恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 59
私が、米倉の豪邸を見上げながら、米倉好子さんの胸の内に、思いを馳せていると、
「…行きましょう…」
と、隣の新造さんが、声をかけた。
「…ハイ…」
と、答えて、私は新造さんといっしょに、米倉の家に入った。
そして、米倉の家の玄関に入り、ここに来るのは、何度目だろう? と、考えた。
一般の平民に、過ぎない、私、高見ちづるが、こんな大金持ちの家に招かれる。
そんなありえないというか、おとぎ話のようなことが、起きている。
考えてみれば、不思議だった…
すべては、溝口…
あの大昭和の溝口部長が、見合い相手として、私を、米倉正造に紹介したことが、きっかけだった…
その溝口は、一体どうなったのだろう?
ふいに、思った…
溝口の会社員生命は、風前の灯火…
まもなく、会社を追放されるだろう…
だが、まだ、本当のところはわからない…
案外、会社を追放されないかもしれない…
ただし、今まで通りというわけには、いかないだろう…
出世コースを外されるのは、わかっている…
しかし、それでも、会社に残れるか?
正直、わからない…
水野の父、良平に訊いても、わからないだろう…
水野良平は、大昭和は、弟の良太新社長に任せていると言っていた…
私は、新造さんに促され、この米倉の豪邸の廊下を歩きながら、考えた。
そのときだった…
ふと、私の視線に、米倉平造の姿が映った…
一瞬、驚いたが、ここは、米倉平造の家だ…
当たり前のことだった…
しかも、休日の土曜日だ…
家にいて、当然だった…
平造は、偶然、廊下に、立っていただけに違いない…
「…ご無沙汰しています…」
私は軽く頭を下げ、平造の横を通り過ぎようとした…
が、そこへ、
「…新造…ご苦労さんだった…」
という声がした…
私は、声の主を振り返る。
その声の主は、平造…
まぎれもない、米倉平造の声だった…
私は当惑する。
「…ご苦労さんって?…」
私は、驚いて、平造を見た…
それから、私の隣の新造さんを見た。
私の驚いた顔を見て、説明しなければ、ならないと思ったのだろう…
「…いえ、今日、高見さんが、この家にやって来ると、新造に訊いて、一度、高見さんと話したいと思って…」
穏やかに、平造が言った…
「…高見さんと、話すのは、正造が初めて、高見さんを連れてきて、以来になる…」
穏やかに、平造が続けた。
私は一体、どういうことだろうと、思って、新造さんを見た。
新造さんは、正直、困った顔をしていた…
「…今日、高見さんを、この家に連れてくると言ったら、親父がどうしても、高見さんに会いたいと言って…」
「…私に会いたい?…」
私は驚いた。
しかし、考えてみれば、米倉平造が、私に会いたいというのも、わかる気がする…
今回の、騒動というか、米倉と水野の合併に至る、最初から、私、高見ちづるが、関係している気がする…
いや、そもそも、私が、溝口に米倉正造を紹介されて、正造の交際相手として、この家にやって来たときから、すべての物事が始まった気がする。
私は思った。
私の考えが、表情に出たのだろう…
平造が、穏やかに、
「…高見さん…そう緊張することはない…新造は、この通り、ぜんそくで、カラダの調子が悪い…だから、今日、高見さんが、やって来ても、高見さんの相手をすることが、できないかもと思って…少しばかり、私と話して、時間を稼ぐというか…」
ニコニコと、穏やかに、平造が、続けた。
私は、眼前の米倉平造を見ながら、この男こそ、今回の騒動の中心人物だと、あらためて、考えた…
血の繋がった息子と思われた、米倉正造が、米倉のゴタゴタの騒動の中心かと思っていたが、さにあらず…
この米倉平造こそ、ゴタゴタの中心人物だった…
そして、正造こそ、米倉だった…
米倉の正当な後継者だった…
