恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 42
「…米倉平造は、機を見るに敏なひとだ…」
溝口が言った。
「…自分の立ち位置、会社の立ち位置、そして、家族の立ち位置…それらを冷静に考えて、米倉奉公会の株を水野に売却したのだろう…」
溝口の声が沈んだ…
私は、
「…部長は、米倉の家を訪れたことはあるんですか?…」
と、訊いた。
これまでの溝口の話から、さも溝口があの家族に接したことのあるような口ぶりだったからだ…
「…いや、それはない…」
溝口は明確に否定した。
「…正造氏や平造氏、それに直一氏には、会ったことがある…しかし、それ以外の家族には、会ったこともないし、米倉の家に足を踏み入れたことは、一度もない…オレが今話した話は、すべて、正造氏や、平造氏、それに、会社のお偉いさんから、聞いた情報を高見さんにしただけさ…」
溝口が言った…
私は溝口の話を信じた…
まさか、この期に及んで、溝口が、私にウソをつくとは思えない…
また、その必要もないからだ…
「…部長は水野さんと面識はあるんですか?…」
私は訊いた。
本当ならば、真っ先に訊きたい話だ…
しかしながら、話の都合上、どうしても、最初に聞くわけには、いかなかった…
「…水野のお坊ちゃまか…」
溝口が笑った。
その笑いで、溝口は、水野を知っていることがわかった…
直接知っているか否かはわからない…
面識があるかどうかはわからない…
しかし、その噂と言うか、人柄は、風の噂で知っているのだろう…
「…無茶苦茶な男だよ…」
溝口が苦笑する。
「…水野のお坊ちゃまは…」
その一言で、溝口の水野に対する評価がなんとなく、わかった(笑)…
「…女で言えば、じゃじゃ馬というか、良家の子女とは思えない行動を取る…」
この言葉で、おそらく溝口は、私の勤務する、取引先の社員になりすまして、金崎実業にやって来たことを知っているのでは?と、思った。
「…米倉正造氏から、水野のお坊ちゃまのことは、聞いていたが…」
溝口の言葉から、水野と米倉正造が、知り合いだということを思い出した。
同時に、その水野が、米倉好子と婚約した週刊誌の報道を思った。
あの報道は、事実なのだろうか?
いや、
そもそも、あの報道が、事実か否かは、ともかく、目の前の溝口が、その報道の真偽を知っているか、どうか、わからない…
一体、溝口は、水野について、どの程度知っているのか?
それが、わからない…
謎だった…
いや、
謎と言えば、金崎実業に対する大昭和の買収が先…
先決だった…
私自身の水野に対する興味は、ともかく、まず、私に、金崎実業に対する大昭和の買収が真実か否か、溝口から、聞いて欲しい…
それが、私が勤務する職場の同僚の総意だったからだ…
「…部長…話は変わりますが、テレビや新聞で報じられている、大昭和による金崎実業の買収は…」
私が言い終わらないうちに、
「…事実ですよ…」
と、私の傍らに座る中村君が口を挟んだ…
私は呆気に取られて、思わず、中村君を振り返った…
同時に中村君が、溝口の甥であることを、あらためて、思い出した…
再認識した…
溝口の甥の中村君ならば、すでに、大昭和による、金崎実業による買収を知っていても、おかしくはない…
いや、
おかしくないどころじゃない!…
最初から、溝口のみならず、中村君もまた大昭和による金崎実業の買収を知っていていたのではないか?
いや、
そもそも、知っていたどころじゃない!
そのために、溝口は、甥の中村君を、金崎実業に入社させたのではないか?
そんな疑惑が脳裏に浮かんだ…
いや、
浮かんだのではない!
事実を知ったのだ!
