恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 27
「…好子さんと新造さんのお母様は…」
口にした私は、しまったと思った。
目の前の米倉正造が、好子と新造の母親を毛嫌いしていることを忘れていた…
それを思い出した。
私が、口に出したことで、米倉の顔は明らかにこわばったが、それでも、
「…高見さんが、あの女の名前を出したのは、わかります…」
と、怒りを押し殺した表情で、言った。
「…あの女はなにも言いません…」
「…なにも言わない?…」
「…そう、なにも言わない…いつも、おっとりとして、ただニコニコしている…だから、余計に頭にくる…」
「…どうしてですか?…」
「…だって、そうでしょう…誰だって、キチンと自分の意見を言ったりすれば、こちらも、対応の仕様がある。それがいつも、ニコニコしていると、柳に風というか、のれんに腕押しというか、なにをどう言っても、ボクの独り相撲になってしまう…」
米倉が、苦々しげに言う。
私は、米倉の言わんとすることが、よくわかった。
口げんかで、一方が、大声でまくしたてているのに、もう一方は、ニコニコと笑っている…
すると、それを見た人間は、ただ黙るしかなくなる…
相手がなにも反応しないからだ…
一方が、なにも、反応しないのに、自分だけ、いつまでも怒鳴っているわけには、いかない…
そういうことだ…
おそらくは、平造の妻であり、好子と新造の母親は、頭が良いのだろう。
自分が、なにも反応しなければ、相手も黙るしかなくなる。
それを知って、実践しているのだろう…
「…好子は、あの女の娘です…」
米倉が、苦り切った顔で、言う。
「…ボクは、好子が好きだが、あの女の血を分けた娘であると考えると…」
そこで、言葉を切った。
私は、米倉が、なにを言いたいのか、わかった…
好子は、米倉の妹だが、母親が違う。
ゆえに、半分しか、血が繋がってない…
そして、その半分は、米倉が忌み嫌う平造の妻の血…
自分の母親を追い出した女の娘だ…
米倉が、血を分けた妹であれ、好子に複雑な感情を抱くわけがわかる…
要するに、好子は嫌いではないが、その母親は嫌いということだろう…
案外、それが、米倉の好子に対する態度に現れているのかもしれない…
私は思った。
もしかしたら、それを弟の新造も気付いているのかもしれない…
いや、気付いているのではない…
誤解しているのだ…
新造は、米倉が、父の平造に取り入るために、平造のお気に入りの好子に近付いている。
好子を可愛がっている…
と、考えている。
しかし、実際は、米倉の好子に対する感情が、複雑で、それが、米倉の態度の現れているに過ぎないのではないか?
ふと、私の脳裏に、そんな考えが浮かんだ…
「…好子さんは…」
「…好子は今、家でふさぎ込んでいます…なにしろ、週刊誌にあんな記事を載せられて…」
米倉がボヤく。
…あの深窓の令嬢に不倫疑惑という週刊誌の記事で、米倉の正体が私にもわかった…
戦前の財閥の流れを汲む、名門の一族…
あの豪邸に住むにふさわしい一族だ…
「…米倉さんの会社は…」
私が言うと、
「…ボクの会社は、大日産業といって…」
初めて、米倉が、会社の名前を明かした。
これまで、米倉は、自分の会社の名前を明かしたことがなかった…
「…大日産業…」
私は呟く。
「…大げさな名前でしょ? …これまで、高見さんに、会社の名前を明かさなかったのは、この社名が原因です…」
「…社名が原因…ですか?…」
「…その通り…自分で言うのもなんですが、あの好子の不倫記事にあったように、米倉は戦前の財閥の流れを汲む、名門です…だから、大日産業という社名も戦前に創業者である曽祖父がつけたものです…」
「…曽祖父?…」
「…つまり、祖父の祖父…おじいちゃんのおじいちゃんですね…戦前だから、社名も大日なんて、大げさな名前をつけて、これが恥ずかしい…」
「…恥ずかしい?…」
