恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 56
「…高見さんは、甘いんですよ…」
会社で、いきなり、隣の席の、内山さんに叱責された。
内山さんは、24歳…
私、高見ちづるは、33歳…
私は、9歳上だが、最近は、立場が逆転したというか、内山さんに、つい意見を求めることが多い…
なぜなら、内山さんは、鋭い…
その事実に、ようやく最近、気付いた。
入社2年目の内山さんだが、入社して、十年の私より、鋭いと感じるときが、多々ある…
つくづく年齢ではないなと、最近、思えてきた…
いくら、年齢を重ねても、トロい人間はトロい…
頭の回転が鈍いというか、周囲の人間が、容易に気付くことも、気付かない…
実は、私、高見ちづるも、その一人だということに、最近、気付いてきた…
現実に、内山さんの方が、鋭い…
私、高見ちづるよりも、鋭い…
「…高見さんは、甘すぎ…自分に甘すぎです…」
内山さんが、追い打ちをかける。
私と内山さんは、昼休みで、水野について、話していた。
「…もう、水野さんは、この会社にやって来ないのね…」
と、なにげなく、内山さんに呟いたら、内山さんが、冒頭のように、激怒したのだ…
「…高見さん…この際だから、言いますけど、高見さんは、甘すぎます…」
私は、内山さんの予想外の怒りに驚くと、同時に、
「…どうして、甘いの?…」
と、訊かずにはいられなかった…
「…だって、高見さん…水野さんは、会社を辞めたと、言ってないじゃないですか?…」
と、当たり前のことを言った…
私は、内山さんの言葉に、
「…」
と、絶句した。
「…会社を辞めたのならば、もう二度とこの会社にやって来ることはないですよ…でも、辞めてないのならば、またこの会社にやって来てもいいはずですよ…」
内山さんが、力を込める。
私は内山さんの言葉を訊きながら、内山さんは、水野の目的がわかってないから、言うんだと、内心思った…
水野は父親の水野良平に頼まれて、大昭和が、吸収合併を決めた、この金崎実業を視察というか、偵察に来た…
合併に際して、書類上というか、帳簿上の利益=数字は読み解くことができるが、会社の雰囲気というものは、読み解くことができない…
実際に、その会社には、どんな人間が勤め、職場の雰囲気は、どうなのか、知ることはできない…
それを探るために、水野は、水野財閥の傘下の企業が、この金崎実業に納入業者として、取引があることに目を付け、その会社の社員として、金崎事業のこの営業所にやって来た…
内山さんは、それを知らない…
「…高見さん?…」
「…なに?…」
「…物事は、もっと多面的というか、視野を広く持たなきゃダメですよ…」
「…どういうこと?…」
「…今も言ったように、水野さんは、会社を辞めてません…なにが、あったかはわかりませんが、この営業所に顔を見せなくなっただけです…」
内山さんが、力を込める。
「…ということは、またひょっこり顔を出す可能性もゼロじゃないってことです…」
内山さんが、続ける。
私は内山さんの説明を訊きながら、確かに、その可能性はゼロではないなと考えた。
というのは、水野の父親から命じられたミッション=金崎実業の職場の雰囲気を探れという命令は実行した…
しかしながら、次のミッションというと、大げさだが、またなにか命じられて、ひょっこり顔を出す可能性もゼロではない…
そう考えた。
もちろん、限りなくゼロに近いが、ゼロではないということだ…
私は考える。
「…高見さんは、結構、単純というか、思い込みが強いというか、一言で言うと、応用が利かないんですよ…」
「…応用が利かない…」
