恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 41
溝口…
私は中村君から、
「…叔父さんが、高見さんに会いたいそうです…」
という言葉を聞いてから、いてもたってもいられなくなった…
33歳で、これまで、落ち着いたイメージのある、私、高見ちづるのイメージからは、想像もできなかったが、中身はまったくの子供…
成長もなにもあったものではない…
五歳のときから、まったく変わってないといってもいい…
しかしながら、外面はいつも通り…
冷静沈着で、落ち着いたイメージのある高見ちづるだった…
それゆえ、誰も私が焦っているとは、思っていない…
仮に、私が今物凄く焦っていると口にしても、誰も信じない…
イメージとはそういうものだ(笑)…
私は課長の亀沢の元へ、行く。
「…課長…」
「…なに? …高見さん?…」
「…溝口部長が…」
私が言い終わらないうちに、亀沢が、
「…そうか…ぜひ行ってくれ…」
と、言った。
「…ちょうど、この金崎実業が、大昭和に合併される話が、世間に出ている…それが本当かどうか、確かめてくれ…」
亀沢がすがるような視線を、私に投げた。
同時に、オフィス中の視線が、私に集まるのを感じた。
誰もが、金崎実業の行く末が気になっている…
仮に、大昭和に金崎実業が吸収合併されるとすれば、このオフィス自体、どうなるかはわからない…
たかだか二十数名の賃貸オフィス…
貸しビルのテナントのひとつに過ぎない…
ゆえに、最悪、閉鎖の可能性もゼロではない…
誰もが、皆、金崎実業、いや、自分の行く末に必死だった…
私は、水野、そして、米倉のことで、頭がいっぱいだったので、自分の勤務する会社が、大昭和に吸収合併される話自体を忘れていた…
頭の中から、きれいさっぱり消え去っていた(笑)…
だが、考えてみれば、この方が、私にとって、問題…
切実な問題だった…
水野も米倉も、関係ない…
本当のことをいえば、私に関係がなかった…
なぜなら、私が水野や米倉と結婚できるわけではないからだ…
ちょうど、例えていえば、私が偶然、ジャニタレと知り合いになった…
しかし、当然、そのジャニタレと私が結婚できるわけではない…
そういうことだ…
なんの関係もない…
ただの顔見知り…
知り合いに過ぎない…
少しすれば、道端で偶然顔を合わせたとしても、挨拶すらしなくなるだろう…
それほど、薄い関係だ…
あらためて、私は、自分と水野、そして、米倉との希薄な関係に気付いた…
そこまで、考えたとき、
「…高見さん…頼む…」
と、亀沢が祈るような表情で、私に言った。
同時に、私の背中に、すがるような視線が、オフィス中から、集中していることに、気付いた…
誰もが、今、この会社の行く末が気になっている…
いや、
気になって、気になって、仕方がない…
当然だ…
数か月後には、全員解雇…
オフィスが閉鎖されても、おかしくはない…
イマドキ、そんな話は世の中、ありふれている…
私は、
「…わかりました…これから、溝口部長の元へ行ってきます…」
と、言って、亀沢に頭を下げた。
同時に、オフィス中の人間から拍手が起きたわけではないが、明らかに、私に期待する視線が集中した…
私は内心、バカバカしいと思った…
一介のオフィスの中堅の女子社員に過ぎない私に、一体なにを期待するというのか?
私にできることといえば、せいぜい、これから溝口と会って、金崎実業の買収が、事実か否か、溝口の口から聞くぐらいだ…
仮に、それが真実であれ、今さらどうこうすることはできない…
溝口とて、大昭和の一介の部長にしか過ぎない…
まして、仮に、この金崎実業の今いるオフィスの閉鎖があるとしても、それを溝口の力で、どうこうすることはできない…
それが、わかっていながら、オフィス中の人間が、私に期待した…
要するに、つまるところ、私にできることといえば、大昭和による、金崎実業の買収が真実か否か?
同時に、このオフィスは今まで通り存続できるのか?