正造は、この平造から、米倉を奪い返すために、闘っていた…
それが、真実だった…
平造の後継者となり、米倉を継ごうとしていたのだ…
だから、ある意味、米倉の裏切り者は、正造ではなく、平造だった…
いや、正造にとって、平造は、王位を簒奪した許されざる者だろう…
王位=米倉の当主の座を奪った張本人に他ならない…
私は、思った…
思いながら、眼前の平造を見た…
七十代の平造を見た。
平造は、穏やかだった…
これは、初めて、会った時から、変わらない…
「…高見さん…こちらへ…」
平造が、私を案内する。
私は、黙って、平造の後をついて、歩いた。
案内された部屋は、初めて、この豪邸に招かれたときに、入った居間だった…
そこには、正造の妻であり、新造の母の姿もあった…
私は、驚いた。
当惑したといっていい…
私は、単純に、新造さんから、好子さんが、なぜ、水野を嫌うのか、知りたいと思ったから、今日、この米倉の家にやって来ただけだ…
それが…
それが、正造と澄子と、入院中の好子さんを除いた、新造さんの家族全員と、顔を会わすとは、思わなかった…
私は、焦ったが、とりあえず、
「…ご無沙汰しています…」
と、新造さんのお母様に、声をかけた。
ソファに座った、新造の母は、わざわざ、立ち上がり、
「…こちらこそ、お久しぶり…高見さん…」
と、答えた。
その顔は、本当に私を心の底から、歓迎しているかのような笑顔だった…
私は恐縮した。
当たり前だが、私は、一般人…
米倉の家の家族が揃って、私を歓迎してくれるのは、嬉しいが、同時に、なにより、居心地が悪かった…
この米倉の家のことを、知れば知るほど、自分との差を感じた…
身分の差を感じた…
そういうことだ…
当初は、この豪邸に圧倒されただけだったが、好子さんと、水野の密会が、週刊誌にスクープされ、米倉と水野が、日本を代表するとまでは、いわないが、名の知れた名門の一族だと知って、驚愕した…
それを知ることで、どうしても、私は、気分が重くなった…
一般の平民である、私、高見ちづるが、お金持ちの一族と接するのは、嬉しい反面、苦痛だった…
誰もが、自分の立場というか、社会で占める位置を知るにつけ、身分違いの人間と接すると、気分が重くなるというか…
嬉しいというか、光栄と思う反面、自分の立ち位置を考えざるを得ない…
身分の差を考えざるを得ない…
そういうことだ…
私が、漠然と、そんなことを考えていると、
「…高見さんも座って…」
と、新造さんの母親が声をかけた。
私は、とっさに、
「…失礼します…」
と、言って、ソファに座った…
私の前に、新造さんの母が…
そして、その隣に、平造が、座った…
私の横には、新造さんが座った…
言葉は悪いが、これで、面子が揃った…
米倉一族が、揃った…
いや、現在の米倉一族が、揃ったというべきか…
本来の米倉一族は、澄子と正造の姉弟…
好子さんが、言うには、あの二人こそ、米倉…
米倉一族の正当な後継者だ…
「…なにから、話しましょうか?…」
私が、この三人を見て、考えていると、正面の、新造さんの母親が、穏やかに訊いた…
私は、色々聞きたいことが、あったが、なにから、聞いていいか、わからなかった…
とりあえず、
「…好子さんの意識は、まだ戻らないんですか?…」
と、聞いた。
それが、一番、無難な質問だったからだ…
正面の新造の母親は、
「…」
と、無言のまま、首を縦に振って、頷いた。
自分の娘が、自殺未遂を図り、意識不明のまま、というのは、耐えがたい苦痛に違いない…
新造さんの母親の顔を見て、あらためて、それを思った。
同時に、そんなことを質問した、自分の愚かさを呪った。
「…申し訳ありません…辛いことをお聞きして…」
私は頭を下げて、詫びた。
が、
新造の母親は、どこまでも、穏やかだった。
「…気にしないで…高見さん…誰もが、知りたいことだし…避けて通れない話だから…」