「…物事なんて、どう転ぶか、わかりませんよ…オレは、あの女とは絶対に結婚しないと周囲に断言した男が、一年も経たずに、その女と結婚したなんていうのは、どこの世界でもありふれてますよ…」
内山さんが、断言する。
「…だから、最後の最後まで、物事はわかりません…水野が、会社を辞めてなければ、この職場に再びやって来る可能性はゼロではないし、仮に会社を辞めても、偶然、街で会う可能性はあるでしょ? 二度と会えないわけじゃありません…」
「…そうね…」
「…そうね、じゃありません…高見さんが、甘いと言うのは、そういうことです…」
内山さんが、激怒する。
私は内山さんのその子供っぽい顔を見ながら、ふいに閃いた。
「…もしかしたら、内山さん、失礼だけど、過去に男のひとに騙されたとか?…」
途端に、内山さんが、トーンダウンというか、それまでの勢いがなくなった…
「…黒歴史ですよ…」
意気消沈した内山さんが言う。
「…私以外、付き合ってる女がいないと思っていたら、二股をかけられていたんです…」
見る影もなく消沈した…
「…それ以来、私は、誰の言葉も額面通りには受け取らなくなったんです…本当のことを言っているかどうかわからないって…」
私は、内山さんの言葉にどう言っていいかわからなかった…
「…」
と、沈黙した。
すると、
「…やだ…高見さん…なに、深刻な顔をしているんですか?…」
と、途端に、内山さんの態度が豹変した。
一気に、明るくなった…
「…黒歴史は、黒歴史ですよ…でも、それで、良かったんです…」
内山さんは、力を込めて、断言する。
「…良かった?…」
「…そう…良かったんです…誰もが、これまで生きてきて、他人に騙されたり、ハンパにされたりした経験のない人間なんて、普通いないでしょ? 私は若いときに、そんな経験があって、むしろ、ラッキーだと思ってるんです…」
「…ラッキー?…」
「…もちろん、心の底から、思ってるんじゃないですよ…そう思うことにしているんです…ほら、誰でも若い時の苦労は、買ってでもするものだと、昔のひとは、言ってたじゃないです?…それですよ…」
「…」
「…ほら、例えてみれば、中学生や高校生が、転んで、ケガをしても、たいしたことがないけれど、80歳のおばあちゃんなら、歩けなくなって、車椅子の生活になっちゃうことってあるじゃないですか? それと同じです…」
「…」
「…私だって、男に二股をかけられたのは、ショックですよ…でも、三十歳や四十歳になって、男に騙されて捨てられたら、目も当てられないじゃないですか? そう考えることにしたんです…」
内山さんが、力説する。
私は内山さんの言葉を訊きながら、なるほど、うまいことを言うと、感心した。
が、同時に、これは、私、高見ちづるへの皮肉なのかとも思った。
確かに、私が水野に失恋したのは、この歳になって、初めての失恋だった…
33歳の今の今まで、好きになった男は誰もいなかった…
もちろん、この歳まで、男とデートしたことがないというわけではない…
しかし、何度かデートしても、相手に心が動くことはなかった…
それが、33歳になって、初めて、心が動く相手に出会った…
キスもセックスもしていない…
でも、心が動いた…
キスやセックスをすれば、心が動くというわけではあるまい…
だが、しかし、失恋の心の痛手は、ある…
これは、やはり、33歳にもなって、初めて、ひとを好きになり、フラれた痛手なのか?
もっと、若い中学や高校の頃に、失恋していれば、良かったのか、考える。
若い頃に失恋していれば、ショックはやわらげるのか?
経験することで、失恋の痛みに慣れることができるのか?
内山さんの言葉では、そうなる…
しかし、いや、むしろ真逆ではないか?
