恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 45
私が水野に再会したのは、偶然だった。
金崎実業を定時で退社して、一人、帰途に着いたときだった。
小柄な私は、人込みが苦手…
大勢の人込みに紛れると、周囲が見えなくなる。
当然だ…
私、高見ちづるは、155㎝…
いかに、33歳でも、今の時代では、明らかに小柄だ…
以前も書いたが、学生時代は、電車に乗って通学したときに、痴漢にあったことが、何度かあり、そのために、電車に乗るときは、なるべく友人といっしょに乗るようにした。
一人では、痴漢に遭う確率が高くなるからだ…
私のように、小柄な女は痴漢に遭いやすいのだろう…
これが、例えば、女でも、165㎝とか、170㎝もあれば、違うのかもしれない…
痴漢は当然、男…
小柄な男ならば、大柄な女に手を掴まれでもしたら、抵抗できないからだ…
私のように、小柄な女が一人で、いれば、痴漢の格好の的…
だから、電車通学をするときは、なるべく友人といっしょに、行動し、ひとりで、行動しなければならないというときは、見知らぬ女子高生の近くにいることにした…
その方が、痴漢も手を出しにくいと考えたからだ…
私は、人込みの中に紛れながら、そんなことを考えていた。
33歳と中年に差し掛かった年齢なので、さすがに、この歳で、痴漢に遭うことはあるまいと思ったが、どうしても、若い時からの癖で、集団に紛れると、つい仲間というか、女を探してしまう…
見知らぬ女でも、女の近くにいれば、痴漢に遭いにくいと考えるからだ…
そんなときだった…
私が、周囲の人込みの中から、女を探していると、偶然、背の高い男が、目に留まった…
男でも、女でも、背が高い人間は、真っ先に人目に付く。
それが、水野だった…
水野は、身長が180㎝はあるので、どうしても目立つ…
最近は、男でも180㎝を超える人間は、少なくなくなったが、それでも、少数派…
すぐに、人目に付く。
私は、
「…水野さん…」
と、声をかけたかったが、私がいる場所からは、少し離れていた。
ゆえに、急いで、水野の近くに歩いていく。
人込みの中なので、当然のことながら、すぐに水野の近くにいくことはできない…
結果的に、人込みを掻き分ける形で、水野の近くにゆくことになり、私は、自分より大柄な周囲の人間とぶつかることになった。
「…すいません…」
私とカラダがぶつかった人間が、何人かいて、そのたびに、私は、謝った。
「…すいません…通して下さい…」
そんなことが、何度も繰り返されたので、私の声が、水野に聞こえたらしい…
「…当たり屋さん?…」
という言葉と共に、水野が、私を振り向くのが、わかった…
「…水野さん…」
私は水野に声をかける。
私は懐かしいやら、ここで、偶然会ったことが、意外過ぎるやらで、なんと、自分の感情を表現していいか、わからなかった…
ただ、嬉しかった…
ここ最近、水野と会う機会を夢見ていた…
それが、今実現できた…
しかしながら、あまりにも、以外というか、呆気なさ過ぎて、感情が追い付いてこなかった…
私が、黙って水野を見上げていると、水野は、ふいに、何事もなかったように、歩き出した。
私には、なにがなんだか、わからなかった…
…どうして、私を見たのに、無視するのか?…
私が、真っ先に考えたのは、それだった…
「…水野さん…待って…」
私は慌てて、水野の元へ向かった。
小柄な私は、周囲の人間とぶつかった。
そして、なんとか、水野に追い付いた。
「…水野さん…どうして…」
私は水野に呟く。
「…もう終わったことだから…」
水野がポツリと呟いた。
「…終わったこと?…」
「…そう…金崎実業の内情はわかったし、オレのやるべきことは終わった…」
水野が、あっさりというか、なんの躊躇いもなく、言う。
「…だから、オレの役割は終わり…もう金崎実業に顔を出すこともないよ…」
水野が、断言した。
「…じゃ、それじゃ…」
水野が歩き出す。
私は、唖然として、言葉もなかった。
水野の言うことは、わかる…
しかし、ここまで、露骨に、冷徹というか…なんの躊躇いもなく、私と会ったことすら、どうでもいいというように、振る舞う人間とは、思わなかった…
いつも、おどけた、柳沢慎吾ばりに、おちゃらけた姿と、違いすぎる。
あのおちゃらけた姿は、演技だと当然気付いていたが、それでも、目の前の冷酷な、水野との違いがありすぎる。
私は愕然とした。
「…水野…」
思わず、小さく呟いた。
ここ、数週間、毎日、水野のことを考えていた。
生まれて、初めて…
33年生きてきて、これまで、こんなに一人の男が私の脳裏に宿ったというか…一人の男のことを考えたことはなかった…
これが、恋というものであれば、間違いなく、恋だった…
それが、こんなに呆気なく…
自分でも、自分を笑ってしまう…
33年生きてきて、初めて、好きになった男に、街で、偶然、再会しても、相手の男は、私になんの関心もなかった…
この結末に、唖然というか、笑ってしまう…
怒るのではない…
笑ってしまうのだ…
ひとは、本当に悲しいときには、涙は出ないと、どこかで、読んだ。
阪神大震災のとき、家も家族も失った男性が、
「…ここまで、なんにもなくなっちゃうと、涙が出るんじゃなくて、笑ってしまうんですよ…」
と、週刊誌に載った言葉を、子供の頃に読んだ…
さすがに、その事実と、私の水野に対する想いをいっしょにするのは、忍びないが、それでも、私の中では、いっしょだった…
同じだった!
