恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 29
「…では、行きましょう…」
ハンドルを握った米倉が言った。
米倉の顔は、まだ青白かった…
先ほどまでの蒼白といっていい顔色からは、だいぶ赤みを増したが、まだまだ青白かった…
…そんなに母親のことが…
私は、考える。
米倉と米倉の姉の澄子を産んだ母親は、父の平造が、好子と新造の母親と再婚したことで、家を出た…
米倉は、以前、そう私に説明した。
そして、それは、普通に考えれば、米倉の父の平造が不倫をして、好子と新造の母親に夢中になり、米倉と姉の澄子の母親をあの豪邸から追い出したと考えるのが、妥当…
だが、本当は、違うのかもしれない…
そして、その真相を、米倉は知っている可能性がある…
謎がある…
つくづく謎がある…
私は考える。
また先ほどの記者の言った、
…米倉一族の内紛…
その中心に、この米倉正造がいると、言った言葉は本当なのだろうか?
いや、これこそが、謎の本家本元…
一番の謎かもしれない…
私が考え込んでいると、
「…高見さん…一体なにを考えているんですか?…」
と、ハンドルを握る米倉が訊いた。
私は、
「…」
と、絶句する。
一瞬、どう答えていいか、わからなかった…
まさか、米倉の母親のことを考えていたとは言えまい…
私が答えに窮していると、
「…さっきの週刊誌の記者のことでしょ?…」
と、米倉が続ける。
私は内心、ホッとした…
米倉が、私の考えていることと、違うことを言ってくれたことに、内心感謝した。
が、
「…ハイ…」
と、私が米倉の問いに答えるのも、わざとらしい。
却って、私の心を疑われるかもしれない…
ゆえに、
「…」
と、答えなかった。
米倉は、そんな私の心の内を知ってか、知らずか、
「…大丈夫ですよ…」
と、わざと軽く言った。
「…高見さんは、ボクと写真に撮られることを、恐れていたんでしょ?…」
米倉が、全然、見当違いのことを言った。
「…たしかに、写真を撮ったかもしれませんが、ボクは有名人でもなんでもありません…だから、仮に、ボクと高見さんが、いっしょにいるところを撮られていたとしても、心配することはありませんよ…」
と、米倉が言う。
私は米倉の言葉に驚いた。
まさか、そんなことを言われるとは、思わなかった…
考えてもみない言葉だった…
私は、なにか、言おうとしたが、なにも言わないことこそ、良策だと思った。
私が、なにか言うよりも、なにも言わないで、米倉が勝手に自分の思ったことを言ってくれた方が、都合がいい…
「…あの記者は、好子と水野の不倫を、米倉一族の内紛なんて、面白おかしく、記事にしたいだけでしょ?…」
「…それは、どういう意味ですか?…」
「…ほら、よく芸人が話を膨らませるというじゃないですか? …ただ事実を淡々と書いてもつまらない…だから、面白おかしくするために、わざと話を大げさに脚色する…」
「…脚色する?…」
「…そう、脚色する…そうでもしないと、誰も週刊誌を読んでくれませんよ…」
米倉が苦笑する。
私も米倉の意見に賛成だった…
一理あると思った…
しかし、さっきの米倉と記者のやり取りは、それに含まれない…
明らかに、あれは、記者に分があった…
私は考える。
「…でも、まあ…あの週刊誌の記者に言ったように、好子はまだ未婚…結婚していない…だから、好子の兄としては、あの記事は勘弁してもらいたい…好子の今後に影響する…」
「…好子さんの今後?…」
「…水野が悪いわけじゃないが、水野は結婚している…まさか水野が今の奥さんと別れて、好子と結婚するとは、思えない…」
「…」
私は、米倉の説明に言葉もなかった…
おそらく、米倉の言うことが真実だろう…
昨今は、離婚が多いが、これが、米倉のようなお金持ちだと、話が変わる。
要するに、結婚は、当人同士の問題ではなくなるからだ…
結婚は、本来、男と女、当人同士の意思で、結婚するものと思いがちだが、あにはからんや…
結婚は、当人同士の問題ではなく、家同士の問題となる。
著名な政治家の血縁関係を見れば、一目瞭然だが、有力な政治家は、誰もが、有力な政治家と血縁関係にある。
要するに、息子や娘が結婚し、その息子が、父の後を継いで、政治家になり、そのまた息子=孫がまた、別の有力な政治家の息子や娘と結婚する…
すると、政治家が、二代、三代と続く間に、血縁関係の輪が広がってゆく…
そこに、恋愛感情は存在しない…
あくまで、計算…
利害関係の調整でしかない…
ゆえに、これは、米倉のようなお金持ちも同様…