ふと、見ると、隣の夫の平造も沈痛な表情を浮かべていた。
「…まだ、自殺未遂と決まったわけじゃない…」
平造が、突然、苦虫を潰した表情で、呟いた。
たしかに、自殺未遂とわかれば、当然、なにが原因で、自殺しようとしたのか、誰もが、考える。
そして、その原因が、水野と米倉の合併にあると、言われるのが、嫌なのだろう…
ただ、単に、水野と米倉が合併するのなら、いざ知らず、あの水野透と、好子さんが結婚するのが、嫌で、自殺未遂を図ったとしたら、平造としては、堪ったものではない…
水野透と、米倉好子の結婚を後押ししたのは、間違いなく、この米倉平造に他ならない…
だから、水野との結婚が、嫌で、好子さんが、自殺未遂を起こしたとしたら、当然、自分の責任になる…
それを認めるのが、嫌なのだろう…
強引に、結婚を進め、それが、原因で、自分が愛する娘を追い込んだとしたら…
考えたくない事態に違いない…
「…アイツは酒に逃げたんだ…」
隣の新造さんが、不意に、言った。
「…お酒に?…」
私は訊いた。
「…姉貴は、もっと若い時分というか、随分前から、嫌なことがあると、酒に逃げていた…だから、今度のことも、はっきり言って、自業自得…自殺未遂かどうかわからないが、これだけはいえる…」
新造さんが、断言する。
私は驚いたが、以前、私が、米倉正造に、好子を慰めてくれないかと言われ、この豪邸を訪れたことを思い出した…
あのときは、水野とのスキャンダルで、落ち込んだ、好子さんを、慰めてくれと、米倉正造が、言った…
しかし、なんのことはない…
そのスキャンダルを、世間に広めたのは、他ならぬ、正造自身だった…
むしろ、あのときの、正造の狙いは、好子さんが、どういうことを考えているのか、私に探ってもらいたかったからだ…
私と好子さんが、似た者同士で、気が合うと見た、正造の策略だった…
しかし、好子さんもまたバカではなかった…
酒に溺れたフリはしても、酒に飲まれてはいなかった…
意識は、正常だった…
つまりは、正造の魂胆がわかっていたということだ…
私はそれを思い出した。
同時に、アレが、好子さんの演技だけではない…日常だということに、今さらながら、気付いた…
あのときは、酔ったふりをしているだけだと思ったが、日常的に、嫌なことがあると、酒に溺れる性格とまでは、考えなかった…
甘かったというべきか?
それが、米倉好子の性格なのか、それとも、お金持ちの娘として生まれた重圧=プレッシャーなのかは、わからなかった…
私は、考える。
そこまで、考えると、私は覚悟を決めて、
「…澄子さんと直一さんは、どうしたんですか?…」
と、聞いた。
尋ねざるを得ないというか?
逃げることは、できない話題だった…
「…出て行ったよ…」
穏やかに、平造が告げる。
「…正造が出て行くと、この家に、いられなくなったのだろう…直一君は、引き続き、会社に残ってもらいたかったが、それも難しかった…」
さもありなん…
自分の妻が、この米倉の豪邸を出て行くのだったら、夫の直一が、この家に留まるのは、不可能だったろう…
当然の選択だった…
「…お父様は、直一さんを、後継者に据えようと思っていたのでは?…」
と、私は訊いた。
訊かずには、いられなかった…
事実、直一自身、自分が、次期社長候補の一人だと自覚していた…
しかし、この眼前の米倉平造が、どう思っていたのか、わからない…
私はそれが知りたかった…
だから、本当は、私風情が、訊いてはならない質問かもしれないが、敢えて、訊いてみた…
平造は、私の質問に驚き、一瞬、悩んだが、
「…その可能性は、排除しなかった…」
ゆっくりと、答えた。
「…直一君自身は、あの通りの人間で、野心はない…淡々と与えられた仕事をこなしてゆくだけだ…ただ…」
そこで、言いよどんだ…
いったん、言葉を止めた…
「…たた…なんでしょうか?…」
