恋かもしれない…恋愛偏差値ゼロ 17
社用のクルマに乗り、溝口の会社に向かう。
ハンドルを握るのは、中村君。
これは、前回、溝口の元へ、向かったときと同じだ…
車内で、ときどき、中村君が私に話しかけたが、私はほとんどうわの空だった。
うんともすんとも、言わず、ときどき、中村君が、
「…高見さん…訊いてますか?…」
と、大声で、言ったので、そのときは、
「…聞いているわよ…」
と、返したが、それが、ウソであることは、バレバレなので、そのうちに、中村君もまた私に話しかけることはなくなった。
中村君には、悪いが、中村君と話す余裕は、私にはなかった…
米倉のことで、考えることが多すぎたのだ…
一体、溝口は、私が置かれた状況をどこまで知っているのだろう…
私の疑問は、そこにあった…
溝口もまた、米倉に関わっているのか、知りたかった…
いや、
そもそも、米倉という人物は、何者なんだろう…
あんな豪邸に住み続ける男…
考えることがあり過ぎたというのは、こういうことだった。
それゆえ、中村君には、悪いが、車内で、中村君に話し掛ける余裕は、私にはなかったのだ…
そんな私の胸中を知ってか知らずが、溝口は、思いのほか、上機嫌で、私に接してきた。
溝口の勤務する会社の社内で、私の顔を見るなり、
「…高見さん、久しぶり…」
と、上機嫌で、私に接してきた。
私は、
「…溝口部長、お久しぶりです…」
と、挨拶する。
「…高見さん、立ち話もなんだから…」
と、溝口は言いながら、わざわざ応接室に、席を移した。
私は戸惑った。
まさか、応接室に招かれるとは、思わなかった…
前回、溝口に、見合いの話を持ち出されたときも、応接室などではなかった。
溝口の部の休憩室で、話をしただけだった。
それが、今回、応接室とは?
普通に考えれば、私、高見ちづるの扱いが変わったということになる。
私が変わったことはありえないので、これは、米倉から、なんらかの指示があったのか、考える。
私と中村君は、応接室で、テーブルを挟んで、溝口と向かい合った。
溝口は、私と、向き合うと、早速、
「…高見さん…この前の見合いは、すまなかった…」
と、その大柄なカラダを曲げて、私に詫びた。
私は、驚いた。
まさか、溝口に呼ばれた早々、溝口に頭を下げられるとは、思わなかったのだ…
「…溝口部長…頭を上げて下さい…」
私は真っ先に言った。
溝口は、180㎝を超える大男…
それに比べ、私、高見ちづるは、身長155㎝…
よって、普段ならば、溝口の頭頂部を見ることなどできない…
それが、溝口が頭を下げたことにより、溝口の頭頂部を見ることができた。
その頭頂部は、薄く、まるで、河童のように、頭頂部の髪の毛がなかった…
これは、前回、溝口から、見合いを頼まれたときに、知った事実…
溝口が見合いを拒む、私に今回のように、頭を下げたことで、知った事実…
しかし、それが、今回も繰り返されるとは、思わなかった。
「…頭を上げて下さい…」
私は、繰り返した。
私の言葉に、溝口は、ようやく頭を上げた。
私の顔と、溝口の顔が、真正面から向き合った…
「…どういうことですか?…」
「…どういうことって?…」
「…溝口部長が、すまないと、私の頭を下げた真意です…」
「…それは…」
溝口が口ごもる。
それから、真正面に、私に向き合った。
「…順を追って、話そう…」
溝口は、切り出した。
「…米倉さんの正体なんだが、彼は、この会社の大株主なんだよ…」
「…大株主ですか?…」
「…そうだ…当社の筆頭株主ではないが、米倉奉公会という名前で、会社の株の数%を持っている…一般の企業でもない、一族が、持っている稀有の例だ…」
「…稀有の例…ですか?…」
「…そうだ…ヨーカード―でも、イオンでも、伊藤一族や、岡田一族が、会社の株を持っているが、それは、自分の会社だからだ…だが、当社は、米倉一族とは、関係がない…」
「…それが、どうして?…」
「…米倉は、この会社の設立者なんだ…」
「…設立者?…」
あまりにも、意外な言葉だった…
「…戦前は、この会社を文字通り、経営していたそうだ…しかし、戦後、紆余曲折があって、米倉は、この会社の経営から手を引いた…しかし、それは、表向きというか…影響力は残った…そして、その影響力の源泉が、当社に残る米倉奉公会の株というわけだ…」
…なるほど…
…なんとなく話が見えてきた…
「…米倉奉公会というのは…」