「…そうです…例えば、松下電器みたいに、自分の名字をつければ、いいんです…それを大日なんて…大きな日本です…大ぼらと言ってはなんですが、そんなわずか数人で始めた会社に、そんな大げさな名前を付けたのは、星雲の志というか、創業の理念というか…今の世の中では、失笑ものです…」
米倉が笑う。
私はどう言っていいか、わからなかったので、
「…」
と、黙っていた…
が、いつまでも、黙ってるわけにはいかなかった。
「…高見さんは、どう思いますか?…」
と、米倉が訊いたからだ…
「…どうと言われても…」
私は、一瞬躊躇ったが、
「…時代ではないんですか?…」
「…時代ですか?…」
「…どんな時代も、その時代にふさわしい言動というか、雰囲気があります…誰もが、わかることといえば、ファッションでしょう…」
「…ファッションですか?…」
「…わかりやすい事例で言えば、女のスカートの長さでしょ? 私が女子高生の頃は、もっとみんなスカートが短くて、下着が見えそうで、歩くのに、大変でした…」
私は言って、笑った。
あまりにも、遠い昔だからだ…
33歳の私にとって、女子高生だった、日々は、記憶の彼方でしかない…
「…それは、さぞ大変だったでしょ?…」
米倉は苦笑する。
事実、苦笑するしかなかったのだろう…
自分の目の前にいる、33歳の女が、女子高生時代の話をしても、想像ができなかったのかもしれない…
いや、コスプレを想像するしかなかったのかもしれない…
私は、米倉が、いつまでも、笑っているので、
「…米倉さん、いつまでも笑っていては、困ります…」
と、文句を言った。
「…これは失礼…ですが、高見さんの女子高生時代を見てみたい気もする…」
「…見てみたい気ですか?…」
「…ハイ…」
「…よろしかったら、今度生でお見せします…」
「…生で…見せる?…」
米倉が、驚く。
私はツンとすました表情で、
「…冗談です…」
と、付け加えた。
「…冗談?…」
米倉が呆気に取られる。
それから、しばらく置いて、
「…高見さんが、そんな冗談を言う女性とは、思いませんでした…」
「…そうですか?…」
「…ボクはもっと…」
米倉の言葉が途切れる。
私は米倉の言葉を待つことなく、
「…つまり私が言いたいのは、米倉さんの曽祖父が、会社を創業した時代も、同じじゃないんでしょうか? と言いたかったのです…女子高生なら、誰でも、スカートが短い時代に、一人だけ、膝から下の長いスカートは、穿けません…一人だけ、長いスカートを穿くのは、勇気が必要です…それと同じで、米倉さんの曽祖父が、会社を創業した時代は、誰もが、日本一、いえ、世界一を目指して、社名にその想いを入れたのではないでしょうか? そう言いたかったのです…」
米倉は私の言葉を訊いて、
「…なるほど、うまいことを言う…」
と、感心したように、言った。
「…確かに、高見さんの言うことはわかる…その時代の雰囲気というのがある…これは、誰もが経験しないと、わからないというか、実感が湧かない…」
「…そうですね…」
私は相槌を打つ。
「…今では、おかしいことが、その時代では、おかしくない…振り返って見ると、なんでもそうでしょ? 私が女子高生のときの、下着が見えそうな短いスカートがその象徴です…」
言いながら、私は、叔母のことを考えた。
今、五十代の叔母の世代では、真逆に、長いスカートが流行していたらしい…
要するに、それが、ファッション…
それが、時代の空気というか、雰囲気というものだ…
私は考える。
考えながら、私はふと、先ほど、米倉の洩らした言葉…
水野の女の好みが同じ…
という言葉を思い出した。
つまり、水野は、米倉の腹違いの妹、好子と不倫している…
その好子は、私、高見ちづると同じタイプの美人…
ゆえに、米倉は、水野の女の好みが同じだと言ったのだ…
が、そこまで、考えて、私は、あの日、水野が、私とぶつかったのは、偶然なのかと考えた。
私の傘が、水野の背中にぶつかった…
これは、偶然なのか?