変な話、失恋して、自殺するのは、若い男女…
三十歳を超えた男や女が、相手にフラれたからといって、自殺した話など、聞いたことがない…
人間は誰もが、歳を取れば、取るほど、ずうずうしくなる…
ある意味、鈍感力が増してくる…
純粋さが、なくなってくる…
だから、失恋程度で、自殺しなくなる…
昔も今も、テロや、日本で言えば、カミカゼの自爆行為をした人間は、皆若い…
若いから、純粋に、命を犠牲にできる…
歳を取れば、命が惜しくなる…
だから、テロを計画しても、実行することはできなくなる…
あくまで、実行するのは、純粋な若い男女だ…
そこまで、考えると、
「…高見さん…なに、急に黙っちゃたんですか? 今の話、もしかして、高見さんに対する皮肉と思っちゃったんですか?…」
「…私に対する皮肉?…」
「…いえ、今の話、言いながら、もしかして、高見さんに対する皮肉と受け取られちゃったんじゃないかなと、思って…」
「…」
「…だって、高見さん…水野に失恋したじゃないですか? それがダブって…」
「…そんなことはないわ…」
私は即答した。
「…そうですか? …それを訊いて、安心しました…」
内山さんの顔がパッと明るくなった…
「…私、高見さんに嫌われたくないから…」
「…私に嫌われたくない? どうして?…」
「…前にも言いましたが、高見さんは信用できるからです…」
「…」
「…高見さんは、私を褒めて、陰で私の悪口を言ってるような人間じゃないです…だから、信用できる…信用できる人間に嫌われるのは、誰でも嫌ですよ…」
「…そういえば、内山さん…ほかにも、内山さんが、信用できる人間が、この会社にいるって、言ってたけど、アレは、誰のこと?…」
「…亀沢課長です…」
「…亀沢さん?…」
…あまりにも、意外な名前だった…
「…亀沢さんは、正直、出世とか縁がなさそうな人ですけど、人間としては、信用できます…」
内山さんが断言する。
たしかに、内山さんのいうことは、わかる…
亀沢課長は、見るからに出世とは縁がなさそうだが、人間的に信用できない人間ではない…
見るからに、不器用な人間だが、自分に与えられた仕事を忠実にこなしている印象だ…
「…私、ああいうひとが好きなんです?…」
「…亀沢さんを好き?…」
あまりに、意外な言葉だった…
「…亀沢さんは、少なくとも、陰でひとの悪口を言っているような人間じゃないです…そういう人間は、私のもっとも、嫌う種類の人間です…」
内山さんが、力を込める。
私は、内山さんの女子高生の制服が似合うような、年齢の割に幼い顔を見ながら、この内山さんは、きっと私など、及びもしない、人生の荒波に揉まれたといっては、大げさだが、少なくとも、私よりも、大変な人生を送ってきたと、確信した。
そうでなければ、こんなセリフを言えるはずがない…
「…内山さんって、結構見た目と、違うのね…失礼だけど、イマドキのギャルっぽい外観と、内山さんの発言が、まるで、一致しない…」
「…私だって、これまで、それなりに、苦労しているんですよ…誰だって、生きてゆく上で、苦労しない人間なんていませんよ…このロリっぽい顔だから、イジメにも遭ったし、よく電車に乗っては、痴漢にも遭いました…」
内山さんが、息せき切って、告白する。
私は、そういうものかと思った。
私は、これまで、自分で言うのもなんだが、それなりに、美人に生まれてきたことで、苦労した…
でも、眼前の内山さんは、その可愛らしい、誰にも、愛されるロリータ・フェイスで、苦労してきたと、言った。
つくづく、持って生まれたルックスに人生が左右されると、思った。
考えた。
「…だから、私は確信したんです…少なくとも、自分の目で見て、自分が納得できる人間と付き合いたいと…」
「…どういうこと?…」
「…自分が、色々考えて、このひとは信用できると判断した人間しか、心を許すことは、しないことにしたんです…もし、そのひとに、裏切られても、自分が、ひとを見る目のないバカな女だったと思えば、すむ話じゃないですか?…」
「…大人ね…」
私は心の底から、思った…
私など、そんなことは、これまで考えたことはなかった…
つくづく、人間は年齢ではないと思い知らされる。
そして、今、話題になった、亀沢が、職場にやって来た。
昼休みが終わったのだ…
皆、いっせいに席に着き、午後の仕事が始まった…
私は、仕事をしながら、この週末に、米倉新造に連絡をするべきか、考えた。
水野の父親に、新造の口から、好子さんが、水野をどう思うのか、訊いてくれと、頼まれていたからだ…
米倉新造の電話番号は、わかる…
以前、新造から、直接、電話をもらったからだ…
また、あのとき、新造は、なにかあったら、好子さんは、私、高見ちづるに、相談に乗ってもらいなさいと、新造に言ったと、新造の口から聞いた…
私は、驚いたが、これは、考えてみるに、好子さんが、私を認めた証拠に他ならない…
昼休みに、内山さんが、私を信用できる人間と、断言したように、好子さんも、また私を、信用できる人間と、判断したということだ…
私はその事実に、あらためて、気付いた。
ということは、やはり、私が、新造さんに、どうして、好子さんが、水野を好きではないか? と、訊けば、答えてくれるのだろうか?