それを知るだけだ…
そして、それはおそらく九分九厘、大昭和による、金崎実業の買収が真実だと、誰もがわかっている…
そして、このオフィスの閉鎖があるかどうかは、現時点では、わからないに違いない…
それがわかっていながらも、あえて、それが事実か否か、大昭和の部長である溝口から聞きたいのだろう…
知ったところで、どうにもなるわけでもあるまい…
しかし、知りたい…
それが、このオフィス中の人間の心の内だった…
もっとも、その心中はわかる…
人間は、誰も同じだからだ…
こんな状況になったとき、誰もが、同じ気持ちになる…
それは、痛いほどわかった…
本音をいえば、私とて、同じだからだ…
「……中村君、行きましょう…」
私は中村君に声をかけ、社用車に乗って、溝口のいる大昭和に向かった。
溝口の勤務する大昭和の会社に入った。
「…高見です…溝口部長…ご無沙汰しています…」
私は応接室で、溝口に会った…
久しぶりに会った、溝口は、やや疲れた表情だった…
私を見るなり、
「…ご苦労さん…」
と、呟いた。
私は最初、それが、私、高見ちづるに向かって言った言葉だと思ったが、すぐに、それは、同行した溝口の甥の中村君に対して、言ったことだと思った…
溝口は疲れていた…
いつもは、気遣いを忘れない男だった…
なにを考えているか、周囲の者に悟らせず、それでいて、気配りというか、気遣いを忘れない男だった。
しかしながら、今は、その気遣いすらできない…
なにを言いたいかといえば、普段ならば、甥である、身内の中村君ではなく、真っ先に、他人である、私、高見ちづるに、
「…ご苦労さん…」
とか、
「…呼び出して、すまない…」
とか言って、真っ先に頭を下げる。
それは、当然、本心からのものではなく、形だけのものであるが、それでも、気配りを忘れない…
誰でも、この場合、身内よりも、他人を優先するものだからだ…
それが、今の溝口には、できなかった…
つまり、それほど、疲れているということだろう…
心なしか、プロレスラーのように、大柄な溝口のカラダが、いつもよりも、小さく見えた。
「…部長…なんだか、お疲れのようですね…」
私は口にする。
溝口は、私の言葉に、
「…うん…」
でも、
「…ああ…」
でも言うわけでもなく、ただ黙って苦笑いを浮かべた。
「…米倉奉公会の株は、水野の手にあるんですね…」
私の言葉に、溝口は、苦笑いを浮かべながら、黙って、頷いた。
「…こんなことになるんだったら、高見さんに、もっと早く内情を話せば、よかった…」
「…内情ですか?…」
思わぬ溝口の言葉だった…
「…そう…内情だ…オレが、なぜ、高見さんを米倉正造に紹介したのか、わかるか?…」
「…いえ…」
「…オレは上から、米倉家を監視するように、言われていた…上の方で、米倉に関して、なにか動きがあるという情報がもたらせていたらしい…それは、米倉が持つ、大日産業の社長が交代することだとオレは思っていたし、上層部もそう理解していた…つまり、米倉正造が、社長になるのか、娘婿の直一氏が社長になるのか、どっちがなるのか、高見さんが、米倉の家に出入りすることで、平造氏が、どっちを社長にするのか、わかるんじゃないかと考えた…」
「…正造さんか、直一さんのどっちが社長になるか、それがどうして、溝口部長にとって、大切なんですか?…」
「…米倉奉公会だよ…」
「…米倉奉公会?…」
「…当社の大株主である、米倉奉公会…その米倉奉公会の株を持つのが、米倉だ…つまり、正造氏が社長になるのか、直一氏が社長になるのかで、当社に対するスタンスが異なることになる…」
「…スタンスですか?…」
「…ありていに言えば、今の社長に協力的なのか、別の取締役に協力的なのか? …米倉奉公会の株を持つ、米倉の意向を、無視することができない…正造氏が、当社に相談を持ち掛けたのも同じ理由だ…」
「…正造さんが、相談…ですか?…」
