常、他のクラスにいけば、5の評価を与えられる人間も、その人間以上に優れた人間が、自分と同じクラスにいれば、5の評価は与えられない…当たり前のことだ…」
私は、米倉平造が、なにを言いたいのか、わからなかった…
だから、黙って、平造の次の言葉を待った。
「…そして、世の中の基準というものは、すべからく、相対的な評価だということだ…」
平造が断言した。
「…一番、わかりやすい例えは、高見さんが、そうだ?…」
「…私…ですか?…」
「…高見さんが、美人なのは、失礼ながら、高見さんに匹敵する美人が、世の中の少数派だからだ…」
「…」
「…要するに、評価というものは、誰かと誰かを比べるということだ…前置きが長くなったが、正造は、そういうように考えて見て見ると、決して、他人様よりも、劣った人間ではないということだ…それゆえ、私は、正造を後継者に据えるべきかどうか、悩みに悩んだ…」
平造が吐露する。
私は、平造の話を訊きながら、それが、米倉平造の本音だろうと思った…
米倉正造は、バカではない…
それが、もっとも、困ることなのだろう…
優秀なのか?
優秀でないのか?
即座にわかるレベルの人間ならば、悩むことはない…
バブル期に大量採用された人間のように、バブルが弾ければ、すぐにクビにすればいい…
すごくわかりやすい話だ…
そして、そんな人間は、少数派…
実社会で、少数派に過ぎない…
平造の言う、バブル時代は、叔母も語ったように、日本中が好景気…
だから、平造が言ったように、従来、偏差値60以上でなければ入れない会社に、偏差値50でも入れる…
しかし、その時代こそが、少数派…
ありえない時代だった…
極端な好景気…
だから、そんなありえないことが起こる…
そして、叔母も言ったように、その数がとてつもなく多い…
従来100人かそこらしか、毎年採用しない会社が、300人どころか、それ以上採用する…
だから、採用された人間は、安心する。
偏差値60以上でなければ、従来は入れない会社でも、偏差値50でも、それまでの数倍は同期がいるからだ…
これでは、誰もが安心する…
しかも、それが、数年間続いた…
従来毎年100人しか採用しない会社ならば、3年経てば、300人の採用に過ぎない…
ところが、300人の採用ならば、3年経てば、900人の採用…
いかに大量採用かわかるし、それだけ多くなれば、安心する気持ちもわかる…
誰もが、周りを見る…
平造が言った相対的評価ではないが、周りを見て、自分と同じ偏差値の人間が大量にいれば、安心する…
しかし、当時なぜ、そんなに多くの人員を採用したか?
原因は、二つ…
空前の好景気と、将来の人員不足だ…
30年前の当時でも、将来の少子高齢化は、わかっていたということだ…
ならば、将来労働人口が不足するから、景気のいい今の時代に人を採用しようということになる…
その結果、見るも無残に、採用する人間のレベルは劣化した…
そして、バブルが弾けた途端、企業もまた不況で、ひとを抱えることができなくなり、採用基準に満たない人員を、大量に解雇したということだ…
私は、それを思った。
「…誰もが、自分の実力を誤解する…」
平造が続ける。
「…幸か不幸か、正造は、ハンサム…イケメンだった…それもいけなかったのかもしれない…」
「…どうして、いけなかったんですか?…」
「…自分の実力を誤解するからだ…」
平造が、諭すように、言った。
「…本来、ルックスと、仕事の評価は相入れないものだ…評価の基準が異なるから、当然のことだ…例えて言うならば、頭がいいのと、ルックスがいいのは、全然違うことだ…しかしながら、イケメンで、それなりに、仕事ができると、周囲の者は、同じ能力でも、イケメンでない人間よりも、余計にチヤホヤする…残念ながら、それが真実だ…」
…たしかに、平造の言うことは、わかる…
…男でも女でも、仕事に関わらず、人生は、ルックスに左右される面があることは、否定できない…
…ルックスが良ければ、男も女も、子供の頃から、周囲の人間にチヤホヤされる…
…老いも若きも、ルックスの呪縛から逃れることは、できない…
…これは、ある程度の年齢まで、人生を左右することに、なりかねない…
…ある程度の年齢とは、人それぞれだから、わからないが、少なくとも、自分が、結婚したいと、思う年齢までは、当てはまるだろう…
…しかしながら、それは、ファースト・インプレッション…
…第一印象に過ぎない…
…どんなに美男美女でも、付き合ってみれば、中身を見る…
…性格が悪かったり、頭が悪かったりすれば、相手が逃げてゆくのが、大半だ…
…そして、若ければ、気付かないことも、歳を取ってくれば、わかってくることも、多い…
…少なくとも、二十歳のときは、わからないことでも、三十歳になれば、見えてくることが、大半だ…
…今、目の前の平造が言ったバブル世代の人間もまた、時間が経過して、自分たちの世代だけ、採用レベルが、落ちている事実に、誰もが気付く…
私は、そんなことを、考えた。
しかしながら、平造は、なぜ、そんな話をするのだろう…
私は、平造の意図を思った…
米倉平造は、なぜ、そんなに長々と、正造の話から、そんなルックスの話をするのか、疑問に思った…
なにか、意味があるのか?