「…部長…中村君を金崎実業に入社させたのは、大昭和による、金崎実業の買収を知っていて…」
「…ああ、そうだ…」
溝口が、苦笑いを浮かべながら、告白する。
「…金崎実業の職場の実態が、どういうものか、知りたいと、お偉いさんから、言われてね…オレも、ときどき、高見さんのいる職場に顔を出したことは、あるが、普段の様子はわからない…それで、コイツに、金崎実業に入社してもらったわけだ…ちょうど、大学を卒業して、就職する時期だったし…金崎実業を買収すれば、いずれ、大昭和に移ることも、上は了承してくれた…」
溝口が告白する。
「…ただ、それが、高見さんと同じ、職場とは思わなかった…」
私は溝口の言葉に、苦笑する以外なかった…
「…それで、買収のGОサインを出した…」
溝口が頷く。
…そうか?…
…最初から、大昭和による金崎実業の買収は織り込み済みだったわけか?…
私はあらためて、思った…
たしかに、冷静に考えれば、会社の買収を、急に決めることはありえない…
一年、
あるいは、
二年、
さらには、
それ以上前から、密かに動いていても、おかしくはない…
中村君が、金崎実業に入社した時点で、八割方、買収は決まっていたと見るべき…
おそらくは、会社の業績とか、数字上は、問題はないが、実際の会社の雰囲気とかは、わからない…
そのために、中村君が、実際に入社して、金崎実業の職場の雰囲気とか、不正はないのか、とか、じかに職場に接して、確かめたかった…
そういうことだろう…
その結果、GОサインを出した…
そういうことだろう…
が、それも、おそらく、米倉平造が、水野に米倉奉公会の株を売ったことで、頓挫した…
私は思った。
それゆえ、今、溝口は落ち込んでいるわけだ…
これまでの努力が、水泡に帰したということだ…
溝口の落胆ぶりがわかる(笑)…
「…二年…二年だよ…高見さん…」
溝口が、呟く。
「…部長、なにが二年なんですか?…」
「…金崎実業を買収するまでに、要した時間だ…」
「…」
「…いや、厳密には、もっと先だな…なにかの会議で、うちにも、金崎実業のような商品を扱う部門があればいいと、誰かが冗談半分で言った言葉が、偶然、上層部で、話題になり、社長が、動いた…そして、そのプロジェクト・チームというか、買収の責任者に抜擢されたのが、オレさ…」
「…部長が?…」
驚きの、溝口の発言だった…
「…そうだ…オレは、この通り、以前から、金崎実業と接点がある…だから、オレは、チームを組んで、金崎実業の業績、将来性、その他諸々を調べて、上に報告した…そして、それら、すべては、数字の上の調査に過ぎない…実際に、職場の雰囲気とか、肌で実感できる調査がしたいと、上から言われてな…それで、この中村を金崎実業に入社させたんだ…金崎実業の人事に頼んでな…」
…なるほど…
…よく、わかった…
当たり前だが、行き当たりばったりで、会社の買収を決める、人間はいない…
あらかじめ、下見というか、入念な調査をするのが、当たり前…
とすると、どうだ?
私は、突然、水野のことを思った…
水野の狙いは、一体なんだ?
一体なにを目的に、金崎実業に、取引先の社員を装って、やって来た…
いや、
侵入した…
当然、目的があるはずだ…
目的もなく、水野のお坊ちゃまが、自分の系列の会社の社員を装って、金崎実業にやって来るはずがない…
その目的はなんだ?
まさか、私に会うためではあるまい…
米倉好子とよく似た、私、高見ちづるに会うために、わざわざ、水野系列の会社の社員を装ってやって来たとは、考えにくい…
思えない…
もしや、
もしや、水野の狙いは、ずばり、大昭和なのでは?
私は気付いた。
水野は、米倉平造から、大昭和の株を持つ、米倉奉公会の株を買った…
つまり、水野は、米倉に代わって、大昭和の大株主になったわけだ…
その大昭和は、密かに、私の勤務する中堅の商社、金崎実業を買収に動いている…
当然、その情報は、米倉平造にも、届いているはずだ…
大株主である、米倉に報告することなく、勝手に、金崎実業を買収するわけがない…
買収するには、あらかじめ、米倉平造にも了承を取り付けるはずだ…
そして、米倉平造は、また、米倉奉公会の株を水野に売却する際に、当然、その情報を水野に伝えてる可能性が高い…
ゆえに、水野は、大昭和が買収する予定の金崎実業が、どんな会社なのか、下見に来た…
そう考えると、合点がいく…
そう考えると、これまでの水野の行動が、読めてくる…
納得がいく…
…計算高い男だ!…
あらためて、水野のことを思った…
と、同時にますます水野に興味を持った…
惹かれた!