「…正造氏もバカではない…自分が社長になれるのか、あるいは、直一氏が社長になるのか、第三者の目を通じて知りたかった…と同時に、平造氏の動きに不審というか、おかしなことを感じたらしい…」
「…おかしなことですか?…」
「…そうだ…ただ、それがなんであるか、正造氏にはわからなかった…だから、平造氏が溺愛する、好子さんによく似た、高見さんを、平造氏に紹介した…平造氏が溺愛する好子さんに似たルックスの高見さんならば、平造氏も気に入るし、心を許すと考えた…」
溝口が、かつて、私が初めて米倉の家を訪れたとき、好子さんを見て、私が思ったここと同じことを口にした…
「…だが、実際は、正造氏の予想を超えていた…まさか平造氏が、米倉奉公会の株を水野に売るとは思わなかった…」
「…」
「…事態は、我々の想像を遥かに超えていた…」
溝口が絞り出すように言う。
「…部長、ひとつお聞きしていいですか?…」
「…なんだ?…」
「…正造さんは、自分が社長になれると思っていたんですか?…」
「…それはわからない…」
「…わからない? …どうして、わからないんですか?…」
「…平造氏は正造氏を嫌っているし、それは当然、正造氏も気づいている…だから、正造氏は好子さんを溺愛した…」
「…だから、好子さんを溺愛…ですか?…」
「…そうだ…父親に気に入られるために、腹違いの妹の好子さんを溺愛した…正造氏の好みは、派手な女というじゃないか? 高見さんによく似た、好子さんは、小柄で、清楚な印象…正造氏の好きな女のタイプと真逆だ…」
かつて、好子の弟の新造が、私に言ったことと、同じことを、今、溝口が口にした…
曰く、
「…アイツは親父に気に入られるために、好子を可愛がってる…」
と。
それが、正造が好子を溺愛する理由だったからだ…
そして、それは、好子もまた見抜いていたはずだ…
しかし、それにもかかわらず、好子は正造を好きだった…
それは、ちょうど、女好きの男に女が惹かれるようなもの…
…あんな男は、ロクなものじゃないから、近寄っちゃダメ!…
と、仲の良い女友達に言われ、自分もまた警戒する…
だが、惹かれる…
これは、女好きだから、近寄っちゃダメ!
と、意識することで、すでに、相手の術中に落ちている(笑)…
意識した時点で、負け!(笑)…
本当は、好きでも嫌いでもなく、
…ああ、そうなんだ…
と、軽く言うぐらいが正しい対応…
そもそも、意識するということは、相手に関心があるということ…
関心があるというのが、問題だ(笑)…
だが、
しかし、
腹違いとはいえ、正造と好子は兄妹…
他人ではない…
だから、男女の関係であるはずがない…
それが、どうして?
私は考える。
「…好子さんと正造さんは、血の繋がった兄妹ですよね…」
私の質問に、溝口は、なにを今さらという表情をした。
「…高見さん…なにを言いたいんだ?…」
「…いえ、あの二人を見ると、まるで、血の繋がってない兄妹のようにも、見えるんですよ…」
「…どういう意味?…」
「…だって、自分の父親に気に入られるために、父親が、溺愛する妹を、可愛がったなんて、まるで、他人じゃないですか? …ほら、将を射んと欲すれば、まずは馬を射よという言葉のように、自分が好きな女がいれば、まずは、その父親に気に入られようとする…これが、普通です…正造氏の場合は、父親に気に入られるために、腹違いの妹を溺愛するわけですから、狙った人物は逆ですけど、それにしても、それを腹違いとはいえ、血の繋がった妹にするなんて…」
私の言葉に、溝口が考え込んだ。
「…おそらく…」
溝口が、少し考えてから、話し出した。
「…おそらくは、正造氏が、子供の頃、家を出たのが、原因だろう…」
「…家を出たのが、原因? …どういう意味ですか?…」
「…平造氏が、浮気して、それがきっかけで、激怒した母親に連れられて、子供の頃の正造氏と澄子さんは、家を出た…そして、一年だか、二年だかして、家に戻った…母親は離婚したから、子供の正造氏と澄子さんだけ、家に戻ったわけだ…そしたら、すでに、家には、好子さんと新造さんがいた…つまり、すでに平造氏は、正造氏と澄子さんの母親が知らない間に、別の女、つまり今の奥さんとの間に、子供を作っていたわけだ…」