それとも、水野が意図して、私の傘に、自分から、ぶつかったのか?
初めて、そんな考えが私の脳裏に浮かんだ…
閃いた…
私の表情の変化に気づいたのだろう…
「…どうしました? …高見さん?…」
米倉が質問する。
「…水野さんは…」
私は言った。
「…自分から、なにか、考えて、行動するタイプですか?…」
「…どういう意味ですか?…」
「…実は、私、水野さんと初めて、お会いしたのは、偶然、私の傘が、水野さんの背中にぶつかって…」
私は説明する。
「…それで、水野さんに謝って、後日、私の会社、金崎実業に、取引先の社員として、水野さんが、やってきて…再会したときは、本当に驚きました…」
「…なるほど…そんなことが…」
米倉は私の言わんとすることが、わかったようだ…
「…つまり、高見さんは、水野が意図して、高見さんと出会いを演出したのでは? と、言いたいわけですね?…」
「…その通りです…」
私は答える。
あの陽気な水野が、私との出会いを画策して、うまく自分から、私の傘にぶつかった…
考えたくはないが、それが事実かもしれない…
なにより、あの好子さんの不倫相手が、水野だとわかったことで、その可能性が高まった…
好子の不倫相手が、偶然、私の傘にぶつかり、これも、偶然、その不倫相手が、後日、私の会社の取引先に現れた…
そんな偶然が、何度も重なるだろうか?
確かに、世の中には、思ってもみない偶然が存在する。
しかし、今回の件は、その偶然に当てはまるとは、到底思えない…
普通に考えれば、意図的…
なにか目的があって、私に近づいたとしか、思えない…
「…水野さんは…」
私が言いかけると、
「…わからない…」
と、米倉が答えた。
「…高見さんの言うことは、わかります…でも、だからといって、水野が、意図的に、高見さんに近づいたかどうかは、断言できない…」
「…断言できない?…」
「…ボクは高見さんに言ったように、水野を知ってます…ですが、ボクの知っている水野は、高見さんの言うのと、同じ水野です…」
「…同じ水野?…どういう意味ですか?…」
「…高見さんが言った水野の評価…陽気で、おちゃらけて、どこにいっても、すぐに、誰とでも打ち解けることができる人間…ボクの知った水野と同じです…」
「…」
「…そして、そんな人間は、中身はまったくわかりません…」
「…中身がわからない?…」
「…そう…わからない…いつも、おどけて、ピエロのように振る舞ってる人間が、なにを考えてるか、さっぱりわからない…いつも、おどけているのは、自分の心を見せないための、最高の演出でもあるわけです…」
私は、米倉の言わんとすることが、わかった…
要するに、頭の悪い人間が、頭の良い人間のフリをするのは、たやすく周囲に見破られるが、その逆は、難しい…
頭の良い人間が、頭の悪い人間のフリをすることを、見破るのは、難しい…
そういうことだ…
頭の良い人間は、周囲の視線に敏感…
たやすく、周囲の評価を知ることができる。
それを知り、自分自身が、どういう対応をすればいいか、行動に移すことができる…
そういうことだ…
おそらくは、水野はしたたかな人間なのだろう…
頭が良く、したたかで、あるがゆえに、ちゃらちゃらと、軽い感じで、振る舞っているのだろう…
米倉が言うように、それこそが、最高の演出…
自分自身の心を隠す最高の演出に他ならない…
私は考える。
「…水野という男は…」
米倉が口を開いた。
「…なにを考えてるか、わからない男ともいえます…」
「…なにを考えているか、わからない男?…」
「…容易に素顔を見せないというか、本心を晒さない…そんな男は、付き合うには、骨が折れます…」
米倉が苦笑する。
私は米倉の水野の評価を聞き、今さらながら、そんな水野と妹の好子が付き合ってる事実をどう思ってるのだろうと、思った。
好子は、米倉を慕っている…
その好子が、自分が、評価を戸惑うような水野と付き合ってるのを、どう思うのだろうか?
