恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 44
…今生の別れ…
大げさな言葉だが、溝口と、中村君のやりとりを見て、ぶしつけにも、そんな言葉が脳裏に浮かんだ…
溝口の姿が、あまりにも、芝居がかっているというか、大げさなものだからだ…
あるいは、出世の道が閉ざされたのだから、当たり前なのかもしれないが、やはり私としては、大げさの一言だった…
その結果というか、帰りの中村君が運転する社用車の中で、私と中村君の間には、気まずい沈黙があった…
当然だ…
あんなことがあったあとだ…
お互い、どう言っていいか、わからなかった…
本当ならば、私も中村君も、どっちとも、一刻も早く、この場から、逃げ出したい気持ちだった…
それほど、気まずかった…
が、ずっと、沈黙を続けているのも、やはりおかしい…
…年上の私から話しかけようか?…
そんなことを考え込んでいると、最初に、沈黙を破ったのは、中村君だった…
「…叔父さん…大丈夫かな…」
ハンドルを握る中村君が、意外な言葉を漏らした…
私は驚いて、中村君を見た。
「…大丈夫って…仮に出世コースから、はずれたとしても、命まで、取られる心配はないでしょ…」
私はわざと軽く言った…
が、中村君の返答は、
「…叔父さん…ああ見えて、結構、気が弱いんですよ…」
と、意外なものだった…
「…溝口さんが、気が弱い?…」
「…相当のビビりですよ…叔父さんは…」
中村君は、したり顔というか、平然と言う。
…身内だから、知っているのだろう…
「…高見さん…」
「…なに?…」
「…叔父さんが、高見さんに会って話をするときに、緊張する癖があるのが、わかりませんでした?…」
「…溝口さんが、緊張?…」
「…高見さんと会って、話をするときに、わずかだけど、顔が引きつるときがあるんです…」
「…どうして、私と話すときに、顔が引きつるの?…」
中村君の言葉が謎だった…
「…叔父さんは、高見さんのファンだと公言しているでしょ? あのせいですよ…」
「…どういうこと?…」
「…叔父さん、気が弱いから、自分が、高見さんに、どう思われるか、心配なんです…」
「…心配?…」
「…叔父さんは、あの通り大柄だから、叔母さんも背が高い…だから、以前言ったこともありますが、叔父さんが、高見さんのファンだと公言しているのは、ブラフ=はったりの可能性が高い…」
「…」
「…叔父さんは見栄っ張りだから、自分と並ぶ女のひとは、背が高くなきゃダメだと、若いときは、公言していたらしいです…だから、本当に、高見さんのファンかどうかは、怪しいところです…」
「…」
「…おそらくは、高見さんのファンだと公言する理由は、以前も言いましたが、周囲の空気を和ませるためでしょ…誰もが、誰々さんのファンだと言えば、嫌な気持ちはしないし、変にひとの悪口を言うより、ずっといい…」
「…」
「…でも、叔父さんは、ホントは気が弱いから、高見さんが、それをどう思ってるかわからないと思って、高見さんを前にすると、ときどき緊張して、表情が引きつるんです…」
…そんなことが?…
私は、驚いた…
溝口は、そのプロレスラーのような大柄なカラダと堂々とした物腰で、周囲に接する。
いつも、堂々としている。
だが、それは、見せかけ…
見せかけに過ぎない…
それをなにより、身内は知っている…
当然だ…
家では、溝口は、会社とは、違う顔を見せるのだろう…
会社や学校など公の場所では、一切、他人の悪口を言わず、ニコニコとしていて、家では、真逆に、いつも、学校のクラスメートや、会社の同僚の悪口を言い触らしている人間は、世の中にありふれている(笑)…
溝口もその一人なのだろう。
「…溝口さんは…」
「…叔父さんはビビりですよ…」
中村君が断言する。
「…ビビりって?…」
「…家では、アイツは、オレよりいい大学を出ているから、オレより出世するかもしれないとか…アイツの方が上司に気に入られているとか、とにかく、発想が、自虐的というか、後ろ向きなんです…基本、マイナスのことしか言わない…」
「…マイナスのことしかいわない?…」
私は中村君の言葉に開いた口が塞がらなかった。
「…そんな叔父さんだから、叔父さんが心配なんです…」
…なるほど、そういうことか?…
私は中村君の言葉に納得する。
「…こう言っては身も蓋もないけど、今の時代、ひとつの会社に一生勤められる保証はないでしょ?…」
「…どういうこと?…」
「…叔父さんは、ボクに、金崎実業での出世を公平にさせてあげたいと、水野さんに頼んでくれと、高見さんにお願いしたけど、ボクとしては、むしろ叔父さんに、大昭和での地位をなんとかさせてやりたいというか…」
「…」
私が、唖然として、中村君の横顔を見ていると、
「…簡単ですよ…簡単…」
と、中村君が笑った。
「…簡単って?…」