好きだ、嫌いだということは、抜きにして、結婚する…
それゆえ、互いが離婚したくても、そう簡単に離婚できるわけではない…
米倉は、水野のことをそう言いたいのだろう…
また好子にとっては、やはり、今回、週刊誌で、不倫報道があったのは、マイナス…
痛手になる…
いずれ好子も結婚するだろう…
そのときに、今回の不倫報道は、好子の結婚相手を探すうえで、大きなマイナスになる…
それを米倉は言いたいのだろう…
私は思った…
「…でも、好子さんのほどの美人なら…」
私は、言った。
「…たしかに、好子は美人です…これは有利です…でも、不倫報道は痛い…誰もが、過去にそんなことをあった人間と、好子を見る。すると、全員とは言わないまでも、好子を警戒する人間が一定数できる…少なくとも、今後、好子の結婚相手を探すうえで、プラスにはならないでしょう…むしろ、大きなマイナスになる…」
米倉は言った。
私はその通りなので、言葉もなかった…
「…今日、高見さんに会いたかったのは、好子を励ましてもらうためです…同じタイプの美人の高見さんが、好子を励ましてくれれば、好子もまた、高見さんに心を開くかもしれない…」
私は米倉の言葉に、逆ではないかと思った。
自分と同じタイプの美人の私では、かえって反感を抱くのではと危惧した。
要するに、私と同じ美人である好子にとって、今回の不倫報道はマイナス…
致命的ともいえる、大きなマイナスだ…
大げさに言えば、自分の顔に傷をつけられたのと、同じ…
好子の美しい顔に、傷をつけられたのと、同じだからだ…
そして、おそらく好子は、私をライバル視している…
なぜなら、好子にとって、腹違いの兄の米倉は、理想の夫=恋人?
そして、私は米倉の交際相手…
ゆえに、ライバル…
米倉を巡ってのライバルということになる…
今回の水野との不倫が発覚したことで、そのライバル=私に負けたことになる…
私は、そう考えた。
そう、考えると、急に気まずい気持ちになった…
これから、会う、好子との面会が、心に、どんよりと、重くのしかかった。
私の気持ちが、わかったのだろう…
「…大丈夫ですよ…」
と、軽い調子で、ハンドルを握る米倉が言った。
「…好子はああ見えて、高見さんを認めているんです…」
「…私を認めている?…」
思いがけない米倉の言葉だった。
「…どうして、私を認めているんですか?…」
思わず、米倉に聞き返さざるを得なかった…
「…高見さんが、恋愛経験がゼロだと、最初会ったときに、ウチの家族の前で、告白したでしょ? アレで、内心、好子も高見さんに、好感を持ったと思います…」
私はあのときのことを思い出した。
あのとき、私が、
「…過去に、好きになった男性がいない…」
と、告白すると、たしか、今の米倉の言葉とは、逆に、
「…そんなことない…」
と、怒って、好子は部屋を出て行った…
それを思い出したのだ…
「…でも、あのとき、私が過去に好きになった男の人はいないと言うと、好子さんは、そんなことないって、怒って、部屋から出て行ったと、記憶してますけど…」
「…それは、おそらく好子が、高見さんと同じだからです…」
「…私と同じ? …それは、どういう…」
「…好子も高見さん同様、恋愛経験が、おそらくゼロ…」
「…恋愛経験がゼロ? 好子さんが? どうして? あんなにキレイなのに…」
「…だからですよ…」
「…それは、どういう?…」
「…キレイで、お金持ちのお嬢様…好子を狙っている男たちは、生まれてこのかた、数え切れないほど、大勢いたでしょう…でも、だからこそ、慎重になる…」
「…慎重になる?…」
「…高見さんも、好子と同じように、美人だから、わかるでしょうけど…大勢の男が自分に、求婚したら、どれを選んでいいか、わからなくなる…むしろ、平凡なルックスを持って、平凡な家庭に生まれた方が、選択肢が少なくて済む…その方が、自分を好きだと言ってくれる男が少ないから…」
たしかに、米倉の言葉はわかる…
好子さんは、私と同じタイプの美人だが、同時に、お金持ちのお嬢様…
好子に憧れた男の数は、平凡な家庭に生まれた、私、高見ちづるの比ではあるまい…
美人で、お金持ち…
そんな女と結婚出来れば、高根の花を手に入れるだけでなく、自分もまたお金持ちになれるのだ…
そして、そのことを、好子自身も痛いほど、わかっている…
ゆえに、慎重になる…
恋愛に、慎重=臆病になる…
私が、恋愛経験がゼロだと言ったとき、好子さんが、
「…そんなことない…」
と、叫んで、部屋から出て行ったのは、自分と同じ人間が、本当にこの世にいるのだろうかと、思ったのではないか?