ある意味、興味津々…
現実に、私が米倉と付き合うと言ったとき、好子は、なにより、自分に似たタイプの美人である、私と付き合うのは許せないと怒った。
それまで、米倉の連れてくる女は、米倉の真面目で、爽やかな外観とは、真逆の、派手で、遊んでいる印象の女ばかり…
それが、よりによって、自分とよく似た美人の私を連れてきた…
好子はなにより、それが気に入らない…
いわゆる、派手で、遊び人のタイプの女から、自分と同じ、真面目で爽やかな印象の私を連れてきたことで、米倉が結婚に本気であると思ったのだ…
そして、本気の結婚相手である、私が、自分と瓜二つとまではいわないが、よく似た印象の女では、納得できない…
なぜなら、好子は、本当は、血が繋がってなければ、腹違いの兄である、米倉と結婚したかったに違いない…
それが、真実…
米倉が、好子をどう思っているか?
本当に好きなのか?
あるいは、
単純に、自分の父親に取り入るために、父親の溺愛する好子を好きなフリをしているのか?
本当のところはわからない…
ただ、嫌ってはいないだろう…
だとすれば、米倉は、そんな好子の恋愛相手が妻子ある水野であることを、どう思っているのだろう?
私は考えた。
私の考えが、表情に出たのだろう…
「…高見さん、なにを考えているのです?…」
米倉が訊いた。
私は一瞬、悩んだが、正直に、
「…米倉さんは、好子さんが、水野さんと不倫している記事を見て、どう思いました?…」
と、訊いた。
「…どうと言っても…」
米倉は、私の質問に戸惑う。
「…率直に言うと、ビックリしたというのが、本音です…」
「…ビックリした?…」
「…ええ…好子は、これまで、好きな男を家に連れてくることはなかったから、どんな男と付き合ってきたのか、謎でした…それが、今回、思いもかけず、好子の恋愛相手がわかり、それが、水野とは…」
「…」
「…好子の相手に驚いて、それで、その先はなにも考えられません…」
米倉が苦笑する。
「…だから、これから、高見さんに自宅で、好子に高見さんから、その辺の事情を探ってもらいたいと、思うのです…」
「…私が…ですか?…」
思いがけない米倉の言葉だった…
「…どうして、私が? …それになにより、私は、好子さんに嫌われてるんじゃ…」
「…嫌いというより、気になる存在だと思います…好子にとって、高見さんは…」
「…気になる存在?…」
「…自分とよく似た美人で、腹違いの兄のボクの交際相手…嫌でも気になるでしょ?…」
「…そう言われてみれば…」
たしかに、米倉の言うことはわかる…
好子は、私が嫌いなのかもしれないが、同時に気になる存在であることは、明らか…
だから、私が好子になにか訊けば、話してくれるかもしれない…
そういうことか?
まだ一度しか、あったことのない私でも話してくれるかもしれない…
そう考えたわけか?
ここに至って、私はなぜ、米倉が、私と会いたがったか、わかった…
米倉は、私に好子が、なぜ水野と不倫しているのか、訊きたかったに相違ない…
それゆえ、今日、私を呼び出した。
私は、それを確信した。
そして、その事実を米倉に確認しようとした…
が、止めた。
米倉が策士であることが、わかったに過ぎないからだ…
米倉は、見た目と違う…
それは、米倉の実父である平造と、腹違いの弟である、信造が、何度も口にしている。
私は、今さらながら、その事実を確認したに過ぎない…
私はただ、米倉の口車に乗せられ、今ここにいる…
その事実に今さらながら、気づいたに過ぎなかった…