私は考えた。
おそらく、答えてくるに違いない…
いや、これは、自分勝手過ぎる意見…
自分に都合がよく、考え過ぎか?
私が、頭を悩ませていると、ふと誰かの視線を感じた。
私はその視線の主を見る。
その視線の持ち主は、他ならぬ亀沢だった…
…亀沢課長が、なぜ、私を見ているのか?…
私は考える。
そういえば…
私は思い出した。
以前、好子さんが、私の人物評を私に言ったことがある…
あのとき、私は愕然とした。
いきなり、まだ会ってまもない人間から、自分が周囲から、どう見られているか、言われたのだ…
あのとき、会社で、訊いたとは言わなかったが、友人たちの評価でないことは明らか…
なぜなら、学校での評価は、随分前の話…
大学も十年前に卒業している…
となると、会社しかない…
会社の誰かから、私の人物評を訊いたに違いない…
あのとき、好子さんは、興信所の人間に調査を依頼したといった…
だとすれば、その興信所の人間は、金崎実業のこの営業所の誰かから、私のことを訊いて調べたに違いない…
わずか、二十数名の営業所…
その可能性の一番高いのが、この亀沢課長だ…
曲がりなりにも、この営業所の所長を務めている…
この営業所では、亀沢がトップ…
トップの人間に、私の人物評を訊くのが、一番いい…
私よりも年下の人間に訊くよりも、少しは、人間を見る目があると普通考えるからだ…
そして、米倉…
この亀沢は、むやみに、見ず知らずの人間に、仮にいくらかの報酬を提示されても、社内の人物評を漏らす人間とは思えない…
ところが、相手が、ウチの取引先の、大昭和の株を持つ、米倉の人間から、頼まれたと言われれば、話すだろう…
現に、亀沢は、米倉のことを知っていた…
あの時点で、世間にオモテに出てこない米倉のことを、亀沢が知っているわけがない…
亀沢は、バカではないが、凡人…
取り立てて、情報に接しているわけではない…
しかし、あのとき、誰もが知りえない情報=米倉のことを知っていた…
これは、普通に考えて、興信所の人間に訊いたに違いない…
私が、好子さんに、その点を尋ねると、私は、興信所の人間から訊いたのであって、興信所の人間が誰から訊いたかは知らないと言われた…
当たり前のことだ…
私は亀沢の視線を感じながら、そんなことを考えた。
そして、ふいに、新造さんに会うことに決めた。
亀沢と米倉新造が重なって見えたのだ…
二人とも、信用できる人間ということで、一致する。
それゆえ、連絡してみようという気になった…
考えてみれば、この決断は、他ならぬ内山さんの後押しだった…
内山さんが、亀沢課長が信用できる人物と言ったからだ…
物事というものは、なにが、どう転ぶか、わからない…
内山さんは、ただ亀沢さんが、信用できると言ったに過ぎないことが、私を米倉新造に会わせる後押しをした。
無論、内山さんには、そんなことは、わからない…
物事は、どう転ぶか、わからない…
水野も、米倉もそう…
この先、どうなるか、わからない…
そして、この高見ちづるの将来も…
混沌とした将来を暗示させる出来事だった。