「…これは、昔、米倉一族が、当社の株を持つ際に、米倉一族に奉公するという意味で、当社の従業員が、株を持っていたんだ…」
「…従業員が株を持っていたんですか?…」
「…ほら…今でも、従業員が、会社の株の一部を持っているところは多いだろ…社員も自分の勤める会社の株を持つところが多い…そういうことだ…」
「…」
「…ただ、それが、いつのまにか、当社では、従業員でもなく、米倉一族が、持っていたということだ…」
「…」
「…具体的には、米倉一族が、従業員の株を譲り受けたというか…買い取ったというのが、真相らしい…」
「…」
「…らしいというのは、あまりにも、昔のことなので、今では、都市伝説のようになっていて、当時を知るひとは、誰もいないのでね…」
溝口が笑わせる。
「…都市伝説ですか?…」
「…なにしろ、昔の話だ…要するに、米倉は、当社を手放したが、影響力は残しておきたかったんだろう…株式を手放したフリをして、授業員から買い取ったんだ…まさに裏ワザだな…」
「…裏ワザ?…」
「…米倉がそこまでして、当社の株式を手放したくなかったのは、当社が、いずれ、化けるというか、大きくなると思う先見の明があったんだろう…当社は、米倉一族の目論見通り、戦後急成長した…」
「…」
「…と、ここまでが、ボクが、なぜ米倉一族に、力を貸さなければならなかったのかの説明だ…」
私は、
「…」
と、黙って、溝口の言葉に頷いた。
そこへ、
「…つまり、溝口部長は、米倉さんに、頼まれて断り切れなかったということですか?…」
隣の、中村君が口を挟んだ。
「…そういうことだ…」
溝口が、憮然とした表情で言う。
部外者の中村君が、口を挟んだことが、溝口の心情を害したのかもしれない…
私は、
「…中村君…」
と、たしなめたかったが、さすがに、それはできなかった…
さすがに、溝口の前で、それはできない…
「…米倉さんは、ひとを探していたんだ…」
「…ひとですか?…」
「…そう…ひとだ…」
私は、その言葉で、なんとなくピンときた…
「…できれば、男より女…家政婦のミタではないが、男より女の方が、家の中に入りやすい…」
「…」
「…それと、結婚願望というか…米倉さんは、お金持ちだ…その家を見て、結婚願望が湧いても困る…だから、あえて、見合いにかこつけて、米倉さんと、高見さんを引き会わせた…高見さんが、米倉さんと会って、どう対応するか知りたくて…」
私はここまで、聞いて、思わず、隣に座る中村君を見た…
中村君が隣にいるのに、そこまで、突っ込んだ内容を話していいものか、考えたのだ…
その考えは、すぐに、溝口に伝わった…
以心伝心というか、私の心がわかった…
「…中村君のことなら、心配しないでいい…」
と、溝口。
「…どうして、心配しないで、いいんですか?…」
「…コイツはボクの甥だ…」
溝口が言って、ニヤリと笑った…
「…甥?…」
驚いたが、それで、わかった…
納得した…
甥ならば、なぜ、溝口に頼まれて、私を騙したのか、わかる…
仕事のミスをして、それを溝口に詫びるフリをして、私を同行させ、見合いを半ば強要する。
身内ならば、頼みやすい…
それに、課長の亀沢に話さない理由もこれでわかった…
あくまで、溝口と、甥の中村君だけで、この見合いをしたかったのだろう…
「…まさか…中村君が、溝口部長の甥だなんて…」
私は絶句する。
「…これは、我が社のトップシークレットだ…亀沢課長も知らない…」
溝口が笑う。
「…まあ、トップシークレットは冗談だが、
あまり、社内外の人間に知られても困る…高見さんも、これは内緒にしてくれ…」
「…わかりました…」
私は言って、隣に座った中村君を見た。
中村君は照れ隠しというか、困ったような苦笑いを浮かべていた。
本当は、
「…中村君も案外役者ね…」
と、でも言ってやりたかったが、溝口がいる手前それもできない…
私は正面の溝口に向き直った。
「…それで、今日の用事は…」
本題に入った。
「…用事と言うほどじゃないんだが、まずは、この前、見合いをしてもらい、ありがとうと一言、礼を言いたかった…それと…」
「…それとなんですか?…」
「…引き続き、米倉さんの頼みを聞いてもらえるかどうか、確認したかったんだ…」
…なるほど、そういうことか?…
私、高見ちづるが、米倉の家で、スパイのような真似をすることを了承するかどうか、知りたかったわけか?
ということは、これは、米倉の意向でも、当然ある?