「…ボクは、今年大学を卒業して、金崎実業に入社した新人…だから、他の会社にも転職できる…でも、叔父さんは、すでに50代で、大学を卒業して、大昭和しか、会社を知らない…そんな叔父さんが、大昭和を退職して、生きてゆけるのか?…大いに謎です…」
中村君が笑った。
…たしかに、中村君の言うことは至極真っ当だ…
溝口は50代…
転職しても、受けいれてくれる会社があるのか、甚だ疑問だ…
いかに、世間に名の知れた、大会社の部長でも、一介の部長に過ぎない…
とりたてて、取り柄などない…
ただ、会社という組織で、一歩ずつ出世という階段を上っただけ…
それだけだ…
世間的に、無名の存在…
一般人に過ぎない…
「…叔父さんも、若い時は、普通にバイトとか、他の会社で、働いた経験はあると思うんですよ…でも、それは、30年以上前の話…時代が違うでしょ?…」
「…」
「…そう考えると、水野さんに、高見さんから、真っ先に、叔父さんのことを、頼みたいんですよ…路頭に迷ったら、困りますから…」
中村君が笑った。
しかし、その笑いは寂しそうだった…
当然だ…
自分の叔父がリストラされるかもしれないのだ…
それを、心の底から、笑える人間など、いない…
わざと笑いにすることで、私に溝口の今後の処遇を頼んでいるのだろう…
笑いにしなければ、できない話だからだ…
「…溝口さんもいい甥御さんを持ったわね…」
私は言った。
「…いい甥御さんですか? …とんでもない、出来の悪い甥ですよ…」
「…またまたご謙遜…」
「…いえ、本当です…」
ハンドルを握る中村君が真剣な表情になった…
「…就職に際して、叔父の世話になり、結果的に、叔父の言われるままに、金崎実業に入社した…でも、自分に力があれば、自分の力で、なんとかしますよ…」
「…金崎実業では、不満?…」
「…いえ、そういう意味じゃなくて、大学の友人も、ボクより優秀な人間は、いっぱいいて、皆自分の力で就職を決めました…でも、ボクは…」
中村君の声が小さくなった…
…自分は、溝口の叔父さんに、就職の世話をしてもらった…
…そう言いたいのだろう…
…そして、それが、悔しいというか、嫌なのだろう…
そう言われれば、誰でもわかる…
「…ボクは、叔父さんのように出世できると全然思ってないですよ…だから、そんなボクの心配をするより…」
中村君の声が小さくなり、ふと中村君の横顔を見ると、目が潤んでいた…
「…そんなボクの心配をするより、叔父さんに、大昭和で、あの地位でいてもらいたい…これ以上、出世しなくていいから、せめて、会社から、追い出されないでいてもらいたい…」
中村君が、涙ながらに言った…
わずかというレベルでなく、明らかに、嗚咽していた…
私は、どう言っていいか、わからなかった。
こんなときに、どう慰めていいか、わからなかった…
だから、
「…」
と、なにも、言わなかった…
私にできることと言えば、水野に会って、溝口の処遇を頼むことのみ…
それだけだった…
会社に戻ると、職場の全員の視線が、私と中村君に注がれた。
私は、その視線で、今さらながら、職場の全員が、私と中村君の帰りを、今か今かと、心待ちにしていたことを思い出した。
中村君と、溝口の処遇を、話していたので、すっかり、忘れていた。
頭の中から、きれいさっぱりと消えていた(笑)…
私は、とりあえず、真っ先に課長の亀沢の席に走った…
「…課長、ただいま、戻りました…」
「…そうか…高見さん…ご苦労…そして、うちと大昭和の合併は?…」
亀沢が、せかす。
一刻も早く、答えを知りたいのだろう…
私は、
「…保留中です…」
と、一言、言った…
「…保留中?…」
亀沢は、私の予想外の言葉に、目をパチクリして、驚いた。
次いで、
「…保留中って?…」
と、私に訊く。
「…大昭和の株主が代わって、新しい株主の了承が、取れてないそうです…ですから、ウチを買収する事実は変わってないのですが、その株主の了承が取れないのだそうです…」
私は、亀沢に説明する。
それは、同時に、同じ職場にいる全員に説明したことだった…
あちこちに、落胆とも、喜びとも、どっちともつかぬ、なんともいえない微妙な反応があった。
当たり前だ…
買収は既定路線だが、まだ最終的な結論は出ていない…
それが、答えだ…
普通に考えれば、買収にGОサインを出す可能性の方が高い…
保留中とは、実は、そういう意味だろう…
私は考える。
私の目の前の亀沢もまた、
「…そうか…どうもありがとう…」
というだけで、なんと表現していいか、わからない表情になった…
買収はないと、私が断言することに、一縷の希望をかけていたはずだ…
しかしながら、その希望は、あっさりと打ち砕かれた…
が、かといって、買収が決まったわけでもない…
とりあえずは、嬉しいが、それが、ぬか喜びに代わる可能性も高い…
誰もが、それがわかっているからこそ、職場の空気は微妙になった…
どんよりというか、なんというか…
一言で言って、いたたまれない空気…