それほど、衝撃があった。
自分自身、その衝撃に驚いた。
まだ水野と会ってまもないにも、かかわらず、水野は、私の中で、ここまで大きな存在になっていたとは?
「…水野…」
思わず、口から、その名が飛び出した。
まるで、仇敵を呪うかのように、歯ぎしりして、呟いた。
その声が聞こえたのだろう…
私を無視して、歩き出した、水野の足が止まった…
「…美人の当たり屋さん…」
水野が振り向く。
私は、期待した。
一体、なにを私に言うのだろう…
一瞬後、
「…グッバイ…」
と、水野は、私に向かって、手を振った。
私は、その光景に、唖然というか、言葉がなかった…
思わず、その場で、膝から崩れ落ちると思うほどの衝撃だった…
水野は、その後、二度と、私を振り返ることなく、その場から、歩き去った…
そして、これが、33年生きてきて、初めて、男を好きになった、女の結末だった…
哀れというか?
惨めというか?
なまじ、33歳まで、自分を美人と信じ、周りからチヤホヤされて生きてきた女の末路がこれだった…
これ=失恋だった!
私はあまりの展開に、なす術もなく、その場に立ち尽くした…
数分間だが、立ち尽くした…
その数分間は、私がこれまで、33年生きてきた中で、一番長い数分間でもあった…
一分、一秒が、大げさに言えば、一時間にも、二時間にも匹敵した…
それほど、長い時間だった…
私は、その長い時間、その場に立ち尽くした、後、再び歩き出した。
家に帰るためだ…
そして、家に帰り、真っ先に風呂に入り、浴槽に沈んで、涙を流した…
これまで、水野に抱いていた想いを、涙にして、自分の中から、きっぱりと洗い流した…
永遠とも思える、時間だった…
恋をすると、女は変わるというが、私は変わらなかった…
だとすれば、これは恋じゃない!
これは、高見ちづるの恋じゃない!
私は、半ば、強引にそう思い込む…
そう思い込まなければ、生きてい行けないというか、精神の安定を保てないほどだった…
これは、恋じゃないんだ…
恋じゃないんだ…
必死になって、自分自身に言い聞かせた…
そして、涙が、とめどなく、目から溢れ出た…
お風呂で、浴槽に浸かってなければ、困るほど、いつまでも、いつまでも、両目から、大量の涙がとめどなく流れ出した…
私は、それを両手で、拭う…
かつて、33年生きてきて、一度もしたことがない仕草だった…
この歳になって、初めて、こんな仕草をした。
それが、自分でも驚くやら、呆れるやら…
いずれにしろ、高見ちづる、33歳の初恋の終わりだった…
初恋=失恋の結末だった…
バカバカしい…
自分でも、その結末を笑った。
そして、自分を冷静に見つめる、もう一人の自分が、自分の中に、存在することに気付いた…
大丈夫!
私は思った。
これなら、大丈夫…
冷静で、いられる…
私は思った。
明日から、
いや、
今日、このお風呂から出ても、冷静でいられる。
私は考える。
いや、
強引に思い込む。
私は風呂から出て、服を着ると、自分の部屋に入り、テレビをつけた。
ベッドに横になるのが、いつもの癖だが、そうすると、つい考え込んでしまう…
水野のことを考え込んでしまう…
だから、とりあえず、テレビをつけて、見ることにした…
そうすれば、頭の中から、水野を追い出すことができるからだ…
私は、バラエティーを見るのが、好きではないので、必然とニュース番組を見ることになる…
そこでは、国際情勢やら、アメリカの大統領が、どうだと、いつものニュース映像が流れていた。
当然ながら、そのニュースは、私、いや、見るもの全員に関係がないニュース…
誰もが、アメリカ大統領に会ったりする人間はいないし、経済関係のニュースが流れて、著名な会社の社長が、テレビに出ても、会ったことがある人間はほとんどいないだろう…
つまり、誰もが、自分が住む世界と別世界のニュースを見ている…
テレビとは、そういうものだ…
しいて自分が行ったことのある場所で、テレビに映るものといえば、グルメ番組ぐらいのものだ…
とりわけ有名チェーン店ならば、誰もが一度は、行ったことがある…
食べたことがある…
ところが…
これは、自分に関係があるニュースだった…
不意に、ニュースに大昭和が、流れたのだ…
私は、一瞬、大昭和の株主が変わったことで、金崎実業との合併というか、子会社化に進展があったのではと、考えた。
大昭和の名前がニュースに流れると、どうしても、発想が、そっちへ行ってしまう…
当たり前だ…
今、会社では、そのことで、大騒ぎ…
課長の亀沢を筆頭に、会社の同僚全員が、そのことで、頭を悩ましている。
しかし、
違った…
流れたニュースは、大昭和の社長交代のニュースだった。
新しい社長の顔がニュースに映された。
当然、私には、見覚えのない顔…
見たことのない人物だった…
が、
その名前を見て、驚いた。
新社長の名字は、水野…
水野だった!