「…」
「…だから、おそらく、正造氏にとって、好子さんと新造さんは、妹弟といっても、なにか、感覚というか…そこのところが、普通の兄妹と違うんじゃないかな…」
溝口が、考えながら、説明する。
私は溝口の説明に、そういうものかと思った…
溝口の説明が納得いかなかったわけではない…
ただ、そういうものかと思ったに過ぎない…
兄弟のいない私に、兄弟のことを説明されても、わからない…
ただ、推測するだけだ…
溝口の言うように、子供時代の正造にとって、母親に連れられて、家を出て、一、二年たって、戻って見たら、自分の妹や弟がいたというのは、ありえないショックだろう…
それは、わかる…
正造と好子は、十歳は離れている…
ということは、正造は中学生ぐらいのときに、澄子と家を出たに違いない…
そして、戻ってみたら、これまで、見たことのない妹、弟がいた…
正造や澄子にとって、驚き以外の何物でもない…
しかし、それで、澄子は、好子をいじめる理由がわかった…
突然、現れた好子と新造が、気に入らないのだ…
澄子と正造にとっては、当然だろう…
しかし、澄子と正造の好子と新造に対する態度は違った…
澄子は、好子をいじめ、正造は、父親に気に入られるために、好子を大切にした…
真逆の対応をしたということだ…
もっとも、これは、ある意味当たり前なのかもしれない…
女の澄子は、普通に考えれば、平造の後継者たりえない…
どうしても、後継者は男になる…
だから、正造は父親に気に入られるために、父親が溺愛する、好子を可愛がった…
その方が、次期社長になるためには、有利だからだ…
片や、澄子は、その必要がない…
ゆえに、好子をいじめたわけだ…
私は思った。
「…あの姉弟は、ある意味、コンプレックスの塊だ…」
溝口が、意外な言葉を口にする。
「…あの姉弟って、誰のことを指してるんですか?…」
「…誰って、正造氏と澄子さんに決まってるじゃないか?…」
なにを今さらというように、溝口が言う。
「…コンプレックスって、一体なんのコンプレックスですか? 少なくとも、正造氏は、イケメンですし、澄子さんも、美人とまではいえませんが、悪くはありません…」
「…父親に愛されないコンプレックスさ…」
溝口がさらっと言った。
「…父親に愛されない?…」
「…さっきも言ったように、澄子さんと、正造氏は、母親に連れられて、家を出た…そして、一年だか二年後に、家に戻った…そしたら、すでに、家には、平造氏の新しい家族…つまり、好子さんと新造さん、そして、その二人の母親がいた…だから、どうしても、平造氏は、正造氏と澄子さんには、愛情が湧かないというか、新しい家族が、生活の中心になる…あの大きなお屋敷だから、いっしょに住んでいるが、正造氏と澄子さんは、厄介者というか…」
溝口の言う話はわかった…
要するに、平造にとって、正造と澄子の二人は当初から、厄介者だったのだ…
それが、わかっているからこそ、正造は、父親に気に入られるために、父の溺愛する好子を可愛がり、真逆に澄子は、好子をいじめた…
そういうことだろう…
「…正造氏にとって、大日産業の社長になることは、父親の平造氏に認められることでもあったんだ…」
溝口が話を続ける。
「…社長になることで、正造氏は、長年のコンプレックスから解放される瞬間でもあったわけだ…」
…そうか?…
…そんなことが?…
私は今まで、米倉正造と会って、なにか、違和感というか、うまく言葉にはできないが、あんな豪邸に住む人間にしては、おかしなことを感じた…
それは、溝口の言葉から察するに、正真正銘のお坊ちゃまではないということに尽きるのではないか…
本人が、それを自覚していて、それが、なんとなく言動に現れている…
そういうことではないか…
私は、そう思った。
溝口の話は続いた…