さっき、中村君と、社用車で、二人きりで、クルマに乗っているときも、そうだったが、一刻も早く、この場から逃げ出したい雰囲気だった…
だが、当然、逃げ出すことはできない…
私は、
「…以上です…」
と、言って、亀沢にペコリと頭を下げ、急いで、自分の席に戻った。
それを見た、亀沢は、
「…ご苦労さん…」
と、だけ、私の背中に呟いた。
亀沢が言える精一杯の言葉だった(笑)…
私が自分の席に戻ると、隣の席の内山さんが、
「…やはり、買収は事実だったんですね…」
と、私に声をかけた。
私は、内山さんに、無言で、頷いた。
「…この会社も、大昭和の一部になっちゃうのか…」
内山さんが、呟く。
「…でも、それもありかな…なんて…」
「…どういう意味?…」
「…だって、この会社のような中堅の商社じゃ、遅かれ早かれ、どっかの会社に買収される可能性が高いじゃないですか? …この規模の会社が、この先単独で、生きてゆくのは厳しいですよ…」
内山さんが、あっけらかんと言う。
「…それだったら、早いうちに、どっかの会社と合併して、生き残りを模索した方がいいですよ…」
内山さんが、言う。
たしかに、内山さんの言うことは、わかる…
この金崎実業は、中堅の商社…
従業員も千人に満たない…
この規模の会社では、単独で、生き残るのは、難しい…
いや、難しいというより、無理…
ならば、早いうちに、どこかと合併した方がいい…
私は考える。
「…こういうことは、結婚と同じです…」
「…結婚と同じ? どういう意味?…」
「…結婚でもなんでも、最初に来た話の方が、条件がいいってことです…後になれば、なるほど、条件が悪くなりますよ…」
内山さんが、断言する。
私は思わず、内山さんを見た。
その子供っぽいというか、昨日まで、女子高生の制服を着ていたような、外観と、その過激というか、大人っぽい言葉のギャップに唖然とする。
「…内山さん、言うわね…」
思わず、口に出した。
「…でも、ホントは、この言葉は、高見さんの前では禁句でしたね…」
「…どういう意味?…」
…結婚でもなんでも、最初に来た話の方が、条件がいいってことです…後になれば、なるほど、条件が悪くなるって…」
たしかに、聞きようによっては、私、高見ちづるへの皮肉としか、聞こえない…
私は、
「…」
と、言葉もなかった。
なにより、すぐに、私への皮肉と考えられないのが、情けないというか、悔しいというか…
「…その様子では、高見さんへの、皮肉とは、全然思わなかったみたいですね…」
内山さんが、ホッとしたように言った。
私は、無言だった。
「…高見さんは、コンプレックスがないんですよ…」
内山さんが、意外なことを言った。
「…どういう意味?…」
「…コンプレックスがある人間は、なんでも、自分に結び付けちゃうんですよ…ほら、背が低い女はモテないというと、自分のことかとか…真逆に、背が高い女はモテないといえば、アタシのことかとか、なんでも、マイナス思考というか…」
たしかに、それはわかる…
しかし、この内山さんは、変わってるというか、中身が、そのロリっぽい外観と、真逆…
誰の目にも、いっぱしの大人だ…
「…でも、真逆に、自分に自信があり過ぎるのも、よくないですよ…」
「…」
「…自分に自信があり過ぎると、他人が皮肉を言っていることもわからない…これは、高見さんのことじゃないですよ…」
「…」
「…でも、高見さん…」
「…なに?…」
「…高見さんも、誤解してますよ…」
「…なにが、誤解しているの?…」
「…高見さんは、二十歳のときの美しさが、10だとすれば、今は、9…ひとによっては、8とかになったと思ってます…それが、わからないと…」
内山さんが、真顔で言う。
私は内山さんの言葉に考え込んだ。
おそらく勘のいい内山さんのことだ…
この高見ちづるが、いつまでも、自分のことを二十歳のときと同じように、考えていると見抜いたのだろう…
人間は年齢ではない…
学歴でもない…
少し接しただけで、今の内山さんのように、見抜ける人間と、見抜けない人間が、存在する…
そして、見抜けない人間は一生見抜けない…
これは、事実だ…
「…ありがとう、気を付けるわ…」
私は内山さんに礼を言った。
「…どういたしまして…」
内山さんが、笑う。
しかし、この内山さん、実に賢いというか…
私よりも、はるかに優れている。
あらためて、その事実に気付いた。
なにより、内山さんの凄さは嫌みがないこと…
おそらくは、性格が良いからだろう…
他人の悪口を言っても、悪口に聞こえない…
そんな稀有の才能を持っている。
そこまで、考えると、つくづく自分の才能のなさに気付かされた。
ただ、美人を取り柄に33年生きてきた…
その取り柄も今、内山さんが、指摘したように、大分色あせてきた…
しかし、自分は、その事実に気付いていない…
これまで、33年生きてきて、自分の能力のなさにあらためて、気付かされた…