私は考える。
「…それは、米倉さんの意向ですか?…」
「…それは、当然ある…だが、それだけじゃない…」
「…それだけじゃない?…」
「…高見さんも、米倉さんのお屋敷を訪れて、わかっただろうが、あの家は色々複雑でね…」
私は、その通りなので、
「…」
と、黙っていた。
「…母親の違う異母兄弟と、その婿養子の夫、それに、父親と現在の母親、つまり後妻がいっしょに住んでる…その後妻は、年下の異母姉弟の母親でもある…」
「…」
「…これは、一般家庭でもよくあることというか…珍しいことじゃないかもしれない…だが、あれほどのお金持ちで、それは、色々困るというか、騒動の種になりかねない…」
「…」
「…米倉さんが、高見さんに白羽の矢を立てたのは、それが理由さ…」
溝口が言う。
「…ひとつ、お聞きしていいですか?…」
「…なんだい?…」
「…部長の立ち位置はどこですか?…」
「…立ち位置? どういう意味だ?…」
溝口が戸惑った。
「…溝口部長は、米倉さんに頼まれたと、おっしゃいましたね…」
「…そうだ…」
「…それは、どの米倉さんですか?…」
「…どの米倉さん? 高見さん…どういう意味だ?…」
「…溝口部長に頼んだのは、米倉正造さんではなく、父親の米倉平造さんではないのではないですか?…」
私の言葉に、溝口の表情が固まった。
凍て付いたといっていい…
…すでに、その表情が、なにより雄弁に、私の言葉が真実を突いていることを、語っていた…
「…叔父さん…バレバレだよ…」
隣に座った中村君が、思わず口を挟んだ。
その言葉に、溝口は苦笑するしかなかった。
「…高見さんは、鋭い…」
私は、溝口の言葉に、
「…」
と、黙った。
「…たしかに、高見さんの言う通り…依頼は、正確には、父親の平造氏からだ…」
「…正確には…ですか?…」
「…そうだ…」
「…それは、つまり、正造さんからも、依頼があった…」
私の言葉に、溝口が、またも黙った。
これもまた、私の言葉が正しかったといえる…
「…高見さんには、まったく驚かされる…」
溝口が、溜め息を洩らした。
「…よくそこまで、思いつくものだ…」
私は、溝口の言葉に、軽く頭を下げた。
「…武田信玄だな…」
溝口が言った。
「…武田信玄? どういう意味ですか?…」
「…信玄は、父親の信虎を駿河の今川義元に預けて、甲斐から追放した…そのときに、父親の信虎も、息子の信玄を、追放して、今川義元に預けようとしたんだ…」
「…」
「…つまり今川義元は、武田親子から、それぞれ、オヤジと、息子を預かってくれと言われたんだ…義元は、武田信虎の娘婿でもあったから…」
「…」
「…要するに、あの米倉の親子も同じだ…父親の平造氏も、息子の正造氏も同じことを考えている…」
「…」
「…抜け目のない親子だ…」
「…抜け目のない親子…」
私は、溝口の言葉に、思わず苦笑した。
「…自分の手を汚さず、誰かひとを使って、自分の会社の不正を暴こうとする…これが、抜け目がないと、どうして言える?…」
私は、溝口の言葉に、苦笑するしかなかった。
「…オレも本音では、そんなことに加担したくはなかったが、上から言われてね…」
「…上から…ですか?…」
「…オレも組織の人間だ…米倉は、さっきも言ったように、当社の大株主…頼まれれば、断るわけにはいかないよ…」
溝口がぼやく。
考えてみれば、ひどく当たり前の話だった…
当然、溝口は、誰かに頼まれて、今回の見合いを仕組んだ…
溝口は、部長である以上、当然、自分の上司からと考えるのが、普通…
その上司も、また、その上から、頼まれたに過ぎない…
そして、上司の上司と次々と上を行くと、おそらくは、社長か会長に行きつく…
そして、その社長か、会長に依頼したのが、米倉なのだろう…
私は考える。
「…高見さんに、見合いだとウソをついて、試したのは、正直、気が引ける…すまないと言ったのは、そういう意味だ…」
溝口が、胸中を告白する。
私はなんとなく、やるせない気持ちになった…
溝口の気持ちが痛いほどわかるからだ…
溝口とて、本当は、こんなことに関わりたくないに違いない…
だが、組織にいる以上、上から言われれば、従わざるを得ない…
私は、なんと言っていいか、わからなかったので、
「…」
と、黙っていた。
「…とにかく、一度、高見さんに直接謝りたかった…」
「…でしたら、今日、私を呼んだのは、それが理由ですか?…」
「…それもある…」
溝口の歯切れが悪かった…