そんな思いがふと、脳裏をよぎった。
「…好子の結婚相手の透君のことだが…」
平造がいきなり切り出した。
「…気になる女性がいるそうだ…」
平造が言う。
「…気になる女性…ですか?…」
「…そうだ…」
平造が、私をまっすぐに、見て言った。
同時に、なにか、急に、周囲の空気がピンと張り詰めた感じがした。
ふと、見ると、私を、平造のみならず、平造の妻、そして、新造さんさえも、私をジッと見つめていることに気付いた。
私は、一体どうしたのだろうと、考えた。
「…高見さん…アナタのことだ…」
いきなり、平造が言った。
私は、面食らった…
そして、同時に、なぜ、これまで、平造が、延々と、ルックスについて、語ったか、わかった気がした。
要するに、私と好子さんを比べていたのだ…
相対的評価や絶対的な評価を口にして、延々と説明してきたが、なんのことはない…
私と好子さんを比べて言っていたのだ…
美人の米倉好子…
普通、街を歩いていても、好子さんに匹敵する美人は、あまり見かけない…
しかしながら、自分でいうのもなんだが、私、高見ちづるも、米倉好子と、同じようなタイプの美人…
匹敵する美人…
だから、困る…
目の前の米倉平造にとって、私は、邪魔な存在なのでは?
私は今さらながら、気付いた。
そして、私が、なぜ、今、この米倉家に呼び出されたか、わかった。
おそらくは、水野の父、良平が、私に、
「…高見さん…好子ちゃんが、なぜ、透を好きじゃないのか、訊いてみてくれませんか?…」
と、私に頼み、その結果、今、私、高見ちづるが、この米倉の豪邸にいる…
しかしながら、それはウソの可能性が高い…
本当は、水野良平と、米倉平造が、事前に、打ち合わせて、話を作り、ここに私を呼び出した可能性が高い…
仮に、今、平造が言ったように、あの水野…水野透が私のことを好きだとすれば、水野と好子さんの結婚の障害になるのは、私となる…
私、高見ちづるとなる…
それゆえ、今、米倉平造は、私に、わざと結婚について語ったのではないか?
私は、その事実に気付いた…
同時に、背筋に冷たいものが、流れた…
冷や汗ではないが、一気に背筋が冷たくなった…
米倉は、株を譲ったとはいえ、大昭和の元の大株主…
そして、大昭和は、私の勤務する金崎実業を吸収合併しようとしている…
そして、大昭和の新社長は、水野の父の弟…
つまりは、私ごときを、金崎実業から、追放するのは、簡単だ…
その事実に、気付いた…
水野透と、結婚させたい米倉好子の父、平造にとって、透と、好子の結婚の一番の障害物は、私、高見ちづる…
その障害物を排除するために、今日、私を、この豪邸に呼び出したのではないか?
私は、そんなことを考えた…