「…ただ、直一君の妻は澄子だ…正造同様、澄子が、この家に残るのは、好子や新造の将来に禍根を残す…」
平造が、穏やかに言う。
しかしながら、その言葉の中身は、穏やかな口調とは、裏腹に苛烈だった…
禍根を残すという言葉は、イマドキ滅多に、聞かない…
禍根を残す…つまり、禍の種を残すということだ…
その禍こそが、澄子の存在なのだろう…
たしかに、それはわかる…
澄子は、好子さんを嫌ってる…
その澄子さんを、この家に残すことはできない…
となると、必然的に、澄子さんの夫の直一さんも、この家を出てゆくしかなくなる…
会社も同じ…
米倉正造同様、居場所がなくなる…
「…私個人の気持ちとしては、直一君は、引き続き、会社に残って、仕事を続けてもらいたかった…しかし、澄子のことを考えると、それも難しかった…」
淡々と、平造が話す。
平造の言うことはわかる…
自分と血の繋がっていない澄子を追い出した以上、その夫の直一が、その父親が経営する会社に引き続き、居座ることは、現実的に不可能だった…
「…直一君がいなくなるのは、断腸の思いというと、大げさだが、仕方がなかった…」
平造が続けた。
私は、平造の言葉を訊きながら、気になることがあった…
…どうして、澄子が、好子さんをイジメているのを知りながら、平造が、澄子を咎めなかった理由を知りたかった…
「…お父様…一つ、お聞きして、よろしいでしょうか?…」
「…なんですか?…」
「…澄子さんは、好子さんをイジメてましたね…なぜ、注意しなかったんでしょう?…」
私の質問に、平造が固まった…
あまりも、ストレートに、訊いたからだ…
「…それは、おそらく、私自身の負い目だろう…」
平造が、ゆっくりと、答えた。
「…負い目?…」
「…分家というか、米倉の遠縁の親戚に過ぎなかった私が、本家のお嬢様と結婚した…だが、お嬢様には、すでに、澄子と正造がいた…」
「…」
「…お嬢様と結婚はしたものの、結婚生活そのものは、うまくいかなかった…結果として、お嬢様は、この家を出る形になった…」
「…」
「…本当は、私が出るべきだったが、米倉の家を存続させるには、私が出るわけには、いかなかった…自分でいうのもなんだが、私は経営者としては、優秀だった…そして、お嬢様もまた、それを認めていた…だから、結果として、お嬢様が、この家を出る選択をした…しかし、結局は、正造と澄子は、この家に戻って来た…」
「…」
「…その戻って来たお嬢様の子供をないがしろにすることはできなかった…だから、澄子が、好子をイジメるのを、見て見ぬふりをするしかなかった…」
正造が、告白する。
つまり、平造は、米倉の簒奪者…
本来、米倉本家の遠縁の人間にもかかわらず、本家のお嬢様と結婚した…
しかし、平造自身も、その立ち位置に苦悩していたことがわかる…
この告白は、ウソではないだろう…
私は、思った…
誰もが、シンデレラではないが、本来ありえない家に迎えられれば、最初は嬉しいが、戸惑う人間が普通だ…
まして、平造のように、結果として、本家を奪うようになれば、戸惑って当然…
それゆえ、澄子の振る舞いに、頭にはくるが、目をつぶらざるを得ないというのが、本音だろう…
平造自身が、おそらく、いい意味で、凡人なのだろう…
この場合の凡人とは、普通の人だということ…
よく、漫画や小説にありがちな、例えば使える人間でも、冷酷非情で、他人に対する思いやりもなにもない人間ならば、現実には、ひとは誰もついてこない…
人並な思いやりや温情を持たない人間は、人間関係の中で、孤立する…
その結果、たとえ、社長といえども、周囲の人間に相手にされなくなる…
そういう意味で、米倉平造は、凡人なのだろう…
周囲に気を使い、うまく、人を使える人間なのだろう…
それゆえ、澄子と正造の扱いに悩んだのだろう…
私は、思った。
平造の話は続いた…