お坊ちゃまでありながら、ここまでの行動力は、誰にもできるものではない…
私は、再び、水野に惹かれた…
「…どうした? …なにを考えてる?…」
溝口の言葉で、私は我に返った…
「…いえ…別に…」
「…そう言えば、水野のお坊ちゃまは、高見さんのいる職場に顔を出したそうだな…」
私は、溝口の言葉に驚いた。
と、同時に、その情報源がわかった…
私は、思わず、中村君を振り返った…
「…中村君?…」
中村君は、黙って、頷いた。
「…コイツが、近頃、職場に、面白い男が、取引先の社員で、やって来たと言うんだ…金崎実業の買収に、上層部がGОサインを出した直後だったし、どんな男か気になった…だから、コイツに密かに、その男の写真を撮らせて、見せてもらったんだ…そしたら…」
「…水野のお坊ちゃまだった…」
私が、溝口の言葉を引き継いで、先に言った…
溝口が疲れた表情で、頷いた。
溝口が、さっき口にした、
「…無茶苦茶な男だよ…水野のお坊ちゃまは…」
とか、
「…女で言えば、じゃじゃ馬というか、良家の子女とは思えない行動を取る…」
と言った言葉は、やはり、水野が金崎実業に侵入したことを指して言っている…
私はあらためて、思った。
「…水野のお坊ちゃまは、おそらく、米倉平造から、米倉奉公会の株を買った時点で、大昭和が、金崎実業の買収に動いていることを掴んだ…いや、米倉平造氏から、直接聞いたのだろう…そして、自分の会社…水野財閥の系列の会社に、金崎実業と取引がある会社があることを調べ、その子会社の社員を装って、接触したわけだ…水野が、大株主となる、大昭和が、買収に動いている金崎実業とは、どんな会社なのか、実際に見てみたかったのだろう…水野のお坊ちゃまが、この後、大昭和の株主とか、しかるべき地位にある人間として、金崎実業を訪れる機会は、いくらでもあるだろう…だが、それでは、金崎実業の素の姿というか、普段、どんな人間が働いているのか、わからない…それを知るために、金崎実業の取引先の業者として、金崎実業に接触した…ある意味、コイツが、金崎実業に入社したのと、同じだ…」
溝口が、私の傍らに座る中村君を指差して、言った…
私は、溝口の言葉に納得する。
同時に、やはり、溝口もまた、私同様、水野が、大昭和が、買収しようとする会社=金崎実業が、どんな会社か、下見するために、水野が取引先の業者を装って、金崎実業に接触したと考えたと思った…
誰もが、考えることは同じだ…
そして、それを実行した水野に驚く…
その行動力に驚くのだ…
溝口が水野を評して言った、
「…無茶苦茶な男だよ…水野のお坊ちゃまは…」
とか、
「…女で言えば、じゃじゃ馬というか、良家の子女とは思えない行動を取る…」
という言葉は、ある意味呆れていることもあるが、同時に驚異もある。
水野ほどの地位にあるものが、そんな行動を取ることは、普通ありえない…
それは、まるで、皇族かなにかが、身分を隠して、庶民のフリをして、下町を歩くようなもの…
その地位を考えれば、ありえない行動だ…
その行動に呆れるが、同時に、なにをしでかすかわからない恐怖がある…
人は誰でも、その人間を知れば、なにをするのか、想像がつく。
しかしながら、なにをやりだすか、わからない人間ほど、恐ろしいものはない…
こちらが、想像もしないことを、やらかす危険がある…
こちらが、想像もしないことをやらかすわけだから、当然、対処のしようがない…
ある意味、これほど、恐ろしい人間はいない…
そして、そんな人間が、溝口の勤務する大昭和の大株主として、大昭和に君臨する…
それまでの、米倉に代わって君臨するわけだ…
かつて、米倉は、自分の意に沿わない大昭和の社長をクビにした実績がある…
つまり、水野は、その米倉の力を引き継いだわけだ…
当然、水野は、大昭和に対して、人事を行える力を持つことになる…
なにを考えてるか、わからない、あの水野が、大昭和の人事に口を出す力を持つわけだ…
それを知った溝口が、悩むのは、わかる(笑)…
溝口は、常識人…
予想外の事態に、対処できるほど、器用な人間ではない…
あくまで、会社の用意したレールの上を、歩いてゆくタイプの人間…
上から与えられたミッションを着実にこなして、一歩一歩、階段を上ってゆく人間だ…
そんな堅実な生き方を実践する男に、とてもじゃないが、水野の相手はできまい…
水野は変幻自在…なにをしでかすか、わからない…
下手をすれば、そんな男を相手にして、堅実な溝口の人生が狂いかねない…
なにしろ、水野は、大昭和の大株主なのだ…
下手に水野に睨まれでもしたら、大昭和をクビになることはなくても、容易に出世コースから、はずれる危険はある…
それが、わかっているからこそ、余計に溝口は落ち込んでいるのだ…
私は、ようやく、その事実に気付いた…
「…部長も色々大変ですね…」
思わず、溝口を励ます言葉が、私の口から出た…
溝口は、私の励ましの言葉に、やはり、
「…うん…」
でも、
「…ああ…」
でも言うわけでもなく、ただ黙って苦笑いを浮かべた…
つまり、それほど、大変なわけだ(笑)…
私はあらためて、溝口の苦境というか、置かれた位置を、再確認した…
「…これで、振り出しに戻ったわけだ…」
溝口が呟く。
「…振り出し? …なんの振り出しですか?…」
「…振り出しは、振り出しさ…」
溝口の言葉は続いた。