それゆえ、半ば反射的に、部屋を飛び出してしまったのではないか?
今、思えば、そういう解釈も成り立つ。
いや、
そうに違いない…
私は考える。
ということは?
とうことは、それを見越して、米倉は、私に好子と会ってもらいたいと、思ったに違いない…
自分と同じ境遇の人間同士ならば、心を開くに違いないと思ったのだ…
やはり、米倉は策士…
ずるがしこい…
私はあらためて、米倉の狡猾さに舌を巻いた…
私は、米倉と共に、米倉の豪邸に着くや、真っ先に、私と米倉は、好子さんの部屋に向かった。
米倉が、好子の部屋の扉をトントンと、拳で叩く。
「…好子…ボクだ…正造だ…部屋に入れてくれないか?…」
米倉が言う。
「…お兄さん…なんの用?…」
部屋の中から、声が聞こえた。
「…用というほどじゃないが…オマエが心配で…」
「…私が心配? …心配されるようなことは、なにもしていないわ…」
「…だけど…オマエはアレ以来毎日部屋に閉じこもって…」
「…そんなに心配なら、部屋に入ればいいわ…鍵はかけてないから…」
好子の言葉に、私と米倉は、思わず、互いの顔を見合わせた。
「…わかった…部屋に入るぞ…」
米倉は言って、好子の部屋の扉を開けた。
同時に、驚いた。
思いがけず、好子は、扉のすぐ向こう側に立っていたからだ…
ちょうど、扉一枚を隔てて、私たちと向かい合っていたわけだ…
好子は私の顔を見て、驚いた。
それが、すぐさま、表情に現れた。
それは、そうだろう…
扉の向こう側からは、私と米倉の姿は見えない…
しかも、これまで、言葉を発したのは、米倉のみ…
まさか、隣に私がいるとは、思ってもみなかったに違いない…
案の定、好子は、口を開くなり、
「…なにをしに来たの?…」
と、私に毒づいた。
私は好子の言動に凍り付いたとまでは、言わないまでも、不快な気分になったのは、たしかだった…
目の前で、自分の悪口を言われて、嫌な気分にならない人間はいない…
「…好子…高見さんに失礼だぞ…」
米倉が、好子さんを叱った。
好子は、
「…」
と、なにも言わなかった…
さすがに、面と向かって、それ以上の悪口を言うことを躊躇ったのだろう…
なにより、好子は、私の悪口を言うほど、私のことを知らない…
私と好子さんは、今日で、会うのが、まだ二度目に過ぎないのだ…
「…オマエが心配で、高見さんに来てもらったんだ?…」
「…私が心配で、高見さんに来てもらった? …どういうこと?…」
「…オマエは高見さんと、同じタイプの美人…顔は違えど、身長も同じくらい…常盤貴子を小柄にした美人だ…だから、美人同士、話が合うんじゃないかと思って…」
米倉の言葉に、
「…」
と、好子は無言だった。
なるほどと、思ったのかもしれない…
「…それに、水野は、今、高見さんの会社に取引先の従業員として、出入りしているとのことだ…」
「…水野さんが?…」
好子が驚いた。
同時に、私の顔を睨んだ…
「…水野さんが、高見さんの会社に?…」
「…ハイ…」
私の言葉に、好子は、黙って、私の顔を凝視した…
私のまた、好子の顔を見た…
…なんて、キレイなんだろう!…
好子の顔を見つめながら、思った…
私同様、小柄だが、例えて、言えば、日本人形のように、精緻で、美しい…
色が白く、キメの細かい肌に、美しい日本女性の顔がある…
そんな感じだった。
「…わかった…入って…」
好子が言う。
好子の言葉に促されるまま、米倉が、好子の部屋に入ろうとした。
「…お兄さんは、待って…」
思いがけない好子の言葉に、米倉が、当惑する。
「…入るのは、高見さんだけにして…」
好子の言葉に、米倉は驚いて、私を見た。
私は、米倉に、
…心配しないで…
とでもいうように、目で訴えた。
それが、米倉にも伝わった…
米倉が、無言で、頷く。
私もまた、無言で、米倉に頷き返した…
それから、好子の部屋に入る…
ギーッと、大きな音を立てて、私の背後の扉が閉まった…
好子が扉を閉めたのだ…
すぐに密室に、私と好子の二人だけになった…




