恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 52
昨夜、米倉新造から電話があって、一夜が明けた。
私も好子さんの見舞いに駆け付けようとも、思ったが、仕事がある。
休日にならなければ、好子さんのいる病院を訪ねることはできなかった…
また、好子さんは、意識不明…
急いで駆け付けたところで、肝心の見舞いの相手が、意識がなければ、行ったところで、好子さんと話すことはできない…
せいぜいが、病室に駆け付けたと、周囲にアピールするだけだ…
実際のところ、そのようにアピールする人間は多いに違いない…
米倉好子はお金持ちのお嬢様…
すると、そのお金に魅せられてというか、その権力というか、影響力に魅せられて、周囲にひとが集まる。
具体的に言えば、トヨタ社長の豊田章男氏が入院すれば、真っ先に駆けつけて、忠誠心を見せるわけだ(笑)…
それと同じことが起こる…
あるいは、それがわかっているから、本当は、自殺未遂のところを、あえて、自殺と報道したのかとも、思った。
勘ぐった…
邪推した。
私のような一般人が、お金持ちの思考というか、行動形態を捉えることはできない…
想像するだけだ…
だから、邪推になる(笑)
しかしながら、好子さんの自殺報道を見る限り、自殺が誤りとわかっても、すぐに訂正する必要はないと考えたのではないか?
生きていて、どこそこの病院に入院して、ということが、マスコミに知れ渡れば、ひとが殺到する。
それならば、内々にでも、親しい人間だけに、自殺報道が誤りであることを、告げればいいのではないか?
そう思ったのではないか?
私は考えた。
だが、今度の報道で、米倉と水野との合併に水を差すことになったことに、間違いはない…
好子さんは、水野との結婚に消極的だった…
まさか、水野との婚約が、好子さんの自殺を誘発したとは、考えにくいが、その可能性はないともいえない…
ずばり、ある…
だが、そうだとしたら、この後、水野と米倉の合併はどうなるのだろう…
私は思った。
そして、思いながらも、いつものように出社した。
会社=金崎実業は、いつもの通りだった…
大昭和との吸収合併の件が、報じられたが、あれ以来、目立った動きがない…
あのときは、私を大昭和の部長である溝口の元へ、派遣して、実情を探ろうと、てんやわんやだった…
しかし、大山鳴動して鼠一匹というか、結局のところ、合併は、保留になってしまった…
要するに、米倉に代わって、大昭和の大株主になった水野の了承が取れず、保留になった…
その件で、溝口もまた出世の道が、閉ざされ、その会社員生命は風前の灯火だった…
溝口は、金崎実業を合併する、いわば、先兵として、動いたが、溝口に、その役割を命じた上官というか、取締役が、水野の逆鱗に触れたわけだ…
溝口が言うには、近々、臨時の取締役会議が開かれ、溝口に金崎実業の合併を命じた取締役は更迭されると言っていた…
そして、自分の直属の上司が更迭されることで、溝口の会社員生命も風前の灯火になった…
出世の道は完全に閉ざされた…
これは、誰のも目にも明らか…
しかし、あれ以来、溝口に会っていないので、その後の経過はわからない…
あるいは、溝口の甥である、新入社員の中村君に訊けば、いいのかもしれないが、正直、訊きづらい(笑)…
なにより、今週は、中村君は、新人研修で、職場にいなかった…
だから、今は、訊きようがない…
私は、考える。
そして、一時よりも、職場に落ち着いた空気が戻った…
金崎実業と大昭和の合併が、テレビや新聞で報じられたときは、職場の誰もが、浮足立ったが、今は、それはなくなった…
あるいは、極秘というか、隠密裏に、転職の道を探している、職場の同僚もいるに違いないが、それは、公然の秘密というか、仮に、知っていても、それを話題にする人間はいなかった…
少なくとも、職場の雰囲気は平穏に戻った…
私は、いつものように、平凡な日々を送ることになる。
そう考えていた。
だから、仕事の合間に、週末には、新造さんに訊いて、好子さんのいる病院に見舞いに行くかどうか、考えた。
好子さんは、意識不明…
行ったところで、好子さんに会えるわけではない…
だが、やはり、それを知って、見舞いに行かないのもどうかとも思った…
しかし、私が行くことで、好子さんというか、米倉に迷惑がかかるのは、困る。
行くべきか?
行かないべきか?
私はハムレットのように悩んだ…
すると、隣の席の内山さんが、
「…高見さん…」
と、声をかけた。
「…なに? 内山さん…」
「…悩んでますね?…」
私を見て、ニヤッと意味ありげに笑った。
私は内山さんのその笑いを見て、
…なんのことだろう?…
と、内心、思った。
「…高見さん…とぼけちゃって…」
内山さんが、笑う。
「…とぼける? …なんのこと?…」
「…水野ですよ…水野…」
「…水野さん…」
すっかり、忘れていた。
米倉好子の自殺騒動で、私の脳裏からスッカリ抜け落ちたといえば、ウソになるが、少なくとも、今、この瞬間は、水野のことは、丸っきり頭の隅にもなかった…
「…高見ちづる…失恋の痛手から、ようやく、立ち直りつつありますね…」
「…そんな失恋なんて…」
言いながら、しかし、それが、事実だと思った…
事実、内山さんの言う通り、失恋だった。
高見ちづる、33歳にして、初めて、男のひとを好きになって、振られた…
それは、事実…
否定しようのない事実だった…
だが、それを内山さんに、言われるとは、思わなかった…
しかし、同時に、内山さんに言われても、全然嫌じゃなかった…
内山さんの人徳というか、普通ならば、嫌みに聞こえることも、内山さんが、言うと、全然嫌みに聞こえない…
つくづく得な人間というか…
恵まれた才能を持つ人間だと思う。
嫌みが嫌みに聞こえない…
稀有な人間だ…
私は、思った。
と、同時に、やはり米倉好子の自殺報道で、水野のことが、頭の中から、すっぽり抜けたことが大きい…
まさか、自分の知った人間が、自殺したショックは大きかった…
正確には、自殺未遂だが、ショックが大きいのは、変わらない…
それと、なにより、米倉好子が、大金持ちのお嬢様で、その自殺報道が、テレビや新聞、そして、ネットで、報道された事実が大きかった…
ある意味、有名人…
普通は、知り合う機会のない人間だ…
そんな有名人と、私が知り合い、その有名人が自殺未遂を起こして、テレビや新聞で、報道される…
ありえない事態だった…
だから、そのショックが、私の脳裏の大半を占め、水野のことは、忘れたとまではいわないが、小さくなった…
私の中で、小さくなった…
おそらく、もう二度と、水野と再会することは、ないだろう…
あのとき、水野は、
「…グッバイ…美人の当たり屋さん…」
と、言った。
あれが、今生の別れといえば、大げさだが、二度と会うことのない永遠の別れだと思った。
少なくとも、水野は、そう考えたはずだ…
そして、それは、私も同じだった…
もう二度と再会することは、ないだろう…
少なくとも、水野が、この職場にやって来ることは、ないに違いない…
水野自身、目的は、済んだと言っていた。
その目的とは、ずばり、金崎実業の職場の雰囲気を探ること…
米倉から、米倉奉公会の株を、水野が買い取った…
米倉奉公会は、大昭和の大株主…
その大昭和は、金崎実業の買収を画策している…
ならば、その金崎実業とは、どんな会社なのか、実際に、接して、知ろうとしたのが、水野が、私の職場にやって来た理由…
そして、おそらくは、米倉正造から、私のことを聞いていたに違いない…
それで、私を直に見ることと、金崎実業の職場の雰囲気を知るために、この営業所にやって来た…
それが、事実…
そして、その目的を果たした…
だから、もう二度と会うことはない…
そういうことだ…
私は反芻する。
「…しかし、水野さんも罪作りな男ですね…」
内山さんが、言ったことで、私は、考えを中断した。
「…罪作りって?…」
「…だって、高見さんのような美人に好かれてるのに、顔を見せないなんて…」
「…きっと、水野さんは、私よりも、もっと美人で、お金持ちのお嬢様と結婚するのよ…」
思わず、そんな言葉が、私の口を突いて、出た。
米倉好子のことが、脳裏に思い浮かんだのだ…
事実、水野は、米倉好子と婚約する手筈になってるはず…
が、好子は自殺未遂を起こした。
もしかしたら、好子の自殺未遂は、水野との婚約が、原因の可能性がある。
なぜなら、好子は、水野との結婚を嫌っていた…
だから、自殺未遂の原因と特定はできないが、いくつかの原因の一つとなっている可能性は高い…
誰もが、自殺未遂にまで追い込まれる原因は、一つではなく、いくつかの原因が、混じりあってるものだからだ…
そして、決め手というか、ダメ押しが、水野との婚約だった可能性が高い…
私は思った。
しかし、それを、今、内山さんに言っても仕方がない…
なにより、内山さんは、米倉を知らない…
水野は知っているが、水野が水野財閥の後継者であることは知らない…
それらを内山さんに話すことはできないし、話したところで、信じてもらえるかどうかも怪しいところだ…
「…高見さん…夢でも見ているのでは?…」
と、言い返させられでもしたら、反論できない…
だから、なにも言わないに限る。
「…高見さん…そこまで言わなくても…」
内山さんが言った。
「…どういうこと?…」
「…だって、自分がフラれたからって、そんな皮肉…」
私は、内山さんの言葉に唖然とした。
私は事実を口にしたのだが、事情を知らない内山さんは、それを皮肉と受け取った…
まさか…
そんな…
私は、考える。
同時に言葉の恐ろしさを思った。
内山さんが言うように、事情をなにも知らなければ、私が、水野さんのことを皮肉ったと捉えてもおかしくはない…
つくづく、なにをどう言えばいいのか、難しい…
自分が、言ったことを、他人がどう受け取るか、わからない…
私は水野との婚約を噂される美人の米倉好子を脳裏に浮かべて、
「…きっと、水野さんは、私よりも、もっと美人で、お金持ちのお嬢様と結婚するのよ…」
と、言ったが、当然、内山さんは、好子さんを知らない…
だから、一般論を私が言ったと思ったに違いない…
そして、この場合は一般論=皮肉を言ったに違いないと思ったのだろう…
私は考える。
しかし、同時に気付いた。
なぜ、内山さんは、私が水野にフラれたのを知っているのだろうということだ…
私は確かに水野にフラれた。
これは、間違いない…
だが、それを、内山さんが知るはずがない…
単純に、私の様子から見て、フラれたと判断したのか、それとも、内山さんが、まさか、水野と繋がってるのか?
まさか…
そんなことはないと思うが…
私は思った。
「…どうしました? 高見さん…急に黙っちゃって…」
私は、悩んだが、
「…内山さん、私がどうして、失恋したのを知ってるの?…」
と、直球で、訊いた。
「…そんな…簡単ですよ…」
「…簡単?…」
「…高見さんの態度を見れば、一目瞭然ですよ…すごく悩んで見えますよ…だから…」
…そうか!…
…そういうことか!…
私が、好子さんの自殺未遂の件で、悩んでいることを、内山さんは、失恋と見たということか?
確かに、辻褄は合う…
「…それに、もう水野さんは、全然、この営業所にやって来ないし…」
ダメ出しだった…
「…だから、もう二度と会えないと思って、高見さんは、落ち込んでいるわけでしょ?…」
内山さんが、私に念を押すというか、確認する。
「…ええ…そうね…」
私は、頷いた。
そう答えた方が、好都合だった…
無理に、本当のことは、言わない方がいい…
相手が、どう思おうと、それに任せた方がいい…
そう判断した。
「…しかし、惜しいですね…」
「…なにが、惜しいの?…」
「…実を言うと、私も水野さんを嫌いじゃなかったんですよ…」
「…内山さんも?…」
私は驚いた。
「…いえ、別に、男として、どうかとか、そういう話じゃないですよ…ただ、水野さんが来ると、楽しいでしょ?…その水野さんが、やって来なくなっちゃったから、この営業所の女たちの落ち込みぶりは、見るも悲惨ですよ…」
確かに、内山さんの言う通り、営業所の女のコ全員が、元気がなかった…
「…あの水野さんは、エネルギーの源ですよ…」
内山さんが、力を込めて、断言する。
「…エネルギーの源なんて、随分大げさな表現ね…」
「…それは、そうですけど…誰もが、いっしょにいて、楽しい人間なんて、滅多にいませんよ…あの水野さんが、この営業所にやって来ると、パッとその場が明るくなるような感じがあったでしょ?…」
内山さんが、断言する。
それは、間違いではなかった…
誤りではなかった…
水野は、エネルギーの源といえば、大げさだが、周りを明るくする力があったことは、確かだ…
そこまで、考えて、ふと思った。
その周りを明るくする力を持つ、水野と婚約を噂された、好子さんは、自殺未遂を起こした。
そして、なにより、好子さんは、水野との結婚を嫌っていた…
なぜ、そこまで、好子さんが、水野を毛嫌いするのか、わからない…
もしかしたら、水野には、私が知らない裏の顔があるのかもしれない…
現に、水野は、父親の愛人の子だと、好子さんは、言った。
本当ならば、父親に認知されるか、どうかも微妙だったと…
それが、本妻に、子供がいないから、急遽、認知され、養子縁組したと…
それを考えれば、水野に裏の顔があるのは、よくわかる…
誰もが、いつも、ひょうきんで、おちゃらけていられるわけがない…
当然、別の顔がある。
そして、そこまで、考えると、米倉正造と水野は、似ていることに気付いた。
どちらも、出生の秘密といえば、大げさだが、そのイケメンな外観と、苦労したに違いない半生が似ている。
最初から、金持ちだったわけではない点が似ている…
いっしょだ…
私は思った…
同時に、
…食わせ者…
という言葉が脳裏に浮かんだ。
米倉平造が、米倉正造を評して、言った言葉…
おそらくは、その言葉は、文字通り、あの水野にも、当てはまる…
だが、惹かれる…
食わせ者とわかっていても、惹かれる…
これもまた、米倉正造と同じ…
人は、誰もが聖人君子に惹かれるわけではない…
聖人君子に惹かれるならば、映画のゴッドファーザーは世界的にヒットしなかった…
つまり、そういうことだ…
米倉正造も、水野もマフィアではないが、魅力があった…
男女を問わず、ひとを惹きつける魅力があった…
明らかに、善人ではないにもかかわらず、女を夢中にさせる、なにかがあった(笑)…




